第75話 涙の質
「ぎゃあ!!」
悲鳴が上がる。
ボッタッキオ軍の最後の兵士を殺したのは、ベガラスクだった。
喉元に突き刺した爪を引き抜く。
勢いよく腕を振り、滴った血を払った。
やがて、その体躯は歓声を上げ、沸き上がるメッツァーの民へと向けられる。
その動きに気付いたのは、メトラだった。
「どこへ行かれるのですか、ベガラスク様」
「決まっているだろ。あそこにいるのは、人類だ。我ら魔族の敵だ」
ベガラスクは鋭い眼光をメトラに放つ。
殺気を漲らせ、口からしゅると息を吐いた。
メトラはたちまち金縛りに遭い、動けなくなる
そのベガラスクの様子に、民衆も気付いた。
一触即発の状況に、皆の表情が一転し、代わりに不安げな顔を覗かせる。
「ここの民がバルケーノに虐げられたことは聞いている。そして今も、同じ人類によって略奪され、犯されたこともな。……だが、それがどうしたというのだ? 我らは魔族だ。同情する余地はない」
「道理だな」
その冷たい声は別の方から聞こえた。
ヴァロウがベガラスクの方に近づいてくる。
民たちの間に入った。
「確かに同情する余地はない」
「しかし、ヴァロウ様。彼らは――」
「だが、利用する価値はある」
「え?」
「利用する価値だと?」
ヴァロウは「そうだ」といって、頷いた。
「ここにはまだ1万の民がいる。確かに武器を手に取り、戦うことは難しかろう。だが、他のことならできる。食糧の栽培、調達、このメッツァーという都市の再興、そして維持……」
「ぬぅ……」
「戦争で必要なのは、兵士だけではない。軍と都市を維持するための人員も必要だ。今、俺たちにはそれがない」
「それを人間にやらせると」
「ここは元々人間が作った都市だ。彼らに任せた方が、効率がいいと思うが……。彼らを支配するわけでも、虐げるわけでもない。ただ利用するのだ、その力を。それともベガラスクよ。自分で作ってみるか、お前の大好きな焼き魚を」
「なにぃ!!」
ベガラスクは思わず唾を呑んだ。
他の魔狼族も同様である。
腹の音も聞こえた。
息を吐く暇もなく、2連戦だったのだ。
しかもギリギリの戦い。
然もありなんといったところだろう。
「ここは魔族本国ではない。人員も限られている。使える者は使う。魔族は暴力を……。そして人間共に知恵と労働力を出してもらう。それだけだ」
「ならば、ここが魔族の支配圏となった暁には、あの人間たちを殺すのだな」
ベガラスクは吠える。
殺す、という言葉を聞いて、民の間から悲鳴が上がった。
だが、ヴァロウはあくまで冷静である。
「仮定の話は好きじゃない。では、お前は人類の支配圏となれば、大人しく殺されるのか?」
「むろん抵抗する」
「彼らも同じだ。必ず抵抗するだろう。だが、その血になんの意味がある。武器のないものをいたぶるなら、ここの領主のバルケーノやボッタッキオと一緒ということになるぞ」
「なっ――――」
ベガラスクは絶句する。
彼もまた武人である。
そしてまだ若い。
その彼から見ても、バルケーノやボッタッキオの言動は、少々頭にくるところだろう。
故にこうして激論をかわしているのも、無抵抗な人間を殺すことにためらいがあるからだ。
本当にその気なら、ボッタッキオの軍と一緒に襲いかかっていたはずである。
仮に、援軍として同盟領に来る前のベガラスクなるそうしていたかもしれない。
エスカリナやルロイゼンの民、あるいはドワーフ。
兵士とは違う力なきものと交流することによって、ベガラスクも少し見方を変えたかもしれなかった。
そして、ベガラスクは息を吐く。
ようやく伸ばしていた爪をしまった。
「よかろう」
頷いた。
メッツァーの民たちは、ほっと胸を撫で下ろす。
「だが、何か問題を起こせば……」
「言っただろ? 利用するのだと。それができないなら、捨てればいいだけだ」
すると、ヴァロウは振り返った。
メッツァーの民たちにである。
「聞け、メッツァーの民たちよ。今の話を聞いていたな。俺たちはお前たちを支配するわけではない。君主に成り代わり、忠誠を誓えと命令することもしない。むろん、前領主のように虐げることもしない。ただ存分にお前たちを利用させてもらう」
――故に……!
「お前たちも、俺たちを利用しろ。目いっぱい手を挙げて、請え。助けてくれ、と。救え、と願え。お前たちがそう望む限りは、我らはお前たちの声に応えてやる。わかったな!」
微風が吹き、煤を舞い上がった。
焦げ臭い鼻腔が突く。
何もない焼け野原だ。
しかし、ヴァロウの声は力強くメッツァーの民に響き渡った。
すると、誰となく膝を突く。
大人も子ども、男も女も関係ない。
脛を汚し、そして深々と頭を下げた。
「お願いです」
「どうか助けて下さい」
「ヴァロウ様、どうか」
「我らに希望を……」
請い願う。
涙を流すものもいた。
肩を震わせ、嗚咽を堪えるものもいる。
メッツァーの民は諦めていた。
だから彼らはただ搾取され、虐げられることを認めてきた。
助けを呼んでも、空しく響くだけだと思っていた。
いつしか「助けて」と言葉すら忘れていた。
故に嬉しかったのである。
堂々と、「助けて」と言え、というヴァロウの言葉が……。
ヴァロウは自他共に認める軍師である。
英雄の器ではないと、本人も認めていた。
単なる虐殺者。
それならば、バルケーノと変わらない。
それでも、バルケーノとヴァロウに違いがあるとすれば、今こうして見せている民の涙の質にあるのかもしれない。
彼は否定するかもしれないが、メッツァーの民たちにとって、ヴァロウはやはり『英雄』であった。
そして、君主でもあった。
彼の言葉はひどく乱暴ではあったが、君主と民の関係性を指摘していたからである。
君主あっての民。
民あっての君主。
結局、ヴァロウがいった言葉とは、治政において基本的なことを宣言しただけなのだ。
しかし、彼女は少々違った見方をしていたようである。
「相変わらず素直じゃありませんね、師匠」
声が響いた。
メトラ、ベガラスク、そしてヴァロウの順番に振り返る。
3人が知っている声だったからだ。
薄く煙がたなびくメッツァーの中心地から現れたのは、1人の妙齢の女だった。
前髪を綺麗に切りそろえ、長い黒髪を風に揺らしている。
「あなたは……。ルミルラ!!」
メトラは素っ頓狂な声を上げた。
ヴァルファルの領主ルミルラ。
ヴァロウの元弟子である。
すると、その彼女はやや意地悪な笑みを浮かべた。
「メトラ様、初対面のはずですが……」
「え? そ、それはその……。報告で人相を…………じゃない! あなた、何故生きているの? それとも今の今まで監禁されていたのですか?」
「いや、殺されましたよ。それはもう盛大に……。自分の父親にね。傷を見ますか?」
ルミルラは村人のような質素な上着を脱ごうとする。
下乳が見えそうになった瞬間、慌ててメトラが止めた。
自ら服の裾を掴み、下ろす。
「あ、あなたね。人前で何をしているのですか……。そういうおてんばな所はちっとも……」
「あはははは……。やはり、あなたはメトラ様なのですね」
「うっ……」
ルミルラはからかう。
メトラはうっと口を噤み、黙るしかなかった。
そのルミルラの変化にいち早く気付いたのは、ベガラスクだ。
すんと、魔族一といわれる鼻を利かせる。
「女……。お前、いつの間に魔族になったのだ」
「ま、魔族!?」
メトラは驚く。
マジマジとルミルラを見つめた。
特に変わったところはない。
だが、目の色が変わっていた。
薄い紫色になり、妖しい光を放っている。
当のルミルラも訳がわからないらしい。
肩を竦め、目でヴァロウに助けを求めた。
そのヴァロウは表情を変えずに説明する。
「【魔魂の石】を使った」
「な!! 【魔魂の石】だと!?」
「それって、宝具じゃありませんか!」
ベガラスクとメトラは声を揃える。
【魔魂の石】は人間を堕落させる宝具である。
端的に説明するならば、人間を魔族にする貴重な魔導具だ。
石そのものが、魔族の心臓とも呼ぶべき“核”であり、人間の心臓が止まった瞬間から起動するようになっている。
「ヴァロウ、貴様! いつの間にそんな宝具! まさか勝手に宝物庫から持ち出したのではないだろうな!」
「そんな掟破りはしない。魔王様に賜ったのだ。ルロイゼンを落とした褒賞としてな」
「な!! お前の望みは、援軍だったのではないのか!?」
「ああ。だが、それでは釣り合いが取れないと、魔王様がこの宝具をくださったのだ」
「なに!?」
ベガラスクはショックを受ける。
彼の褒賞は宝具1つだけだ。
しかも、まだ決まってもいない。
対して、ヴァロウは望みの援軍を手にし、宝具を手に入れた。
さすがに嫉妬を禁じ得ず、思わずベガラスクは項垂れる。
「そんなにしょげるな、ベガラスク。【魔魂の石】は1回限りだ。これで俺が所持する宝具はなくなった」
「た、確かに……! ふふん。ならば、宝具を所持するオレの方が偉い――」
「とはいえ、ベガラスク様はまだ下賜される宝具が決まっていないのですよね」
メトラは少々余計なことを言う。
ベガラスクは尻尾をだらりと垂らし、またしょげてしまった。
ヴァロウは気を取り直し、ルミルラに尋ねる。
「お前、今までどこにいた?」
ルミルラはここに至る紆余曲折を話す。
バルケーノに刺されたルミルラは、確かに死んだ。
しばらく仮死状態になった後、ようやく眠りから覚めたかと思ったら、気がつけばメッツァーが火の海になっていたというわけである。
「私の忠告を聞いておけば、こんな惨事にならなかったでしょうに」
「お前が最初から説明していれば良かっただけだ」
「いえ。それはあなたも知っていたのでしょう?」
ルミルラはヴァロウに近づく。
顔を突き出し、そっと声を潜めた。
「相変わらず恐ろしいまでに合理主義ですね、師匠は。このメッツァーの混乱も、あなたが英雄として現れるための舞台だったのでしょう。すべてメッツァーを統治しやすくするためのあなたのシナリオだったわけだ」
まさしく変眸したルミルラの薄紫の瞳が妖しく光らせた。
その言葉を聞いて、ヴァロウはわずかに笑う。
ルミルラは呆れたように「はあ」とため息を吐いた。
「その癖、民には利用しろとかいっておいて……。あれって、民への逃げ口ですよね。もしここが人類に支配された時に、自分たちが利用されていただけなんだという逃げ口上を作っただけでしょう。……まったく。時々、師匠の良心がわからなくなりますよ」
ルミルラからいわせれば、ヴァロウは英雄でも略奪者でもない。
軍師だ。
利用できるものは利用する。
それが命であっても躊躇はしない。
馬鹿がつくぐらい、彼は徹頭徹尾軍師なのである。
「ご託はいい、ルミルラ。お前、どっちに付く気だ?」
「私をこんな身体にしておいて、それを聞きますか? いえ……まあ、はっきりさせておいた方がいいでしょう」
ルミルラはヴァロウのヘーゼル色の瞳を見ていった。
「もちろん、ついて行きます。たとえ、あなたが魔族のヴァロウであろうとも……」
そしてルミルラはヴァロウの前で膝を折るのだった。
面白い! やはりルミルラは生きていた!
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