第71話 悪魔の軍団到着
それが目を覚ましたのは、バルケーノが処刑された直後であった。
それは闇の中で眠っていた。
そして何かに気付き、重い瞼が開く。
大きな瞳は、樽に入った葡萄酒のように閃いた。
広い空間の中で、それは1匹である。
一部の隙間もない魔法鉱石製の壁に覆われ、遮音性を高める素材とさらに分厚い鉄板が張られていた。
まるで檻である。
いや、それはまさしくそれを閉じこめるための牢獄であった。
すると、それは動く。
ずっと暗闇の中で眠っていた。
まるで睡眠がそれに課せられた唯一の仕事だったかのように……。
だが、それはそのくびきから放たれたことを直感的に悟る。
長い首をもたげる。
前肢を前に出した。
それだけで、檻が震える。
ザッと滝のように埃が落ちてきた。
前肢に力を入れて、立ち上がる。
次に現れたのは、大きな翼だった。
準備運動するかのように1つ、2つと羽ばたかせると、砂塵が舞い上がる。
ビリビリとまた檻が震えた。
そしてそれは口を開ける。
『ぎるるるるるっっっっっっ!!』
広い空間内で吠声が暴れ回る。
それだけで、空間全体が吹き飛んでいくような勢いがあった。
やがてそれは強く羽ばたき始める。
巨体が浮き、首が天井に当たった。
魔法鉱石と鋼板の檻をあっさりと突き破る。
瓦礫が浴びながら、それは昇っていく。
光が見えた。
わずかに目を細める。
まるで手を伸ばすように、それは雄叫びを上げた。
まるで生まれてきた子どものように……。
ぎゃああああああああああああああ!!
◆◇◆◇◆
瞬間、メッツァーの宮殿ブロワードが吹き飛んだ。
あそこにはまだ家臣や領主の親族たちが住んでいるはずである。
当然、警備のための衛士もいただろう。
だが、文字通りすべてが吹き飛んだ。
白亜の宮殿は木っ端微塵となったのである。
人の腕が飛び、血に染まったドレスが舞い上がった。
だが、ボッタッキオが見ていたのは。そうではない。
宮殿の下から現れた長い首、天を覆うような大翼、そして赤黒い双眸。
ボッタッキオは顎を開いたまま呟いた。
「竜だ……」
そう。
それは竜だった。
人間の支配圏にいるのは、ほとんどが飛竜である。
その体躯は精々熊よりも一回りぐらい大きい程度だ。
だが、これは飛竜などではない。
竜だ。
古より伝わる空の王者。
生物の頂点ともいえるべき者が、今ボッタッキオの前に出現した。
「まさか! 竜が生きていたのか!?」
ボッタッキオは叫声を上げる。
だが、それは大きな間違いである。
この時のボッタッキオは知る由もないが、その竜もまた飛竜だった。
だが、人為的に様々な魔獣と交配させ、あの『竜王』バルケーノ・アノゥ・シュットガレンが育てた異形の化け物だ。
死んだ今となってはわからないが、『竜王』という綽名は、この竜に付けられたのかもしれなかった。
ボッタッキオは呆然としていた。
その巨躯。
その迫力。
漂ってくる凄味。
いや、呆然としていたというよりは、子どものような目をしているという方が正しいかもしれない。
ボッタッキオは憧れていたのだ。
圧倒的ともいえる巨体とプレッシャーに……。
すなわち、将としての血が騒いだのである。
ボッタッキオの顔がみるみる赤くなる。
長柄の青龍刀を握った。
「閣下! 危険です!!」
部下が制止する中、ボッタッキオは馬の腹を蹴った。
すでに馬は魔薬漬けにしてある。
興奮した馬はべっとりとした泡を吹きながら、走り出す。
一直線に竜へと向かった。
「ぐははははははは!! お前、大きいな!! お前ほど大きいヤツを見たのは、前線で戦っていた時以来だ!! 腕がなる! 血が騒ぐ! お前みたいなデカいヤツを倒したら、俺様が『竜王』だぁぁぁああ!!」
大音声を上げて叫ぶ。
上手く瓦礫に乗り、高く舞い上がる。
最後には愛馬すら置き去りにし、ボッタッキオは天高く青龍刀を構えた。
竜の頭に躍り出る。
「かぁあああああああああ!!」
裂帛の気合いの下、青龍刀を振り抜く。
ギィン!!
見事竜を捉えた。
「おお!」
「見事!!」
「さすがはボッタッキオ様だ!」
見ていた兵士たちが称賛する。
確かにボッタッキオの得物は竜に届いた。
しかし、そこまでだ。
硬質な音を立てて、青龍刀が止まる。
竜の鱗を切るにまで至らなかったのである。
「でやああああああああ!!」
それでもボッタッキオは諦めない。
長い滞空時間の最中、青龍刀で何度も竜の頭を斬りつける。
だが、どの角度で打っても、得物が竜の肌を貫くことはなかった。
だが、さすがに竜も頭に来たのだろう。
ブフッと鼻息を荒くする。
すると、飛んできたのは、大樹のような太い尻尾だった。
耳をつんざくような音が鳴り響く。
その瞬間、ボッタッキオは蠅のように撃墜された。
衝撃は凄まじい。
気付いた時には第3の城門まで吹き飛ばされていた。
「ぼ、ボッタッキオ様が……」
「我らが猛将が……」
「たった一撃で……」
ボッタッキオの部下たちの顔が、たちまち青くなる。
一方、竜はまるで勝ち鬨を上げるように吠声を上げた。
空気を揺るがす音は、人間を恐怖の虜にするには十分であった。
竜は胸を開くように仰け反る。
開いた喉の奥が紅蓮に光った。
「まさか……」
部下の1人が気付き、戦慄した。
1歩後ろに下がるが、その攻撃の前では明らかに不十分だった。
カッと閃いた瞬間、炎の嵐が巻き起こる。
宮殿跡地はもちろん、第3の城門を貫き、第2の城門に届こうかという炎息が広がった。
まるで火砕流のように広がった炎は、たちまち人や物を飲み込んでいく。
メッツァーの街を略奪するもの。
略奪されるもの。
犯す者。
犯される者。
人間の蛮行などものともしない。
一瞬で何もかもが吹き飛んだ。
残ったのは、ただ焼け焦げた跡と――。
『ぎぃいぃぃぃいいぃいっやあああああああああああ!!』
竜の甲高い音だけである。
宮殿が崩れ、そこから現れた大きな影。
さらに何もかも消失させてしまう恐ろしい炎息。
それを見て、メッツァーはパニックになった。
街人も、兵士も、女も男も、関係ない。
略奪を楽しんでいたボッタッキオ率いる第一師団も、すべて投げだし、南へと向かう。
第1、第2、第3の城門を貫く大通りに人が溢れかえった。
だが、狭い城門部分に行き当たり詰まってしまう。
後ろから人が押し、人に挟まれ圧死するものも現れる。
気が触れた第一師団の兵が喚くが、剣を振り回すスペースもなかった。
とにかく前へ!
なんとか生き延びようとする人間たちだったが、悪夢は続く。
竜が羽ばたくと、飛翔を始めた。
大きな影がメッツァーを覆う。
竜からすれば蟻のように小さな人間に向かって、再び炎息を放つ。
たちまち焼死体の山が出来上がった。
それを誇るように竜はまた嘶く。
さらに街を蹂躙していった。
炎と煙が上がる。
メッツァーの街はたちまち紅蓮に染まった。
運良く城門を抜けることができた貧困街の人間たちは途方に暮れる。
子どもがペタリと尻を付け、呆然と変わり行く城塞都市を見ていた。
「この世に神様はいないのかな……」
その言葉は子どもが何度も貧困街で呟いてきた言葉だった。
いつか誰かが助けにきてくれる。
いつか美味しいものを食べさせてくれる。
いつか幸せになれる。
貧困街で暮らしながら、ずっとそう思っていた。
けれど、そうならなかった。
子どもの前に現れたのは、単なる地獄である。
ぶるるる……。
ふと馬の嘶きが聞こえた。
子どもは振り返る。
黒い雲が南へと流れていく中、それは馬上にいた。
夜の闇のような黒い髪。
天使のように美しい顔立ちなのに、ひどく冷たい容貌。
そして頭の上から生えた2本の角。
それは決して神などではない、と子どもは悟った。
「神などいない。そして生きるのに、神は必要ない」
ヘーゼル色の瞳を湛えながら、その人物は力強く宣言した。
「この世にいるのは、悪魔だけだ……」
第六師団師団長にして、最強の軍師――。
ヴァロウがメッツァーに到着した。




