第60話 師と弟子
この回で『6章 メッツァー潜入』は終了です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ヴァロウは鞘に剣を収めた。
近くの倒木に腰を下ろす。
ルミルラも側に座ろうとした。
だが、失敗に終わる。
すぐに抜剣すると、それ以上近づくなと脅された。
またルミルラは口を尖らせる。
とはいえ、このままでは話が始まらない。
ルミルラはようやく頼み事を口にした。
「師匠――――」
ヴァロウの眉がピクリと動く。
顔は無表情だったが、かすかな殺気を感じて、ルミルラは慌てて言い換えた。
「ヴァロウ殿、頼みというのは、父バルケーノのことです」
「…………」
「どうか父の命だけはご容赦いただきたい」
ルミルラは頭を下げた。
地面に膝を突き、額を付ける。
後ろで束ねた黒髪が前へと流れた。
「それは娘として、父親の命だけは取らないでほしい、というものか? 随分と私情を挟んだ願いだな」
「いえ。そういうわけではありません。……いや、それも全くないわけではありませんが……。ですが、あなたにとってもメリットがある話です」
「俺たちにメリットだと?」
「あなたは大要塞同盟を攻略した後、人類軍の最前線の後背を突くおつもりなのでしょう?」
「…………」
ヴァロウは答えなかった。
今後の戦略に関わることだからだ。
ルミルラは1度息を吐く。
「ですが、その前にあなたたちが対決しなければならない相手がいます」
「どこだ?」
「本国の軍です」
「……本国の軍だと?」
「はい。すでに大要塞同盟の勢力圏付近に展開しています。こちらを刺激しないよう、かなり用意周到に隠されていますが……」
ヴァロウは顎に手を置いた。
「やはり知らなかったようですね。どういう情報網を敷いているかは知りませんが、いくらあなたでも限界はあるでしょう」
「本国が軍備を整えていることは知っていた。だが、こうも早く動くとはな。…………なるほど。そういうことか」
ヴァロウは頷き、得心した。
「この段階で本国が同盟の勢力圏にいて、何もしてこないということは、おそらく漁夫の利を狙っているのだろう。魔族と同盟を戦わせ、弱ったどちらかを討つ算段だな。仲間を見殺すほど、同盟と本国の関係はこじれているのか?」
「最初は仲が良かったと思います。ですが、同盟が力を持ち、独立の声も大きくなってきました。お互いが言うことを聞かないまま、関係は今や最悪です。そこに――」
「俺たちが現れたか。さぞ疫病神だっただろう」
「それだけではありません。シュインツの元領主メフィタナ様が、脱税の容疑で中央に連行されました。私と父の許可なくです」
「決定的だな……」
「中央との対決は鮮明になりました。そこへ来て、反乱、そしてシュインツの占領です。父がどれほどお怒りであったか、想像できますか?」
「だから、バルケーノを討つな――か。つまり今は争えば、本国の介入を許すことになる。そう言いたいのだな」
「まあ、それだけではありませんが……」
「まだあるのか?」
「今は言わないでおきます……」
ルミルラははぐらかす。
そして説明を続けた。
「もちろん頼みを聞いてくれるのに、タダとは申しません。見返りはきっちりと払わせていただきます」
「どんな見返りだ」
ルミルラは正座をする。
後ろに束ねた髪を1度梳き、居住まいを整えた。
「ヴァルファルの譲渡。そして、私の首でいかがでしょうか?」
さすがのヴァロウも、ルミルラの提案には驚いた。
だが、それは一瞬のことだ。
すぐあの氷のような表情を浮かべる。
ヘーゼル色の瞳で、ルミルラを刺した。
だが、ルミルラは当然という顔をして、ヴァロウに言った。
「人間と戦うなと頼んでいるのです。それ相応の首というものが、必要でしょう。ただどうかヴァルファルの領民の命だけはご容赦いただきたい。それが私の頼みです」
改めてルミルラは頭を下げるのだった。
ヴァロウは最初から気付いていた。
ルミルラが死を覚悟し、自分の前にやってきたことは……。
自分が最強の軍師ヴァロウであろうとなかろうと、彼女には関係なかった。
命を賭してでも、ここにいるヴァロウという魔族に、自分の頼みを聞かせたかったのだろう。
ヴァロウは思った。
(成長したな……)
弟子入りしたばかりのルミルラは、ただのお嬢さまだった。
確かに軍略の才能はあった。
軍儀という仮想の盤面では、他の弟子に負けたことがない。
ただ勝ちもしなかった。
常に守勢を保ち続け、敵兵が逃げるのを待つ。
そんなことばかりしていた。
1度、ヴァロウは何故そんなことをするのか、と尋ねた事がある。
すると、彼女は軍儀の駒を持ち上げていった。
『こんなに綺麗な駒を捨てるわけにはいきませんわ』
その言葉の後、ヴァロウは何を言ったか覚えていない。
ただルミルラは、軍師に向いていないと思った。
どんな戦場でも、自軍を切り捨てる時はやってくる。
他の武将が反対しても、軍師だけは淡々と判断しなければならない。
ルミルラがやったのは、その真逆のことである。
彼女は優しい。
だが、戦場に置いて、優しさこそがもっとも己を殺す敵であることを、この時のルミルラは知らなかったのである。
ヴァロウが死んだ後、ルミルラがどういう人生を辿ったのかわからない。
しかし、優しかった彼女が、こうして自分の命を切り捨てようとしている。
ただ英雄的な死を望むわけでも、自暴自棄になっているわけでもない。
明確な理を唱え、利益を計った上で、己の首を差し出したのである。
「よかろう。ただし――」
「何でしょうか?」
「1番の問題はバルケーノだろう。ヤツを説得できるのか?」
ルミルラは苦笑いを浮かべる。
だが、最後には表情を引き締めた。
「それが1番の難問なんですけどね。……でも、必ずや説得してみせます。父は頑固ですが、私の話なら聞いてくれるはずです」
「良かろう。お前の頼みとやらを聞いてやる」
「ありがとうございます、師匠!」
「…………」
「あ。ごめん、師匠。あれれ?」
「もういい。……それよりもこれを飲み込め」
すると、ヴァロウはルミルラに手渡した。
ルミルラはすぐに手を掲げ、それを見つめる。
透明な石だった。
「何ですか、これは?」
「お前が我らを裏切らないか監視するものだと思えばいい」
「ああ。なるほど。そんなことをしなくても、私は裏切りませんよ」
「念のためだ」
「はいはい」
ルミルラは石を飲み込む。
そして早速、待たせていたスライヤに跨がった。
「送っていきましょうか?」
「お前が魔族に八つ裂きにされたいならば、構わんが……」
「シュインツの方たちは割と紳士的でしたよ」
「どうせエスカリナに逃がしてもらったのだろう」
「バレましたか。では――。そうですね。今度は、メッツァーの宮殿ブロワードでお目にかかりましょう。首を洗って待ってます」
「……そう祈る」
スライヤが翼を羽ばたかせる。
強い突風が巻き起こると同時に、広い夕空へと飛び立った。
ルミルラは手を振る。
ヴァロウは振り返さなかった。
竜頭が北を向く。
西日を受けた飛竜は、黒い雨雲が見えるメッツァーへと羽ばたいていった。
◆◇◆◇◆
その夜……。
メッツァーは嵐になった。
雷鳴が轟き、雨滴がガラス窓を打ち据える。
稲光が宮殿ブロワードに差し込むと、絨毯に広がった赤い血を照らした。
ゆっくりと浸食する。
傍らには遺体があった。
無念そうに顔を歪めている。
黒髪を束ねていた布が弾け、絨毯に黒い薔薇のように広がっていた。
当然、黒い目に生気はない。
かたりと物音を立てて、扉が閉まる。
ギョロリとした大きな瞳は最後まで娘に向けられることはなかった。
「閣下……」
バルケーノが部屋を出たところで、レドベンが立っていた。
顔を青くしながらである。
バルケーノが部屋の中にあるものについて語ることはなかった。
ただ一言宣言した。
「いくさだ。準備をしろ」
小心者の参謀は息を呑む。
「どちらの敵でしょうか?」
「決まっておろう。我ら人類において、敵は1つしかおらん」
根絶やしにせよ、同盟に巣くう悪魔どもを……。
そして、大要塞同盟主都市メッツァーとの戦いの火蓋は切られるのだった。
いよいよ『7章 パルマ高原の戦い』、
第四、第六師団連合軍vsメッツァー軍の戦いが始まります。
第2節クライマックスに入って参ります。
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