第26話 魔王ゼラムス
今、ヴァロウの目の前にあったのは、倒れたゴドラムの巨体だった。
白目を剥き、完全に意識を失っている。
力では向こうが上。
だが、ヴァロウは戦術と技だけで、ゴドラムを制してしまった。
「何をしておるかぁ!!」
背後から慌ただしい足音が聞こえた。
竜の嘶きのような大声を上げたのは、ドラゴランである。
その後ろに他の副官の姿があった。
「な! これは――――!」
ドラゴランは現場に来て、息を呑む。
ヴァロウと、倒れたゴドラムを交互に見比べた。
「まさかヴァロウ、貴様がやったのか?」
「はい……」
ヴァロウは頭を下げるように膝を折った。
後ろの副官たちも、その返答を聞いて目を剥いている。
沈黙するドラゴランの様子を見て、ヴァロウは「少しやりすぎたか」と考えたが、聞こえてきたのは笑い声だった。
「がはっはっはっはっ! やるではないか! まさかゴドラムが負けるとはな」
そう言って、ドラゴランはヴァロウの頭を2回軽く叩く。
軽くとはいえ、ドラゴランの力は強い。
首が縮みそうだった。
人類社会において、部下が上司に手を挙げることは許されざる行為である。
ヴァロウが乱心したのかと思われるだろう。
だが、ここは人類社会ではない。
魔族社会……。
暴力1つで這い上がることができる。
むしろ、その行為は魔族的だといわれ、時にこのように称賛を受けることがあった。
「大方予想は付くが、どうしてこうなったのか理由をを述べよ」
「恐れながら……」
ヴァロウは経緯を話す。
ゼラムスに対する侮辱発言については語らなかった。
不敬罪となり、なんらかの処罰を受けることになれば、ゴドラムの身動きが取れなくなる。
ヴァロウにとって、ゴドラムは優秀な道化師だ。
まだまだ手の平の上で踊ってもらわなければならない。
話し終えた後、ドラゴランは頷いた。
「やはりそうではないか、と思っておったわ。余程血が上っておったのだろう。頑固だのぅ、こやつも……」
ドラゴランはやれやれと首を振る。
軽くつま先で小突いてはみたが、意識が戻ることはなかった。
すると、涼やかな声が廊下に響く。
「どうしました、慌ただしいですね」
ゆるやかな薄桃色の髪を揺らし、それは現れた。
「ま、魔王様!!」
ドラゴラン以下、副官たちは慌てて膝を折る。
そこにいたのは、【闇の羽衣】を解いた魔王ゼラムスだった。
ヴァロウは一瞬、呆然とする。
それが初めて見たゼラムスの姿だったからである。
(これが、魔王か……)
見た目は豊満な肢体を見せびらかした娼婦のように映る。
ただ敵意も殺意も剥き出すことなく、穏やかな表情を浮かべていた。
しかし、その圧迫感は違う。
魔力の差は圧倒的だ。
ただ立っているだけなのに、空気が歪んで見えた。
(俺たち人類は、こんな化け物と戦おうとしていたのか……)
気がつけば、ヴァロウの服にじっとりと汗を滲んでいた。
「なるほど。状況を見るに、彼がゴドラムをこのようにしたと察しますが……」
「は、はい。お察しの通りでございます、魔王様」
「そうですか」
すると、ゼラムスは副官たちの脇を抜け、ヴァロウの方へ近づいてくる。
ヴァロウはまだ膝を折り、頭を垂れたままだ。
顔を下げ、なるべくゼラムスを見ないようにしている。
目をあわすだけで、何か飲み込まれそうな圧力を感じた。
ゼラムスはぴたりとヴァロウの前で止まる。
やがて手を差し出した。
何か罰を与えられるのだろうか。
ヴァロウは身を硬くする。
だが、軍師の予想は珍しく外れた。
わしゃわしゃ……。わしゃわしゃ……。
あろうことか、ゼラムスはヴァロウの頭をなで始めたのである。
「お強いのですね、ヴァロウ」
「あ、ありがとう……ございます……」
思いがけない言葉に、ヴァロウは戸惑いを禁じ得なかった。
「撤退作戦案……。興味深く拝見させていただきました。賢いのですね、あなたは……。良ければ、わたくしの先生になっていただけませんか?」
「お戯れを……」
ヴァロウは言葉を絞り出すのが精いっぱいだった。
ゼラムスはそれを見て、まるで生娘のように笑う。
「ふふ……。ヴァロウ、どうかその知略を以て、ゴドラムは助けてあげてください。彼はとても頑固ですが、すべては魔族のためにしていることです。よろしくお願いします、ヴァロウ」
そう言い残し、魔王ゼラムスはその場を後にした。
◆◇◆◇◆
「直接魔王様にお目にかかったのですか!?」
素っ頓狂な声が、ヴァロウの私室に響く。
声の主はメトラである。
驚いた彼女は、入れていた紅茶をこぼしてしまった。
だが、ヴァロウは咎めない。
ティーカップを取り上げると、まず匂いを嗅ぐ。
芳しい香りが胃の中にまで満ちていき、癒してくれる。
すると、かすかな音を立てて、紅茶を口にした。
身体が温まっていくのを感じる。
緊張した筋肉がほぐれているのがわかった。
ヴァロウは胸元を開く。
いまだに玉のような汗が浮かんでいた。
「ああ……。おそらく、凄まじく強い。あれを倒すのは至難の業だろうな」
「そうですか……。それでは計画が……」
「心配しなくていい。魔王と対峙することになるのは、ずっと先だ。むしろ、今会えて良かったと思う。対峙してからあの雰囲気を知れば、取り返しの付かないことになっていただろう」
「問題はゴドラム様の件ですね」
「いや、それも問題ない」
「え?」
「明日――いや、今日の夜にはおそらく動きがあるはずだ」
「では、私たち何を……」
「それまで2人で紅茶を楽しめばいい」
ヴァロウはティーカップをメトラに掲げる。
メトラの白い頬が、ポッと赤くなった。
自分の分の紅茶を入れると、ひっそりと2人はお茶会を始める。
人類軍の侵攻が5日後に迫る中、ヴァロウの私室には、良い茶葉の香りが漂っていた。
◆◇◆◇◆
次の日。
ヴァロウは私室で朝食を取っていると、荒々しく私室の扉が開け放たれる。
その入口に立っていたのは、ドラゴランだった。
大きな口を開け、息を切らしている。
相当慌てた様子だった。
(やはり……。動いたか……)
ヴァロウはドラゴランの姿を見ながら、目を細める。
息を切りながら、ドラゴランは口を開いた。
「やはり……。貴様はいるか」
「どうされましたか、ドラゴラン様?」
「どうされたかではない! お前の上司がいないのだ」
「ゴドラム様が?」
すると、今度はメトラが私室に飛び込んできた。
「報告します、ヴァロウ様。――――あっ! ドラゴラン様!」
メトラは魔族式の敬礼をして畏まる。
ドラゴランは軽く首を振る。
「よい、メトラ。何があったか、報告せい!」
「は、はい! 第六師団が私たちを除き、昨日の夜中に出兵した模様です」
「くそ! やはりか……。功をあせりおって、ゴドラムのヤツ。『毒の勇者』は化け物だ。昨日、会議で残っている全軍で当たると決めたというのに」
ドラゴランは尻尾で床を叩いた。
鋭い音が、ヴァロウの私室に鳴り響く。
「その様子だと。お主たちには声がかからなかったようだな。まあ、昨日のこともある。声をかけづらかったのだろう。……とりあえず、わしは出るぞ。ヤツを犬死にさせるわけにはいかない」
「お待ち下さい、ドラゴラン様」
「なんだ? お主は我が部下ではない。具申を申すなら、上司であるゴドラムに申せ」
「ならば、その上司を説得しようと思います」
「無駄だ。昨日のヤツの様子を見たであろう。お主の言葉に耳を貸すヤツではない」
「では、1つ確認させていただけませんか?」
「確認だと? 一体、何を確認するのだ?」
「そ、それは……。返答しかねます」
ヴァロウは横を向く。
ドラゴランはまた尻尾を床に叩きつけた。
すると、机を挟んでヴァロウの胸倉を掴んだ。
昨日のゴドラムと一緒の状況である。
だが、ヴァロウは竜人族の硬く冷たい皮膚を掴んだだけだった。
「言え! 一体貴様は何を隠しているのだ」
「もう1度いいます。返答しかねます!!」
ヴァロウは叫んだ。
メトラは立っているのが精一杯だった。
ドラゴランの迫力に、気圧されていたのだ。
しかし、嵐のような殺気にもヴァロウは屈しない。
頑なに口を閉ざした。
やがて、ドラゴランは剣を抜く。
とうとうヴァロウの喉元に突き付けた。
「言え……。でなければ、お前の首を切る」
その刃はすでにヴァロウの薄皮を切っていた。
一条の血の筋が浮かび、鮮血が垂れる。
ドラゴランの力は強い。
今の体勢からでも、硬い人鬼族の首骨を叩き斬ることができる。
それはヴァロウも重々承知していた。
それでも口を閉ざす。
「わかった。ここで貴様を斬る!」
「お待ち下さい!!」
叫んだのはメトラだ。
半分腰を抜かしながら、唇を震わせていた。
「ヴァロウ様がお隠しになられていることを、私は知っています」
「メトラ!!」
今度は、その上司であるヴァロウが叫ぶ。
首を振り、メトラに「喋るな」と合図した。
だが、ドラゴランは剣を引くと、そのヴァロウの口を塞ぐ。
そのまま長い首をぐるりと動かし、メトラを睨め付けた。
「なんだ、メトラ……。申してみよ」
「はい……。昨日、ヴァロウ様がゴドラム様に言われたのです」
「言われた?」
…………。
メトラは逡巡する。
「言え……」
そう冷たい殺意が、再びドラゴランから放たれると、彼女は観念したようにこう告げた。
「ヴァロウ様は、ゴドラム様にこう言われたそうです」
お前、人類軍に来るつもりはないか? と……。




