第157話 敵将討つ
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突如、氷に入った筋は参謀であるアジェリアがいた後方にまで走ってくる。
退避を呼びかけたが、すでに遅い。
足元の氷が割れた瞬間、アジェリアは他の兵とともに氷の下にあった水の中に放り出される。
冷たい……。
アジェリアは冷寒耐性のあるローブに魔力を込める。
その機能を最大限にまで高めるが、それでもなお寒い。
身体が凍り付きそうだ。
なんとか身体を動かし、水面から顔を出す。
目や眉にかかった髪を何度も撫でながら、広がった光景を見て、絶望した。
8000の兵のうちの5割以上が水中に突き落とされていた。
あちこちから悲鳴が上がり、もはや戦闘どころではない。
しかし、こんな状態でもアジェリアは思わず感心していた。
こんな河川の近くで、何故こんな広い池水があるのかがわからなかったのだ。
「三日月湖か!!」
ノースドームを流れる川は、北東方向から流れ、山に沿うように大きく湾曲しながら、北西方向に流れる形状をしている。
それが聖地に天然の堀のような地形をもたらしていた。
三日月湖というのは、そうした大きく蛇行した河川にできやすい湖のことで、『河跡湖』とも呼ばれている。
「河の流れに対して、湾曲部の浸食が進んでいないと思っていましたが、まさか雪の中に三日月湖が隠れていたなんて」
ぬかった!
戦場の地形把握は参謀の仕事である。
なのに、無抵抗な信者が相手と侮り、そんな基本的なことまで怠ってしまった。
「(私はガラケン閣下に『油断するな』と忠告した。違う……。一番油断していたのは、私ではないか)」
アジェリアの顔が歪む。
苦痛でも、寒さでもない。
それを自分への戒めのようであった。
はっと顔を上げて、思い出す。
そのガラケンの姿を確認した。
仮に水中に落ちていれば、絶命は必至だ。
ろくに鍛錬せず、ただ領地で私腹を肥やす生活しかしていない人間が、この極寒の水の中で動けるはずなどない。
「閣下!!」
泳ぎながら辺りを窺う。
その声に別の兵が反応した。
指差す方向を見ると、ガラケンが湖の縁で水を吐いているのを確認する。
なんとか無事のようだ。
アジェリアはホッと息を吐く。
冷たい水の中を泳ぎ、岸へと向かう。
その時である。
雪煙が視界に入った。
獣人の軍団だ。
獣でありながら、2足で歩くことができる彼らのほとんどが、四つん這いになって、雪の中を進んでいる。
その先頭を走り、真っ白な毛をなびかせているのが、ヴォーギンだった。
「ヴォーギン殿!!」
真っ直ぐガラケンの方へ向かっている。
また助太刀してくれたのだろうか。
いや、違う。
ヴォーギンの瞳はそうは語っていない。
あの獰猛な野獣のような瞳は、何度か相対したヴォーギンのそれとは異なっていた。
「まさか――――。ヴォーギン殿!!!!」
アジェリアは叫ぶ。
すると、ヴォーギンは反応した。
水の中に浸かったアジェリアを見つけ、目を細める。
一旦足を緩めて、彼女の方を向いた。
一瞬、助けてくれるのかと淡い期待を描く。
だが、ヴォーギンの鋭い牙が光らせると、意外な言葉を放った。
「すまねぇな、アジェリア殿」
たったそれだけを告げる。
ヴォーギンは再び走り出し、ガラケンの下へと駆け寄った。
◆◇◆◇◆
「ひぃ!! ひぃいいいいいいいいいい!!」
悲鳴を上げたのは、ガラケンだった。
ガチガチと歯を鳴らす。
寒いのではない。
目の前に立った獣人を見て、恐れおののいているのだ。
『ベヒーモス』団長ヴォーギンは、仲間を引き連れガラケンに近寄る。
すでに護衛の兵士は無力化されていた。
生きてはいるが、ガラケンの悲鳴を聞いても起き上がらないところをみると、意識を失っているようだ。
ガラケンはその大きな尻を雪の上に付ける。
冷たい感触がじんわりと感じたが、すでに全身びしょ濡れになっているため、特に気にならない。
そもそも恐怖の方が勝っていた。
黄色いヴォーギンの瞳が光る。
四つん這いの状態から立ち上がり、足の爪でギュッと雪を踏みつけ、静かに怒りを抑えた。
「ガラケン、あんたに聞きたいことがある――って言いたかったんだがな。どうやら、それを尋ねる必要もなさそうだ。その反応からして」
「わ、わしは何も知らんぞ! 何も!! 何も聞いておらん!!」
「その反応がもう何もかも語ってんだよ!!」
ヴォーギンはガラケンに迫ると、その胸倉を掴む。
背は低いながらも、成人男性の2倍ぐらいありそうな体重のガラケンを軽々と持ち上げた。
「てめぇ、知ってやがったな! 本国が俺たちをこんな北国に派遣した理由を!」
「ど、どういうことですか? ヴォーギン殿」
声は別の方向から聞こえる。
振り返ると、アジェリアが息を切らしながら立っていた。
全身濡れ鼠となり、ローブの下の肢体が露わになっている。
それでも彼女は魔法を起動して乾かすわけでもなく、じっとヴォーギンの方を見つめていた。
「どういうことか。説明してください、ヴォーギン殿」
「どうもこうもねぇよ。お前らが先に裏切ったんだ」
「裏切った?」
「本国が、俺たちの故郷に侵攻しようとしている。『ベヒーモス』のいないうちに、人類側の不穏分子を抹殺するつもりらしい」
「そ、そんな! 根も葉もない噂です! そもそも証拠があるんですか?」
「それを今、聞いているんだよ。おら! 吐け、ガラケン!!」
ヴォーギンはさらに捻り上げる。
王国貴族の一員として、意地を見せるかと思ったがそうではなかった。
「知らん! そんなこと……噂すら知らん! ただ――――」
「ただ――なんだ!?」
「うひぃいいい!! ただ命令が来たのだ! 昨日の夜! 本国からの使いと名乗る者が現れて、わしにこう言った」
『出来るだけ戦さを長引かせて、「ベヒーモス」をこの地に足止めして下さい』
その回答を聞いた瞬間、ヴォーギンはガラケンを地面に叩きつけた。
雪の上で、ガラケンはスライムのように弾む。
意識こそあったが、背中を強打したため、大きく咳き込んでいた。
一方、ガラケンは冷たい声を響かせる。
「これで決定的だな……」
「そんな……」
アジェリアは息を飲んだ。
嘘だと思いたい。
20万人とはいえ、武器を持たない信者に対する過剰な戦力。
獣人と人族の過去の歴史と、世界的な構図。
状況だけ見れば、人類軍の獣人掃討作戦は十分考えられる。
そして、ガラケンが言った一言……。
嘘でなければ、人類側の不穏分子掃討はあり得る話だった。
「アジェリア殿……。あんたは悪くねぇ」
「いや、でも……」
「あんたが率いる兵隊たちもな。だから、あんたらに危害を加えるつもりはねぇ。大人しく投降してくれさえすればな」
さらにヴォーギンは東の渓谷がふさがれたことを告げる。
ヴァロウが言った3つの選択肢を引き合いに出した。
つまり食糧が尽きるまで徹底抗戦するか、兵を引き連れ西側の険しい山道を上り、前線軍と合流するか、もしくは潔く負けを認めるか、というものだ。
その話を聞き終えて、アジェリアは質問した。
「何故ですか、ガラケン閣下。何故、私に一言も相談してくれなかったのですか?」
悲痛な声を、アジェリアは響かせる。
ガラケンはふんと息を荒くするだけだった。
代わりにヴォーギンが答える。
「あんたに相談すれば、俺に伝わると思っていたのだろう。それぐらいには、あんたを信頼してたってことだ」
「…………」
「今後どうするかはあんたが決めろ。少しぐらいなら考える時間もある。――だが、あんたは別だ、ガラケン」
ヴォーギンは密かに逃げようとしていたガラケンの前に立ちふさがる。
黄色の瞳は冷たく冴え冴えとしてたが、押し込めた怒りが透けてみえるようで、逆に恐怖を煽った。
ガラケンは豚のように悲鳴を上げて、逃亡を開始する。
だが、彼が太っていようと痩せていようと、白狼族のヴォーギンから逃げられるわけがなかった。
いや、世界中どこに逃げたって逃げられやしないのだ。
運動不足のガラケンはすぐに雪に足を取られる。
膝を強打すると、血が滲んだ。
真っ赤な鮮血が、音を立てて白い無垢の雪に落ちるのを見て、ガラケンは大騒ぎする。
膝を押さえながら、蹲った。
「観念しろ!」
「いやだ! 死にたくない! 頼む、見逃してくれ! お願いだ!!」
「あんたは指揮官だろ。隊の責任は、あんたの責任だ」
「ち、違う! わしは領主であって、戦闘のプロではない。そもそも兵を率いていたのは、わしじゃない。アジェリアだ! わしに勝手に断りもなく、兵を鍛錬していたのだぞ、あの女は! 殺すなら、あの女を殺せ!!」
「…………め」
「あ? 今、なんて言った?」
ガラケンは耳を向ける。
だが、次の瞬間その耳は切り飛ばされていた。
膝の流血とは比べ者にならないほどの大量の血が流れる。
直後、ガラケンの絶叫が響いた。
痛い――――と、まるで太鼓でも叩くように連呼する。
雪の中を転がり回ると、紅色の血溜まりが広がっていった。
ヴォーギンはガラケンの腹に足を置く。
肺を圧迫されたガラケンの声量が、一瞬にして消えてしまった。
「ゴミめ……。あんたを上司と立てたアジェリア殿と兵、領民に同情する」
「う……ぐ…………ううっ……」
「一瞬でもあんたを斬ることに躊躇した俺が馬鹿だったぜ」
それは刹那の間だった。
何か閃く。
その瞬間には、ガラケンの首がぐにゃりと曲がった。
さらに回転し、中空で血をまき散らす。
やがて雪上に落ちると、てんてんと転がり、紅の軌跡を描いた。
首を失った胴体は生々しく痙攣し、傷口から漏れた血が広がって雪に滲んでいく。
雪達磨は血達磨となり、いや――もはや達磨でもなかった。
ヴォーギンはガラケンの首級を持ち上げ、今だ水の中で足止めされた兵に向ける。
「あんたらの指揮官ガラケンは討ち取った! まだ戦う意志があるならかかってこい。俺とここにいる『ベヒーモス』が相手になってやる」
ヴォーギンは牙を剥き出す。
血と人間の脂にまみれた爪を見せびらかした。
さらに『ベヒーモス』から吠声が上がる。
獣人たちが威嚇するように、その瞳をぎらつかせた。
殺気立つ獣人の姿は迫力満点だ。
アジェリアが鍛え上げた兵の顔も、青くなっていた。
蝋燭の明かりが消えていくように、兵たちから急速に戦意が失われていく。
自主的に武器や杖を雪原に投げ、投降する者もいた。
兵の反応を見て、アジェリアも決断する。
目で皆に促すと、敗北を認めた。
「これでいいか、ヴァロウさんよ」
ヴォーギンは近寄ってきたヴァロウに話しかける。
相変わらずその顔は無表情で、その瞳は雪中戦が行われた戦場でもっとも冷たく感じられるものの1つであった。
「人類軍の敗北を受け入れる」
「おやおや……。もう終わっちゃうんですか?」
どこか小馬鹿にしたような声が、2人の耳に届く。
皆の視線が突然聞こえた声の方向に向けられた。
立っていたのは、1人の武将だ。
軽装を纏い、腰には細剣を帯びている。
サラサラとした金髪が極北の風に煽られ、狐のように細く弧を描いた瞳のおかげで、常に笑っているように見えた。
「あんた……」
「テガン・フラード……。私をお忘れですか?」
テガンの表情に残忍な笑みが浮かぶのだった。
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(第二部は7月1日から更新予定です)




