第141話 別れ、そして次なる戦場へ
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交渉がまとまった翌日。
いよいよアルデラの王都帰還の時がやってきた。
アルデラは全身を大きく伸ばし、久方ぶりの朝日を浴びる。
何度か穴蔵を出て、外の空気は吸ってはいたが、やはり5日も穴底に潜っていると、気が滅入るものだ。
しかも、周囲は敵だらけ。
護衛まで死んでしまった。
「(そう言えば、レイリーが死んだことをどう言い訳しようか?)」
彼女が死んだことについて、さほど上級貴族も驚かないだろう。
問題は護衛無しで、何故自分だけ生きて帰って来られたのか。
そう問い詰められた時に、どう言い訳するかが問題である。
アルデラはガリガリと癖毛を掻いた。
「アルデラ殿……。アルデラ殿?」
不意に声を掛けられ、アルデラは丸まった背筋を伸ばす。
振り返ると、ヴァロウとドラゴラン、その幹部が見送りに来ていた。
アルデラと同じく朝日を浴びた異形の集団。
見慣れてしまうと、悪くないと思ってしまう。
「(なんだか、自分がわからなくなってしまったな)」
アルデラは魔族への強い憎悪を以て、軍に志願した。
それなのに、今自分は魔族を前にして剣すら持っていない。
15年前なら、きっと自分がレイリーの役目を担っていたはずなのに……。
「考えごとですか、アルデラ殿?」
ヴァロウの問いに、アルデラは苦笑いを浮かべた。
「いや……。なに――護衛役もいないのに、どうやって1人で帰還したのだと質問されたら、どう返したらいいかと思いましてね。そうだ。ヴァロウ殿なら、こんな時どう言い訳なさりますか?」
「そうだな」
割と冗談で振ったつもりなのだが、ヴァロウは顎に手を当て、真剣に考え始める。
その仕草を見て、アルデラは眩しそうに目の前の人鬼族の青年を見つめた。
「真面目なのと、不真面目なのがありますが、どちらがお好みかな?」
「もちろん、不真面目な方で」
アルデラはニヤリと笑って、即決する。
ヴァロウは「では――」と言って、咳払いをすると、口を開いた。
「『僕は王国最強の盾ゆえ、魔族のいかなる爪も牙も通すことはなかったのです』と、言うのはいかがでしょうか?」
…………。
しん、静まり返った。
アルデラだけではない。
側で聞いていた魔族たちも、唖然としていた。
そして「ぷっ」とまず噴き出したのは、アルデラである。
軽やかな人間の笑声が、魔族の中心であるゲーディア城に響き渡った。
釣られて、他の魔族も笑う。
ドラゴランも、メトラも、ザガスも、ルミルラも声を上げて笑っていた。
笑っていないのは、当のヴァロウだけである。
これほど大受けするとは、さしもの最強軍師も予測していなかったらしい。
珍しく周囲の状況に戸惑っていた。
人と魔族の声が混じり合う。
その時まさに、ヴァロウが掲げる融和された世界が広がっていた。
やがてアルデラは目を擦りながら、くの字に曲がった身体を起こす。
「ヴァロウ殿は堅物だと思っていたが、ユーモアのセンスもあるとは知らなかった……。さすがは魔族軍切っての智将というだけはある」
「お気に召さなかったか」
「いやいや。むしろ逆ですよ。――ただそれを言った日には、味方に背中から刺されるかもしれません。いくら優秀な盾でも、背後にいる敵の攻撃を防ぐことはできませんから。自分で考えることにいたしましょう」
「それは残念だ。……では――――」
ヴァロウは手を差しだした。
別れの握手、というわけだろう。
だが、アルデラはすぐに取らなかった。
じっと差し出されたヴァロウの手を見る。
人の肌より青白く、爪の先は鋭く尖っている。
魔族の手である。
しかし、そこには人さえも引きつける魅力があった。
アルデラは意を決して口を開く。
「ヴァロウ殿、1つ告白してもよろしいかな?」
「俺は神父ではないが……」
「構いません。神父に言っても仕方のないことですから」
僕は魔族が嫌いです……。
終始、穏やかにアルデラを見送っていた魔族たちの顔が途端に険しくなる。
ドラゴランは慎重に趨勢を見極めるため目を細め、首を下げた。
一方、ザガスは戦いの匂いを察し、拳を深く握り込む。
魔族たちが強く反応する中で、アルデラは淡々と語った。
「僕は魔族によって最愛の人間たちを亡くしました。その恨み、今でも忘れていません。ですが、僕には過去――そんな魔族と和平を望んだ友人がいました」
わずかに眉宇を動かしたのは、メトラ、そしてルミルラだった。
彼女らはそれ以上反応しなかったが、目線を前に立つヴァロウに向ける。
そのヴァロウはというと、当然感情を表に出すことなく、アルデラの言葉に耳を傾けていた。
「話を聞いた時、僕には全く理解できなかった。結局、僕は彼を激しく糾弾し、袂を分かつことを決めた。しかし、その後彼が謀殺されたことを知り、僕はわからなくなりました」
ぼくはその時、人間も魔族も嫌いになったんだと思います……。
「だから、アルデラ殿はその功績がありながら、今の今まで戦場に出てこなかったのですか?」
「僕には考える時間が必要だった。結局、15年の長い月日が流れてしまいました。でも、無駄ではなかったと思っています。結果的に、ヴァロウ……あなたに会うことができたのだから」
少し熱っぽい瞳で、アルデラはヴァロウを見つめる。
対して、ヴァロウは目を伏せ、その視線を瞼で妨げた。
「アルデラ殿……。俺はあなたのご友人の代わりにはなれない。俺は魔王の副官だ。和平など考える立場にはない」
「そうですか」
アルデラはフッと息を吐く。
些か肩を落とした。
「ですが、あなたとこうして喋ることは嫌いではなかった。仮にあなたが再びゲーディア城の門の前で開門を待つならば、我々はあなただけに門を開くことを許すとしよう」
「それはなかなか嬉しい特権だ。是非また相まみえることにしよう。ここで飲んだ紅茶の味は忘れられないので」
アルデラはようやくヴァロウの手を握った。
ヴァロウも目を開ける。
「いつ、どこで会えるかわかりませんね。戦場かもしれない。再びゲーディア城かもしれない」
「いずれにしろ、最高のおもてなしをさせてもらおう」
「それは――。嬉しいやらおっかないやら」
お互いしっかり見合った後、アルデラはゲーディア城から去って行った。
◆◇◆◇◆
旧友との惜別を惜しむ間もなく、ヴァロウは執務室に向かう。
仕事をするためである。
文民派の魔族を救うための交渉のおかげで、仕事が溜まりっぱなしだ。
さらに第六師団に加わった文民派の残党の配置も考えなければならない。
一部ルミルラに任せてはいるが、それでも各魔族のプロフィールが、今もヴァロウの机の周りを占拠していた。
執務室の扉を開く。
「ヴァロウ様!!」
突如、ヴァロウの顔面に襲いかかったのは、ふくよかな乳房だった。
さらにその顔を引き込むと、胸の谷間に押し込む。
「はぁぁぁぁあああんん!! ヴァロウ様、お待ち申し上げておりましたぁ!」
嬌声に似た響きの声が、ゲーディア城の一室にぶちまけられた。
それも人間の声である。
聴覚の鋭い魔族なら、おそらく聞き耳を立てたことだろう。
それでも、声の主はヴァロウから離れない。
どんどん、熱が上がっていくのが、乳房に包まれながらヴァロウにわかった。
「あなた、何をやってるのよ!!」
「ぶべらっ!!」
渾身の右ストレートを放ったのは、メトラである。
その威力は凄まじい。
闖入者を吹き飛ばし、書類の山に埋もれさせることに成功した。
「イタタタタタ……」
赤く腫れ上がった頬をさすりながら、顔を出したのはリーアンだった。
アルデラが去ったというのに、仲介者としてやってきたアズバライト教の神官は、いまだゲーディア城に居座り続けている。
「ちょっと! メトラ様ぁ! か弱い乙女の頬をグーパンチで殴るなんて、あんまりじゃありませんかぁ」
「それは失礼しました。では、今度はパーであなたの首をへし折って差し上げましょう」
メトラはリーアンの前に立ちふさがる。
その身体からは黒いオーラが溢れていた。
「ちょちょちょちょちょちょ……。タンマタンマ! 休戦ですぅ。魔族と殴り合いなんて勝てるわけがありません」
「そう……。わかったなら、2度とヴァロウ様に変なことをしないで」
ヴァロウの前に立ちふさがる。
その瞳には子熊を守る母熊のような凶暴な光が宿っていた。
だが、リーアンも負けていない。
細い狐目の瞼を持ち上げると、妖狐のように「シャー!」と威嚇する。
「ははは……。女の戦いね……」
横でやりとりを見ていたルミルラは苦笑する。
ドラゴランは己の執務室に戻り、ザガスは「腹が減った」と言って、食料庫に行ってしまった。
ペイペロは一旦ルロイゼン城塞都市に戻り、アルパヤはキラビムの改良のため魔王城にある工廠にこもっていて、ここ数日執務室に姿を見せていない。
奇しくも、ヴァロウの過去を知る女たちが集まる形になった。
「それぐらいにしておけ、メトラ、リーアン」
ヴァロウは纏っていた外套を掛けると、執務室の椅子に腰掛けた。
「リーアン。今回は助かった。お前の情報源をなければ、ここまでうまく事を運べなかっただろう」
「ご謙遜を。ヴァロウ様であれば、別の方法を使ってもなしえたことでしょう」
「否定はしない。だが、お前の情報がなければ、かなり被害が出ていただろう。禍根を残し、後に魔族を2つに割るようなことだけはあってはならないからな」
「しかし、驚きましたよ、師匠」
ルミルラは肩を竦める。
「リーアンさんを説得するために、あっさり『自分がヴァロウ・ゴズ・ヒューネルとばらせ』なんて。私の時は、あれほど否定していたのに」
「別に俺は隠しているわけではない。必要であれば話す。お前の時は、そうではなかっただけだ」
「相変わらず素直じゃないんだから、この人は」
やれやれ、とルミルラは両手を上げた。
最強の軍師ヴァロウ・ゴズ・ヒューネルと、アズバライト教の神官(当時は宣教師)リーアン・ハッシャーの仲は、軍内部でもよく知られている。
アズバライト教はあくまで第三者として魔族と人間の戦いを見守っているが、個人レベルにおいてまで、徹底されているわけではない。
当時からリーアンはヴァロウが率いる軍の諜報員として活躍していた。
そしてリーアンも決して無報酬で情報を横流ししていたわけではない。
アズバライト教の教えを広めるための便宜を図ったり、王国にいる優秀な人材とのコネクション作りなど、ヴァロウがパイプ役となることによって、リーアンはリントリッド王国と深いところでむすび付くことができたのだ。
そもそもヴァロウが掲げる人類と魔族の融和も、アズバライト教の教えから来るところである。
言ってみれば、ヴァロウ、メトラ、リーアンの3人は、融和を目指すための同志なのだ。
「初め聞いた時は、信じられませんでした。でも、実物を見てすぐにわたしは確信しましたよ」
「それなら、私もそうですね。ねちっこい戦術は、絶対師匠だって思いましたもん」
ルミルラは対抗する。
だが、メトラはともかく、リーアンはルミルラを敵視していないらしい。
そっと机に腰掛けると、リーアンは蠱惑的に笑って、ヴァロウを挑発する。
むろん、横でメトラがふんっと鼻息荒くしていたのは言うまでもない。
「さて、ヴァロウ様……。わたくしたちは、あなたの望みを叶えました。次は、わたしの要望を聞いてもらう番ですよ」
「リーアンの望みぃ……」
「嫌な予感しかしないのですが……」
同じ理念を掲げる同志ではありながら、犬猿の仲であるメトラは、半目でリーアンを睨む。それを見て、ルミルラも苦笑するしかなかった。
「ご心配なく……。ヴァロウ様と結婚するとか、一夜を共にするとかではありませんからかぁ」
「当たり前です! そもそもあなた、アズバライト教の神官でしょ」
「神官だからなんですかぁ? 今時の神官をなめちゃダメですよぉ。酒も飲むし、暴力だって振るいます。色街で遊ぶことだって――」
「それ、何の自慢にもなってないわよ!!」
メトラはゲーティア城がひっくり返るような大きな声で突っ込んだ。
そこに執務室の扉が開く。
現れたのは、ザガスである。
その脇には食料庫から持ってきた肉が挟まっていた。
「うっせぇなあ、お前ら。ん? なんだ? 神官のねーちゃん、まだ帰ってなかったのかよ!」
ザガスはズカズカと入ってくる。
女たちを押しのけて、ヴァロウの前に立ちはだかった。
「おい! ヴァロウ! 停戦なんてしやがって! いつになったら、オレ様は暴れるんだよ!!」
「心配するな、ザガス。次の戦場はもう決まっている」
「なにぃ? 交渉がまとまって、人間とドンパチできないんじゃないのか?」
「ああ……。やりようはいくらでもある」
「どういうことですか、師匠?」
ルミルラも怪訝な表情を浮かべて、ヴァロウに質問した。
ヴァロウは話を再びリーアンの方に戻す。
アズバライト教の神官は、机の上から降りて、居住まいを正した。
「現在、人類軍は我がアズバライト教に恭順を迫っています。そのためなら、軍を送ることも厭わないようです」
「な!! 人類軍はアズバライト教に本気で弓を引くつもりですか!?」
それはアズバライト教信者を敵に回すことになる。
その総数は100万人。隠れ信者も合わせると、3倍にも膨れ上がる。
その数ゆえに、これまで人類も魔族も不可侵を貫き、これまで敵対してこなかった。
しかし、ついに人類軍はその不可侵を破ろうとしている。
「おそらく今回の停戦交渉で、その動きは加速することになる」
「おいおい。それって、人間共にうまくだしに使われたってことじゃねぇのか?」
「ああ。だが、そうでなければ人類側も停戦交渉に応じなかっただろう」
「確かに……。魔族の動きを封じた上で、孤立したアズバライト教を屈服させる」
「アズバライト教には優秀な人材もいると聞きますわ。そうした戦力がほしいのは、人類側も一緒でしょう」
ルミルラも、メトラも素直に感心する。
おそらく停戦交渉は、2段構えだった。
ゲーディア城に刺客を送り込み、魔王を暗殺するのが1段目。
それが失敗した場合、速やかに交渉を締結させ、魔族の動きを封じて、自分たちはアズバライト教を攻めるのが、2段目の策だ。
戦力補充が必要なのは、どちらかと言えば魔族の方である。
そもそも交渉を持ちかけたのは、魔族側だ。
自分が振り上げた拳を降ろすことはない、と考えていたのだろう。
結果、その通りに停戦交渉はお互いの妥結によって終幕した。
もし、ここまで戦局が動くのを予測している人間がいて、今回の停戦交渉を許可したなら、かなりの策士だ。
だが、ヴァロウは決して悲観などしていない。
その予測すら、最強の軍師の手の平の上だからだ。
「こちら側が提案した停戦交渉がうまくいったのだ。現状、我々のペースで進んでいる」
「しかし、師……」
師匠と言いかけて、ルミルラはちらりとザガスを見る。
一旦咳払いをして、「ヴァロウ様」と言い直した。
「現状、停戦下にある中で、我々がアズバライト教と人類側の諍いに首を突っ込むのは難しいのではありませんか?」
「ああ。そうだな……。だが、バレなければ何も問題ない」
「なっ!!」
「幸いアズバライト教には、魔族と人間がごちゃ混ぜだ。我々が潜伏していても、気付かれることはない」
「な、なんと大胆な……」
「むろん、おおっぴらに軍を動かすことはできん。少数精鋭で、人間からアズバライト教の信徒を守る。そういうことで良いか、リーアン」
「はい! 構いません! ありがとうございます、ヴァロウ様」
リーアンは膝を突く。
「良かろう! 次の戦場は北だ!!」
「北か……。今、寒そうですね」
「ふん。良い機会ではないか……」
「え?」
すると、ヴァロウの口角が歪んだ。
人間たちに雪の上の戦いというものを見せてやろう。
明日コミカライズ版『ゼロスキルの料理番』の更新日です。
そして来週はいよいよコミックが発売されます。
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