第122話 待機
「はあ? 1歩も動くなだと!!」
ヴァロウの指示を聞いて、声を荒らげたのはザガスだった。
第六師団唯一といっていい武将でありながら、その姿は横列の真ん中にして、最前線にある。
久方ぶりの戦さに心躍るといった様子で、太い筋肉にも力が入っていた。
それなのに、ヴァロウの指示は「動くな」である。
40000vs5000。
どう考えても後者が不利だ。
ならば、奇策を弄さなければ勝利は難しいだろう。
こちらには10万近い兵力に対し、たった2000の領民だけで追い払ったヴァロウがいる。
なんとかするだろうという思いこそあるが、「動くな」という指令は、もはや「降参」と言っているようにザガスには聞こえた。
「どういうことだよ、ヴァロウ! こっちは戦さがしたくてウズウズしてんだ!!」
頭に血が上った人鬼族の武将は、後衛で椅子に座るヴァロウを怒鳴り付ける。
かなり距離があったが、それでもヴァロウの元にはっきりと聞こえた。
ヴァロウの横で共にザガスの悪態を聞いていたメトラは、顔を顰める。
しかし、ヴァロウは命令を出すのに使った喉を癒やすように、再び紅茶に口を付け、特に答えを返すことはしなかった。
ヴァロウに代わってたしなめたのは、参謀のルミルラである。
「まあまあ、ザガスさん。落ち着きましょう。ししょ――じゃなかった、ヴァロウ様には何かお考えがあるんですよ」
「んなことはわかってんだよ! オレ様が怒ってるのは、オレ様がこんなに戦いたがっているのに、あいつが動くなって命令するからだ」
がるるるる、と猛犬のように喉を鳴らす。
その凄まじい怒りを見て、ルミルラは笑って誤魔化すしかなかった。
数十日以上、一緒に過ごしてきたが、戦さの時と腹が減ってる時のザガスには何を言っても無駄なことは、ルミルラも理解していた。
ルミルラのかつての師匠が、何も言わないのはそのためである。
だが、ザガスの動向以上にルミルラが気にしていたことがあった。
ヴァルファルから連れてきた自軍の方向ではなく、東に横列を作る人類軍を見つめる。
魔族が旧同盟領を支配したことによって、現人類統治の旧魔族領と本国領が分断されてしまった。
その2つをつなげるための『旧同盟領牙通作戦』、そして『貪狼部隊』だ。
貪狼部隊は見事な横列陣形を作っても、動くことはない。
じっと魔族軍の様子を窺っていた。
「なんで向こうは動かないんでしょうか? こっちはただ突っ立っているだけなのに……」
ルミルラは肩を竦めるのだった。
◆◇◆◇◆
貪狼部隊司令官のベスティバは、魔族軍の動きを予想できずにいた。
森の中では陣形を敷くのは難しい。
陣が整わないうちに奇襲をかけるのは、戦いのセオリーだ。
だが、相手は横列に広がったまま突っ立っているだけである。
陣形を整う時間ができたのは僥倖だが、それでも魔族たちは動かない。
まるで指揮官に「何もするな」と命令され、棒立ちしているようにも見えた。
「(相手は魔族……。策を弄さず、ただ中央突破を繰り返すのは、ヤツらの常套手段ではあるが)」
最近の魔族がひと味もふた味も違うことは、ベスティバも理解している。
少し過去に遡れば、魔王追跡作戦の失敗、そして先日の旧同盟領奪還作戦の大敗。
人類はここぞという時に、苦渋を舐めてきたのは、魔族が策を弄するようになってからだ。
だが、索敵した魔導士の報告によれば、付近に伏兵の気配はないらしい。
今目の前にいるのが、すべての戦力なのだそうだ。
若き司令官は爪を噛む。
その周りで、部下達が下知を待っていた。
「私は決して油断しない」
自らに言い聞かせるように自戒する。
しばらく待ったが、やはり相手が動くことはない。
このままでは陽が暮れてしまう。
仮にヴァロウであれば、この戦況をもう少し見たかもしれない。
だが、『巧遅は拙速に如かず』と自ら部下に教えるベスティバは、我慢ができなかった。
「読めたぞ」
ピシャリと膝を打つ。
輿から出て、足の裏を戦場に下ろした。
「おそらくヤツらは援軍を待っているのだ。これは時間稼ぎだよ」
結論を周囲に聞こえるように、わざと大きな声で言い放つ。
ベスティバの考えに、「おお」と歓声を上げて、周囲は同調した。
「そうと決まれば、急がなければ」
ベスティバは部下に地図を広げさせた。
この辺りの地形を、魔法部隊に描かせたものである。
「この辺りはまだ森の中だ。そこで――」
ベスティバの言う通り、ここは旧同盟領東に広がる巨大な森の中だ。
その中に、ぽっかりと空いた広い平原であり、周囲を木々が囲んでいるという戦場だった。
「右翼、左翼の部隊の一部を、森伝いに移動させ、敵の背後に回れ。挟み撃ちにして、殲滅する」
「殲滅作戦でございますか。しかし、殲滅作戦には時間がかかります。その間に、ベスティバ様がご指摘する援軍が来るかもしれません」
部下の1人が具申する。
すると、ベスティバは紫紺の瞳を閃かせた。
「私の意見に口を出すのか? 私を誰だと思っている。ベスティバ・ブル・ポジョルカだ。24歳にして将校となった男だぞ」
「し、失礼しました!」
「ふん。謝るぐらいなら、今度会う時にその臭い息を吐く唇を縫い付けておけ。兵に口はいらん。お前らに命令する私の口があればいいのだ」
叱咤する。
その言動に、多くの兵士が顔を青ざめさせた。
「ん? お前たち、左翼と右翼の部隊長だな」
「は、はい」
「如何にも」
「何をそこで突っ立っているのだ。とっとと部隊を編成し、敵の背後を付け」
「いや、それは――」
「会議の後かと」
「愚か者!!」
若き准将は激昂する。
「何度言えば済むのだ!! 兵は『巧遅は拙速に如かず』といったであろう。敵の援軍がそこまで迫っているのだ。ならば、速く回り込んだ方が本隊を危険にさらさずに済むだろうが!!」
「はっ! はい!! わかりました」
「早速!!」
部隊長たちは頭を下げると、そそくさと自分の部隊へと戻っていく。
彼らは皆、ベスティバよりも年上だ。
なのにベスティバは叱責した上に、見送ることもなく、武運さえ祈らない。
ただ描かれた周辺の地図を睨み、口角を上げた。
「よし! これでよい! 見ていろ、魔族ども。我が戦術で踊らせてやる」
◆◇◆◇◆
ルミルラは寂しげに己の横を見た。
想起したのは、以前シュインツ城塞都市で一緒に戦ったベガラスクの姿である。
今回第四師団は不参加だ。
表向きは兵の疲弊となっているが、体力お化けの魔狼族に限って、そんなことがあるわけがなかった。
現に直接交渉しにいったルミルラは、ベガラスクと対面したがいつも通りであった。
ただ1つ気になるのは、少し元気がなかったぐらいである。
「(おかしいですね。ザガスさんほどじゃないですが、ご飯の次に戦さ好きのあの方が出てこないなんて)」
ルミルラは背後を向く。
弟子が気を揉んでいるのに、ヴァロウは椅子に座って、やはり紅茶を楽しんでいた。
「(おそらく師匠は何かを知っているんでしょうけど……。話してくれないんだろうなあ)」
ヴァロウは人に伝達しなければならない情報は、善悪にかかわらず開示する。
一方、必要がない情報については、絶対に口を開くことはない。
どんなに信頼していてもだ。
「(変に秘密主義なんだよなあ、師匠は)」
ルミルラはがっくりと項垂れた。
その時であった。
戦いの角笛が戦場に高らかに響く。
魔族ではない。
人類軍である。
左翼と右翼を先行させて、V字陣形を取る。
それはまるで鳥が翼を広げているようにも見えた。
「(ここで飛竜陣ですか。向こうは殲滅戦がお望みのようですね)」
相手は4万。こっちは5千である。
殲滅戦を選択するのは、あながち間違っていない。
初戦で魔族を血祭りに上げて、士気を高める狙いでもあるのだろう。
「(それとも、こっちに援軍があると考えているのかですね)」
もちろん、そんなものがないことはルミルラが1番よく知っている。
何せ今回の戦さにおいて、ヴァルファル軍5千で十分だと言ったのは、ヴァロウ本人だからだ。
「ルミルラ様」
ルミルラに話しかけてきたのは、ヴァルファル軍の副司令官だった。
全部言わなくてもわかる。
敵が迫っているのに、こちらが動かなくていいのか。
そう聞きたいのだろう。
同じ想いは、ルミルラにもあった。
故に確認の意味も込めて、後方で椅子に座るヴァロウの方へ振り返る。
「…………」
もちろん何の指示もない。
「(ですよねぇ)」
ルミルラは苦笑いを浮かべた。
ここで自分が動くのは簡単だ。
だが、ルミルラは師匠を信じることにしている。
最初から、そして己の命が尽きる最後までだ。
だから、ヴァロウの命令を破って動くことはしなかった。
「待機よ」
少し強い調子で言う。
すると、ヴァルファル軍の副司令官も腹をくくった。
ぐっと腹に力込め、「かしこまりました」と頭を下げる。
目の前に迫ってくる4万の大軍を見て、ルミルラは恐怖よりもワクワクしていた。
師匠ヴァロウが一体、どんなマジックを見せてくれるのか、と……。
◆◇◆◇◆
待機――。
ヴァロウはその命令を自ら撤回することはなかった。
自分も後方で椅子に座り、待機している。
それは待機と言うよりは、休息に近い。
すると、かすかな物音に耳が反応する。
続いて、ヘーゼル色の瞳を向けたのは、背後に広がる森だった。
ヴァロウは耳を澄ます。
向かってくる敵軍の足音と同時に、かすかに落ち葉を踏む音を紛れた。
時々、不自然に揺れる梢にも目が行く。
「ヴァロウ様……」
メトラも何か気付いたらしい。
何も知らないのは、商人ペイペロぐらいだ。
「ああ。そろそろだな」
ヴァロウは懐から魔導具を取り出す。
その時だった。
「ヴァロオオオオオオオオオオオオオオ!!」
雄叫びが轟く。
ザガスの声だ。
その声は打ち込まれた槍のように戦場を貫く。
「もう我慢できねぇ! オレ様は行くぜ!!」
ザガスは1人魔族軍から飛び出す。
大きく棍棒を振り上げ、迫ってくる人類軍に肉薄した。
その雄々しい姿を見て、ヴァロウは口角を上げる。
「ふん。ザガスにしては、我慢した方だな」
ヴァロウは持っていた魔導具を起動させる。
唸りを上げ、その効果は戦場全体に伝播していった。
その直後であった。
「ぎゃああああああああああああ!!」
悲鳴が上がる。
まだ魔族軍と人類軍の距離がある時である。
ザガスですらまだ届いていなかった。
魔導士の後方支援すら行われていない段階で、突然下品な悲鳴が上がったのだ。
「やめろ!」
1人の兵士が命乞いする。
だが、その脳天に向かって、無情にも剣が振り下ろされた。
当然、兵士は絶命する。
一方、その血を浴びていたのは、仲間の兵士だった。
目を異様に赤く光らせ、瞼を動かすことなく、周囲を睨んでいる。
その手に握った剣は、赤黒い光を放っていた。
あの悲劇が再び……!!
現象の理由については、察する読者の方もいると思いますが、
詳報はまた次回ということで。




