16.叡智の実力
「待たせたわね。全ての決算書と資料を持ってきたわ」
扉を開けて応接間に入ると、ワゴンに積まれた決算書と資料を見せた。すると、監督官たちはこそこそと話し合い、厳しい顔を向ける。
「では、改めよう」
「えぇ、どうぞ」
「監査が終わるまで、違う部屋で待機しているように」
「分かったわ」
ワゴンを監督官に手渡すと、私たちは応接間を出て行った。
「ふー……なんとか間に合いましたな。これで、後は結果を待つだけとなります」
「レティシア様の言う通りにしたけれど、ちょっと不安だね」
「そんな事言っても、もう出しちまったんだ。後戻りは出来ない」
三人が息をつく。確かに、高速でページを捲るだけで、計算出来るとは普通は思わないだろう。だけど、叡智ならそれが出来る。一瞬で項目と数字を記憶し、項目ごとに計算することが出来るのだ。
「レティシア様の叡智、でしたな。それは一体どのようなものなのですか?」
「そうねぇ。目に見えない存在かしらね。色んな知識を兼ね備えていて、他にも便利な能力があるのよ」
「目に見えない存在か……。こういったら失礼かもしれないけれど、ちょっと信じられないね」
「得体のしれない存在に賭けたんだから、そこは信じるしかないだろう」
まだ三人は叡智の事を良く知らない。だから、不安に思う気持ちは分かる。始めの頃は私もそうだったけれど、積み重ねてきたものがあるから今は信頼している。
「今回の事が上手くいったら、少しは叡智の力が分かるでしょうね」
「叡智の力は分かりましたが……存在するっていうのが良く分かりませんね」
「それって、何か話したりするの?」
「話をするわよ。今は新しい人が沢山いるから、恥ずかしがって出てこないけれどね」
「話をする存在? 一体、どんな存在なんだ?」
三人とも不思議そうな顔をして悩んでいる。叡智という存在がどんなものか分からないらしい。
「ほら、叡智も何か喋ったら?」
『まずは私の存在を受け入れてからの方がいいと思います』
「喋らないと叡智の存在を教えられないでしょ」
『……』
「もう、叡智ったら恥ずかしがり屋さんなんだから!」
普段通りに叡智に話しかけるが、やっぱりノリノリで話してくれない。どうやって、会話を引き出そうか。そう思っていると、戸惑いながら三人が話しかけてくる。
「今、誰と話していたんですか?」
「誰って。もちろん、叡智とよ」
「今、叡智と話していた? 全然叡智の声が聞こえなかったよ」
「そりゃあ、叡智の声は私にしか聞こえないからね」
「レティシア様にしか存在を認知されないのが叡智? それって、ただの妄想じゃ……」
「ガイ! そんな事を言ったら失礼だよ!」
「だが……他人が認知出来なきゃ、それは本人の妄想だろう?」
叡智が妄想の存在?
「えっ……叡智って私の妄想が生み出した存在だったっていう事!?」
それが本当なら、私ってかなり痛い人じゃ! じゃあ、今まで周りの人はそう見ていたってこと!? なんか、嫌!
『私が妄想の存在だったら、この知識は全てレティシアの妄想っていう事になりますよ。知識は妄想では補えないと思います』
「そ、そうよね! 叡智だって確かに存在しているって言っているわ。だから、妄想じゃない!」
自信満々に宣言するが、三人の様子は戸惑ったままだ。
「誰もいないところで話す姿が……」
「なんか、レティシア様の事が可哀想に見えてきた」
「おい、それ以上言うな!」
えっ、なんで三人とも私をそんな目で見るの? 叡智は確かに存在しているし、私と普通に会話出来るよ?
私、おかしくないわよね!?
『ほら、こうなるから喋らずにいたんですよ』
「いやいや、だってセリナは!」
『セリナさんは長年一緒にいましたからね。だけど、この町で出会った人は日が浅いじゃないですか。受け入れられるには相応の時間が必要です。今のレティシアは独り言を呟く危ない人に見えますよ』
「そんな!」
叡智と喋っているだけなのに、なんで危ない人に見えちゃうの!? だから、私を可哀想な目で見るのはやめてー!
◇
「レティシア様、監査官が呼んでおります」
事務室で時間を潰していると、とうとう監査が終わったみたいだ。
「さぁ、結果発表よ」
ようやく、待ち望んだ時が来た。私は自信満々に胸を張り、事務室を出て応接間に向かった。三人は緊張しているのか落ち着かない様子だけどね。大丈夫、叡智が失敗なんかしないわ。もちろん、私もね。
そして、応接間へと辿り着いた。
「待たせたわね」
そう言って部屋に入っていき、監督官の前に自信満々に立ってみせた。監査官は厳しい視線を向けると、重い口を開く。
「監査の結果、不正は見つかりませんでした。意図的に数字をごまかした形跡も、計算ミスもありません。完璧な決算書でした」
その言葉に私は手をグッと握りしめた。後ろにいた三人からは驚いている気配がした。ふふっ、これで叡智の力を認めてくれたかしらね。
報告をした監督官たちは途端に雰囲気を和らげて話し始めた。
「とある人から、この領の決算書には不備があると言われてましてその調査に来たのですが……無駄足だったみたいですね」
「その人物が気になるけれど、決算書で嘘はつかないわ」
「流石は叡智を兼ね備えた才媛の姫と言われる方が治める領ですね。恐れ入りました」
監督官たちは立ち上がると、深々と頭を下げた。うんうん、分かればよろしい。
「ですが、この領の運営は厳しそうですね。この領を本当に再興出来るとお考えですか? 私の経験から言わせてもらうと、殆ど手の付けようがないほどに……」
「監査官の目にはそんな風に映ったのね。でも、私が赴任したからにはこの領を再興してみせるわ」
「レティシア様の自信に満ち溢れた姿を見ると、不思議と不安がなくなりますね。きっと、やり遂げてくれるでしょう」
「もちろんよ。期待しておいてね」
どうやら、この監督官は継母の回し者ではなく、仕事の依頼があったから来ただけの人らしい。決算書に不備がないと分かるや否や、態度を軟化させてきた。
お互いに微笑みあうと、監督官たちは帰り支度をして屋敷を出て行った。その姿を最後までちゃんと見送ると、肩の力が抜ける。
急な来訪で戸惑ったけど、なんとか乗り越えた。その解放感でいっぱいになる。そして、三人と目を合わせると、お互いに笑い合う。
「監査を乗り切ったわ!」
「やりましたな!」
「良かったー」
「すげーじゃん!」
達成感でいっぱいになった私たちは高揚した気持ちを抑えられず、ハイタッチを交わした。この達成感、病みつきになりそうよね!




