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エレノアと嘘つき伯爵  作者: ナツ
後日談
27/30

ラファエル・ソーンダイクの助言

 ラファエルの長年温めてきた夢が叶ったのは、フェンドル本国ではなく属州ダルシーザだった。

 自分の芸術を楽しんでくれるのならば、客はフェンドル人でなくても良い。人はその身に流れる血で分類されるわけではない。芸術を愛する者とそうでない者に分けられるのだと、ラファエルは固く信じていた。幸いダルシーザには同胞が大勢いた。週末にもなると劇場は満員で立ち見が出るほどだ。

 そういう意味で言えば、ラファエルの直属の上司にあたるレオンハルト・トランデシルは異邦人だった。彼は海を挟んだ対岸で、芸術とは無縁の人生を歩んでいる。


 秋が深まり、戦火を免れた街路樹が色づき始めたある日のこと。

 定期報告の為、ラファエルは城へ上がった。

 レオンハルトは時間に厳しい。遅れたらどうなるか、すでにラファエルは経験済みだった。あの時は屋敷を出る段になって急にアイデアが湧いてきたのが良くなかった。浮かんだ着想はすぐに書き留めねば、あっという間に消えてしまう。だがそんな弁明は、もちろん通用しなかった。

 相変わらず飾り気のない内装にぐるりと目を回し、足早に面談室へと向かう。

 戦前飾られていた絵は全て取り払われ、そのせいでむき出しになった壁はまだらだし、置き物や壺の類もなく飾り戸棚はガランとしている。

 前皇帝が民から搾り取った税で揃えた高価な調度品の数々を、グレアム王が全て売り払った為だ。血なまぐさい逸話はコレクションの価値を高める。国内外の好事家たちは、それらを高値で買い取った。

 売上金はそのままダルシーザの復興資金に充てられたので民たちは歓迎しているようだが、正当な主を失い、その上丸裸にされたハージェス城が哀れに思えて仕方ないラファエルだった。


 思ってもみない角度から突っ込まれることなく報告を終え、背負っていた重い粉袋を下ろしたような気分でラファエルは面談室を辞そうとした。


「ところで話は変わるが」

「……はい」


 報告書を応接テーブルの上でまとめていたレオンハルトに声をかけられ、ラファエルは嫌な予感を覚えた。こうして呼び止められたことは今まで一度もない。恐る恐る振り向いてみると、珍しくこちらを見ないままレオンハルトが続ける。


「貴殿自身で脚本を書く事はないのか?」

「きゃくほん」


 何を言われたのか分からず、ラファエルは繰り返した。繰り返した言葉の馴染み深さに我に返り、途端に瞳を輝かせ始める。

 これはもしかして、異邦人が海を渡ろうとしているのではないか?

 ならば船を出し、異邦人をすくい上げ、暖かな抱擁を与えるのがラファエルの使命ではないのか!


「わわわたしももちろん嗜みます! ですがやはり素人ですので拙い部分が多く、思いついた話を作家に話してそれを基に戯曲に仕上げてもらうことになります。宗主も創作にご興味が? それとも芝居ですかな? 読み物としての本と芝居の原作としての脚本には大きな違いがございまして――」


 レオンハルトは眉間に皺を刻み、ラファエルの朗々たる歓迎スピーチを聞いていた。

 しばらく経つと、流石のラファエルも喉が渇いてきた。きりの良いところまで話しきり、口を噤んで唇を湿らす。

 レオンハルトは黙って立ち上がり、壁際に置いてあるティーワゴンに近づいた。ぎこちない手つきで茶を注ぎ、ティーカップをラファエルの前に出す。ラファエルは完璧なマナーでそれを飲み干し、満面の笑みを浮かべた。


「いやはや少し喋りすぎてしまいましたな。それにしても、宗主自ら茶を淹れて下さるとは! ん……この茶器は、エヴァーツ製? しかもアンティークか……。発色……独特の鳥の図案といい、間違いない……!」

「妻の持参品の一つだ」

「なるほど、流石は三大公爵家の姫君。嫁入り道具まで超一流というわけですね! 面談室で使うのは少々勿体ないような逸品ですが、そもそもこの型は普段遣い用として焼かれたというエピソードがございます。それをご存知でこちらに備えていらっしゃるのでしょう。素晴らしい奥様です」


 滅多にお目にかかれないアンティークカップを捧げ持ち、ラファエルはうっとりと見入る。


「ああ……それで、だな」


 レオンハルトは言いにくそうに幾度か咳払いし、ラファエルから視線を外して言った。


「結婚記念日にカードを送ろうと思うのだが、添えるメッセージに苦戦している。去年はどうやら失敗したらしい。貴殿は日頃から、歯の浮くような美辞麗句を聴き慣れているだろう。何か適当な決まり文句があるのなら、ご教授願いたい」


 ラファエルは目を丸くし、目の前の宗主に見入った。

 完璧な造作の顔、そして容姿を持つ貴公子であるレオンハルトが、そこまでの朴念仁だったとは。

 まさかとは思うが、今までまともに貴婦人を口説いた経験がないのだろうか。

 半信半疑で尋ねてみれば、ないと言う。


「一度もですか?」

「ああ、一度もだ」

「ですが、ご結婚前の恋人には……」

「私から何かを言ったことはない。勝手に寄ってくるので適当に相手をしていただけだ」


 ラファエルの中に芽生えたものは殺意だった。

 三十を過ぎても未婚の彼にとって、女性とは眩い星。手の届かない遠い星だ。

 レオンハルトはその星をやすやすと手元に引き寄せ、弄んで捨てていたという。

 罰が当たればいいのに。

 ラファエルは異邦人を船から突き落とすことに決めた。


「愛してる、大切に思っている、など直接的な言葉は、下の下ですね」


 ラファエルの出鱈目な講義を、レオンハルトは至極生真面目な態度で受けた。手帳を取り出し、書き付けてもいる。

 ラファエルは意地悪な気持ちでほくそ笑んだ。


「髪や瞳、手や声など、身体のパーツを褒めるのも良くありません」

「そうなのか?」


 意外そうに目を見開いたレオンハルトは、むかっ腹が立つほど魅力的に見えた。

 黒い瞳を縁取る睫毛はくっきりとしていて、眉は完璧な線を描いているし、スッと通った鼻梁や薄めの唇も、彼の男性らしい魅力をより引き立てている。

 厳しい視線が和らいだだけで、これだ。

 彼が心からの笑みをチラと浮かべるだけで、多くの女性が虜になるのも頷ける。

 ラファエルはテーブルの下で拳を固めた。


「身体目的だと勘違いされることが多いですね」

「なるほど。では、具体的にはどういう――」

「宗主が感じたままを率直に言葉にするべきです。良く言おうとは思わず、ありのままを」

「一度やったが、咎められた」


 レオンハルトは苦虫を噛み潰したような表情に変わった。

 詳しく聞いてみると、正装した奥方に向かって「麻袋をかぶせたい」と言ったという。

 ラファエルは思い切り噴き出しそうになったが、太ももを強く抓ることで耐えた。


「それは素晴らしい口説き文句ですよ」

「……そうなのか?」

「ええ。奥方様も本当は喜んでいたに違いありません。女性の口にする『嫌』はしばし『もっと欲しい』と意味するとか」

「ああ、それなら分かる」


 したり顔で頷いたレオンハルトにラファエルは一瞬呆けたが、すぐに気を取り直し「ですから」と続けた。


「奥様の興味が畑にあるのなら、その方向で突き詰めて考えてみては如何でしょう。麻袋のその先を目指されては?」

「分かった。助言、感謝する」


 レオンハルトは照れくさそうに口の端を曲げた。

 純粋な謝意を向けられたラファエルは僅かに怯んだが、煌く星を思い出し、そのまま城から引き上げていった。


◇◇◇◇◇



 二年目の結婚記念日。

 目を覚ましたエレノアの鼻腔を、薔薇の香りがくすぐった。

 まだ何も見ないうちから口元が緩む。

 そっと寝返りをうち隣のスペースに目を向けると、大きな花束が視界いっぱいに映った。秋咲きの薔薇が瑞々しく横たえられている。一体、何本あるのだろう。

 エレノアはくすくす笑いながら身を起こし、花束の上に載せられているカードを手にとった。

 去年貰った記念日のカードには、たった一言「おめでとう」とあっただけだった。

 密かに期待していたエレノアはがっかりしたものだ。口下手なレオンハルトが特別なメッセージを記すわけもないのに。

 今年は無造作にカードを開く。

 視線を落とし、エレノアは息を飲んだ。


 『麦の配合が上手くいきますように』


 記念日に何の関係もない文句が、レオンハルトの直筆で記されている。

 エレノア以外の女が見れば、鼻白む類のメッセージだろう。

 だがエレノアにとっては、これ以上ない愛の言葉だった。

 エレノアの最大の関心事を、レオンハルトも気にかけてくれている。

 馬鹿にしたり見下したりせず、純粋に成功を祈ってくれている。

 エレノアはぐす、と鼻をすすり、目元を拭った。


 朝食の席で、エレノアは心からの感謝を伝えた。

 レオンハルトは驚いたように目を瞬かせ、「そこまで喜ぶとは思わなかった」と呟いた。


「とても嬉しかったわ。レオン様が私の夢の後押しをして下さるということですもの。私も同じように貴方の夢を支援していきたいと思います」

「貴女の夢を叶えるのが、私の夢だ」

 

 寒冷地でも育つ新種の麦が誕生すれば、ダルシーザの食糧事情は一変する。

 復興への大きな足がかりとなるだろう。

 ラファエルの助言通り、レオンハルトは思ったままを口にした。

 エレノアは感極まったように立ち上がり、レオンハルトの元へやってくると頬に心の籠ったキスを落とした。

 寝室以外でエレノアがこんな行動を取るのは初めてのことで、レオンハルトは絶句した。

 形の良い耳がみるみるうちに赤く染まっていく。

 よく訓練された給仕メイド達は一斉に顔を背け、絨毯に落ちているかもしれない埃を探し始めた。





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