ウェーイなノリ
世の中にゃ<コミュ障>って呼ばれる人間がいたよな? でも、それっておかしいだろ? 自分は人間で、相手も人間だぞ? 人間じゃねえものとコミュニケーション取ってるわけじゃねえのに、なんでそうなる? 親だって人間だっただろうが? その親とどうコミュニケーション取ってたんだよ?
<ウェーイなノリ>ってのができるかどうかは、そりゃ個人によって違うだろ。けどな、別に、
『ウェーイなノリができるのがコミュニケーションってわけじゃねえ』
だろうが。一般的な会社で上司相手にそんなことするか? 学校で教師が生徒相手にそんなことするか? しなくてもコミュニケーションは取れてるんじゃねえのかよ?
なのになんで、同じ人間相手にコミュニケーションも取れねえ奴がいんだ? そいつの親はてめえの子供とどうコミュニケーション取ってたってんだ? ごくごく当たり前の穏当なコミュニケーションの取り方をしてりゃ子供だってその真似をすりゃ済むことじゃねえか。なんでそれができねえ?
それはつまり、そいつの親は、
『自分の子供を人間として扱ってなかった』
ってえことじゃねえのかよ? 親は人間で、子供は<人間じゃねえ動物>だってえ考えで接してきたから、子供は、
『自分とは全く別の<何か>とのコミュニケーションしか学べなかった』
とは考えられねえか? なのに子供も成長して人間として扱われるようになったものの、<人間じぇねえ物とのコミュニケーション>しか学べなかったから、人間相手じゃどうしていいか分かんねえんじゃねえのかよ?
やたらと威圧的で一方的で服従することだけを要求してくるような奴を相手にしてたことで、そういう、
<まともにコミュニケーションを取ろうともしない怪物>
相手にちゃんと『自分という人間を提示』できねえだけじゃねえのかよ? そのやり方を学んでねえだけじゃねえのかよ?
で、結局、自分の言いなりになってくれる相手、一切歯向かってこない相手、つまり<抵抗できない子供>や<漫画やアニメの中のキャラ>にしか自分を出せねえようになったってえだけじゃねえのかよ?
『子供は人間じゃない』
とか考えて、人間じゃねえものとして接してたからそうなっちまっただけじゃねえのかよ?
それでも、自分をちゃんと人間として扱ってくれるのが身近にいりゃあまだそっちから学ぶこともできたのかもしれねえが、阿久津安斗仁王が生きてた時代じゃ、ご近所付き合いも、他所の子供を自宅に上げることも、避けるようになっちまってたからな。<自分をちゃんと人間として扱ってくれる存在>との出会いも減っちまってただろうさ。




