親が子供を牛や馬みたいに扱わなくなれば
『俺だってできるならみんな救ってやりたいと思う。だけどやっぱりそれはできないんだ』
俺のその言葉にリーネがやっぱり悲しそうな顔をする。そしてその後で俺が、
『ちょっとずつちょっとずつ増えていけば、いつかこの世界も変わるんじゃないか?』
と言うと、
「それは、親が子供を牛や馬みたいに扱わなくなればってことですか?」
彼女は改めてそう訊いてきた。ああ、本当に利口で聡い子だな。
「そういうことだろうな。俺がすべての子供を救うんじゃなくて、それぞれの親が自分の子供を人間として接することができるようになれば、少なくとも今みたいなことはなくなると思う」
俺はそう応える。それが難しいのは分かってる。阿久津安斗仁王だって、
『自分が女房にゆかりを生ませたのは一方的な自分の都合。ゆかりが俺の子供として生まれてくることを望んだわけじゃない』
『親が子供を養育するのは、てめえのやったことの尻拭いでしかない。それで恩が売れるとか有り得ない』
『人間の子供は生まれた時から人間。どこかの時点で家畜やペットから人間に変わるわけじゃない』
ってことが理解できてなかったし、理解しようともしてなかった。自分を<賢い有能な人間>と思ってたクセにその程度のことも理解できてなかったんだ。
はっ! 笑えるね!
そうだ。てめえを人間だと思うなら、てめえの子供だって生まれた時点から人間だ。人間じゃねえものから人間になるわけじゃねえ。なんでそんな当たり前のことが分からない?
人間じゃねえものがある時を境に人間に変わるわけじゃねえんだから、その境目なんてものもあるわけねえんだよ。当たり前じゃねえか。『人間じゃない』とか思ってやがるから、
『子供の育て方が分からない』
とか寝惚けたことをほざきやがる。
そりゃ確かに、おむつの替え方とか風呂の入れ方とか授乳の後は背中をとんとんしてやってゲップさせてやらなきゃいけないとか離乳食はどうしたらいいのか?なんてのは、どっかで知識を仕入れなきゃ分かんねえんだろ。けどな、それ以外の、<子供との接し方>なんてのは、相手が人間だって考えりゃ分かんだろ。もしそれが分かんねえってんなら、そりゃてめえが親から人間扱いされてねえから人間との付き合い方が分かんねえんだよ。
親と子供だって人間同士だ。人間同士として、相手を人間として扱えば接すればそれでいいだけじゃねえか。それを、『人間じゃない』とか考えっから、『人間じゃないものとの接し方なんて分かんねえ』ってことになるんだろうが。
なんでわざわざ話をややこしくすんだよ。




