<他力本願>過ぎんだろ
『リーネやトーイが反抗期になってそれで<親子のドラマ>を期待する奴もいるだろう。けどな、そんなあれこれがあった後に<親子の和解>を経て感動のフィナーレへなんてのも、嫌なんだよ』
今の俺のやってることは、これに尽きる。リーネやトーイにとって反発しなきゃいけないような親になって必要のない反抗をさせて衝突して、それでリーネやトーイに成長してもらってようやく<俺の真意>を悟ってもらって、向こうから歩み寄ってもらって和解する。
って、<他力本願>過ぎんだろ。
『自分よりずっと年下の未熟な相手に理解してもらって歩み寄ってもらって赦してもらってそれで和解』
だぞ? 一から十まで子供の側の努力に依存して頼り切ってんじゃねえか。それでよく<親>面してられんな。
<子供の側の成長の記録>ってことならまあ<演出>としてはアリかもだが、親の側だけ見たら、単なる、
<無能かつ人任せな無責任野郎>
以外のなんだって言うんだ。それとも、子供の成長を見せるためだけの<舞台装置>か? 随分とご都合主義だな、
それか、子供が常に親より優れた人間になるってことの比喩表現って話なら、この世はどんどん良くなっていかなきゃおかしいだろ。
でも実際には、必ずしもそうじゃない。
『自分が親になって親の気持ちが分かった』
とか言ってるってのは、
『ギリ、親と同等程度の人間になれた』
ってだけの話じゃないのか? 親より上になれたんなら、親がやらかしてきたヘマを見極めてそれに対処しなきゃおかしいだろ。
それとも何か?
『親がやらなかったことを自分がやるとか、不公平だ。だからやりたくない』
ってか? それで何を偉そうに言えるって? 笑わせんな。
とかなんとかまた考えつつ家路に就く。普通のフィクションなら、こういう俺の考えを麓の村の連中にも分からせようとして奮闘するっていうパターンもあるのか。
でもなあ、そんなことしたらそれこそ、
『なんだそりゃwwwww』
的に嗤う奴がいないか? たぶん、前世の俺なら余裕で嗤うぞ。俺みたいな前世の記憶があるだけの凡人に何ができるってんだ。百二十年分の人生経験だって、俺自身が前世と同じ失敗をしないために自分を客観視できるようになれたって程度のものでしかない。赤の他人を導き摂理を説く<教祖>みたいな存在になれるだけのカリスマ性も身に付いてねえよ。
たとえそんなものがあったところで、先にも触れたお偉い坊さんと同じ末路を迎えるだけの予感しかねえな。てか、話としちゃ<パクリ>って言われんだろ。




