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宵闇の女王は二度目の愛を誤らない~拾った青年に血と寵愛を捧ぐ~  作者: root-M
第四部 第二章 ハリーとヴィオレット
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胡蝶の夢

 甘い記憶は、夢の中のまぼろしに成り果てた。

 現実に起こったことだったのか、実際に味わったことだったのか、はたまた都合の良い妄想なのか。

 カルミラという化け物の末裔が、人知を超えた力で造り出した幻想なのか。


 もうなにもかもがわからない。美しかった記憶の大半が、胡蝶の夢と化している……。


 虚無感を抱きながら、ハリーはゆっくりと覚醒した。

 上下の睫毛がくっついていて、瞼を開くのに難儀した。乾いた涙のせいだろう。

 無理矢理に目を開けたのは、傍らに人の気配があったからだ。


「おはよう。昨日はなんだか、大変だったみたいだね」


 のんびりした声の主は、黒髪の青年。腰を屈めて、ハリーの顔を覗き込んできている。口元には穏やかな笑みが浮かんでいたが、瞳の奥にはハリーを案じる色があった。

 ハリーは一瞬にしてすべてを悟る。


「……フレデリカに呼ばれて来たのか」

「うん、そうだよ。君の具合を見て欲しいとね」


 気安い調子で答えた青年は、ホレス・(エイベル)・フォスター。フレデリカの主人だ。

 かつてハリーは、彼の元から誘拐同然にフレデリカを連れ出したが、そのあとに改めて『挨拶』に出向き、和解していた。以来、なにかと互いの領域(テリトリー)を行き来している。

 ハリーの領域を守っている結界の大半は、ホレスによって作り出されたものだ。ホレスは守護や防衛の能力に長けている。半面、戦闘に関してはからっきしらしい。


 ハリーは小さく嘆息して、昨日のことを反芻(はんすう)する。

 エドマンドらと一戦交え、グレナデンの圧倒的な力に押されたハリーは、ほとんど()()うの(てい)で逃げ帰った。

 そしてフレデリカに簡易な手当てをしてもらったあと、深い眠りについていたのだった。エドマンドに斬られた傷はなかなか治癒せず、さらに、高度な術を連続使用したせいで肉体は疲弊しきっていた。


 たまに意識が浮上し、まどろみの間に昔の夢を見ていた。

 幸せな夢を……。いや、不幸せな夢を……。


「わざわざ……すまなかった」


 ハリーが身を起こそうとすると、ホレスに優しく押し留められた。


「そのままでいい。ずいぶん消耗しているようだから」

「気遣い、感謝する。……フレデリカを連れ帰るのか?」


 そうしてくれて構わない、という態度を出そうとしたが、疲労のせいか、わずかな寂寥感(せきりょうかん)(にじ)んでしまった。

 あの賑やかな少女の存在に慣れてしまうと、独りになるのがあまりに辛い。ことさら、病み上がりのときは。

 ホレスは困ったように笑ってから、言う。


「うん、いっそそうしようかと思ったけれど、彼女が首を縦に振らないんだ」


 ハリーは込み上げてきた安堵を喉元で()き止め、無表情を保った。『そうか』とだけ漏らすと、ホレスの眼光が鋭くなる。


「昨日は、彼女に相当な精神的負担を掛けたみたいだね」

「……それでも、彼女は帰りたくないと言うのか」


 あまりに意外だった。あれだけ泣き叫んで、ハリーを非難していたくせに、愛しい主人の元へは帰らないというのか。

 フレデリカの意志の強さに感服していると、ホレスは眼力を弱めた。それでもまだ刺し貫くように鋭い。


「私とフレデリカは、君の『計画』に同意した。特にフレデリカは、そうしたいと望んでいる。だから、無理に連れ帰ることはできないよ」

「あなたはそれでいいのか?」

「君は言っただろう。『彼女を決して傷付けない』と。『自らの誇りに誓って』と」


 たしかにハリーはホレスへそう宣言した。けれど昨日、あわやその誓いを破るところだった。

 それに、肉体には傷一つないが、心は大きく傷付いたはずだ。

 果たしてそんな状況で、誓約を守ったと言っていいものか。だからハリーは自嘲する。


「こんな男の誇りだなんて、ずいぶん安いものに賭けたと思わないか?」

「そうかな? 君はものすごく誇り高い人物だと思うけどね」


 ホレスに真っ直ぐ返され、ハリーは押し黙るしかなった。


 ――誇り高いだって? 私のなにを知っているというのだ。


 そんな怒りが湧いてくるが、ぐっとこらえる。ここで感情的になってしまったら、ホレスへぶつけても詮無(せんな)いことまで吐き出してしまいそうだったから。

 ハリーがむっつりしていると、ホレスはにこやかに微笑む。


「しかしこの調子じゃ、『狩り』はしばらくお休みだね。――じゃあ、ゆっくり養生したまえ」


 と、優雅な所作で手を掲げた。

 初対面のときはハリーがホレスを圧倒していたが、今ではすっかり兄貴風のようなものを吹かされてしまっている。実年齢もホレスの方が六歳ほど上だから、仕方がないことなのだろう。わかっていても、仏頂面をするのは止められなかった。


「ああそうだ。庭の椿、とても見事だね。少し持って帰っても構わないか?」

「好きにしたらいい」


 投げやりに答えると、ホレスは表情を明るくする。けれど、次いで発せられた声は低く威圧的だった。


「くれぐれも、フレデリカのことを頼むよ」

「わかっている」


 目を見て返答すると、ホレスは『ならばよろしい』と言わんばかりに鷹揚(おうよう)に頷いて、足早に部屋を出て行った。


「あ、ホレス様、もう帰ってしまわれるのですか?」


 扉の向こうから、フレデリカの甲高い声が聞こえてきた。ちょうどいいタイミングで様子を窺いに来たようだ。フレデリカに応えるホレスの声は、ぼそぼそしていて聞き取ることができない。


「はい、あたしはもう大丈夫です! あのへそ曲がりの妙ちくりんの方が心配です!」


 元気の良いフレデリカの声のあと、ホレスの大笑が聞こえ、ハリーは思わず眉根を寄せていた。まったく、ひどい言い草だ。


 けれど、フレデリカがいつもの調子を取り戻していることがわかって、肩の力が抜けていった。

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