「俺も恋人欲しい……」
本編の少しあとぐらいの話です
その日、帝国でも有数の商人の息子であるベイガーは緊張していた。
というのもこれから父親に連れられて、城へと上がるからである。今年十五歳になるから、そろそろ……などと言われて一緒に行くのだ。皇帝であるヴィツィオが、皇妃を迎えて少しがたった。
あの暴君皇帝が年下の皇妃を溺愛しているという噂はベイガーの耳にも入ってきている。嘘だろとベイガーは思ったものの、父親が言うには大変皇帝夫妻は仲睦まじいらしい。
とはいえ、暴君皇帝の暴君さが完全になくなったとかそういうわけでは全くないらしいので、ベイガーは初めて緊張していた。
(……なんで、父さんは自然体なんだろうか。これから皇妃様に会うっていうのに。皇帝陛下が溺愛している皇妃様の機嫌を損ねてしまったら大変なことになるのに)
と、ベイガーはそんなことを考えてしまっていた。
幾ら良い噂しか出回っていないとはいえ、皇帝に愛されている女性だ。とても我儘だったりするのではないか……などとそんなことを考えてしまっていた。
不安に駆られながらも、ベイガーは父親と共に皇妃のもとへと向かった。
「皇妃様、こちらは私の息子のベイガーです。これから連れてくることもございますので、よろしくお願いします」
父親は皇妃をほめたたえる言葉を口にした後、ベイガーのことを紹介した。
ベイガーはそれどころではなかった。
なぜなら、目の前に立つ女性はとても可愛らしい少女だったから。
美しい銀色の髪は、きらめいている。そしてその赤い瞳はまんまるとしていて、とても可愛らしい。
十七歳の皇妃――マドロールに思わず見惚れてしまうベイガーであった。
見惚れて挨拶も出来ないベイガーは父親に小突かれて、「ベ、ベイガーです。よろしくお願いします」と慌てて口にする。
マドロールが笑った。
「これからよろしくね」
その笑顔にベイガーはぽーっとしてしまっていた。
しかし次の瞬間はっとして、気を引き締める。
(俺は仕事で来ているんだ……。平常心平常心)
そんなことを思いながら父親と共に持ってきた商品の説明をする。マドロールは、興味深そうに説明を聞いてくれている。
特に父親が外国から仕入れた生地を見せると、目を輝かせた。
自分用のドレスを仕立てるのだろうか、とベイガーは思ったのだがマドロールは嬉しそうに笑って言う。
「陛下に似合うものをぜひ仕立てたいわ」
「そう仰ると思ったので、仕立て屋の一覧も準備しております」
「まぁ! 私の考えていることなんてバレバレだったかしら」
「皇妃様は陛下のことばかりですからね。でも私としましては、おそろいに仕立てるといいと思います。皇妃様によく似合うドレスが仕上がると思うので」
「ふふ、それがいいわね。仕立て屋の一覧を見せてもらえる?」
自分のドレスのことよりも、皇帝であるヴィツィオの衣装のことを気にしていた。
ベイガーはそのことに驚いたが、父親は平然と仕立て屋を紹介していた。
(……皇妃様も陛下のことを大変愛していらっしゃるのが分かる。なんていうか可愛い……って違う違う)
ベイガーは父親と話すマドロールを可愛いと思いつつ、平常心を保つために首を振った。
そうこう話していると、謁見の入り口が騒がしくなった。
ベイガーが何だろうと思っていると、今回拝見はしないと聞いていた皇帝が姿を現した。
慌てて、父親と一緒に頭を垂れる。
ベイガーは遠目には見たことがあったが、こんなに近くで皇帝を見たのは初めてだった。
驚くほどに美しい男だった。それでいてその威圧的な雰囲気に、身体が震えそうになる。
(……綺麗だけど、怖い)
ベイガーがそう思っていると、嬉しそうなマドロールの声がする。
「まぁ、ヴィー様。来てくださったの? 今日はお忙しいって聞いてたのに」
「終わったから、来た」
「ふふ、私に会いに来てくださったんですね。嬉しいですわ。一緒に商品見ましょう」
「ああ」
嬉しそうに、無邪気に話しかける声。
ベイガーは皇妃様、凄いと思った。雰囲気が尋常じゃないので、そんなヴィツィオに無邪気に話しかけているのが凄いなと思っていた。
その後、ヴィツィオもそこにまざることになり、ベイガーは気が気でなかった。暴君皇帝が目の前にいるというだけでも恐ろしかったのである。
しかしそれは杞憂だった。
「どちらがいいと思います?」
「マドロールは可愛いからどちらも似合う。両方買え」
「まぁ、ヴィー様ったら。ふふ、そう言われたら両方購入しますわ。こちらのものはヴィー様に似合うと思いますの」
……ひたすら、父親とベイガーの前で皇帝夫妻は仲良くしていた。終始なごやかな様子だった。周りに控えている使用人たちが平然としているのを見るに、皇帝夫妻はこれが通常なのだろうとベイガーは実感する。
甘い雰囲気にあてられて何とも言えない気持ちになっているベイガーに、「あのお方たちはいつもああなので、なれるように」などと言われた。
甘い空気にあてられてしばらく家に帰ってからもぼーっとしていたベイガーだが、
「俺も恋人欲しい……」
我に返って思わずつぶやいてしまったのはそんな言葉だった。




