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「だまされてください」







アートに説教をされながら治療を受けた後、リンフォードはローレルを連れて城の外郭へと向かった。


外郭には下級の騎士や魔術師の宿舎、訓練場。厩舎や武器庫などが点在している。

王城にあって一番に敷地が広い場所でもあった。


城門を挟むようにして西側が騎士たちの縄張りなら、東側は魔術師たちの場所、騎士たちの多く居る辺りに比べると、手入れされた植え込みや小さな畑では薬草を育ており、こちらは緑が多く見えている。


騎士と魔術師たちが住む石造りの宿舎の外側には、川から水を引いた深い堀がある。敷地を囲む城壁自体が建物で、宿舎として機能していた。


その中の薄暗く小さな部屋にふたりは足を踏み入れる。


踏み入れるというほどの足の踏み場は無かったが。


「あははは! 酷い! こんなに狭かったですっけ?!」

「……ここは」

「私の部屋ですね」


何かよく分からないものが大量に積み上がり、いくつもの山を形成して、その谷間のような場所に机があり、雪崩が起きたような場所には半分ほど物に埋もれた寝台が見えていた。


リンフォードは谷間を慣れた足取りで進み、一番に奥まった壁にある小さな窓を押し開けた。


「五年でこれだけの埃が積もるんですねぇ」

「それまでここに居たのか?」

「そうですよ? どうかしました?」

「近場に居たのに知らないもんだな、と」

「あれ? ローレルさん城の方に詰めてたのでは?」

「いや、私も外郭の方に部屋がある……ちょうどこの反対側の辺りに」

「そうでしたか。あぁ、じゃあお互いに見かけるくらいはあったかも知れませんね」

「……おかしな感じだな」

「本当ですね」

「……それでどうしてここに」

「あ、そうそう、そのことですよ」


どこにどちらの足を置けば正解か分かっている足取りで、器用に物と物の間をすり抜けると机まで行き、上から順に引き出しを漁り始めた。


「……確か持ってきてるはずなんですよねぇ」

「何をだ?」

「子どもの頃に使ってたんですけど、なかなか優れものだったんで、何かに使えるんじゃないかと実家から持っ……あ、あった。これです」


一番下の引き出しの奥の方から取り出したのは、両手では少し包みきれない程の大きさの、透明度の高い硝子のような美しい球体。


手の上に乗せて窓の前まで戻ると、リンフォードはそこからローレルを手招いた。


出入り口から両脇のものに触れないように、するりと躱しながら窓辺へ向かう。


側に来たローレルの手を取って、硝子の球をその上に乗せた。

見た目より重かったのでローレルは慌てて両方の手で持つ。


「ローレルさんにしばらく貸します。あげませんよ? いつか返してくださいね」

「……なんだこれは」


光に透かされた球の中には、赤や緑、宝石の様なものなど、色とりどりの小さな石の欠片が散りばめられている。


「そうですね……ローレルさんならこの銀色と、濃い青、この透けてる緑のも……ってところですかね」


指をさされた粒を覗き込んで、ローレルは眉を顰める。


「魔力の調整が学べるおもちゃですね。遊びながら力の統制もできます……私は子どもの頃これで遊びました」


リンフォードが球を上からさらっと撫でるようにするだけで、中の粒がくるくると渦を巻いたり素早く横切ったりする。


「すごい……きれいだな」

「でしょう。……魔力の種類によって反応する石が違います。この中で意のままに動かしたり留めたりして、力の使い方を学ぶというものです」

「なぜ私が?」

「ローレルさんは今、体の中で魔力の流れが悪くなっています。以前は普通に出来ていたことが難しかったりするでしょう?」


確かに、身体の動きがぎこちなく感じたり、日常で使う魔力で動く道具が、思うようにならないことがある。

その顕著なものが部屋の照明の類だ。


気分が塞いだり、言わなくていいことを口にしたり、そういった気持ちの抑制も以前の様にできない気がしていた。


「……ケガをした所為だと」

「もちろんそれもありますよ。でも今まで上手く流れていたものを断ち切られたんです。そちらの影響の方が大きいと思います」


リンフォードはローレルが両手で持っている球を自分の両手で下から支えるように包んだ。

魔力を流して球の中の色とりどりをくるくると回す。


「また元の通りに力が流れるのか、それとも流れが新しく構築されるのかは私にも分かりません。多分、後者の方の可能性が高いと思いますけど」

「……そうか」

「どちらにしてもローレルさんは魔力の使い方に関しては、子どもの頃からやり直しになりますね」

「う……ぅぅん」

「嫌そうですね。でも魔術師ほどに持て余したり、暴走したりはしなかったでしょう?」

「……それはそうだけど」

「遊んでいるうちに楽しく身に付けてください」

「簡単に言う……」

「と、この玉が入っていた箱に書いてありましたので」

「んんん……」

「さっそくやってみます?」

「…………もう一度お手本を見せて」

「……いいですよ」


ゆっくりと回転しながら踊る色とりどりを見下ろして、顔が少しだけ笑顔になる。


そんなローレルに見惚れている自分に気が付いて、リンフォードは慌てて視線を手元に下ろした。


「えっと……ローレルさん何歳で出仕したんですか?」

「……十一かな。貴方は?」

「あぁ、私は八つでしたかね」

「八つ?……早いな」

「面倒見切れなくなったんですよ……家で雇える教師に任せるより、ここの方が腕の良い魔術師がたくさん居ますからね」

「……なるほど。考えたな」

「確かにここに放り込んでもらえたのは幸運でしたね。あのまま屋敷に居たんじゃ今頃どうなってたんだか……恐ろしい」

「……マシに育ったという話か?」

「え? ちょっとどういう意味ですかそれ」

「言葉の通り……」

「やだなぁ、ローレルさん」

「……本当に不思議だな。同じ時期に同じ場所にいたはずなのに」

「ねぇ? ……城を離れて隣の国で知り合いましたよ私たち」

「ほんとにな」


街角などではなく、そこらの広場のどこかで、また建物に挟まれた細い通路で、いつかふたりはすれ違い、視線を交えることがあったのかもしれない。


「んー……来たばかりの時は今のウェントワース陛下より小さくて、ローレルさんが出仕した時は十四……ですか。その時の私は今のアートよりも下でしたね」


汗と泥にまみれた、擦り傷だらけのローレルと、フードを目深にかぶって、大量の資料や本を抱えたリンフォードが、この窓から見える同じ景色の中にいた。


「小さなローレルさんかぁ……可愛かったでしょうねぇ」

「生意気クソ坊主と呼ばれてたぞ」

「私はそりゃもう愛らしかったですよ」

「自分で言うのか」

「ふふ。私が産まれたばかりの実家は七日七晩は愛の光で照らされ、神の遣いが顕れたと郷里では大騒ぎになったと……」

「……それが手に負えなくなってここに放り込まれるんだな」

「そうなんですよねぇ。色んな意味で無敵の子どもでした」

「アートも似たようなことを言ってたな。俺最強、って」

「魔力持ちは力が多大であるほど、己の能力に溺れがちですから」

「アートには貴方が居たが、貴方は誰に教わったんだ?」

「うーん……誰でしょうね」

「師のような人は?」

「周りに居た沢山の人ですかね……それはもうよく叱られました」

「今もだな」

「……あぁ……そうですねぇ」

「無敵の子どもが広い屋敷からここまで狭い部屋に入れられるんだな」

「より狭くしたのは私自身ですけどねぇ」

「騎士側と同じ広さなんだよな、これ」

「造りが一緒でしょうからそのはずです」

「片付けようとは?」

「あぁ……なるほど、そうですよね」


ローレルが近くの小箱に手を伸ばすと、慌てたリンフォードがその手を掴んで引き戻す。


「迂闊に何かに触らないで下さい? 無くなりますから」

「……なにが?」

「手とか……この部屋とか?」

「なんでそんな物を無造作に積み上げているんだ」

「無造作ではないですよ、こう見えてきちんと秩序があります」

「……そうか」

「もう少し落ち着いたらアートに片付けてもらいましょうか」

「自分ではしないのか」

「アートの程よい試練になりそうです」

「嫌味と小言が返ってくるぞ」

「それは私の試練ですね」


ローレルは埃を積らせた部屋を見回して、自分の部屋はどうなっているだろうかと考えた。

手か部屋自体が無くなるような場所なら、五年間放置で当然だが。


騎士の数は魔術師に比べて桁違いに多い。

もう誰か別の人物の部屋になっているだろうとすぐに思い直した。


「どうして王子……ああ、いや。陛下と一緒に居ることに?」

「上から命じられたんです」

「上? ダルトワから?」

「そうです。襲撃を受けて、やっぱり厄介払いしたかったんだなと再確認しました」

「グレアム閣下と貴方が居て、陛下を亡き者にできると思ったのか……」

「ああ、まぁ。グレアム閣下しか警戒してなかったんでしょう。私は数に入ってなかったと思います」

「そうなのか?」

「目立たないようにしてましたからね」


リンフォードの実家は王都からひとつ領地を挟んでその隣。

中央に大きな影響を及ぼすほど実権のある家ではないが、親王派ではあった。


面倒とまではいかないが、リンフォードはそれなりに目障りだっただろう。


神童と噂されて出仕してきたが、周囲にいる大人の魔術師に叱られているうちに、静かに目立たぬよう過ごした方が得だと知った。


前王が倒れて以来、特にその傾向は強くなった。


城下にある別邸に移ろうと準備を始めた頃に起こったのが、親王派に作為的に仕組まれた『粛清』だった。


その時にアートは家族を失い、リンフォードは婚約者を亡くす。


空虚な想いだけに支配されて過ごしている時期に、王子の護衛の一団に抜擢され、国外までの同行が決められた。


一国の王子を亡き者にしようとする奸計。

暗殺者を仕向けられ、それを死に物狂いで切り抜けて、リンフォードの中に報復という言葉が浮かぶ。

その言葉だけを大事に抱えて数年間を生きてきた。

それがあったから生きてこられた。


「私も同じですよローレルさん」

「なに?」

「仇を討つことだけを考えてなんとか立っていました」

「…………そう」

「そうしなければ生きていけないのは……何というか……上手く言葉にできませんが」

「……うん」

「でも……それでも生きていられるほど、人は強く出来ているんだと思うんです。でしょう?」

「そうだな……」

「辛くて苦しくて虚しくても、何かを大事にできたり、楽しければ笑ったりできるんです。そうですよね?」

「……うん」

「イヴェットさんもきっとそうです」

「それは……とても都合の良い考え方だな」

「王師団副官の奥方ですよ? あの毅然とした態度といい……きっといつかまたローレルさんの前に現れます」

「そうかな」

「きっとです。空虚を生き抜いて、貴女に復讐をしにね。そうしたら私はまた利き手を出しますよ」

「手で済めばいいけどな」

「それもそうですね……対策を考えなくては」

「私は……」

「ローレルさん、肩を貸しましょう」


手の上にある硝子球を取り上げて、窓枠の上に乗せると、リンフォードはローレルの頭を自分の肩に押さえつけた。


「いつものやつです」


両腕をローレルに巻き付けて、ぎゅうと抱きしめる。


鼻を啜りながら、ローレルはリンフォードの肩に額を擦り付けた。


「まだ生きなくてはいけないだろうか」

「ですね……ローレルさんの傷には、私の魔力をずいぶん注ぎ込んだので、せめてその分くらいは」

「勝手に助けたくせに」

「それを言われると返す言葉もありませんね」


リンフォードは少し前に治してもらったばかりの手を持ち上げて頭上にかざし、薄らと残る小さな傷痕を見て、手を何度か握っては開いた。


「じゃあ、魔術師の利き手に傷を負わせたことの責任を取ってもらおうかな」

「……それも貴方が勝手に」

「わぁ。確かにそうですけど。逆の立場だったらどうですか? ローレルさんどっちも見て見ぬふりはしないでしょう?」

「…………ごめんなさい」

「…………素直でかわいいですね」


もごもごとして離れていこうとするのを、リンフォードは逃がさないように腕に力を込める。


「……ねぇローレルさん。ローレルさんは、これまで過去のことの為に生きてきたんだと思います。でも過去は。昨日は、今日や明日に繋がっています」


少し体を離して、リンフォードはローレルの顔を両手で挟む。

濡れている頬を親指で拭った。


しっかりと目を見て、ゆっくりと頷く。


「今はただ辛いだけしかないでしょう。私の言葉なんて、きちんと聞こえてないかもしれません。それでもいいんです。何度だって、聞こえるまで言い続けます。私はローレルさんのすぐ側に居ます。忘れないでくださいね。……あぁいえ。忘れても構いません、私は勝手に側に居ますから」


ぐしゃりと歪んだ顔を、また自分の肩に押さえつけて、ぎゅうと抱きしめる。


「貴女のこれまでの優しさや、楽しくて笑ったこと。過去から、今日や明日や、これから先のローレルさんに向けた、ローレルさんからの伝言です。大丈夫だと、貴女が貴女に言っているんです」

「…………口が上手いな……信じそうだ」

「騙されてください」





熱く湿ったような肩の辺りと、腕に伝わってくる温もりを抱えていることが堪らなく嬉しくて、ローレルを抱きしめたまま力無くよろけて、窓枠に背中を凭れさせる。





「『騙された!』と思ったらそう言ってください。私の言っていることが『やっぱり正しかった』でも何でも。すぐ側にいますからね。いつでもどうぞ」










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― 新着の感想 ―
[一言] ヲトオさんが、この物語をつくるとき描いたイラストのことを思い出しました! 実は近くにいたんですね。同じ空を見上げてたんだろうなぁ。 今回はリンフォードの温かい思いに、じんわりとくるものがあ…
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