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奴隷の印と邪な魔力

 とてもとても、深く眠った気がする。

 ざわざわと騒がしい声と作業しているらしい気配に、シルバー姫は意識を取り戻す。

 うっすらと開いた目に映る満天の星空。

 周囲は夜の闇に包まれ、篝火がパチパチと乾いた音を立てながら焚かれている。


「ドラゴンスレイヤーの魔力に腕輪が反応して、私は気を失ったのね……」


 目覚めたシルバー姫は、分厚い布が敷かれた簡易寝台の上に横たわっていた。

 『ニジョウノ腕輪』の魔力封印で身体の内側を炙っていた痛みは消えて、生まれ変わったように体は軽く、全身に力がみなぎっている。

 寝台の上から身体を起こそうとしたシルバー姫の側から、聞き慣れた愛らしい声がした。


「えっ、シルバー姫様の身体が動いた。

 姫様が、やっと目を覚ましました!!」


 シルバー姫は声がした方を振り返ると、大きな水差しを抱えたドワーフ娘のトーリアが目を丸くして突っ立っている。


「良かったわトーリア、無事だったのね」

「し、シルバー姫様は二日間も気を失ったまま、ずっと眠り続けていたんです。

 このまま二度と目が覚めないかもって、あたしとても心配しましたぁ!!」


 そしてトーリアは泣き出しそうな顔でシルバー姫の胸元に抱きつくと、子供のような手でシルバー姫の手を握りしめた。

 シルバー姫は一瞬身体をこわばらせたが、細心の注意を払いながらトーリアの手をそっと握りかえす。

 千人力から一万人力にパワーアップした腕力を、きちんとコントロールできていた。


「私はもう大丈夫よ、トーリア。

 どうやら気を失っている間に、ニッカル様の警備隊も水魔石山に到着したみたいね」


 シルバー姫はトーリアに話しかけながら体を起こすと、周囲を見渡した。

 少し離れた場所に設置された大きな野外テントの中で、助け出された娘キャルを抱きしめる貴族ニッカルの姿が見える。

 倒されたシルキードラゴンの周囲には、大勢の辺境警備隊が獲物の解体作業中で、その陣頭指揮を仕立屋カーバンが行っていた。


「シルキードラゴンの鱗は激レア素材、一枚残らず剥がしてくれ。

 その翼はシルバー姫のドレスの材料になるから、傷つけないように気をつけろ」

「シルキードラゴンの鱗で、最強度の鎧が作れるそうだ」

「ドラゴンの肉も骨も貴重な戦利品。できるだけ多く持ち帰るぞ!!」


 シルバー姫の後からニッカル城を出立した辺境警備隊は、通常なら四日かかる距離を半分の日数で水魔石山まで到着できたのは、シルバー姫の通り過ぎた後、障害物が除かれ道が均されたからだ。

 強行軍で疲労困憊の警備隊に、領主ニッカルや娘のキャル、ドラゴンスレイヤーの力を授かったカーバンが回復魔法を施し、ドラゴンの解体作業が始まった。

 トーリアはシルバー姫が目覚めたとカーバンに知らせにゆく。

 シルバー姫は氷の上に立つように、そっと寝台から降りて地面を踏みしめたが、地面がひび割れて裂けることはない。 


「ティン先生から教わった腕力のコントロール方法で、一万人力でも普通の生活ができるわ」


 シルバー姫は寝台に腰掛けると、自分の体に違和感がないか確認した。

 しばらくすると満点の星空に雲が陰り強い風が吹き、しばらくすると冷たい雨がポツポツと降ってきて、ほとんど隠れる場所のない谷底で作業をする警備兵たちは右往左往した。


「まずいな。作業を中止して、雨が大降りになる前にどこか岩陰に隠れよう」

「しかしカーバン様、今作業を中止したら、素材の鮮度が落ちてしまう。

 ここは早く城に帰れるように、無理をしてでも作業を続けた方がいいです」


 カーバンが判断を決めかねている間にも、雨は大粒になってゆく。


「作業を中止する必要はありません。あの雨雲を消せばいいのですね」


 まるで耳元でささくようなその透き通る声に、警備隊やカーバンは思わず作業の手を止めると、雨で消えそうな篝火の側に月の化身のように光り輝く人の姿があった。

 彼女の長い銀色の髪先まで覇気があふれ出し、陶器のようになめらかな肌は内側から輝き、長いまつげに縁取られた美しい瞳に魅入られる。

 

「シルバー姫。君の姿はまるで、地上に舞い降りた月の女神だ」


 思わず溜息混じりでつぶやいたカーバンの目の前で、シルバー姫は空を仰ぐ。

 指先を綺麗にそろえて口元に持ってくると、ろうそくの火を吹き消すように、ふうっと溜めた息を強めに吐いた。

 一万人力を身につけたシルバー姫の吐息は地上の空気をかき回し、風がうなり声を上げ突風を巻き起こす。

 すべての松明の炎が消え、重たい鎧で武装している警備兵も風で吹き飛ばされそうになる。

 突如発生した竜巻は上空の雨雲を突き破ると霧散させ、雨は止み再び満天の星空が広がった。

 空を見上げるシルバー姫に、カーバンが嬉しそうに駆け寄る。


「シルバー姫、やっと目を覚ましたね。

 まだどこか痛むところがあるのか?」

「いいえカーバン様、もうどこも痛みはありません。

 私が眠っている間、カーバン様は忙しく働いていたのですね」

「君の活躍と比べたら、俺なんて働いているうちに入らない。

 それに力仕事はニッカル様の連れてきた警備隊がやってくれる」


 二人が会話をしていると、シルバー姫の覇気にあてられた警備隊のひとりがひざを折って拝め始め、次々と兵士たちは地面にひれ伏した。

 その様子にびっくりしたシルバー姫の顔をのぞき込んだカーバンは何かに気づく。


「あのう、カーバン様。私どこか変ですか?」

「いいや、そうじゃなくて、シルバー姫の額の奴隷印が半分になっている」


 カーバンがシルバー姫の前髪をそっと上に掻きあげると、前髪で隠れている奴隷印が一回り小さくなり、赤黒い色が薄い赤に変化していた。

 

「これはシルキードラゴン討伐の成果で、シルバー姫の刑期が大幅に減ったのか?」

「そうだカーバン、シルキードラゴン討伐には戦士三百人以上の戦闘力が必要だ。

 そして倒されたドラゴンの素材価値と水魔石山の資源を考えれば、シルバー姫の刑期は半分以上減るだろう」


 カーバンの後ろから貴族ニッカルが声をかける。

 父親の腕にしがみついていた金髪の肥えた子供が、シルバー姫に駆け寄ると思いっきり抱きついた。

 そして子供の不思議な赤い眼が、額の印を見つめる。

 

「キャルは分かる、何も悪いことをしていない細腕姫に罰は与えられない。

 額の印は、細腕姫を怖がる背の高い男の黒い魔法。

 八十年の呪縛が残り三十年に減っているよ」

「キャル様、もし誰かが私を呪っているなら、それは義理の母親か妹のはず。

 男の人に呪われるなんて、私には身に覚えがありません」


 普通の人間には見えない眼を持つキャルが、急に大人びた声で発した言葉に、シルバー姫は不思議そうに首を傾げる。

 父親のニッカルは、娘を抱き上げながらシルバー姫に話しかけた。


「細腕姫、この世界の魔法契約のことわりを歪めて、罪の無い者に罰の奴隷契約することは出来ない。

 しかし邪な魔力は、魔法契約によく似た呪いをかける。

 それを行使できるのは、魔力に秀でた一部の大貴族と神官と……王族だけ」


 奴隷に落とされた政治犯を館で働かせている貴族ニッカルは、彼らから話を聞いて、シルバー姫の罪は冤罪だと分かっていた。

 しかし魔法学園に閉じ込めら世間を知らなかったシルバー姫に、大貴族や王族同士の陰謀は理解できない。


「とにかく刑期が減ったのは、めでたいことだ。

 シルバー姫の呪いの件は、そっち関係に詳しい精霊族のティンに相談しよう」


 深刻な表情のシルバー姫を、カーバンは脳天気な声で励ます。


「確かにカーバンの言う通り細腕姫の働きなら、残り三十年の奴隷契約もすぐに解消するだろう。

 呪いを解いた後に、呪いの相手を探せばいい。

 ワシは細腕姫に頼みたい仕事がある。

 水のない辺境鉱山で、太古の水を閉じこめた水魔石は鬼赤眼石より貴重な宝石だ。

 そして千人力から一万人力にパワーアップした細腕姫なら、水魔石を楽に運搬できる」

「あら、ニッカル様。

 わざわざ石を抱えて山を越えなくても、山向こうまで投げればいいじゃないですか」

「えっ、シルバー姫。君は何を言って……」


 シルバー姫は周囲を見まわすと、シルキードラゴンと戦った時に砕けた水魔石の巨岩に手を伸ばす。

 魔石に湖の水を閉じ込めた重たい巨大な石も、一万人力のシルバー姫には角砂糖一個程度の重さしか感じない。

 そして水魔石山に来るまでに投擲の練習をしたシルバー姫は、モノを狙った場所に投げられる。

 彼女は片手で水魔石の巨岩を持ち上げると、えいっと可愛らしい小さな掛け声と同時に、巨岩を空高く放つ。

 遠くからシルバー姫の様子を眺めていた警備兵の一人は腰を抜かして後ろに倒れ、他の者もあごが外れそうになるほど口を開いたまま、一万人力の腕力を見せつけられた。



 シルバー姫の投げた水魔石の巨岩は四つの山を越えて、地面に落ちた衝撃で七個に砕けた。

 水魔石の破片ひとつで三年間水が湧き出る。

 辺境鉱山に運ばれた破片の一つは、トーリアたちの住む貧民街の水場になった。

 

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