魔法結界消失
ニッカル城を出立して一晩と半日。
碧い水魔石山のふもとまでたどり着いたシルバー姫は、手元の魔法縫い糸をたぐり寄せる。
圧倒的な覇気をまとうシルバー姫に、シルキードラゴンが気づかないはずはない。
巨人王の剣で傷つけられた足の怪我かひどくて動けないか、それともシルバー姫の様子をうかがっているのか。
「それではカーバン様のアイデアを使わせていただきます。
まず敵が姿を現さなくては、倒すことができません。
そして私は、カーバン様を守りながら魔獣と戦い、トーリアたちを助け出します」
「俺も縫い針で、チクチクとドラゴンを攻撃するぞ。
はははっ、これまでシルキードラゴンに挑んだ中で、一番しょぼい攻撃だろう」
おどけて話すカーバンに、シルバー姫は微笑んだ。
カーバンはシルキードラゴンに絡みついた魔法縫い糸に、髪の毛のように細い針を通す。
糸を軽く引っ張ると、針はスルスルと糸の先端に向かって進んでゆく。
トーリアたちがドラゴンに捕らわれてから、そろそろ一日が過ぎようとしている。
「トーリアを守るティン先生の魔法結界は、魔法学園教師でも半日が限界でした。
ティン先生は一日近く魔法結界を張り続けているけど、術の行使は負担が大きくて、いつ結界が切れても不思議ではありません」
その時、針を仕込んだ縫い糸がグイグイと、水魔石山の西の空方向に引っ張られた。
***
水魔石山の中腹にある洞穴の外から生臭い血の香りがする。
怪我をしたらしいシルキードラゴンが、翼を半分広げたままうずくまっていた。
ドラゴンに捕まった貴族ニッカルの子供キャルとトーリアは、精霊族ティンの大きな薄い硝子玉のような魔法結界に守られている。
トーリアは明るい金髪の巻き毛で肥え太ったキャルの手を引きながら、巣穴の中の果物を集めていたが、ふと何かに気づいて足を止めた。
「あれ、昨日の夜より、なんだか魔法結界が小さくなっている?」
トーリアは怪訝そうに呟くと、服に縫いつけられた覗き見のボタンに触れる。
昨日は湯たんぽのように温かかったボタンが、ひんやりと冷たくなっていた。
魔法を使えないトーリアは、キャルに声をかけて覗き見のボタンを見せる。
「大変だよ、トーリアお姉ちゃん。
ボタンの向こう側にいる茶色い髪の精霊が、疲れて倒れている。
もうすぐ魔法の穴が閉じて、キャルたちを守る結界も消えちゃうよ」
「まさか、ティン先生が倒れたの!!」
このままでは結界が消えた瞬間、自分たちの姿がシルキードラゴンに見えて襲われてしまう。
なんとかして、子供だけでも助けなくてはいけないとトーリアは思った。
すると次の瞬間、苛ついた警戒音が響き渡り、巣穴の外で翼を休めていたシルキードラゴンが、何かを発見して遠くに飛んでゆく。
その時ドラゴンの鱗がキラキラと輝きながらトーリアの頭に落ちてきて、ふと巣穴の中を見回すと、いたるところにドラゴンの鱗が散らばっている。
「そうだ、いいこと思いついた。
ドラゴンは人間の子供は食べるけど、同族の子供は食べない」
「えっ、トーリアお姉ちゃん、それってどういう意味?」
「キャル様をドラゴンの子供と思わせればいい。急いでドラゴンの鱗を拾おう」
それからトーリアたちは巣穴の中に落ちている、子供の手のひら位大きいシルキードラゴンの鱗を拾い集めた。
次に壁づたいに実る黄色い葡萄のような果実も集めた。
黄色い果物の味はとても渋く、鼻を突く酸っぱい香りがして強烈な粘り気があって、食べられる果物ではない。
「この酸っぱい香りが人間の子供の匂いを消して、ネバネバした葡萄の実は接着剤になる。
キャル様、ちょっと動かないで我慢して、身体や服にシルキードラゴンの鱗を張り付けるの」
トーリアはイタズラするようにキャルの服に潰した葡萄を塗りつけると、その上からドラゴンの鱗を貼り付ける。
手足や髪の毛にもべたべたと果実を塗りつけ鱗を貼られたキャルは、嫌がらずじっと大人しくしていた。
顔部分は鼻と口を布で覆った上から鱗を貼り付けると、まるで鎧のように全身ピッチリとドラゴンの鱗に覆われる。
「よし、これでキャル様は人間の子供には見えない。ドラゴンの子供の変身したよ」
「それじゃあ次はキャルがトーリアお姉ちゃんに、ドラゴンの鱗を貼ってあげる」
するとおどけた作り笑いを浮かべていたトーリアは、泣き出しそうな歪んだ顔になると、突然小さな横穴の中にキャルを突き飛ばした。
「ごめんねキャル様、ドラゴンの鱗は……これで全部使っちゃった。
もうすぐ魔法結界が切れるけど、きっとシルバー姫様が助けに来てくれるから、それまで大人しく穴の中で待っていて!!」
「そんな、トーリアお姉ちゃんはどうするの?」
トーリアはキャルの声を無視して、昨日の夜探した大きな盾で横穴に蓋をする。
穴の中から子供の泣き声が聞こえてきたが、トーリアはかまわず石や木切れで穴を塞いだ。
「これでキャル様はしばらく安全。あたしもドラゴンが戻ってくる前に、どこかに隠れなくちゃ」
トーリアは服のボタンに触れると、ほとんど温かみは失せ金属の冷たさしか感じない。
すでに周囲の魔法結界は、陽炎のように揺らめき、もうすぐ消えてしまうだろう。
トーリアは震える腕で拾った剣を構えながら数歩歩いたところで、空気を切り裂くような、鋭い魔獣の奇声が聞こえた。
その声は巣穴全体を揺るがし、トーリアを取り囲んでいた魔法結界がシャボン玉が割れるように弾ける。
空を見ると、白い翼のシルキードラゴンがバランスを崩しながら、ひどく痛がって錯乱状態になり、めちゃくちゃな飛び方をしていた。
「シルキードラゴンが痛がるなんて、そんな事が出来るのはきっとシルバー姫様しかいない。
きっと姫様は、近くまで来ている!!」
トーリアは重たい剣を構えたまま、巣穴の外に向かって駆けだした。
一度トーリアの頭上を大きな影が横切ったが、上を見ずに先へ進む。
「やっとドラゴンの巣の出口。
ここから水魔石山を下れば、シルバー姫様が見つけて……、ああ、まさか」
しかしそこから先に地面は無く、目の前には底の見えない谷。
シルキードラゴンの住処は水魔石山の中腹、断崖絶壁の上にあった。
そして上空のドラゴンは、ふと動きを止めると、巣穴の入口で立ちすくむ小動物を見つける。
銀色の人間に切つけられた足と、鱗の間に入り込んだ針の痛みで錯乱状態だったドラゴンは、目障りな小動物に襲いかかる。
血走った魔獣の目をみたトーリアは、そこから一歩も動けず、構えた剣も取り落としてしまう。
ドラゴンが口を大きく開くと、そこには鋭いノコギリ歯が並び、トーリアは思わずしゃがみこんだ。
「あぅ、ああ。もうだめ、助けて、助けてシルバー姫様っ!!」
トーリアが叫び声をあげた次の瞬間、頭上から鈍い殴打音がして魔獣が奇声を上げる。
それはありえない光景、どこからか飛んできた細長い金属の棒が、シルキードラゴンの顔面を直撃すると、トーリアの目の前に落ちてきて斜めに地面に突き刺さる。
飛んで来た時は大きさがよくわからなかったけれど、細長い金属はトーリアの背丈の二倍以上長く、神獣の姿が刻まれた巨大な剣の鞘だった。




