剣の鞘
水をがぶ飲みして空腹を満たしたカーバンは、再びシルバー姫に抱えられて水魔石山を目指す。
千人力のシルバー姫が険しい獣道を駆けると、木々はなぎ倒され地面は平坦に均された大通りになる。
魔力を封じられても全身から溢れ出る覇気で小動物は怯えて動けなくなり、空を飛ぶ鳥は鋭い警戒音を発して仲間に知らせた。
水魔石山の遙か上空を旋回していたシルキードラゴンは、すさまじい速度で自分のテリトリーに近づく巨大な力の存在に気づいた。
魔笛の影響で混乱した繁殖期状態の魔獣は、同族の雌以外の存在を許さない。
最後の一山を越えようとしたシルバー姫は、ふと足を止め頭上にさしかかる太陽を仰ぎ見た。
微かに目を細めると腰に結びつけたリボンをほどき、背負っていた巨人王の剣を地面におろす。
シルバー姫の聴覚は彼方にいるシルキードラゴンの吠声を聞き、視覚は遙か上空から急接近するドラゴンの姿を確認した。
「カーバン様、シルキードラゴンがこちらの気配を感知しました。
どこか隠れる場所は、ダメです、間に合いません!!」
シルバー姫は左腕にカーバンを抱え直し、右腕で巨大な剣の柄を持つ。
次の瞬間、耳をつんざくような破裂音と空気の固まりのようなような爆風が起こり、頭上に白い影が現れた。
上級魔獣シルキードラゴンの胴体は南の地に生息する雲海象より巨大で、躰は磨かれた水晶のような白い鱗に覆われている。
そして氷のように透明なカギ爪で不意の襲撃を受ければ、常人はひとたまりもない。
しかし動体視力と反射神経が人間の十倍あるシルバー姫は、空からドラゴンがゆっくりと舞い降りて来るように見える。
風にあおられた白銀の長い髪がヴェールのように舞い上がり、磨かれた陶器のような細い腕には、身の丈二倍以上ある巨人王の剣が握られている。
シルバー姫は長さ四ナートルある剣を軽々と持ち上げ、頭上の白い影に向かって突き立てた。
加速をつけて降下するシルキードラゴンの魔力結界を、シルバー姫の物理の力が打ち破り、巨人王の剣先がシルキードラゴンの足に食い込む。
「手応えが、ありました」
透明なカギ爪が割れて灰色に変化して、足先が一本切り落とされた。
シルキードラゴンの凄まじい悲鳴が周囲に響きわたり、山そのものが揺れたように感じる。
マントにくるまれたカーバンはもぞもぞと身じろぎすると、シルバー姫の右腕から抜け出そうとした。
「シルバー姫、下に降ろせ。俺を抱えていたらまともに戦えない!!
このチャンスを逃がすな、魔法縫い糸をドラゴンに投げつけろ」
地面に降りたカーバンは立ち上がる体力がなく、四つん這いの情けない姿で、シルバー姫に手を伸ばすと、魔法縫い糸を結びつけたコインを数枚渡した。
そんなカーバンの奇妙な動きにシルキードラゴンが反応して身を翻すと、狙いをシルバー姫からカーバンに変えて、一本欠けたカギ爪で襲いかかる。
「ひいーーっ、俺は痩せて骨と皮だけで不味いぞ。どこかぁ、隠れるところは、あった!!」
地面に置かれた巨人王の剣の鞘はカーバンの背丈より長く、そして痩せてミイラ状態になった身体なら中に入れる。
ドラゴンの爪が頭上を掠め数本の髪の毛が犠牲になるが、カーバンは素早く鞘の中に潜り込んだ。
獲物が鞘の中に隠れるのを見たドラゴンは、片足で剣の鞘を掴もうとしたが重くて持ち上がらない。
そして鞘を守ろうとシルバー姫が切りかかり、魔獣は素早く避けて上空に舞い上がる。
「空に逃げれば私が手を出せないとでも?
この機会を待っていました」
シルバー姫は巨人王の剣を左手に持ち替えると、上空のドラゴンに向かって数枚の硬貨を投げつける。
千人力の腕力で放たれたコインは、王都一の弓の使い手の矢よりも早く、流れ星のような速さでシルキードラゴンを追撃する。
投げた七枚のコインのうち、四枚は空の向こうに消えていったが、三枚のコインに繋いだ縫い糸の糸が引っ張られて手応えがあった。
「成功です、カーバン様。
魔法縫い糸が、シルキードラゴンの体に巻きつきました」
「俺の作った魔法縫い糸は、世界の果てまでも伸びる。
この糸を辿れば、シルキードラゴンの住処にたどり着けるだろう」
シルキードラゴンとシルバー姫はしばらくにらみ合い、そして苛立たしげな奇声を発しながら空の彼方姿を消した。
シルバー姫の手元に残された縫い糸が、勢いよく伸びてゆく。
さすがのシルキードラゴンも、小さなコインと縫い糸が自分の足に絡まっていると気づかない。
鞘の中から上半身だけ出てきたカーバンは、別方向に飛んでいったコインの糸をたぐりよせて回収した。
「申し訳ありません、カーバン様。
コインを七枚投げて、たった三枚しかドラゴンに当てることができませんでした」
「シルバー姫、縫い糸三本じゃドラゴンを空から引きずり降ろすことは出来ないけど、まだコインは二百枚もある。
何度でもしつこくコインをドラゴンにぶつけて、縫い糸を絡みつかせればいい」
大きな鞘から顔だけ出して説明するカーバンを見て、シルバー姫は少しおかしくて笑った。
「ふふっ、カーバン様ったら、まるでヤドカリみたいです」
「この剣の鞘は凄いぞ。今の技術では再現できない、古代魔法技術で作られている。
鞘の中は雲海ビロードのような柔らかい布張りがされて、外からの衝撃を吸収する」
「剣の鞘はシルキードラゴンのカギ爪でも傷つけられません。
この中にいればカーバン様は安全ですし、鞘ごと背負えば全速力でシルキードラゴンを追えます!!」
「なるほど、それじゃあ俺は水魔石山に着くまで、鞘の中でおとなしくしていよう」
シルバー姫はカーバンが鞘の中に引っ込むのを確認すると、リボンで鞘を結わえて再び背負い、抜き身の巨人王の剣を右手に握り締めて一気に山を駆け上る。
カーバンは鞘の中に収納されているので、何一つ手加減する必要はないシルバー姫は、行く手を遮る木々をなぎ倒し深い谷も千人力の跳躍力で軽々と飛び越える。
そして太陽が真上にさしかかる少し前、シルバー姫が水魔石山のふもとに到着した。
その昔、大きな湖に一粒の魔石が落ちて、その魔石は瞬く間に湖の水を吸い込んで大きくなり、ついに湖は干上がって、深い藍色をたたえる巨大な水魔石の山になる。
「シルキードラゴンのテリトリー、水魔石山。
ここから先は 私一人でトーリアたちを助けます」
「ダメだ、シルバー姫。
シルキードラゴンを地上に引きずり降ろすには、俺の魔法縫い糸が必要だ。
例えどんな危険があろうとも、俺たちは一緒に行動しなくてはならない。
俺は鞘の中に隠れていれば安全だし、どうせなら俺を囮に使うといい」
鞘から這い出て、ふらつきながら立ち上がったカーバンは、懐から何か光るモノを取り出す。
それは髪の毛のように細い縫い針だった。
「仕立屋の武器は針と糸。
これは冥界ミツバチの針で作られた、織り目の細かい天界シルクを縫える特殊な針。
シルキードラゴンの硬い鱗の隙間に、この細い針が刺さったらどうなる?」
「そういえば私もよく、義母に嫌がらせでドレスに小さな待ち針を仕込まれました」
ちょっと顔をしかめてドラゴンを同情するシルバー姫の頭を、カーバンは痩せた手で慰めるように撫でる。
「ドラゴンの鱗の下の柔らかい肉に針が刺されば、苛立って針に気を取られるだろう。
そして魔獣の本能は、針の持ち主である俺を攻撃する。
俺がドラゴンに狙われても、頑丈な鞘の中に隠れるから大丈夫だ。
その間に君は、トーリアと子供を助け出せ」




