魔力枯渇
「カーバン様が魔法を使えないと、精霊族の鞄から食料を取り出せません」
十人分の生命力を持つシルバー姫は一週間食事をとらなくても平気だが、魔力を搾り取って飢餓状態のカーバンは、今すぐ栄養を補給する必要がある。
シルバー姫の言葉を聞いてよろよろと立ち上がったカーバンは、山頂の強風にあおられて尻もちをつくと、再びマントの上にゴロリと横になった。
「シルバー姫、子供たちの囚われた水魔石山は、一つ山向こう……見える。
君が全速力で走れば、一時間もせずに水魔石山……到着、するだろう。
足手まといの、俺はここに置いて……早く、子供たちを、助けに行くんだ」
「いいえ、カーバン様。
危険な魔獣がいる山に、弱りきったカーバン様を一人で置いてゆけません。
あっ、向こうから水の匂いがするので、今すぐ汲んできます」
そしてシルバー姫は数分カーバンの側を離れ、すぐに戻ってきた。
「この山は水魔石山の影響なのか、水が豊富にあります。
水を汲むコップが無いので、大急ぎで岩を砕いて器を作りました」
「シルバー姫、それは器……ちがう、湯船サイズだ」
シルバー姫は大きな岩(直径2ナートル)に穴を開け水を汲むと、頭上に掲げて運んできた。
そして汲んできた水を両手ですくいカーバンに飲ませようとしたが、自力で体を起こせないほど衰弱したカーバンはうまく水が飲めない。
「ああ、シルバー姫。早く……水を飲まないと、俺は干からびて、動けなくなる」
しゃがれた声でわざとらしく喉の渇きを訴えるカーバンに、シルバー姫は焦る。
「手で水をすくっても、ほとんどこぼれてしまいます。
カーバン様にお水を飲ませるには、どうしたらいいのでしょう?」
「それなら、シルバー姫が口移しで、水を……飲ませてくれ。ぐぉっ、喉が引きっって、苦じいっ」
「ええっ、私がカーバン様に、お水を口移しで、ですか!!」
魔力枯渇状態のカーバンは煩悩にまみれ、千人力のシルバー姫と接吻したら歯が砕け舌が千切れるかもしれないという正常な判断を失っていた。
可憐なシルバー姫に、中年おっさんのような邪なお願いをするカーバン。
もしここにティンがいれば、カーバンの頭を湯船につっこませて水を飲ませるが、心優しいシルバー姫にそんな考えはない。
カーバンの言われるがまま、シルバー姫は水を口に含もうと湯船を覗き込むと、岩の底に氷のような欠片が転がっているのを見つけた。
「それではカーバン様、お水を飲ませますので、お口を開けてください」
「おおっ、なんて積極的な、シルバー姫。さあ口移しで、水を……ガリッ!!」
花の香りを漂わせたシルバー姫の顔が急接近して、にやけ顔を誤魔化すために眼を閉じたカーバンの口に、何か冷たくて堅いモノが放り込まれる。
うっかりそれを噛みしめると、ザラザラした硬い石の表面から水が溢れ出てきた。
「がりっ、ゴクゴク、まさかこれは、水魔石の欠片。しかも水がほのかに甘くて、体中に染み渡る」
カーバンは口の中から吐き出して、手に石を取り確認した。
深い湖の藍色をした石の欠片から、手のひらを濡らすほどの水が溢れ出る。
「この石を口に含んでいれば、喉の渇きも癒されます。
お水を飲んだカーバン様の顔色も、少しだけ良くなってきました。
それからカーバン様、水辺にコレがいたので捕まえてきました」
そう言うとシルバー姫は、右腕に絡みついた太い紐のようなモノをカーバンに見せた。
紫色の鱗に黄色いまだら模様のそれは、頭を半分潰された紫ニシキ蛇だ。
「私は生命力が十倍あるので、蛇に噛まれても蚊に刺された程度の痛みしか感じません。
それと魔法学園の先生から、紫ニシキ蛇の生き血は滋養強壮に良いと教わりました」
「シルバー姫、ち、ちょっと待ってくれ。こんだけ弱っている時に、生臭い蛇の生き血を飲むって、刺激が強すぎる」
「それなら大丈夫です、カーバン様。
私は魔法学園で魔法薬を専攻してしていたので、紫ニシキ蛇の扱いに慣れています。
魔法薬は、素材の鮮度が重要です」
そしてカーバンの目の前で、頭部を潰されてもビチビチと動く蛇が木に吊され、手際よく生き血を搾り取られる様子を見せられた。
何とかこの窮地を脱しなくては。そしてカーバンはあることを思い出す。
「そうだ、シルバー姫。ドラゴンに捕らわれたニッカル様の子供は魔力持ちだ。
その子が精霊族の鞄を扱えるから、早く水魔石山へ向おう!!」
「でもカーバン様。せっかく蛇を捕らえたので、せめて一口だけでも飲んでください」
瞳を潤ませながら訴えるシルバー姫に、さっき口移しをさせようとした罪悪感から、カーバンは拒絶できない。
そして紫ニシキ蛇の生き血を一口だけ舐めて、その不味さに七転八倒した。
***
人間の子供という餌を捕らえたシルキードラゴンは、西の水魔石山の周囲を飛び続けながら、番の相手を呼んだ。
魔笛で感覚の狂ったシルキードラゴンは、まだ季節が繁殖期ではないことに気づかない。
仲間に恋焦がれた魔獣は、次第に凶暴さを増してゆく。
精霊族ティンは、トーリアの服に縫いつけたボタンから水魔石山の様子を監視していた。
ドラゴンに捕らわれた子供たちは意外にもサバイバル精神旺盛で、巣穴の果物を食べたりドラゴンの収集物で遊んで元気そうだ。
「おかしいですね、そろそろシルバー姫が水魔石山に到着する頃なのに、まだ姿が見えません。
それにニッカル様の子供の魔力が強すぎて、結界を張るのにかなりの力を消耗します」
さすがのティンも、カーバンの魔力が枯渇するアクシデントが起きているとは予想できなかった。
貴族ニッカル率いるドラゴン討伐隊は夜中に城を出立して、城に居残るティンは覗き見の鏡に魔力をそそぎ込みながら、ふと眉をひそめた。
テーブルの上に置かれたティーカップに伸ばす手が微かに震え、軽く目眩がする。
ティンはこめかみを押さえながら、最近の激務で疲労が蓄積していたと気づく。
「この消耗具合だと、もしかして昼過ぎには、私の結界が切れてしまうかもしれません」
額にうっすらと浮かぶ汗を拭いながら、ティンは再び覗き見の鏡に力を注いだ。




