貴族ニッカルの『細腕城』見学,
ジャケット騒動の後、貧民街の酒盛りに加わったカーバンは、完全に二日酔いでのたうち回っていた。
そんな主人をティンは見捨て、朝から『細腕城』建設現場に出かける。
シルバー姫も鉱山の仕事を午前中で片づけて、午後は貧民街へ向かった。
『細腕城』一階の大工事は終わり、貧民街の老人たちが室内の細かい装飾に取りかかっている。
若い頃は王宮の建設に関わった職人の老人たち、そして貧民街の女たちはシルバー姫の仕事の補佐に回った。
ティンはシルバー姫以上に『細腕城』に熱中して、赤毛のラザーが修正した図面にあれこれと注文を付けている。
「この『細腕城』の図面を見れば、ラザーさんの設計師としての腕は確かです。
きっと素晴らしい『細腕城』、それから『カーバン服飾店』が出来あがるでしょう。
気になると言えば『細腕城』の窓がとても小さい事ですね」
「あんたたちは辺境鉱山に来たばかりだから、魔獣シルキードラゴンを知らないのか。
全身純白の鱗と翼で、見た目だけは美しい獰猛な肉食上位ドラゴンだ。
辺境鉱山は年に二、三回、シルキードラゴンに襲われる。
シルキードラゴンは特に小さい子供が好物で、金持ちの住む上の広場は兵士がドラゴンを追い払うが、ここ貧民街は誰も守ってくれない。
だから『細腕城』を要塞のように強靭に造り、いざという時の避難場所にした。
城の最上階はドラゴンの襲撃に備えた監視塔の役割がある」
「だから岩山住居の入口は蜂の巣みたいに小さくて奥に広く、『細腕城』の入口は正面と後ろの二か所だけなのね」
「いくら上位種のドラゴンでも、硬い岩山で造られた『細腕城』を壊すことはできない。
だいたい三ヶ月後、鉱山アジサイの咲く時期にシルキードラゴンは現れるから、それまでに『細腕城』を完成させたい」
真剣な表情で語るラザーに、シルバー姫は感動して答える。
「私は鉱山に連れてこられてから、すっと自分の事だけを考えて、紫鉱山のトンネルも細腕城も自分のために造りました。
でもラザーさんは、自分より仲間の幸せを考えて行動しています。
これからも私は、ラザーさんのお手伝いをしましょう」
そしてシルバー姫の活躍と、なぜか現場監督を始めたティンの指導で、一カ月後に『細腕城』は完成した。
***
貧民街に突然現れた『細腕城』を見て、辺境鉱山の人々は驚いた。
それは辺境鉱山を治める領主ニッカルの屋敷より大きく、もしかしたら北の大聖堂より立派かもしれない。
そして『細腕城』に興味津々なのは、ティンひとりだけではなかった。
貧民街の住人たちがささやかな『細腕城』完成式典を開いている時、仕立屋カーバンが恰幅の良い貴族の男を連れて式典会場に現れる。
見栄っ張りで好奇心旺盛な鉱山貴族ニッカルが、それに関わってくるのは当然だった。
突然の領主の登場に貧民街の人々が慌てふためく中、貧民街を取り仕切っている赤毛のラザーは冷静な顔で貴族ニッカルの前に来ると、格式に則った挨拶をした。
恐ろしいほどの覇気をまとう破壊者シルバー姫と接してきたラザーは、どれほど身分が上の相手でも、普通の人間なら恐れることはない。
「鉱山領主ニッカル様、このような粗末な貧民街へ、ようこそいらっしゃいました。
自分は貧民街の世話役をしております、ラザーと申します」
「お前が『細腕城』を設計した、建築士ラザーか。
招待はされていないが、ワシは仕立屋カーバンと旧知の仲なんだ。
この度は『細腕城』完成おめでとう。
それでは領主のワシの屋敷より立派で大きい、『細腕城』を見せてもらおう」
ニッカルは少し嫉妬を滲ませた口調で話し、ニヤリと笑う。
これで脅せば大抵の人物は萎縮してしまうが、ラザーはニヤリと笑い返す。
優秀な人材なら政治犯でも召し抱えるニッカルは、赤毛のラザーを品定めするように頭の上から足元まで眺める。
それからラザーの案内で、一同は完成した『細腕城』を見学する。
巨大な『細腕城』の小さな入口から背をかがめて中に入ると、城内は荷車が通れそうな大廊下が一直線に伸びて、城の反対側へと続いていた。
、城内は廊下の両方に並ぶ部屋の扉だけは木製で、それ以外は全て岩を掘って作られている。
建物の中央は城の最上階まで吹き抜けの巨大な広場で、壁は広い螺旋階段になって、住人たちが上の階へ行き来している。
『細腕城』は建物というより、岩の中に作られた一つの街だった。
「これは噂通り、いやそれ以上の素晴らしい建物だ。
ワシの屋敷より数十倍、面白い造りをしている。
この『細腕城』は完成しているのか?」
「はいニッカル様、城の三階まで人が住んでいます。
一階は年寄りや小さな子供を抱えた家族が優先に住んで、二階は大家族や独り身の女たちが共同生活を送っています。
そして三階の半分は身寄りのない男たちの共同住居、残り半分はわたしの作業場です」
「えっとニッカル様、四階から上はシルバー姫の住居になっています。
俺の従者が何度も図面を変更したせいで、部屋の内装はこれからで家具もありません」
ニッカルに付き添っていたカーバンが、四階から上はまだ住める状態ではないと説明した。
全てが岩を掘って造られた城の中を見終わったニッカルは、興奮した様子でシルバー姫に話しかけた。
「そういえばワシは、まだ細腕姫が働いているところを見た事ないな。
細腕姫が岩を砕く姿は、まるで小さな巨人王だと鉱山奴隷たちが噂する。
ワシも一度その姿を拝んでみたい」
「ありがとうございます、ニッカル様。
では明日にでも鉱山の仕事現場に来ていただければ……」
「いいや、ワシは鉱山には行かない」
貴族ニッカルはシルバー姫の申し出を断り、そして赤毛のラザーの方を向いた。
「これで『細腕城』はほぼ完成だな。
次の予定はカーバンの店らしいが、その前にワシのための豪華絢爛な建物を造ってくれ」
「ええっ、ニッカル様。いきなりそれは……」
「細腕姫の家財道具一式と、カーバンの店の建設資金は全てワシが出してやる。
建築士ラザー、そしてシルバー姫、これは辺境鉱山領主ニッカルの命令だ。
王都で一番煌びやかといわれる金剛妃離宮、それより派手で美しい『ニッカル城』を建てるのだ」




