男物のジャケット,
「どっかのお貴族様が、ラザー姐さんのジャケットをいじっているぞ」
「いきなり縫物を始めるなんて、変な男だ。
でもジャケットの縫い目が一直線で細かくて、針運びが上手い」
カーバンは赤毛のラザーのジャケットをハサミでばらすと、鼻歌交じりで再び縫い合わせ始めた。
その指が微かに光り、針先が見えないほど素早くジャケットを縫っている。
「ジャケットの肘部分の布が擦れて薄くなっているな。
割れたボタンは、新しいのに取り換えるか」
普段縫物を手仕事にしている貧民街の女たちは、一心不乱で縫物を続けるカーバンを取り囲んでその様子を面白そうに眺めた。
するとそこへ、黒いドレスに白いエプロン、ヘッドキャップをかぶった女官姿のティンが現れる。
「ああっ、一足遅れでしたか。
旦那様の病気が出てしまいました」
カーバンを追いかけて貧民街まで来たティンは、宴会の場面で一人黙々と縫物をしているカーバンの姿を見てガックリと肩を落とす。
カーバンに付き添っていたシルバー姫は、ティンの言葉に驚いて聞き返した。
「ティン先生、カーバン様はどこか具合が悪いのですか?」
「シルバー姫、病気というのは言葉のあやです。
旦那様はサイズの合わない服を見かけると、補正せずにはいられない病的な執着心を持っています。
見ず知らずの御婦人のドレスを補正しようとして憲兵隊に捕まったり、厚底靴をはいた騎士のズボン丈が違うと指摘して切り殺されそうになる、着衣マニアの変態。
しかし旦那様は自分の魔力をすべて裁縫技術に組み込み、王都一の仕立屋と呼ばれるまでに成功しました」
「確かカーバン様の魔力は治癒魔法と測量魔法、それが裁縫と関係あるのですか?」
「旦那様は針で指を刺しても瞬時に治癒魔法で治せるので、素早く針が扱えます。
そして測量魔法で布を完ぺきに真っ直ぐに縫う事ができる、これが王都一の仕立屋と呼ばれる所以です。
今の旦那様の状態では、服が完成するまでほおって置くしかありません。
なので私は待っている間、一杯飲ませてもらいます」
ティンはそう言うと、宴会中のテーブルに置かれた酒に手を伸ばす。
少し酔いが醒めたらしいラザーも、飲み直すと言ってシルバー姫のそばを離れていった。
宴会の騒がしい喧騒の中、見事な運針でジャケットを補正するカーバンを、シルバー姫は頬を赤く染めながら見つめる。
「カーバン様の、仕事にかける真剣な眼差しが素敵。
私の着ているドレスも、カーバン様が丁寧にひと針ひと針、心を込めて縫い上げたのね」
***
それから数時間、宴会の酒をザルの女官が飲み尽くした頃、カーバンの仕立て直しが終わった。
出来上がったジャケットに袖を通した赤毛のラザーは、驚きの声を上げる。
「うおっ、なんだこのジャケットは。さっきまで着てたのと別物だ!!
アタイの肩幅とピッタリでとても着やすいし、袖丈もちょうどいい。
それに洒落たボタンに付け替えられて、胸ポケットにアタイの名前が刺繍されている」
「ジャケットの腰部分がくびれて、これならラザー姐さんでも男に間違われないよ」
大喜びのラザーは、仲間にジャケットを見せてまわる。
ジャケットの仕上がりに満足したカーバンは、改めてシルバー姫の方を向き直ると、申し訳なさそうに呟いた。
「シルバー姫、俺の勘違いで騒動を起こして、皆に迷惑をかけてしまった。
君が貧民街に『細腕城』を作っている話を聞いて、俺はついに愛想を尽かされたと焦ったんだ」
「そんな、カーバン様は大罪人の私に、綺麗なドレスや住む場所を与えてくれた大恩人です。
でも貴族ニッカル様に依頼された仕事が終われば、カーバン様は王都に帰ってしまう。
だから私は、自立しなければならないのです」
「ちょっと待ってくれ、シルバー姫。
俺は一度王都に戻るけど、それは残った仕事を片づけて店を閉めるためだ。
そして貴族ニッカル様の援助で、辺境鉱山に新しく店を開く予定になっている」
これまでカーバンは、シルバー姫に仕事の話しかしていなかった。
「えっ、私はカーバン様が王都に帰ったら、もう二度と会えないと思っていました。
だってカーバン様は王都で一番人気の仕立屋、そして私は地位を剥奪された大罪人です」
二人は互いに勘違いしていたと気づいて、思わず見つめ合う。
カーバンは切ない表情のシルバー姫を思わず抱きしめたくなるが、彼女の全身から立ち上る覇気に本能的に腰が引けた。
しかしカーバンは小動物が猛獣に挑むように、体の震えを堪えながらシルバー姫の肩に触れる。
「今俺が一番作りたいのは、君のドレスなんだ!!」
そんなシルバー姫とカーバンの様子を眺めていたラザーが、思いついたように声をかける。
「なんだアンタ、それなら『細腕城』の近くに店を出せばいいじゃないか。
ジャケットを直してもらった礼に、アタイが店の図面を引いてやるから、シルバー姫に頼んで岩山を掘って店にすればいい」
すると貧民街の年寄りたちと酒盛り中だったティンが、テーブルの上に広げられた岩山の図面を手に取って話に加わった。
「ラザーさん、この図面では『細腕城』一階に中央大ホールと小部屋が三十、二階、三階は中央吹き抜けで大部屋が八つ、四階はシルバー姫の住居ですね。
今から四階の図面を変更して、侍女の控え室と旦那様の部屋を追加してください」
「ティン様、それならちゃんとシルバー姫様のベッドも準備してください。
ソファーに寝かせちゃダメですからね」
「ああ仕立屋と同居なら、ドレスが沢山収納できる大きなクローゼットを追加して、寝室は新婚用に図面を引き直そう」
図面を囲んで盛り上がるラザーとティンの会話を聞いて、シルバー姫は小首をかしげる。
「侍女の控え室?
トーリアはちゃんと別に住居があるから、そこはティン先生の部屋ですね。
でもカーバン様と同居とか新婚用の寝室って、えっ、ちょっと待って下さい!!」
やっと事の重大さに気づいたシルバー姫は、リソゴのように真っ赤な顔になった。
※リソゴ=リンゴみたいな果物




