貧民街へ,
舗装された石畳の道はデコボコした砂利道に変化して、広場から離れるほど家は小さくみすぼらしくなり、ついには山肌を削った洞穴の住居が現れる。
「トーリアさん、あの黒い岩山には穴がたくさん空いて、まるで巨大な蜂の巣のようです」
肉体が常人の十倍強化されているシルバー姫の視力は、十倍遠くを見渡せる。
シルバー姫の言葉に、トーリアは驚きながらも頷いた。
草木を根こそぎ抜いて掘り尽くす鉱山で、木の家を建てるには隣領地から資材を仕入れる必要があり、木の家を建てられない者は石を掘り終えた坑道に住んだ。
そして坑道にすら住めない最下層の鉱山奴隷は、町外れの黒い岩山に穴を掘って寝床にしている。
「シルバー姫様のおっしゃる通り、あの黒い岩山の洞穴は、稼ぎの少ない者や病気で働けない者、最下層の鉱山奴隷たちの住居。
あたしと兄も、お金を貯めるためここに住んでいます」
人ひとり横になれるほどの小さい穴が、百以上空いた岩山はまるで巨大蜂の巣だった。
トーリアの案内で、シルバー姫は蜂の巣の貧民街に足を踏み入れる。
貧民街の住人が蜂の巣の中から顔を出し、ここでも有名人のシルバー姫を珍しそうに眺めていた。
「おい、こんな場所に青紫色の舞踏会ドレスを着た女いるぞ。あれは噂の細腕姫じゃないか」
「うおぉ、長い銀色の髪が光り輝いて、まるで月の女神の様に美しい」
「細腕姫はとても力持ちで、巨人王の生まれ変わりって聞いたぞ。
でもあんな細い腕じゃ、まともに岩も運べないだろう」
貧民街の住人は体が弱って鉱山仕事の出来ない者も多く、シルバー姫が千人力を奮う場面を見たことが無かった。
トーリアは貧民街住人の視線が居心地悪い様子で、早足で道を進んでゆく。
すると急にトーリアの行く手を、数人の貧民街の女が取り囲む。
「おいトーリア、珍しい客人を連れているな。
最近お前小綺麗になって、ドワーフ女も着飾れば見られるようになるんだな」
「この方はあたしのお客様で、姐さん方には関係ありません。
さっさと道を開けてよ、あたしたち急いでいるんだから!!」
「アタイたちは鉱山に顔を出さないから、その細腕姫が山を砕くなんて話、全然信じられないんだ。
その女は大貴族の魔法使いで、魔法を使って鉱山の連中に幻を見せているんだ」
貧民街の女たちに行く手を塞がれたトーリアは、泣き出しそうな顔をする。
するとシルバー姫は一歩前に出ると、ドレスの裾を摘んで持ち上げると軽く会釈した。
「あなた方は、トーリアさんのお知り合いですか?
私は今日、トーリアさんに広場の外を案内してもらっています」
「ここは大貴族のお姫様が遊びに来る場所じゃねぇんだよ。
さっさとここから出て行け、そして二度と来るな!!」
「シルバー姫様、姐さんは貧民街のリーダーです。
今日は諦めて帰りましょう」
鉱山で朱色組の出っ歯男に食って掛かっていたトーリアが、とても気弱になっていた。
ここはトーリアではなく、シルバー姫自身で貧民街の女たちを説得する必要がある。
シルバー姫は足首が見えるくらいドレスの裾を持ち上げると、ジャランと冷たい鎖の音がして、足首に繋がった大きな鉄球を相手に見せた。
「ご紹介が遅れました。私は元大貴族、現在は大罪人のシルバーと言います。
刑期は奴隷労働八十年です」
「け、刑期八十年って、あんたそんな可愛い顔をして、どんな悪さをしたんだ!!」
目の前で愛らしく微笑む娘は、しかしその言葉を聞いて、全身から凄まじい覇気を放つ。
姐さんと呼ばれた赤毛の女は思わずうしろに後ずさり、側にいた仲間もシルバー姫に気圧されて手に持っていたピッケルを取り落とした。
カランッ。
固い音を立てて地面に転がるピッケルを、シルバー姫は不思議そうに見つめる。
どうやら彼女たちは作業中だったところを、慌てて駆けつけたようだ。
「こんな場所で、鉱石がとれるのですか?」
「ここは固いクズ石しか出ないけど、自由に穴を掘れる。
だからアタイ達は自力で穴を掘れない病人の代わりに、寝床を掘っているんだ」
そう言ったリーダー格の赤毛の女は、ピッケルを振るいすぎてマメが潰れ手のひらに血がにじんでいた。
「シルバー姫様、姐さんの言う事は気にしないでください。
アタシこれまで色々と、姐さんの世話になりました。
でも急に綺麗な服を着て身なりが変わったから、どこかの金持ちの愛人になったと勘違いされて……」
トーリアが涙目で申し訳なさそうに話す。
ぼろぼろの服を着てみすぼらしい姿だったトーリアが、突然綺麗なドレスを着た水色の髪の愛らしい娘に変身したのだ。
しかも急に稼ぎが良くなれば、仲間たちに疑われても仕方ない。
シルバー姫は自分が原因で、トーリアが貧民街の仲間たちに邪推されては気の毒だと思った。
「誤解のない様に申し上げると、トーリアさんは私の侍女として鉱山の仕事を手伝いっています」
「お姫様の侍女って、トーリアは鉱山で何をしているんだ?」
「私は日に焼けやすいので、トーリアさんに日傘を差してもらっています」
澄まし顔で答えるシルバー姫に、女たちは呆気にとられる。
「そちらの赤毛の方、お名前を教えてください」
「アタイの名前はラザー、この貧民街の世話役だ。
なんだよお姫様、人の顔をジロジロ見るんじゃねぇ」
「あら、ごめんなさいラザーさん。
私の事を疑っているのなら、穴掘りの現場に連れて行ってください」
「なに勝手の事言ってんだ、さっさとここから出て行……うわっ、コイツ足が速いっ」
貧民街のリーダー、赤毛のラザーが言い終わる前に、シルバー姫はトーリアの手を引いて貧民街に突撃していった。
***
「これは、凄いですね。まるで巨大な蜂の巣みたい」
シルバー姫は岩山の住居を見上げて驚きの声をあげると、後ろから追いついた赤毛のラザーが不機嫌な声で答えた。
「鉱山はロクに木が生えないから、家を造れない貧乏人は獣のように洞穴で暮らしている。
でもここの岩山はもろくなって、いつ崩れてもおかしくない。
だから向こうの岩山に、新しい寝床を掘っている最中だ」
岩山がもろいと聞いて、シルバー姫は慌てて岩に触れようとした手を引っ込める。
うっかり自分の千人力で、巨大蜂の巣を破壊しては大変だ。
新しい住居を掘っている隣の岩山に向かうと、そこで作業しているのは女子供や年老いた男たちで、堅い岩盤にピッケルが跳ね返され、穴が全然掘れていなかった。




