貴族ニッカルと水魔石,
「そういえばカーバン、細腕姫の様子はどうだい。
さっき家の者が、広場の入り口にある大衆食堂で彼女が食事をしていると話していた」
「ええっ、ニッカル様、それは本当ですか。
シルバー姫が食事って、相手はどこの野郎だ!!」
貴族ニッカルのジャケットを仮止めしていたカーバンは、思わず立ち上がると我にかえる。
そんなカーバンを見て、ニッカルは呆れた様子で話した。
「なんだ、その様子だとカーバンは細腕姫と一緒に暮らしているのに、まだ関係を持ってないのか。
食事と聞いて大慌てするくらいなら、早く細腕姫をモノにしたまえ」
「それがですね、ニッカル様。
例えば俺がシルバー姫の手を握ったとして、彼女に握り返されただけで俺の手が粉砕される状態です。
今シルバー姫は千人力をコントロールできるように、ティンから訓練を受けています」
王都一番の人気仕立屋で、御婦人にモテモテだったらしいカーバンの情けない声を聞いたニッカルは大笑いする。
「なんだそりゃ、あはははっ!!
それじゃあシルバー姫に迫って無理矢理接吻したら、カーバンの舌は千切れてしまうな」
「ううっ、シルバー姫は俺とダンスを踊りたいと、少し好意のある様子をみせてくれた。
しかし彼女とダンスしてうっかり足を踏まれたら、俺の足は……」
「細腕姫は千人力の蹴力で、南の山を貫くトンネルを掘ったくらいだ。
彼女に足を踏まれたら、良くて骨折、悪いと骨肉が粉々に飛び散るだろう」
大笑いしていた貴族ニッカルも、その場面を想像すると真顔になった。
その時、部屋の扉が開いて、額に奴隷印のある執事が分厚い書類を持って入ってくる。
ニッカルは一言指示を出すと、執事は一礼して部屋を出ていった。
「そういえばニッカル様。
ここ数日、シルバー姫を目の敵にしていた眉無し側近の姿を見かけなくなりました」
「アイツは細腕姫を妨害しようと、鉱山奴隷の朱色組と関わって騒ぎを起こした。
俺のこの地位を築いたのは辺境鉱山、そして細腕姫は鉱山一の稼ぎ頭だ。
俺の稼ぎの邪魔をした役立たずに、鉱山を任せられない。
だからアイツは仕事を辞めさせて、馬車の御者に格下げした」
ニッカルはそう答えながら、手渡された書類を見て大きな溜め息を付いた。
「細腕姫のおかげで鉱石の産出量は三倍、しかも貴重な鉱石ばかりだから、売り上げは二十倍に増えた。
おかげで大物貴族や異国の商人が、大挙して辺境の街に買い付けにやってくる。
景気はいいが、これだけの人間が飲み食いできる物は余所から持ってこなくちゃならない。
特に今は乾期で、水が不足しているな」
「王都から追い出されたシルバー姫の活躍で、辺境の鉱山は空前の好景気。
そして不景気の王都から辺境の街に金持ちがやって来るとは、全く笑い話ですね」
カーバン自身、最近の不穏な空気の流れる王都に嫌気がさして、貴族ニッカルの誘いに乗って辺境鉱山にやってきた。
どうやら自分は、先見の目があるらしい。
「しかしニッカル様、大貴族や神官様なら、魔法でいくらでも水を出せるでしょう」
「鉱山で発掘される大量の魔法石の干渉を受けて、水魔法の威力は半分以下に減る。
雨乞いを頼まれた神官が、大魔法で大雨を降らそうとしても、お湿り程度の小雨しか降らなかった。
つまりここでは、水魔法は役に立たない」
「そういえばこの屋敷や私の滞在している旅館の水は、どこから持って来ているのですか?」
カーバンが不思議になってたずねると、ニッカルは水差しにはめ込まれた青い石を指さした。
「これは水魔石、辺境鉱山で一番貴重な石だ。
昔、鉱山の西に大きな湖があった。
そこに一粒の魔石が落ちると、その魔石は瞬く間に湖の水を吸い込んでどんどん大きくなり、ついに湖は干上がって巨大な水魔石の山になった」
「すると水差しに埋め込まれたこれが、水魔石の欠片ですね。
水魔石があれば、鉱山の水不足も解消される」
カーバンの言葉に、貴族ニッカルは乾いた笑いを浮かべた。
他の貴族達に辺境貴族と呼ばれるニッカルは、物笑いのネタにされるこの地を、王都より栄えさせたいという野望を持っていた。
「今、西の水魔石の山はシルキードラゴンの巣になっている。
ワシは十年前、水魔石を手に入れるため、戦士八十人とドラゴンスレイヤー四人を雇ってシルキードラゴン討伐をした。
だがシルキードラゴン相手にドラゴンスレイヤーは全滅、戦士は半数の犠牲を出して、やっと一塊の水魔石を手に入れただけだ。
水魔石を手に入れるより、遠方から水を運ばせる方がずっと安上がりだ」
「シルキードラゴンと言えば、透けるように薄く純白な翼は、初代千年魔法王国王妃のドレスに使われた伝説があります。
でも最強戦士の五十人力のドラゴンスレイヤーが全滅とは、なんて強いドラゴンだ」
「ああ、ワシの軽率な判断のせいで、貴重なドラゴンスレイヤーを四人も失ってしまった。
ドラゴンスレイヤー四人、二百人力でも倒せなかったドラゴン。
そういえばここに千人力が……」
その時仮縫い作業に集中するカーバンは、鉱山貴族ニッカルの台詞を聞きそびれてしまった。
***
レストラン『狐の葡萄亭』での食事から五日後。
シルバー姫はトーリアの案内で広場の大門をくぐり、壁の向こう側に出た。
地面は舗装された石畳の道からでこぼこの砂利道になり、広場壁沿いに質素な木の建物が密集して並ぶ。
その道沿いには店舗や屋台が軒を並べ、南の島の腕輪やネックレスに東の国の煌びやかな衣装、西の秘境の魔道具に北の大地の魔獣の毛皮。
しかもどの店も大勢の客で大繁盛して、辺境の鉱山が好景気で沸いている様子が分かる。
「凄い人の数と、それに活気があります。
トーリアさんはこのような場所に住んでいるのですね」
「いいえ、シルバー姫様。ここはひと山当てた鉱山奴隷や金持ち商売人が住む区域。
私の家はもっと先、あの黒い岩山の向こうにあります」
それからシルバー姫はトーリアの案内で、はぐれ神官たちの住む女神通りや食料を扱う市場を通り抜ける。
目印の黒い岩山に近づくに従って、家は小さくみすぼらしくなっていった。
「草木も生えない鉱山で、木の家に住めるのは金持ちだけ。
土壁の家に住めるのは、ある程度稼ぎのある者。
シルバー姫様、あたしたち最下層の鉱山奴隷の住処は、ここです」




