第三章 三、悪夢の続き(四)
わたしが倒れたその日に、狼煙と、鷹を使った緊急の手紙が届いたらしい。
シロエは、言いたくなさそうに教えてくれた。
でも、三日も前だと、現状はどうなっているのか分からない。
「一体、どこの国が攻めて来たんですか?」
近隣国は今のところ、全て同盟関係にあったはずなのに。
(裏切ったのなら、許せない)
戦争でこちらが勝ち、敗戦国としての責任を緩和する代わりに同盟関係になった。いわば、お情けを掛けたのに。
「……獣の大軍だそうです」
「獣?」
一瞬、言葉に対する理解が空回りして、意味が分からなかった。
……動物が、いくら知恵をつけたところで王都を攻めるだけの軍勢として、機能するわけがない。
それに、仮に大軍と呼べる数が居たとしても、烏合の衆に訓練された騎士団が負けるわけがない。
(やっぱり、意味が分からない)
「どういう事ですか?」
「そのままの意味のようなんです。軍として機能しているようだ。と」
「――信じられない。けど……そんな事言ってられない。すぐに私も向かいます!」
「だめですよっ」
シロエは、ベッドから降りようとしたわたしにの前に慌てて立ち塞がった。
「急がないと! おとう様の身に何かあったらどうするんですか!」
とにかく、三日も前の知らせだというのが、どうにももどかしかった。焦りが一秒ごとに募っていく。
「エラ様の体に何かあったら、どうするんですか! エラ様はついさっきまで、私達が懸命に看病していた病人なんですよ?」
「そう……だけど……」
「それに、お嬢様とガラディオ様が向かっています。知らせが届いてすぐに準備を整えられて、次の日には精鋭六十騎で、とにかく急いで出兵されました。エラ様の事を、くれぐれもお願いねと念を押されてです」
「でも……!」
「エラ様が起きても、教えるなと言われました。絶対に駆け付けようとして無理をするからと。それでも、何もお伝えしないのはきっと後で悲しまれるからと思って、お伝えしたんですよ? わかってください」
わたしは頭を抱えた。シロエの気持ちも、言っている道理も、よく分かる。分かるけど、駆け付けられる力があるのに何もしないのは、気が狂いそうなくらいに辛い事だ。
「……お願い。シロエ。もしも、おとう様に何かあったら……私は耐えられない。絶対に無理はしないと誓うから、行かせて」
「そんなウソ、信じるとお思いですか? だめったらだめです!」
「……戦うのは私じゃないわ。剣と翼が、勝手にやってくれるの。私は安全な場所から光を撃つだけだから。ね? お願い。私は本当に大丈夫だから!」
もう、これでだめと言われたら、こっそり抜け出して行くしかない。
シロエは悲痛な顔で、わたしを見ている。フィナも、アメリアも、行かないでと全身で訴えかけている。
悪い事をお願いしてるのは、分かってはいるのだけど……。
「…………なら、せめて。もう一度お食事をなさってください。先程、軽い物を持ってこさせましたが、もう少し後で、きちんと栄養のあるものをお食べください。それが条件です」
長い沈黙の後、シロエは涙を流しながらそう言った。
「……お嬢様の、言った通りでした……エラ様が、こんなに人の話をお聞きくださらないなんて、思いませんでした……」
返す言葉も無かった。
さめざめと泣くシロエは、ひとしきり文句を言うと部屋を出て行った。食事を用意しに行ったのだろう。フィナとアメリアも、「どれだけ心配したか……本当に、胸に刻んでいてくださいね?」と、呆れたような、怒っているような、悲しい顔をして出て行った。
「……ごめんね。みんな」
皆が部屋を出て行ってしまった後に、届かない気持ちを口にしたものの……このまま、剣を持って翼を使って、すぐにでも飛び出して行きたい気持ちで一杯だった。
なぜなら、今にもお義父様に、もしもの事があったらと気が気ではないから。
ぎりぎりの所で未だここに残って居るのは、もしも今飛び出して……もしも無事に戻ってきたとしても……もう二度と、わたしの言葉を信じてもらえなくなると思ったからだった。
食事の用意が整うまでに、服を着替えておこうとクローゼットを開けた時だった。シロエとフィナが、静かに入ってきた。
「……ど、どうしたの?」
まだ怒られるのかと思ったけれど、そうではないようだった。何か覚悟を決めたような顔をしている。そしてシロエは、さっきとは違って優しい声で話してくれた。
「エラ様、どんな服をお召しになるつもりですか?」
わたしは訓練服を手にしていたので、それをおずおずと体に合わせた。
「アドレーの名に恥じないように、戦服をお召しください」
シロエはそう言うと、何着かのドレスと、パンツスーツをハンガーラックに掛けていく。
それを見ながら、フィナが質問をした。
「安全なところからというのは、本当ですか?」
念を押す様に、ぐっと強い目でわたしを見る。
「う、うん。高い所で浮いて、一方的に光を撃つだけにする」
それだけは、必ず約束するつもりで答えると、シロエと目を合わせてお互いに頷いた。
「なら、こちらのドレスで飾りましょう。動きの邪魔にならないように、工夫されていますので。ただ、はだけて下着が見えないように、常に気をつけてください」
フィナは、スリットの入った漆黒のドレスを手に取った。チキュウのチャイナドレスに似ている。それはシンプルだけど上品で、それでいて体のラインがはっきりと出る。幼く見られがちなわたしでも、大人の雰囲気が醸し出される。
「これなら、動きやすいですね」
気持ちはずっと焦っているのに、服の一つで気分が高揚したのを申し訳なく思った。
「戦場に立つのですから、アドレーの威厳もお忘れなく。ですよ? それから、この……この宝飾も、お付けください。それから……」
平静を装っているシロエだったけれど、少しずつ声が震えて、時折り言葉に詰まりながら、ついにはまた泣き出してしまった。フィナも、つられたように一緒に涙を零した。
「……ごめんね。シロエ……フィナ」
――おとう様は、三日も前には、窮地を察して先んじていたのだ。
そう思う事にして、今はただ、ご無事である事を祈っていた。わたしが焦って行動して、わたしに何かがあったのでは、本当に申し訳が立たない。そう言い聞かせて、はやる気持ちを抑えていた。
いつでも出られるように準備を済ませて、翼をコントロールするための付属のティアラも付けている。後はもう、本当に出発するだけだ。
でも、約束した食事を、しっかりと噛みしめながら食べている。
(急いては事を仕損じる)
食堂のテーブルでお料理が運ばれるのを待ちながら、この言葉を、何十回も心で唱えていた。
そういう雰囲気から察したのだろう。シロエが横に来て言った。
「……意地悪で言ったわけじゃ、ありませんからね。何日も何も食べていない体で、戦場になんて行ってほしくないだけなんですから」
確かに、その通りだと思った。
ひと口食べるごとに、それらが体に染み渡るような感覚になるからだった。そして食べ終わる頃には、頭の痺れはほとんど取れていた。まだもう少し、じわりと残っているだけで。
フィナとアメリアがせっせと給仕をしてくれて、いつもより早いペースで食べるわたしに合わせてくれた。量はやっぱり、たくさんは食べられないけれど。
そして、食後の感謝のお祈りを済ませて、席を立った。
「シロエ、ありがとう。フィナも、アメリアも。……行ってくるね」
三人は声を揃えて、「はい」と答えてくれた。
不思議と落ち着いてきた自分に驚きながら、ゆっくりと玄関まで歩いた。侍女達が扉をしっかり開けてくれたのを確認して、翼に意識を込める。倒れる前よりも、ずっと繊細に繋がっているのを感じた。
「……それじゃ」
少しだけ振り向いて、きっと無事に戻るからと伝えた。
『お気を付けて、いってらっしゃいませ』
皆のお見送りを受けて、わたしは翼を広げ、ゆっくりと飛び上がった。
「王都は、あっちだよね」
方向を確認して、街道の先を見据える。
「……最高速度で」
指示を出すと、もう一段ふわりと浮いた気がしたその瞬間には、近くのものはもはや確認できないほどに景色を歪ませて進んでいた。風ひとつ受けていないのに、その速度は尋常のものではなかった。
(……ひくくらい……すごい。逆にすごく……冷静になった)
そんな事を思いながら、視線をもっと遠くに向けた。
――この速度なら、王都まで本当にすぐだ。
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