第二章 二、環境と立場(十)
――一週間後。
オレは失意の中、お茶会の練習をする初日を迎えていた。
午後から、お義父様と交友の深い貴族の令嬢達を招く。
オレがホストで取り仕切らなければいけない。
下準備として、お茶とお菓子を選び、ティーセットを選び、庭のどこで席を設けるかを選び……。
とにかく、楽しんでもらえるように工夫を凝らすのが仕事だ。お帰りの際のお土産物も準備してある。
だが、何も気乗りしない心境だった。
今回は、フィナのフォローが無くては何も出来なかった。
今なお、ホストとして人をもてなす事など、とても無理だと思っているが。
来賓の令嬢達は本当に懇意にしているそうで、練習だと分かった上で付き合ってくれる優しい人達が来る。
本来なら、緊張はあっても気を楽にして開けたかもしれない。
(キャンセルにしてほしい……)
何もやる気になれない。
このままでは、ホスト役もフィナにしてもらう事になりかねない。
「エラ様……お辛いのは分かっていますが、今日だけは笑顔をお作りください。皆様にご心配をお掛けしてしまいます」
(わかっている――)
「――でも、無理だよ」
この一週間、フィナには甘えっぱなしだった。
うなだれて悲しみに暮れているオレを、慰めたりあやしたり、はっぱをかけたり。
あの手この手でオレのご機嫌を取り、やるべきことをやらせようと奮闘してくれていた。
でも結局、フィナの選んでくれたものを、「それにする」と言うだけの役立たずのままだった。
今日この日も、テーブルから何から、フィナが指示して準備してくれた。
場所は、屋敷の正面扉が斜め向かいに見える庭の、赤とピンクの花が咲き誇る所にした。
全てがフィナと侍女達のおもてなしであって、オレは何もしていない。
(やりきれない。割り切れない。どんな気持ちで、オレはあの子の事に踏ん切りをつければいいんだ)
かといって、あの厳しい顔をしたお義父様に、今までのように話しかける勇気もない。
お義父様も、あれから話しかけてはこない。
まるで、自分で考えろと言わんばかりに。
(いや……オレがバカだっただけなのに、八つ当たりだ。これは)
あの日、ショックで散々泣き続けたのに、次の日に目が覚めると一滴も零れなかった。
ずっと泣いていられれば、気が紛れたかもしれないのに。
だが、泣けばスッキリするという話は嘘だったらしいと分かった。
オレが子供の頃に泣いた記憶がないのは、これをすでに知っていたからかもしれない。
「エラ様」
フィナに呼ばれる事さえ、苦痛に感じてしまう。
(オレは、こんなに脆かったのか?)
「エラ様!」
少し強くオレを呼ぶのは、フィナの声ではない気がした。
「エラ様ってば!」
フィナよりも甲高い、少し子供っぽい声だ。
後ろから呼ばれているのだと、ようやく気が付いた。
「誰――」
振り向くと、そこには見慣れない少女が居た。
一目見て可愛らしい、クセのある長い金髪を風になびかせている蒼い瞳の女の子。
顔も小さくて、子猫を彷彿とさせる。
背は同じくらいだが、オレよりも少し低い。
スレンダーな体を、メイド服が背徳的な魅力に見せている。
一人で屋敷の外には、出してはいけない子だ。
「あら……? 初めましてだよね。あなたも私のお世話をしてくれるの?」
オレは精一杯の笑顔を作って、挨拶をした。
さすがに子供にまで、甘えるわけにはいかない。
「何いってるんです! 私ですよ! あ。ほら、俺だよ!」
最後は低い声で「俺」と呼称するのは、その可愛い姿には似合わなかった。
だが、この少女が取った構えには、見覚えがある。
「――えっ?」
つぅ。と、頬を流れていくものがあった。
(……熱い)
流れながら、頬から落ちる頃には熱を失っている。
(……冷たい)
オレの目から、また涙が溢れ出て止まらなくなった。
胸が詰まってしまって、声も出ない。
(オレは、今はまだ夢の中なのか……?)
夢なら、なんて残酷なものを見せるのだろう。
ありえない現実は、二度とあるはずのない幸せな夢は、拷問に等しい。
「ちょ、ちょっとぉ! 泣き過ぎですよ。てか、何とか言ってください。私、ここでこうして、雇って頂けたんですよ!」
(うそだ。こんな事って……!)
「エラ様、とりあえずハンカチを」
手渡すのではなく、直接涙を優しく拭っているのは、フィナの手だ。
「フィ……フィナ? この子は? 何?」
夢なら起こしてくれと、伝えるのを忘れた。
声はすぐに出てくれないのに、聞きたくても混乱して、上手く言葉にならない。
「えっと、私、あの時斬られなかったんです。エラ様が見ていても分かりませんでしたか?」
(誰か、夢ならばもう許してくれ。これ以上苦しみたくない)
「エラ様お気を確かに! 黙っていてすみません。この子はアメリアと言います。あの日、
エラ様のお陰で命を拾った、元暗殺者です」
そんなはずがない。
首を落とされた者が、生き返るわけがない。
オレを慰めるために、どこぞの子をそんな風に仕立て上げたのだ。
「エラ様ってば! もう、いい加減しっかりしてください」
少女はスカートの裾を持ち上げて、パシッっとオレの太ももを蹴った。
意外にも重い蹴りに、一瞬膝から力が抜けた。
カクンとなってからようやく、体が応戦態勢になって軽く後ろに飛んだ。
無意識のこの行動が、オレの意識を呼び戻したようだ。
「ほんとに、生きてるの?」
声も出るようになった。
蹴りを受けて、体が完全に目覚めたらしい。
太ももがジンジンと痛みを訴えている。
「やっぱり、エラ様は戦闘状態になると目が覚めるみたいですね」
にっこりと無邪気に笑う子猫のような少女は、改まってお辞儀をしてみせた。
少しぎこちないから、最近教わったのだろう。
「フィナ……どういうこと?」
声は戻ったが、涙は流れ続けている。
まだ喜んでいいのか分からない。
夢である可能性が消えていないのだ。
「本当に、申し訳ございません。公爵様から堅く口止めされておりまして。でも、本日緘口令を解かれました。アメリアは正真正銘、生きております。あの日公爵様は、剣で空を斬っただけです。この子の体は一ミリたりと斬っておられません」
オレは俯いて考えてみたが、今のこの感情を、どう整理したらいいのか分からなくなった。
喜びと、衝撃と、そして、お義父様が騙していた事と。
順番としては、この三つがぐるぐると渦巻いていた。
涙は止まるどころか、流れ続けている。
「フィナ。お義父様は、私を騙していたのね……? それともやっぱり、これは夢?」
表情は無かったように思う。何せ感情が消えた感覚だからだ。
「夢ではありません! 公爵様も、け、決して安易にそうされたわけでは無く、考え尽くされた結果で……」
フィナは珍しく、怯えたような態度だった。
時折、両手で額を押さえては首を振り、こちらを見ては詫びるように指を組んでいる。
「え、エラ様? 公爵様は怖かったけど、助けてくれたから……怒ってあげないで!」
アメリアも、どこか怯えたような震えた声でオレを制止しようとしている。
前に立って、通せんぼをしているのだ。
「邪魔よ? アメリア。そこをどきなさい」
オレは、こんな気持ちにさせたお義父様に怒っているのだろうか。
それとも、斬ったようにみせかけた嘘に対してだろうか。
喜びたいのに、心が追い付かない。
今すぐお義父様の所に行って、この一週間どんな気持ちだったのかぶつけてやるのだと思った。
「ふぃ、フィナ先輩、エラ様ってこんなに怖いの……?」
フィナは、どこか諦めたような顔で笑顔を取り繕っていた。
「エラ様も、お切れになりたい時もおありでしょうから……」
笑顔だが、オレには目を合わせないようにしているようだった。
頬が少し引きつっている。
「私ごときが、そんなに怖いですか」
アメリアやフィナにぶつけるような気持ちではないのに、心が言う事を聞いてくれない。
「す、すみません。初めてお怒りになった姿を見るものですから、驚いてしまって……鬼気迫る雰囲気が恐ろしく感じたんです。でも、そのお怒りを通り越したような冷たい表情が、とても綺麗で……それが、余計に怖いと感じたのかもしれません。あまりに美しいものを見ると、人は畏怖するのだと初めて知りました」
口早に語ると、フィナはそのまま黙ってしまった。
隣でアメリアも、コクコクと頷いている。
「そ、その血の気の引いた顔色で泣きながら怒ってるから、余計に怖いんだよ! 将軍様呼んできます!」
半泣きのアメリアは、甲高い声でそう言い放ち駆け出して行った。
そして残されたフィナは、目を逸らして俯いてしまった。
「フィナ……全部、知ってたんだ?」
にこりとも微笑む事が出来なかった。
二人で立ち尽くしたまま、オレはお忙しいお義父様が来てくれるのだろうかと、屋敷の方を見ていた。
しばらくして来てくれなければ、オレが行かなくてはと思いながら。
長い沈黙が続いた後、フィナは独り言のように「すみません」を繰り返している。
「もう、いいですから。フィナの立場ではどうしようもなかったんでしょう?」
一応は心から思っていて、慰めているつもりだった。
表情が追い付かないせいで、怒っているように見えたかもしれないが。
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