エピローグ 永き旅の果てに
エピローグ 永き旅の果てに
目覚めてから一週間ほどは、皆から病人扱いされた。
好物のプリンは毎日出してくれたし、部屋から出ようものなら必ずアメリアや他の侍女が側についた。
それ自体はまあ、言うなればお姫様扱いと変わらないのだし、ある意味楽しかった。
でも、そのほとぼりが冷めた頃に、おとう様からお説教を受けたのが辛かった。
なぜなら、ガツンと怒られるならまだしも、涙を浮かべながら切々と言われてしまうという、なんとも胸を抉られるようなものだったから。
しかも、それ以降は今までに輪をかけて優しくなって、もはや甘えないわけにはいかないような状態になっている。
……人に甘える練習としては、ちょうど良いのかもしれないけれど。
それは今、私の当面の目標が『人に素直に甘える』ことだからだ。
というのも、どうやらおとう様が私の旦那様に相談した結果、「ルネは人に甘えるのが下手だから、何でも突っ走ってしまうのだろう」という結論になったからだった。
お陰でお屋敷内では、全員からネコ可愛がりされている。
これまでも皆は優しかったけれど……どこか遠慮気味だったのが、『甘やかすことを解放された』ようなことになっている。
つまり、それだけ皆から、愛してもらえていたのだ。
「私たちの愛情に気付かないで、これっぽっちも甘えてくれないからですよ」
と言ったのは、アメリアだった。
私としては十分に甘えさせてもらっていた。
……つもりだったけれど、全然だったらしい。
だからもう、年甲斐も無く――などと考えないようにして、なるべく何かを希望するようにしている。
例えば、喉が渇いただとか、お菓子は何が食べたい――とか。
そのくらいしか思いつかないのだから、しょうがない。
「そういうことでは……ないんですけどねぇ。でも、先ずはそいうところからで良いのかもしれませんね」
と、フィナには呆れ気味に言われる始末。
正直なところ、私にはどうすれば甘えるということになるのかが、分からない。
人に甘えるのは……とても難しいことだったのだ。
でも、私の側にはとても甘えん坊なお手本が居る。
――エラだ。
あんな風に天真爛漫に振舞うのは、私には無理だろうけど。
見習えそうなところを、目下探している。
「どうしたルネ。俺との散歩はつまらんか?」
旦那様と、一面雪の中のお庭を散歩している時も、エラの行動を思い出しながら考え込んでいて、そう言われてしまった。
「そんなことないです。一緒に雪を踏み歩くのも楽しいですよ? でも私、今真剣に悩んでいるんです。考えているというか」
「ああ、上の空だもんな」
この言い方の時は、もっと俺に構えという催促のニュアンスだ。
微笑んではいるのに、目は少し、意地悪をしてやろうという獣のような光を帯びている。
「もう。拗ねないでください。それよりも聞いてください。私ね、人に甘えるのに、エラをお手本にしようと思っていて……」
「ほう。エラ嬢をか。それは手強くなりそうだ」
「どういう意味?」
「君は自己犠牲で物事を進めようとする癖があるからな。お陰で君と結婚出来たわけだが」
そう言ってニヤリと笑むクセは、結婚前のままだ。
まんまと俺の策略にはまったのだぞと、勝ちを誇る笑い方。
「またそんな悪い顔をして。それに……なにか、聞き捨てならないことを言われましたけど」
「ハハハハハ! 俺にはそのままでいてくれ。可愛い我が妻よ」
「もう……そうやって丸め込もうとする」
この人との結婚は、双方ギリギリの戦いだったと思っていたけど。
だって、世継ぎなのにオルレイン家を捨てさせたのだから……。
まさか、それさえも手札のひとつで、いつでも切れる手だったの?
――などと考え込んでいると、旦那様は少し見下したようにこう言った。
「お前に策略を練るのは向いていないぞ? 向こう見ずな性格だからな」
妻に向かって、この人は平気で煽ってくるのだ。
「もう! 構ってほしいからって、いじわるを言うのはどうなのかしら」
この人は、案外子どもっぽい。
それがどうにも……可愛いと思ってしまうようになったのは、自分でも謎だ。
「ハッハッハ。許してくれ。可愛いお前の色んな表情が見たくて、ついな」
「ちょ、ちょっと。顔が近い……」
彼は恥ずかしくないのだろうか、いつも不意に顔を近付けては、表情がどうのと言う。
「あ~っ! またお部屋以外でもイチャイチャしてるぅ!」
「エラ! そんなところで寒くないの?」
エラは、エイシアのお腹でお昼寝をしていたらしい。
天気は良いけど、雪の上で……。
「エイシアがあったかいから、大丈夫ですよぉ」
ちなみに、エイシアはしれっと帰ってきていた。
数日前にエイシア用の餌――焼いたお肉の塊が用意されていて知ったのだ。
エラとはすぐに、何事もなかったかのように乗ることさえ許すのに、私にはそっぽを向く。
「ルネが上手に甘えれば、一緒に乗せてくれそうな顔をしているぞ?」
「……そうかしら?」
旦那様は適当なことをよく言うから、あまり信用できない。
それに今は、この人に構ってあげないと、後でまた拗ねてしまうかもしれない。
……私が甘える練習をしたいのに、旦那様は私に甘えるのが上手い。
少し拗ねてみせて要求を通すというのは、なかなか上級テクニックだ。
――そんなことを真剣に考える時間が持てる。
その幸せをかみしめるだけで、精一杯かもしれない。
そしてこのまま、何事もなく月日が流れていけば……私はそれだけで、大満足だろう――。
**
――あれから、どれだけの年月が経っただろう。
あのあとすぐに、エラが結婚して、子どもが出来て。
その子が大きくなった頃に、隣国がまた不穏な動きをしたりもしたけど……衛星の力を少し見せることで、大事にはならなかった。
そうだ、それよりも国王が、王位をリリアナに譲ると宣言した時の方が大変だった。
武力だけでどうにもならないことが、一番厄介だとまざまざと目にした。
エラが居なかったら、この国は内乱で滅茶苦茶になっていたかもしれない。
そんなことも色々と乗り越えて、私たちも国も、平和な時間を過ごして来た。
概ね幸せで、そして、かけがえのない時間を。
大切な家族に囲まれて、その温もりをずっと感じながら過ごせた。
心残りなんて何もない、愛に包まれた人生。
こんな言い方をしたら、また「不吉な物言いをするな」と、怒られてしまうわね。
でも、たまに思い返しては、そう実感するのだから仕方がない。
この日記帳も、毎日書いているわけではないのに、保管が大変なくらいは積み上がっているのだし。
寿命で考えたら、まだ人生の半分も過ぎていないせいか、幸せ過ぎて怖くなる時というのがたまに巡ってくる。
私の悪いクセだと、旦那様には言われるけど……あの人が能天気なだけではないかしら。
……ダラスのお陰で、私は大満足な今がある。
だから、毎年ではないけどたまに、彼らを埋葬した場所にお参りに行く。
明日がその日だから、少し感慨深くなっているのだと思うけど。
とても言葉では表せない気持ちが、たくさんあふれてくる。
そのせいで、いつも墓前では何も伝えられない。
ただ感謝の気持ちだけではなくて、彼らを想えば想うほど、切ない気持ちになるから。
永い時をこえて、今ここに至るまでの……あまりに壮大な流れを。
だから、やっぱり言葉が出て来ない。
大き過ぎる気持ちは、そういうものよねと、ただ手を合わせて帰ることになる。
そして、またねと伝えて。
最後までお付き合いいただいた皆様。本当にありがとうございました。
『オロレアの民』は、これにて一旦、おしまいとなります。
次作も少しずつ書き始めています。
少し毛色の違うものですが、ファンタジーです。
ぜひそちらも、発表しましたらよろしくお願いします。




