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19.颯希

颯希が帰ってくる。そのことを瑞希姉さんが由紀の家にわざわざ知らせにきた。俺は由紀達とリビングで寛いていた。


花火大会が終わり、盆が近づいてきた。盆と言えば墓参りだ。例にもれず加藤家でも墓参りがある。ただ加藤家の墓には実は(勇人)しか入っていない。だから(勇人)の墓参りだ。ちなみに加藤家の本家、というほど大層なものではないが、父さんの実家の墓には先祖が沢山いる。


父さんの父さん、(勇人)からみた爺さんは、父さんの兄貴(伯父)の家族と一緒に暮らしている。ここから少し離れた場所だ。俺が死んだときはタイミングが悪く爺さんは葬儀には来られなかった。だが、その後は命日や盆にはこまめに来てくれていたそうだ。


ただここ数年は体調を崩していて来られていなかった。さらに去年は大手術を受けて生死の境をさ迷った。それでだろうか、今年は何としてでも来ると言っているんだ。先達である俺に挨拶するために。俺は一度もあの世に逝っていないんだが。


久しぶりに爺さんが来ることを、父さんは颯希に連絡した。そして墓参りに帰ってくるか訊いたんだが、颯希は帰るとは言わなかった。就職活動や卒論で忙しいだろう。そもそも大学に入ってから一度も帰ってきていない。だから帰ってこないだろうとは思っていたらしいが。


ところがそれが帰ってくることになった。切っ掛けは瑞希姉さんだ。

「私がね、由紀ちゃんが帰ってきたんだよって言ったんだ。そしたら雲行きが変わったのよね。」

「一人で帰ってきたのって聞いてきたから、友貴の話をしたの。隠すのも変だし、勇人のことなんだし。ああもちろん友貴が勇人だって話はしてないわよ。」

「そしたら颯希は、友貴と由紀ちゃんの関係が気になったみたい。しつこく関係を尋ねてきたんだよ。何て言ったらいいかわからなかったから、仲は良いみたいだよ、とだけ言ったんだよね。そうしたら突然、帰るって言いだしたんだ。」


「電話を切ってから、余計なことを言ってしまったかなあと反省したんだ。けど、一つ言い忘れてたことがあったんだ。友貴が教え子の小学生だってことを言ってない。だから颯希のなかでは、由紀ちゃんが恋人を、大人の恋人を連れて帰ってきたと思ったんじゃないかな。たぶん。」

「訂正しようと思ったんだけど、言い忘れに気が付いたのが今朝でね。颯希は今日の午後に帰ってくるんだ。だから、急いで知らせに来たってのが真相。」


「へえ颯希が帰ってくるんだ。」

俺が颯希のことを思い出して懐かしんでいると、由紀と美紀と瑞希姉さん、三人が微妙な顔をしていた。

瑞希姉さんが由紀の家までわざわざ知らせにきてくれた。颯希が帰ってくるという話。それを聞いた俺は妹に久しぶりに会えると単純に考えたんだが。


「なんで、みんなそんな顔をしているんだ。何かあるのか。」

三人が三人とも微妙な顔をしているんで、俺は気になった。

「まあ、あるというか、あるかな。」

瑞希姉さんが要領の得ないことを言う。


「颯希が帰ってくるのは、久しぶりなんだよね。」

美紀が説明してくれる。

「お姉ちゃん程ではないけど、颯希も長く帰ってきていないんだよね。」

遠い大学に入学して下宿していると聞いたよな。大学生活が楽しくて帰省する気持ちにもならなかった、ってわけじゃないみたいだな。この雰囲気からすると。


「颯希は、勇人が死んでから、変わった。」

瑞希姉さんが説明を引き継いだ。


俺が由紀を護って交差点で死んだとき、颯希は小学校4年生だった。あれは梅雨で雨が降っていた日曜日だった。俺は由紀と一緒に買い物に出掛けたんだ。あの交差点で、いつも通りに右側に由紀が居た。横断歩道を青信号で渡っていたら、対向車線からの右折車が突っ込んで来たんだ。急いでいたんだろうな。


颯希は家にいて、テレビで当時流行っていたアニメを見ていた。瑞希姉さんも一緒に見ていた。ちょうどそのときに家の電話が鳴った。悲劇の幕開けだった。電話には母さんが出た。その電話は警察からだった。交通事故で俺が怪我をしたという連絡だった。


瑞希姉さんと颯希と母さんは急いで病院に向かった。雨が降っていたしタクシーを呼んだんだけど、なかなか来てくれなくてイライラした。乗ってからも病院まで時間が掛かった。交通事故のせいで規制が掛かっていたんだよね。


病院に着いたら、霊安室に通された。ベットの上にぴくりとも動かないあんたがいた。血まみれの由紀ちゃんが隣で泣いていた。由紀ちゃんも怪我をしているのかと思ったら無傷だった。由紀ちゃんが浴びた血はすべて勇人のもの。あんたは交通事故で即死だったって聞いた。由紀ちゃんを庇って、由紀ちゃんが最期を看取った。


「即死じゃないな。近かったかも知れないけど、俺は最期の言葉を由紀に残すことは出来たからな。」

由紀の顔が強張っている。俺は由紀を抱き寄せた。素直に由紀は俺の胸に顔を埋めた。

「でも由紀はつらかったよ。」

ぽつりとした言葉に俺の罪悪感が刺激される。

「すまん。」

俺には謝るしか出来ない。何べん繰り返しただろうか。


「その最期の言葉のことは知らなかったわ。」

瑞希姉さんは初めて聞いたらしい。

「でもその言葉があったから、お姉ちゃんは友貴くんが勇人兄ちゃんだと信じることが出来たんだよね。」

「そうね、だれにも言わなかった。言えなかった。由紀だけが生き残ったのがつらくて。だからこそ信じられたのもあるけどね。」

由紀の濡れた眼が俺を見つめる。俺は静かに由紀の口唇を塞ぐ。由紀の眼が閉じられる。しっかりと抱き締めた。


葬儀のことは夢みたいだった。正直良く覚えていない。お葬式で泣き崩れている由紀ちゃんを見て、由紀ちゃんが悪いわけじゃないことは分かっているし、由紀ちゃんも悲しみのなかにいることは理解できた。


瑞希姉さんの話は続く。


でも火葬場で骨を見たときに、本当に勇人はいなくなったんだってわかった。由紀ちゃんは生きているのにね。



それからあんたがいない生活になった。いなくなってからあんたのことを良く思い出した。あんまり仲が良かったとは言えないけど、それでも私の弟だった。初めて出来た年下の兄弟だった。いろんなことを思い出したわ。


颯希も同じようだった。颯希はあんたにとって、私から見たあんたと同じ。年下の妹を一生懸命あんたは守っていた。犬がこわくて泣いていた颯希を助けたり、工作がうまく出来ないのを手伝ってあげたりね。


颯希も言っていたわよ。泳ぎが下手で教えてもらった、勉強ができなくて教えてもらった、お祭りで金魚すくいしたこと。綺麗な思い出ばかりで悪い思い出は出てこなかった。嫌な思い出もあるはずなのに、死んだ人は良い人になるって本当だってね。


颯希があんたに聞いたって、記憶を頼りに、あんたのことがもっと知りたいってね。勇人が入っていた推理研究会に入会したのも、あれからすぐだったわね。そういえば研究会の人達、この間の花火大会で一緒になったわよね。


「ああ、一緒になったな。会長と理映さんには俺のことを話したからな。知っているよ。ペラペラ話す人達じゃないから大丈夫だけどね。」

「懐かしい人達だったよね。生きていて再会出来てよかったと思えたよ、由紀は。」

俺の腕の中の由紀がつぶやく。


で、その推理研究会には、颯希の知らない勇人がいたんだって。あんこ入りのドイツパンが好きだとかね。颯希も買って食べてみたら美味しかったって。でもあんたはいない。お墓にパンをお供えたりもしたけど、あんたが食べられるわけじゃない。


颯希が知らないところで、あんたは理映さんや由紀ちゃんと遊びにいっていた。由紀ちゃんはあの赤いイルカのプレゼントも買って貰っていたわよね。それで、二重の悲しみと怒りがわいてきたんだって。


颯希は、自分が中学生になって実感したんだよね。あんたを越えた。中学生になれなかった勇人。あんたの未来はどんなんだったんだろうか、何になりたかったのかなんてね。


それを知っていたのは由紀ちゃんだった。あんたは学校の先生になりたかったんだって。由紀ちゃんは思いを継いで先生になるっていっていた、そして先生になった。でも颯希にとっては、由紀ちゃんがあんたを全部もっていったように感じられた。あんただけじゃなくて、あんたの夢までも取っていったってね。


颯希も、ちがうとは頭では分かっていても、気持ちでは受け入れられなかったようね。あんたが死んだことが受け入れられず、由紀ちゃんのせいで死んだと思いたかったんだよね。分かっていても我慢が出来ない。いなくなって初めてわかった頼もしかった勇人。なんで由紀ちゃんだけが生き残っているのか。だけど、勇人はいなくなった。颯希にとって憎む相手は由紀ちゃんしかいなかった。


私も思わなかったわけじゃない。でも勇人は由紀ちゃんのことが好きだった。そばで見ていた私には丸わかりだった。だから死に顔が笑顔だったのを見て、由紀ちゃんを護れて良かったねと思ってあげることが出来た。それで私は、あんたに代わって由紀ちゃんを護ろうと思ったんだよね。


瑞希姉さんが涙声になっている。


でも私は、颯希にとっての勇人にはなれなかった。颯希は勇人が居なくなってから、勇人のことを頼っていたことに気がついたんだけど、その穴は大きかった。それと私が何かをしてあげても、それはお姉ちゃんがしてくれたこと。お兄ちゃんである勇人がしてくれたことじゃない。


だんだん颯希は生真面目になった。前はもっと朗らかだったのにね。

「そうだね。颯希は笑わなくなったね。何をするにも真剣になった。それこそ親の仇といわんばかりの取り組み方をしていたよね。」

美紀が過去を思い出しながら話す。


颯希は、由紀ちゃんにひどいことをいったんだ。盆の墓参りで、加藤家の墓に入っているのは勇人だけ。その墓の前で始まった喧嘩。

「由紀さんには、分からない。颯希の気持ちなんか、わからないんだ。お兄ちゃんを返して。なんで由紀さんは生きているのよ。」

「ごめんなさい。でも由紀は自分のことだけで精一杯なの。由紀のせいで勇人は死んだ。なんで自分だけ生き残っているのか。なんで一緒に死ななかったのか。毎日思わない日はないのよ。」

涙を流しながらの由紀ちゃんの悲痛な叫び声が耳に残っているわ。あの日から由紀ちゃんと颯希は会ってない。由紀ちゃんは命日にも盆にも勇人の墓には来られなくなった。


「そうだったんか、由紀。」

俺の腕のなかの由紀が身じろぐ。俺は離さないように更に体を密着させた。由紀の荒い呼吸と激しい鼓動が直に伝わってくる。同時に当時の由紀の嘆きと決意が。


「せめて、せめて勇人の夢をかなえるのが。勇人の分も生きるのが勇人に対する罪滅ぼしだと思った。」

「でもここ(故郷)には居たくなかった。辛い記憶は消えないし、交差点には近づけない。思い出すのがつらくて吐きそうだった。涙がとまらないし。」


「だから遠い先で先生になった。その地で友貴くんに出会った。友貴くんに、交通事故で助けられた。そこに勇人の姿を見た。」

「でもそれは勇人の姿じゃなくて、勇人だった。だから由紀は勇人が生まれ変わっていてくれたことに感謝した。これで由紀の罪も償うことが出来るって。」


「瑞希さんは、颯希ちゃんが、由紀が勇人を忘れた、新しい恋人を作った、新しい恋路をすすんでいる、裏切った、と考えたと、心配しているんだよね。」

「でもそれは、たとえ大人じゃなくて、小学生の友貴だって知っても、むしろ勇人の代わりにしているだけだって怒るんじゃないかな。友貴は勇人じゃないって。」

由紀は、颯希の大切なものを失った嘆きが理解できるだけに簡単にはいかないこともわかっている。


「颯希に俺が勇人だと話しをするのが一番いいだろうな。由紀は心配しなくていい。俺が居る。由紀のそばにいるよ。俺が話をするよ。俺の呪縛から放たないとな。颯希の人生は颯希の人生なんだからな。」


「俺には、颯希と二人だけで共有する記憶がある。推理研究会のこともある。颯希に俺が勇人だと理解してもらうことは出来る。由紀は研究会の中身は知らないだろう。」


「うん、知らない。会長や理映さんのことは知っているけど、研究会そのものには関わってこなかったからね。」


「なら可能性は十分にあるよ。任せておけ。俺に。」

由紀は頷いてもう一度俺の胸に顔を埋めた。



ターミナル駅に全員で迎えに行く。運転は瑞希姉さんだ。車を駐車場に止めて、改札の前で颯希を待つ。俺一人だ。あとの三人は少し後ろのほうで待っている。


颯希も由紀と同じだ。俺のことを思い出すのが嫌で、この街を出て遠い大学にいった。そして長く戻ってきていない。それなのに、由紀が(友貴)を連れて帰ってきたことで、故郷に帰ってくる。由紀に何が言いたいんだろうか。由紀を見て何を言うんだろうか。


俺は颯希に話がしたい。俺が颯希のことをどう思っていたか。大切な妹だったことを。その思いは今も変わらない。俺はやはり本質的に勇人だ。颯希が(友貴)を受け入れてくれるかどうかは分からない。だけど兄として妹には幸せになって欲しい。


列車が到着した。ほどなく颯希が出てきた。瑞希姉さんに良く似た顔付きに立ち振る舞いだ。姉妹だけあるな。由紀と美紀ほど似ているわけじゃないけど。俺には颯希は颯希だった。やはり感覚は妹だった。懐かしいな。


「颯希。」

俺の呼びかけに戸惑った颯希がいる。

「合い言葉は『めいちこうしゅう』だったよな。」

「え。」

改札を出たばかりの颯希にいきなり合い言葉を告げると、颯希が驚く。

「颯希は、会長や理映さんと同じメンバーになったんだろう。俺も、もう一度メンバーになったよ。」

俺の言葉に、颯希の顔が混乱に満たされる。


混乱している颯希に向かって、今度はちゃんと挨拶をする。

「初めまして。望月友貴と言います。由紀と一緒に帰ってきたのは俺です。」

一転してきちんとした俺の挨拶を聞いた颯希は、理解を超えたものを見るような顔をしている。


確かにその通りだろう。初対面の人間に、名前を呼ばれ、合い言葉を言われ、挨拶をされたら不審者と思わないほうが不思議だ。


ちなみ俺の今日の恰好は黒のセットアップに白のTシャツ。深い緑ガラスのサングラスに腕時計だ。小学生じゃない。


「友くん、無茶苦茶。颯希が宇宙人に出会ったような顔をしているよ。」

「ある意味、俺は宇宙人だと言ったほうが分かりやすくないか、美紀。」

「ひさしぶり、颯希。わかる、美紀だよ。」

俺のことを無視して、颯希に話しかける美紀の登場で、現実に戻ってこれたようだ。そして改札を越える時には肩に力が入っていたのが、毒気を抜かれたようで普通に返事をしている。

「ひさしぶり、美紀。」

時が巻き戻ったか。


「瑞希姉さんの車で迎えに来ているから、乗っていこうか。」

俺の言葉に、また颯希が反応する。

「あなたは誰。」

「さっき挨拶しただろ。望月友貴だよ。よろしくな。」

「それは確かに聞いた。で、なんで瑞希姉さんを瑞希姉さんと呼ぶの。」

「いやそれは当たり前じゃないか。姉さんを姉さんと呼ぶのは。」

ノリと強引さで突っ切る。


「勘弁して、勇人。颯希が困っているから。」

瑞希姉さんが出てきた。

「え、勇人!? 兄さん?」

「まあ、話をする時間はあるから、とりあえず行こうか。」

俺が颯希の旅行バッグを受け取る。どうしていいか分からない様子だった颯希だが、最後に現れた由紀を見て、はっと息をのんだのが分かった。

「颯希。由紀だ。久しぶりだろう。今は俺の婚約者だが。」

さりげなく将来の伴侶だと告げる。

「ごめんね、颯希ちゃん。勇人が変なことばっかり言って。」

由紀が済まなそうに颯希に謝る。だが由紀の言葉に再び颯希が混乱の渦に落ちる。



何ひとつ理解できないままの颯希を車に乗せて走り出す。後部座席に颯希と俺と由紀で座り、助手席には美紀が座っている。

「どこに行くの。」

颯希が尋ねる。

「家に帰るまえに、研究会のビルに寄って行こうと思ってな。」

行先が分かったことで少し落ち着いた様子の颯希。そして俺のほうを向いて言った。

「わかるように説明して。あなたが誰なのか含めて。勇人兄さんは死んだ。だからあなたが兄さんのはずはない。」

「たしかに、そうだな。勇人は交通事故で死んだ。じゃあ、颯希は、死んだ人はどうなると思う。」


唐突な俺の質問に、颯希は答えに詰まる。それでも生真面目に少し考えてから答えた。

「兄さんは。あの世に行ったんじゃないかな。だから、いつか颯希が死んだときに会えると思っている。」

「ん、どうだろうかな。」

俺はあの世のことは分からない。なんせ現世に留まり続けているんだからな。天国に行くのかと思ったら、新しい母さんの胎内に宿った。記憶を持ったまま。


「じゃあ、輪廻転生を信じるか。死んだ人の魂が、別の人として何度も生まれてくることだが。」

「生まれ変わりってこと。」

「そうだ。」

「わからないわ。でも、兄さんが再びこの世に生まれていて、出会えるのなら素晴らしいことだわ。だから信じたいわね。」

「じゃあ信じてくれないか、颯希。いまの俺は望月友貴、かつての加藤勇人だよ。」

俺の答えを聞いた颯希はやはり混乱が加速したようだった。


車のなかでは、言葉は分かっても、理解を伴わない会話が続けられた。何度伝えても颯希は(友貴)が勇人だとは受け入れられないようだ。さらに、由紀が俺に縋りついているのが不思議なようだ。誰か分からない(友貴)に由紀が縋っていることに。

「由紀さんは、勇人(兄さん)のことを忘れたの。」

「忘れてなんかないよ。覚えているから友貴(勇人)と居る。」


颯希とは意思疎通が出来ないまま、ビルに到着した。

ビルの6Fに今日はエレベーターで上がる。扉の前に5人で立つ。呼び鈴を鳴らすと、インターホンから問いかけがある。

「あまがした」

今日は定例会の日じゃない。だけど中には会長と理映さんが居る。俺が頼んで待機してもらっていたんだ。俺は扉の前で合い言葉を使う。

「なんこうぼうてんかい」

ガチャという音がして鍵があく。

「なんで、なんで空くの。というか、なんであんたがこの会のことを知っていて、この会のメンバーなの。」


部屋のなかでは理映さんがお茶とあんこ入りドイツパンを準備してくれていた。それを見た颯希が、理映さんの顔を見る。

「へえ、それが例のパンなんだ。」

瑞希姉さんが言う。

「そうだな。俺や理映さんが好きなパンだよ。」

俺と瑞希姉さんが普通に会話しているのを聞いて颯希が首を傾げている。

「まあ座ってパンを喰おうぜ。由紀も食べてみろ。結構おいしいぞ。」

元祖食いしん坊の由紀だ。気に入るんじゃないだろうか。


あんこと冷茶の相性はいい。昼ごはんを食べていなかった颯希の虫押さえにもなった。少し落ち着いた颯希は、会長と理映さんの顔を見ながら言った。

「何がどうなっているのか、さっぱりわかりません。どういうことなんですか。」

「今日は定例会じゃないけど、今日のお題にしない。」

理映さんが悪戯っぽく提案する。

「お題・・・。」

「そう、この友貴は誰でしょう?」

颯希が俺を見る。俺は緑のサングラスを外す。


理映さんが、俺が先日の定例会に来たときのことを話してくれた。

理映さんの話が終わったあと、美紀が海水浴場と病院での出来事を話してくれた。

最後に由紀が、今世の交通事故と俺との再会について話をした。

三人の話を聞き終わった颯希の眼には、ようやく理解と納得の色が浮んできていた。


「ショック療法といっても限度があるんじゃないかな。」

会長の言葉だ。だが俺はちまちま説明するよりは分かりやすく受け入れやすいと思ったんだ。


「颯希。改めて自己紹介をしておくと、望月友貴だ。中に入っているのは勇人の魂で、記憶と感情を引き継いでいる。なので、この研究会のことも覚えている。ちなみに最初ここに入るときは『めいちこうしゅう』の合い言葉を使った。そしたら颯希の紹介と思われた。俺は、お前がこの研究会に入会していたとは知らなかったからびっくりだったよ。でもむかしお前に説明したことがあったなと思い出して理解したよ。」


「兄さん、本当に兄さんなの。」

颯希が最後の確認をしようとしている。


「そうだな。そういえば、昔にお前が神社の階段から滑り落ちたことがあったよな。運よく俺が後ろにいたから抱き留めることが出来たけどさ。」

「へえ、そんなことがあったんだ。知らなかったよ。」

「姉さんが知るはずないよ。颯希が家出したときのことだからな。母さんに怒られて泣きながら飛び出してさ。俺が追っかけていったんだよ。」

俺と颯希しか知らない記憶。


「そういうこともあったわね。」

颯希が照れくさそうにつぶやく。眼には穏やかな光が戻っている。そして俺と俺の隣の由紀を正面から見た。


「おかえり、兄さん。」

「由紀さん、おかえりなさい。そして、ごめんなさい。」

颯希が、俺の存在を受け入れた瞬間だった。そして過去が過去になった時だった。颯希の時間が動き始めた。俺の呪縛から放たれ、由紀への拘りから抜け出せた。


それから、颯希と俺たちはいろんな話をした。話のネタはつきることはない。流れた時間の長さに比例しているんだから。俺が死んでから12年。短いようでいて、成長していく過程ならではの出来事が山ほどある。


「ああ、颯希は恋もしてこなかったから、恋人もいない。なのに、兄さんは由紀さんとちゃっかり結ばれているなんてズルい。」

颯希の新しい恨み節が俺と由紀に向けられる。


「これからよ。いくらでも良い人がいるわよ。」

瑞希姉さんが颯希を慰めている。


「そうねえ、美紀も恋人が欲しいなあ。でも瑞希さんは、お相手が居るから余裕なんだろうけどね。」

美紀から爆弾が発射された。瑞希姉さん、良い人居たんだ。妙に焦った顔の瑞希姉さんが見られた。


延々と話込んでしまったので、瑞希姉さんの運転する車で家に帰ったときはすっかり暗くなってしまっていた。当然、姉さんと颯希は加藤家へ、俺と由紀と美紀は桂木家だ。盆の墓参りには、俺たちも参加することになった。


誤字脱字、文脈異常等ありましたら御指摘下さい。

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