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11.追憶 その2 恋のはじまり

「ラジオ体操に行こう、勇人。」


昨日は一学期の終業式だった。

夏の太陽が照りつけ蝉の合唱が演奏される校庭で、全学年が整列して、校長先生の長~い話を聞き流した。

話の途中で、何人か脳貧血で倒れていったようで、長い話が切り上げられたのは良かったんじゃないだろうか。正直、誰も聞いていなかったと思う。


そのあと教室で担任の先生から4か月間の努力の結晶である通知表を受け取った。先生は一人ひとりに頑張ったことを褒めていってくれた。成績表を開いたみんなの悲喜こもごもの騒ぎがあったのは記憶に新しい。


大掃除は前日に終わっていたので帰りのHRの後の掃除はない。家に帰るだけだ。学校に置いていた教材なんかは終業式までに少しずつ家に持ち帰っていたけど、それでも残っていたものを全部持つとかなり重かった。それと、なんで終業式の日に図工の作品なんかを全部返してくるんだろう。荷物が増えるだけで、ちっとも嬉しくない。


さらに今学期は集団下校の訓練が終業式に合わせられていた。長雨や季節外れの台風なんかのせいで日程がずれずれになったからだ。どうしてもやらないとダメなわけでもないのに、こういう時だけは律儀に行事をこなそうとするのは御役所仕事っていうんだ、とは僕のお父さんの言葉だけどね。


当然僕は由紀と小集団を作ることになる。僕の荷物だけで大変なのに、由紀の荷物もがっつり持つはめになった。強制的に一緒に帰るのだから逃れられない。身軽に家に向かって歩いている由紀を、僕は恨めしい気分で見ていた。


そんな昨日の次の日である今日からは夏休みだ。なのに、朝6時前に由紀が家の前に居る。玄関口に出た僕を見て由紀が言った。

「なんで準備してないの、勇人。」

「なんでって」


僕は夏休みにラジオ体操に行く予定はなかった。時間が中途半端なんだ。体操が終わって家に帰ってくるとだいたい7時を過ぎている。朝ごはんをそれから食べると、二度寝するわけにもいかない。第一、時間的には起きる時間になっているわけだし。夏休みくらい8時過ぎまで寝ていたいと僕が思うのは罪だろうか。


「学校でラジオ体操をするんだよ。がっこう(・・・・)、に行くんだよ。由紀が行くんだから、勇人も当然いくよね。」

僕には由紀が何を言っているのかわからなかった。


「登下校は一緒にしてくれるって約束したよね、勇人。」

戸惑う僕に対して言われた由紀の次の言葉で意味は理解出来た。でも、それって普通の学校の登下校のことだろう。夏休みまで、なんで一緒に登下校しないとダメなんだ。


「途中で何かあったらどうするの。危ない目にあうかも知れないし、困ったら必ず助けてくれる約束だったよね、勇人。」

無理やり結ばされた約束と思っている僕には脅迫されているとしか思えなかった。ただ『必ず助ける』と言った約束は約束だ。天を仰いで諦めた僕は手早く準備をして由紀と一緒に学校に向かった。


いつもの登校風景も、夏休み期間は一風変わった景色に代わっていて新鮮だった。なにより学校に行くけど、勉強するのとは違うというのが気分的には気楽で楽しい。


ただ由紀は皆勤賞を狙っているということなんで、盆休みを除いて夏休み終わるまで、これが続くんだと思うと僕はげんなりしてしまった。でも朝だけだからと自分で自分を慰めておいた。


学校の校庭で、朝から気合の入った掛け声をする爺さん達の指導のもとラジオ体操を二番まで終えた僕たちは再び一緒に家まで戻ってきた。もちろん皆勤賞のために、出席カードにはしっかりハンコを押してもらってからだ。家に着いた時点で、これで解放されると思っていた僕は、由紀の更なる言葉に固まってしまった。


「朝ごはん終わったら、夏休みの宿題を一緒にやろう、勇人。」

「え、なんで。」今日何回目の、なんで、だろうか。

「宿題は必ず手伝う約束だよね、勇人。」

確かにそういう内容もあったよ。


「夏休みの宿題も宿題だよね、一緒にやってよ。全部手伝ってなんて言わないからさ。一人でやるより二人でしたほうが楽しいじゃない。約束したの忘れてないよね、勇人。」


由紀は下から見上げる女の子の顔であざとく、言っていることは命令だった。約束をした時の僕を小一時間問い質したい。今の僕がこんなに困っているのは、あのときの僕が悪いんだ。


「わかったよ、由紀。」

由紀は歌でも歌いそうなほど御機嫌になった。


せめてもの抵抗でパンを出来るだけゆっくり食べてから、お母さんに由紀の家で宿題をすることを伝えた。

「由紀ちゃんの家に迷惑を掛けたらだめよ。」

お母さんは快く送り出してくれた。いや、そこで禁止してくれたら助かったんだけどな。女の子の家に行ったりしてはいけませんってさ。ああ思い通りにならない世の中だよ。


足取り重く由紀の家に向かう。1分の距離が1時間くらいの感覚だった。でも直ぐに着いてしまった。当たり前だ、1分の距離だしね。

由紀の家の呼び鈴を押すと、玄関に由紀じゃない女の子が出てきた。


「美紀ちゃん、なんで?」

「なんでって、ここは美紀のうちだよ。」

「そうなんだ、知らなかったよ。」


美紀ちゃんの名字は桂木だったんだ。美紀ちゃんが僕の二つ下の妹の颯希の友達だとは知っていたけど、由紀の妹だとは知らなかった。世の中には知らないことが多いんだ。知らないほうが幸せなことも沢山あると思うけどな。


「妹の美紀のことは名前呼びするのに、由紀のことは名字でしか呼んでくれてなかったんだね、勇人。」

僕が美紀ちゃんと話をしているところに、美紀ちゃんの後ろから現れた般若の由紀に僕は正直辟易してきていた。


勝手にしたらいいんじゃないかな。僕は疲れたよ。約束は反故にするね。好きなように言ってくれて構わないから、もう僕には話かけないでくれると助かる。

言いたい言葉をぐっと飲み込んで耐えた。僕えらいかな。


「美紀ちゃんが、妹の颯希とよく遊んでいるから顔を知っていただけだよ。それで颯希が美紀ちゃんと呼んでたから、僕もそうよんでいただけで、名字は知らなったし、由紀の妹だとも知らなったよ。」


いつかと同じだ。妹の友達の認識でしかないことを、由紀に言葉を尽くして説明した。由紀は僕が美紀ちゃんと親しいのが腹立だしかったみたいだった。


「いまは由紀って呼んでいるだろ。一緒に登下校もしているし、由紀が困ったら助ける約束だし、宿題も手伝いに来たじゃないか。」

なんとか由紀が天使にバージョンUPしてくれそうになったところで、やらかしてしまったらしい。


「えええ、お姉ちゃん、宿題を自分でやらないの。」

美紀ちゃんには、由紀が宿題を僕にやらそうとしていると聞こえたらしい。勘弁してほしい。涙を浮かべた由紀を宥め、美紀ちゃんの誤解を解くのに、一日分の活動エネルギーが必要でへとへとになった。


なんだかんだとあったけど、なんとか落ち着いて宿題を始めることが出来た。自由課題は後に廻して、算数や国語のドリルから片づけていくことにした。冷房の効いた由紀の家のリビングで、出してもらった冷たい御茶を片手にひたすらシャーペンを動かす。しばらく無言での作業タイムとなった。


2時間程経ったところで、一度休憩を入れることにした。トイレを借りて帰ってきた僕に由紀が話掛けてきた。


「ねえねえ、花火大会は何か予定がある?」

「いや特に予定はないけど。」

「やった。じゃ一緒に行こうよ。約束だよ。指切りげんまん。」


いきなり指を捕まれ、あぜんとしているうちに針千本の約束をさせられた。こっちの都合というか意見を聞いてくれる気はないのか。


でも由紀は楽しそうに話を続けた。

「あたらしい浴衣を買ってもらったんだ。色はちょっとダークな紫がベースで、花があしらってあって一目で気に入ったんだよ。」

「花火大会は混むから早目に準備していこうね。あと夜店にも寄りたいし。いろんなものを食べるのが楽しみ~。」

本当にうれしそうだった。その由紀の顔を見ていた僕は、あきらめの境地に至ることが出来た。


「そうだね。ただ僕は浴衣を持ってないから、ふつうの服でもいいよね。」

「え、そんなのダメだよ。浴衣を着てよ勇人も。由紀の浴衣姿を見るんだから、勇人の浴衣姿も見せてくれなきゃ嫌。」


由紀は浴衣に拘りがあるようだった。というか、花火大会に浴衣姿はセットだと、ロマンだと思っているということらしかった。なので借りるか買ってもらうかして僕も浴衣を着ることを約束させられた。由紀との約束っていくつまで増えるんだろうか。


花火大会の日は僕の雨乞いの願いもむなしく晴天だった。そして風もなく絶好の花火日和だった。近隣や遠くからも見物客がやってくるので、割と人出は多く盛況だ。


僕たちは、はぐれないように手を繋いで人を避けて歩いていた。手は繋がなくても良いと僕は思っていたんだけど、無言で出された由紀の手に負けてつなぐことになった。手を通じて伝わってくる由紀の体温に僕はどきどきしていた。


僕はデパートで買ってもらった黒の浴衣にベージュの帯、足元は白鼻緒で茶台の桐下駄をはいている。


由紀は、言っていた紫ベースの浴衣に黄色の帯を締めている。頭には銀色の玉かんざしを挿して、足元は黒の高下駄で、手には薄い緑色のカゴ巾着と明るい紫色の切り絵扇子を持っている。


夕闇が迫る淡い明るさのなかで麟と立つ由紀は一枚の絵のように映えて見えた。そしてその姿に僕は不覚にも可愛くて綺麗だと、可憐な由紀と一緒に来れてよかったと思ってしまった。


だが、その大人の恰好をした由紀は元気な由紀だった。中身は変わらない。楽しみだと言っていた言葉通りに、浴衣姿で夜店に突撃をかましていた。


わたあめ・やきそば・たこ焼き・かき氷・クレープ・牛串、定番の食べ物屋を片っ端から制覇する気らしい。口いっぱいに頬張って食べているリスのような姿の由紀を見て、可憐と思ったさっきの僕の純情を返して欲しいと思った。


口元をたこ焼きのソースで汚している由紀を見た僕は、手元からウエットティッシュを取り出して拭いてあげた。由紀はびっくりした様子だったけど素直に笑顔で御礼を言った。

「ありがとう、勇人。」


「気が利くんだね、勇人。ウエットティッシュを持参しているんなんて。」

由紀の眼が少し見直したと言っているようだった。でも僕はこれまでどう思われていたんだろうと逆にへこむ気持ちになったけど。


一通り夜店を回った由紀は満足したらしく花火を見る場所の確保に行動を移した。地元民である僕たちは、穴場というところをいくつも知っている。そのうちの一つ、神社の境内にある小高い盛り土の平坦な狭い場所にレジャーシートを広げて座った。


神社の森に囲まれて外からは見えない場所だけど、空に打ちあがる花火は見えるという絶好の立地だ。周りには地元民らしきラフな身軽な恰好をした人達がチラホラいるだけだった。


慣れない高下駄で由紀は足が痛くなったらしく裸足になっていた。由紀の足には鼻緒でこすれて赤くなっているところがあった。僕は黙って絆創膏を取りだして、由紀の足の赤くなったところに斜めに貼ってあげた。


それから、高下駄の鼻緒の根本を上に引き上げたり、左右を曲げるように引っ張ったりして鼻緒を慣らすようにした。


「ありがとう、勇人。」

さっきの元気なのとは違って、しおらしい由紀だった。


花火が始まった。ファンファーレとなる怒涛の菊先の連射で夜空に色鮮やかな満開の花が咲いていく。咲いた花は次々と散っていく一瞬の芸術だ。


解説者の説明が微かに聞こえてくるが、別にそんなものはなくても美しいものは美しい。言葉はいらない。


僕は気が付かないうちに右隣に座る由紀の肩を引き寄せていた。しまったと気が付いて僕は由紀の顔を見たが、由紀は何も言うことなく、にこっとして少し僕のほうに身体を傾けて頭を僕の右肩に軽く乗せるような姿勢を取った。


花火はどんどん打ち上げられていった。数多く上がるのは平割で、リングは二重輪や交差輪もある、紅牡丹や青牡丹、そして土星やハートも上がる。形の良い見事な八重芯が打ちあがった時には、一斉に歓声が上がった。


フィナーレは、連射に連射を重ねたスターマイン銀冠だった。かなり高度な技術を要する花火職人の技術の結晶だ。時間をかけて垂れ落ちてくる銀線の作る模様は声を失わせる美しさだ。


花火が終わっても僕たちは、しばらく余韻に浸りながら、何も映さなくなった夜空を見上げていた。

「綺麗だったね、勇人。」

「そうだね。来てよかったよ、由紀。」

僕たちは眼を合わせて幸せの空間に浸っていた。


ゆるやかな風が更けた夜を知らせてきたのを機に、片づけをして僕たちは家に向かって歩き始めた。指を組み合うようにして俺の右手と由紀の左手を絡めて。由紀の家に着くまで何も話すことはなかったが、お互いの存在をお互いに意識していたのは隠せていなかった。


「また明日ね。今日はありがとう、勇人。」

家の前で由紀に笑顔で別れの挨拶を告げられた僕は、なぜか離れたくないと切ない気持ちになった。


誤字脱字、文脈異常など御指摘頂ければ幸いです。

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