10.二日目 夜
夕食はジンギスカンだった。俺は例によって別室受験ならぬ別室テーブル席だったが、左隣にいるのは花梨だ。由紀は「今日はみんなと一緒に食べるわね。」と言ってここにはいないので、二人きりで鍋を囲むことになった。
昼と同じく花梨が色々と準備をしていってくれている。焦げ付き防止の為に鍋全体に脂をぬって、肉を山のように豪快に乗せる。肉を焼きすぎてしまわないうちに、鍋の縁に野菜をセットしていく。最初に入れた肉にほんのり火が通ったところで、皿に取り分けていってくれた。
「出来たわよ。さあ食べよ、友くん。」
食欲を誘うジンギスカンに手を合わせて、いただきます、で食べ始めた。
「うまいな。料理が上手だな、花梨。」
「これを料理って言われると、ちょっとなんかって感じね。」
「そうか、肉や野菜を焼いていく手際のよさとか、結構家で手伝いしているんじゃないのか。」
「うーん、普通じゃないかなあ。でも、男は胃袋をつかむのが大事だよってママがいつも言っているから、努力はしているんだよ。」
褒められて満更でもない顔をした花梨は、母親に教えて貰って作れるようになった数々の料理について楽しそうに説明してくれた。
たしかに女性の手料理を喜ぶ男は多いからなあ。張り切って作ってくれたら愛されていると自覚出来てうれしいとか、相手の味覚を知る参考にもなって何を食べにいくかプランが立てやすくなったりもするしな。
俺も皿洗い中心の家での手伝いなんかの話もしながら、ジンギスカンを食べ尽くしてデザートまで完食した。満足した俺たちは、最後のお茶を飲みながらのんびりとした時間を楽しんでいた。
最初は明るかった窓の外も陽が落ちて暗くなってきており、そろそろ部屋に戻る時間だなと思っていたら、ひょっこりと由紀が別室に顔を出した。由紀はテーブルの上をさっと一通り眺めた後に言った。
「二人とも食べ終わってるね。じゃあ、ごちそうさまして、お風呂に行こうか。」
手には『貸切露天風呂 飛天』と書かれた鍵を持っていた。
「貸切露天風呂って何なのさ、由紀。」
「だれと入ると言うんですか、由紀先生。」
俺と花梨はそれぞれの疑問を口にした。
「主に身体が不自由な人が利用するために用意されている少人数タイプの露天風呂があったので貸し切ったのよ。」
にこりと笑った由紀は言った。
「今回は、ゆうくんが居るしね。昨日は部屋風呂だったし、大浴場は難しいだろうから、折角入れる露天風呂があるのに入らないってのはないでしょ。」
それを聞いた花梨は、寂しそうな顔をしていた。
「よかったね、友くん。由紀先生と一緒に入っておいでよ。」
明らかに声のトーンが二桁は落ちていた。
それに対して由紀はのたまった。
「何を言っているのよ。花梨ちゃんも一緒に入るのよ。」
「え、私も!?」
当然だろう。どこの世界に修学旅行で男子生徒と一緒に露天風呂に入ろうという女子生徒がいるのか。まあ女教師は居たんだが。
もう一度、由紀は誰と入ると言っているのか整理しよう。
由紀は当然入るよな。
身体が不自由という理由を付けたのなら骨折して車椅子の俺は該当するよな。
それに花梨も一緒にと言ったよな。
3人で入るのか。倫理的にどうなるんだよ。
「心配いらないわよ、花梨ちゃん。洗い場は一人ひとり囲いで見えないようになっているし、お風呂につかるときは湯あみ着があるから、肌を曝す必要もないし、大丈夫だよ。」
一度入って中を確認してきたという由紀が太鼓判を押す。そういう問題ではないとは思うんだが。
「今日一日は花梨の友くん、なんでしょ。」
天使の微笑みで由紀が付け加える。いや天使より悪だくみの堕天使か。にまりと笑って黒い尻尾を振り回す悪魔の幻影が見えた気がした。まだ今日は終わっていない。確かにそうだが、それを今持ち出してくるか。風呂まで一緒という意味じゃないだろうに。
花梨は、俺の顔を見て、由紀の顔を見て、あさっての方を見て、かなり動揺しているようだった。
「いや、無理に一緒に入るもんじゃないし、というか割と問題があるし、由紀と花梨の二人で入ってきたらいい。」
花梨が困っているのを見て、無難な提案をして俺は丸く収めようとした。
「へたれ。」
由紀が小声で着火した。小声だが、俺と花梨の耳にはきっちりと届いている。どっちに向かって言ったかは不明だが、花梨の心芯には炎が灯ったらしい。
「入ります。友くんの背中流します。」
決然と宣言した。
そして尻すぼみな声になりながら俺に承諾を求めてきた。
「いいよね、友くん。」
「了解、花梨。出来るだけ見ないようにするからな。」
花梨が決断したんだ、恥をかかせないようにするのが男の役目だろう。
「女心がわからないんだなあ、ゆうくん。花梨ちゃんに興味ないの?」
「ばっちり見てあげて、褒めてあげてよね。」
「お返しに身体くらい流してほしいわよね、花梨ちゃん。」
由紀の言葉に真っ赤になった花梨は眼だけがキョロキョロしていた。
いや、仲良くするってのはいいけど、花梨には早すぎるだろう。それに、それはスタイルに自信のある由紀基準じゃね。そうは口にすることが出来ない俺は、花梨に何もしないからなと宥めることになった。
ともあれ、大浴場とは別の区画に設けられている貸切露天風呂に俺たちは3人揃って入ることになった。確かにバリアフリー設計で、入浴用の車椅子も常備されていた。
ラップタイプの湯あみ着を下帯で固定した俺は、花梨に車椅子を押されてシャワーブースまで案内された。案内だけで良いと言ったんだが、どうしてもと言って花梨は、俺の髪の毛を洗い背中まで流してくれた。
由紀に色々言われて、お返しに俺が花梨を流すことになったが、最初は抵抗していた。最後は諦めたのか、神妙に椅子に座った花梨は、よろしくお願いしますといって身を任せてくれた。
花梨は流されている間には一言も話さなかったが、洗い終わったときに言った。
「ありがとう。友くん。でも、もの凄くはずかしいよ。」
当然のことながら、次には由紀を流すことになった。気持ちよさげにしている由紀の顔を見ながら、丹念にきれいにしていった。由紀の肌はキメ細かく滑らかだった。
「本当に綺麗だな、由紀。」
「ふふ、手入れは怠ってないからね。」
「うん、最高だよ。」
「ありがとう、ゆうくん。」
うれしそうな由紀だった。
框に心地よい芳香を放つ桧が用いられ、落ち着いた色合いの御影石が敷き詰められた浴槽は、3人どころか5人位入っても十分余裕がある大きさがあった。
どういう仕組みなのか、ガラス格子で組まれた天井を通して星が彩る天空を背景に、虚空を舞い踊る天女の姿が見ることが出来ることに『飛天』の名は由来しているようだった。
その下の小さなアトリウムでは、二人の天女が微笑んでいた。由紀はデコルテと背中がスッキリ見えるフロントストラップワンピースを、花梨は肩と背中のラインを強調し顔をすっきり見せるホルターネックワンピースを身に纏っていた。俺は、見ないと言ったのに二人へ向く視線をコントロール出来ず、二人に笑われる羽目になった。
旅行の楽しみの一つにはお風呂が挙げられるだろう。温泉なら当然、様々な趣向が凝らされた風呂の仕掛けにも心ひかれるものがある。ゆったりとお湯に浸かりながら、行ったことのある或いは行ってみたい旅館について俺たちは静かに話していた。
暑くなってきた俺と花梨が湯から上がり、桧の框に並んで座った。どこからか緩やかな風がそよぎ気持ちが良かった。由紀はまだ湯に浸かっていた。
「友くん・・・」
「ん?」
「友くんにとって花梨って何かな?」
「・・・」
「何っていうか、どういう存在かなと思ってね。」
ガラス格子から雫がしずかに落ちてはじけた。
「そうだな、俺にとって花梨がどういう存在かってことだな。うん、まあ一年生の時からずっと同じクラスだったし、いつも一緒にいるもんだと思っていたな。」
「そういう意味では特別な存在だな。花梨を意識してなかったと言えば嘘になる。そのまま何もなかったら花梨とどうかなっていたかもしれない。」
「ただ由紀と再会したことで世界が変わった気がする。自分の気持ちに気が付かされた。ほかの誰でもない由紀を愛しているんだという、俺自身の魂の叫びが聞こえてきたんだ。」
「花梨のことは好きだし、今は愛していると言っても間違いじゃないな。だけど不思議と恋じゃないな。なんていうか、娘に対する愛情みたいな感じだな。」
精神の経過年齢によるのか、友貴としては同年代になる花梨が俺には年下の女の子という感覚でしかなくなっていた。花梨とは仲良くしていたいが、仲良い友人関係を保ちたいという気持ちが強くあるだけだ。
「じゃあパパだね、友くんは。」
ふっきれた笑いをしながら花梨が言った。
「そうだな、俺は花梨のパパだな。パパっていうと違う意味になりそうだけどな。」
そう言いながら俺は隣に座る花梨を手を伸ばしてすっと軽く引き寄せた。花梨はびくっとして身体を震わせた。
「ゆうくん、花梨ちゃんは薄物一枚のほとんど裸だよ。そんなふうにしたら固まっちゃうでしょ。それと女の子は優しく扱ってあげてよね。」
由紀がやんわりと俺を諭してくれた。
「すまん、花梨。俺が悪かった。」
「嫌じゃないよ。うん、抱きしめて貰えると嬉しいしね。」
立ち直った花梨は、そっと立ち上がり俺の膝の上に足を広げて座り、俺の胴に腕を回して抱きついてきた。胸の前にある花梨の顔が俺を見上げている。
「大好き、パパ。」
花梨は笑っていて、エロチックな色恋沙汰という感じではない。
そんな態勢で花梨が更に俺に聞いてきた。
「ねえ友くんにとって由紀先生はどんな存在?」
「心から愛しい。離れ離れになるのはもう嫌だし、命を懸けて護る対象だな。このことは俺の存在価値と言っても良いと思っている。」
俺は即答した。
ふと花梨の視線が気になり、後ろを振り向くと、蕩けるような笑顔で幸せを具現した由紀が居た。すっと由紀は浴槽から立ち上がり、俺の背中にぴったりと抱き付いてきた。俺の背中を成人女性の凹凸が刺激する。
「わたしも離れたくないわよ、勇人。」
俺を前世の名で呼ぶ由紀の熱い口唇が俺の口脣を覆う。
キスをする俺たちを見て、花梨は驚きで眼を丸くしていた。そして膝からずり落ちそうになった花梨の御尻を俺は両手で支えた。
「いやん、エッチ。ママとキスしながら、娘の御尻を触るなんてパパ最低。」
花梨は可愛く抗議して俺の胸に赤くなった顔を埋めてきた。
パパである俺が好きな由紀はママになるらしい、娘の花梨視点では。
「ねえ、誰にも言わないから本当のことを教えて。ママがパパを助けたの、それともパパがママを助けたの。あの事故のとき。ずっと引っかかってるの。」
ひとしきり俺の胸に顔を擦り付けた花梨は、静かな口調で尋ねてきた。俺は由紀の顔をちらと見て、由紀が僅かに頷いたのを確認してから口にした。
「俺が由紀を助けたが本当だな。でも立場がある。教師である由紀を護るためには逆にしたほうが良いと俺は思った。だから事実をまげて都合の良い真実を作り上げた。」
俺の返答を聞いた花梨は、納得したという顔をしていた。
「命を懸けて護る対象なのね、由紀先生が。私は友くんのことが好き。もう叶わない恋だけど、後悔はしていない。きれいな思い出にして置きたいしね。」
憑き物が落ちたような表情で花梨は続けた。
「友くん、由紀先生を大事にしてね。由紀先生も私の大好きな友くんを大切にしてね。」
俺は由紀の手を借りながら、そっと花梨を抱き上げてゆっくりと浴槽に浸かった。花梨は俺の膝の上に座ったまま大人しく湯を楽しんでいた。時に由紀を眺めて、俺にしがみついて、俺と由紀が口づけをするのを羨望の眼差しで見つめていた。中空に差し掛かった月明かりが差し込むアトリウムでは、何も語ることのない3人の穏やかな時間だけが過ぎていった。
そうこうしているうちに静寂が支配するアトリウムに、遠くから汽笛の響きが届けられた。出航の時間、魔法が解けて現実に戻るミッドナイトだ。良い加減に身体が温まっていた俺たちは、それを機に風呂から上がった。
俺のシングルルームが見たいと言った花梨は、デラックスコーナーツインルームに案内されることになった。シングルルームじゃないことにすぐ気が付いて物言いたげな顔をしていた花梨は、笑う由紀に腕を捕まれてベットに引きずり込まれていた。
「今日はママと寝ましょ、花梨ちゃん。」
もはや何がどうなっていくのか分からない状況だった。でも花梨は喜んでいるようだった。
それを横目で見ながら、もう一つのベットに潜り込もうとしていた俺は、後ろから花梨に引っ張られ「ママと花梨と一緒に寝よ、パパ。」と笑顔で言われた。家族ロールを受け入れて、俺は結局二人と同じベットで寝ることになった。
花梨はかわいいパジャマで、由紀と俺は昨日と同じくバスローブで。朝を迎えたときには、左に花梨、右に由紀、で挟まれていた。二人とも可愛い寝顔だった。当然何もしていない。
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