第五話
わたくしは、一般クラスに所属しておりますが精霊術使いでもあるので教養授業中心の午前中を終えますと、午後は精霊クラスの授業に参加いたします。
精霊クラスは人数が少ないので、中等部の方々と合同になります。
後輩の皆さまは可愛らしくて、控えめながら教えを乞いにくる姿はほっこりと心の奥が温かくなります。
「セネラ様! お久しぶりです。申し訳ありませんが、少しお付き合い下さいませ!」
「スザンナ様? どうなさったのですか?」
中等部2年生のスザンナ・グルベ様。国内随一の大商家・グルべ家の末娘でいらっしゃいますが、精霊術使いの素養がある上に目利きに長けた賢明な方です。
ふわふわした栗色の髪と翡翠のような大きな瞳が可愛らしい印象を与えますが、非常に冷静でしっかりとした見識をお持ちで、下手な貴族令嬢よりもよほど淑女と呼べるほどに礼儀正しいのですが、少々強引な所がございます。
けして自分の都合を押し付けるのではなく、普段は物静かな方でいらっしゃいますが。
一般クラスと精霊クラスは棟が違うのですが、その間には共有スペースとして休憩所があります。ここで昼食をとる方もいますが、ほとんどは食堂に向かわれますので昼休みも後15分ほどになりますともう人一人おられません。
その休憩所の片隅に、スザンナ様に促されて座り、耳を傾けます。
「アンネ=サベラに対して、どう思われておられますか?」
…ずいぶんと唐突ですね。
何となく予想はしておりましたが。
一週間前のサロンでのことは、裏方の手伝いとして来ていた中等部生から広がっている事でしょう、と。
あまりにも非常識でしたから、中等部生からも怒りが出るのでは思っておりましたがここまで直球とは…。
「何とも思っておりません」
「本当ですか?」
「えぇ、言葉の通じないおバカさんに、関わらないことが一番ですから」
酷いと思われるようですが、一方的な思い込みで人を詰り、話をしてもそれを超解釈してさらに罵る方は、言葉の通じない獣…おバカさんで間違っていないと思います。
「では、少し協力していただけませんか?」
「何にでしょうか?」
「…あたしの契約している精霊様は、闇の高位精霊様なのはご存知ですよね?」
「えぇ、存じ上げております」
「実は、あたしの契約精霊様は、アンネ=サベラの契約精霊様と犬猿の仲らしくてですね」
「光と闇ですから、致し方ないでしょう」
「いえ、それだけではないというか、光の精霊様達の中でも浮いているというか疎まれているようなんです」
「…同属から疎まれるって、どれだけですか」
精霊様は、同属同士では非常に密なつながりをお持ちです。その為か、同属同士でいがみ合うことがほとんどありません。
精霊術使いでも、同じ属性ですと争いになりませんし下手すれば災厄級の暴走を引き起こしてしまいますので、同属性でのぶつかり合いはご法度となっています。暗黙の了解、という感じですが。
「フェンネスの悲劇、をご存知ですよね?」
「えぇ、ここ五百年の歴史でも未曾有の大災厄とされてますから…」
ちょっと、嫌な予感がします。
「それ、なんだそうです」
フェンネスの悲劇、というのははるか東方にある鬼属の国フェンネスで起こった事件です。
鬼属は文字通りの種族ですが、基本的には非常に穏やかで平和主義な方ばかりです。戦闘種族でもありますので、キレたら一国を破壊するなど容易い方々ですが、沸点は異常に高いので滅多な事ではキレません。
およそ四五〇年前、当時のフェンネスの王は即位したばかりの年若い少年だったそうです。鬼属にとっては、ですが。
少しばかり年長の従兄夫妻の助けを借りて国をよく治めていた善良な王です。
年若く明君となれば、即位して安定すると、お妃問題が浮上するのは必然です。元より、王には恋人がいました。隣国の王女で、天翼という翼ある種族で鬼属と同じくらいの長命種なのでお相手として問題ありませんでした。
そこに、横恋慕する存在が現れたのです。
本人は、王と恋仲であり横恋慕してきたのは王女の方であると主張しました。
…鬼属、天翼は唖然呆然だったという話です。鼻で笑い飛ばすのも出来ないほど、真顔で確信に満ち溢れた体でいたそうで。
その横恋慕してきた勘違いが、光の高位精霊ティツィール様。アンネ=サベラ嬢の契約精霊様です。…今初めて知りましたが。
精霊様は、個人名を持たないのが通常です。個人名を持つのは、人の身を取ることが出来るほどに力が強い存在に限られます。
過去には人との間に子をなした高位精霊様もいらっしゃいます。
異種族との恋愛は、そういったことに奔放な精霊様は気になさいません。ですが、光の精霊様は正義感が強く秩序を重んじますので、横恋慕しても騒動を起こすことはまずありません。身を引かれるか玉砕なさるのだそうです。潔い…。
ですが、ティツィール様はそうではなかったようです。
確かに、王と交流はあったそうなのですが、それは雨乞いの為だったようです。その年、フェンネスを含んだ東方では雨が降らず、川などの水量も減り、田畑も干上がる寸前だったとか。ですから、天候の運行を司る光の精霊様に語り掛け、雨を降らせてくださるように依頼したそうです。その時、応答して姿を現し、雨を降らせるようにしたのがティツィール様。
…ぶっちゃけ、それ以外に王自身が語りかけたことはなく、ティツィール様が勝手にやってきて付きまとっていたそうで、鬼属の方々にとってはストーカー扱いだったそうです。
しかも、会議の場だろうが政務の真っ最中だろうが、機密事項を扱う禁書庫だろうがお構いなしにやってくるので、精霊封じの結界を王宮に張ろうと一部の沸点が低い方々が画策されたそうですが、王がとりなされたのだとか。…沸点が低い方々の代表は、王の実弟殿下と義弟閣下だったそうです。
王女との関係を詳らかにし、婚姻を公表すれば諦めるだろう、と王も王女も思っていたのですが、ティツィール様が先のような勘違いをしていた為に思いは無為のものとなりました。
それでも、王も王女もどうにか勘違いを解き、諦めてもらおうとしたようです。
最初はティツィール様と王女を二股にかけていたと思った光の精霊様方が王を責めたそうですが、しばらくすれば可笑しいと思われたのか、鬼属や天翼の方々に語り掛けて情報を集められるようになられたそうです。結果として、ティツィール様の勘違いと一人相撲であると判明して、光の精霊様方はティツィール様をいさめようとしたそうです。それが火に油を注ぐ行為だったようで、ティツィール様は王女を排除すればいいと考えられたようで、天翼の国に雷雨を降り注がせたりと天災を集中させました。
これに、王と天翼の女王がキレておしまいになられたのです。
沸点の高い王と同様に、王女の母君である天翼の女王は娘と言えども人の事には口出ししない主義でいらっしゃったそうです。
ですが、理不尽極まりない天災の数々、それによる死者負傷者が増えるにつれて王と女王はその力を振るわれました。
精霊様は世界の均衡を保つ役割があります。高位精霊となれば、その存在の消滅は世界に大災厄を呼びかねません。それを承知の上で、王と女王はティツィール様を滅ぼす為に動き始められました。
鬼属も天翼もそれに呼応し、光の精霊様方は慌てました。
悪いのはティツィール様です。誰がどう見ても、王と王女は被害者であり、女王は国を護る者として当然の怒りを抱いていらっしゃいます。
正義感の強い光の精霊様方は、同胞と言えどもティツィール様を擁護などできませんでした。
嫌悪を抱く方もいらっしゃったようですが、大災厄が起こりかねないことを考えれば、動かざるを得ません。
怒り狂う戦闘種族の王と天空の覇者の女王に対し、光の精霊様方は自分達の名と存在においてティツィール様を封じることを誓われました。
その力を完全に封じれば、災厄は免れませんが世界が亡びる寸前にまで行くことはまずありません。大を取るか小を取るか、という感じでしょうか。
結果、ティツィール様は精霊王陛下と光の大精霊様に封印され、それによって大陸中を災厄が襲う事となりました。事の顛末は大陸中に知られ、ティツィール様の名は忌み名とされるようになったのです。
王はその発端となったから、と王女と婚姻後退位して地方の復旧に従事なさったとか。
跡を継がれた実弟殿下は、即位の際に王の子に後を譲ると誓われ誓紙を書かれたとか。
女王は百年ばかり光の精霊様の国内への立ち入りを拒まれたとか。…ご自分である程度天候を左右できる魔力を持っておられるからできる事ですね。
これらの一連を持って、『フェンネスの悲劇』と称されます。
フェンネスを原因とするか、被害者とするかで意見は分かれるそうですが、わたくしとしては被害者だと思います。
…さて、ここで一つ疑問があります。
「封印されていらっしゃる方が、どうして…」
そう、封印されているはずなのに、どうしてアンネ=サベラ嬢と契約なさっておられるのでしょうか。
「それは分かりません。ですが、あたしの契約精霊様は、おそらくアンネ=サベラが封印を解いてしまったのではないか、と」
「…子供に解けてしまうようなものであるとは思えませんが」
「はい。あたしもそう思いましたが、アンネ=サベラの精霊感応力と魔力は悔しい事にマリア様に次いで学園第三位なんです」
「高い素養とそれを制御しきれない年齢、そして、共感できる素地があったとそういうことですか」
「おそらく」
痛いほどの勘違いを繰り返す様子から見れば、ティツィール様とさぞ気が合われることでしょう。
何とも面倒な…。
というか、アンネ=サベラ嬢は勉強をしてこなかったのでしょうか。
『フェンネスの悲劇』は小さな子供でも知っています。初等教育の歴史に出てきますから。
「もしかして、協力というのは封印するということですか?」
「はい。数百年の封印の間に無理矢理外に出ようとしていたのか、随分と力を消耗している上完全に負に染まったのか気配がいびつになっている為、契約精霊様も封印が破れている事にお気づきにならなかったそうなんです」
「いや、分かるでしょう。普通」
「まさか、山の奥の奥の絶壁の崖のくぼみの上に開いた小さな穴からしか入れない海底に通じるとてつもなく深い洞窟をもぐる者がいるとは思わず、完全放置していたようです」
「…封印場所をそこにした意図は、分かると言えばわかりますけれど」
光の当たる場所では力を蓄えられる可能性もあると考えた結果なのでしょうけれど。
いえ、そんなところにおそらくは幼少であろう時分に行ったアンネ=サベラ嬢に呆れるべきなのでしょうね。
世の中、悪しき精霊も少なからずいるというのに。
あのキチガイ、ただの世間知らずなじゃじゃ馬な気がしてきました。
「まぁ、精霊様方のうっかりはこの際、置いておきましょう。封印に関しては、拒否する理由がありませんし、災厄をまき散らされては迷惑です。喜んで協力させていただきましょう」
「ありがとうございます!」
そんなに深く頭を下げなくとも、スザンナ様のせいではありませんのに。
えぇ、悪いのは封印をうっかり忘れて放置していた精霊様方とその封印を破ったどこぞのおバカさんです。
…キチガイとキチガイのコンビって、嫌な予感しかしません。
はぁ…。




