72場 呪いの手紙の製作者
「うう〜、ごめんなさい、レイさん〜」
「もう、お姉ちゃんうるさい! いつまで泣いてんのさ!」
寮の談話室のソファに座り、おいおいと泣きじゃくるメルディに、グレイグがクッションを投げつける。ふわふわの羽毛入りだったのは、ささやかな弟の愛情なのかもしれない。
「エレンを見なよ。この状況で暗号解いてくれてんだよ? 昨日あんなことがあっても黙って耐えてるのに、年上として恥ずかしくないの?」
グレイグの隣では、ローテーブルに手紙を広げたエレンが魔語の辞書を片手に唸っている。その周りには魔法書がたくさん積み上がっていて、まるで本の壁ができたようだ。
とはいえ、「暗号を解いて」と厚かましいお願いをしたわけではない。
レイと喧嘩したあと、なんとか食堂で軽食をゲットして寮に来たものの、グレイグに会った瞬間に気が緩み、勢いよく抱きついた弾みで手紙を落としてしまったのだ。
不審げに「何、これ?」と尋ねられたら正直に答えざるを得ない。
そう、これは不可抗力である。
「この方が気が紛れるし、ボクは大丈夫だよ。それにグレイグがそばにいてくれたから、だいぶ落ち着いた。ごめんね、いつも面倒かけて」
「だから、面倒なんて思ってないって。……サンドイッチ食べた? コーヒーは? ご飯はしっかり食べなよ」
やけに親切である。眠れないエレンに一晩中付き添って、友情が深まったのかもしれない。
「あーあ、まさかレイさんとの会話をエステルに聞かれてるなんてなあ。お姉ちゃんがいないからって迂闊だったよ」
エレンにコーヒーを渡し、グレイグがため息をつく。
ミルディアの手伝いの合間に、図書館でレイに論文を見てもらっているときに、うっかり話題にしてしまったそうだ。ニールは図書委員だから耳に入ったのだろう。
「ここに来てすぐじゃない……。ねえ、なんで教えてくれなかったの? レイさんの初恋の人がミルディアさんってこと」
「そんなの言えるわけないでしょ。お姉ちゃんが荒れるの目に見えてるもん。そもそも僕、パパから釘刺されてたし。絶対に言うなよって」
「パパめ……。首都に戻ったら覚えてなさいよ」
見当違いな怒りを父親に向け、向かいのエレンに「ごめんね」と声をかける。
「グレイグの言う通り、そんな状況じゃないのにね。本当にありがとう」
「いえ。メルディさんにはお世話になってますから」
ノートに羽ペンを走らせる手を止め、エレンが顔を上げる。
「ボク、不思議を探している間、メルディさんに『すごい』って褒めてもらえて本当に嬉しかったんです。ベンチで話してくれたことも心に沁みました。まるで真っ黒なページにラメ入りのインクがこぼれたような……。おかげで、ようやくボクはボクとして自信が持てた気がします。あなたのファンでいてよかった」
「エレン君……」
「でも、そうですね……。もし、暗号が解けたら……」
そこで言葉を切り、エレンはローブのポケットから杖を取り出した。先端が折れた、古びた杖を。
「新しい杖を作ってもらえますか? これ、従姉妹のお下がりなんです。そろそろ手放したいから」
「……うん。うん、絶対に作るよ! メルディ・ジャーノの最高傑作を!」
「嬉しいなあ。推しの作品を手にできるなんて、ファンとして最高の栄誉ですよ」
目を細めてエレンが笑う。その姿に憂いの気配はない。エレンは自分の力で羽を手に入れたのだ。大河の向こうまで飛んでいける羽を。
涙で小さくなっていたメルディの胸の中の炉の炎が、激しく燃え盛っていく。
「やる気出た! いつまでも、めそめそしてらんないわね! 賢者の雫を手に入れて、レイさんにも謝る。それで大団円よ!」
「うーん、相変わらず単純な姉。楽でいいけど」
鎧に覆われた肩をすくめるものの、その目は優しい。素直じゃない弟である。
「それで、その暗号ってそんなに難しいの?」
「いえ、単純なアナグラムでしたから、暗号自体はそうでも……。ただ、解読しても文章が意味を成さないんですよ。これ、ただのカレーの作り方ですもん」
カレーとはラスタ東端の先にある隣国の料理で、スパイスの効いた独特の香りがするルーをパンにつけたり、ライスにかけたりして食べる。
首都でも食べられる店があったし、魔法学校の食堂にも定番としてあった。味はとても美味しく、夏場は特にスプーンが止まらなくてやばい。
「論文に美味しいカレーの作り方を書いたら点数くれるって噂はあるけどさ。かなりの眉唾だよねえ」
「ミルディアさんにそんなの出したら逆に減点されない?」
「僕もそう思う」
とはいえ、カレーの作り方がさらに難しい暗号になっている可能性はある。解読はエレンに任せ、メルディは今まで集めてきたプレートを確認することにした。
エレンの邪魔をしないよう、テーブルの隅にプレートを並べる。長方形が一つ、L字型が二つ、小さな三角定規みたいな直角三角形が二つ。正方形に近い四角が一つ。
素材も刻印されている魔語もバラバラ。へこみにも共通点はない。しかし、あれこれいじくり回しているうちに、へこみの部分がパズルのように組み合うことに気づいた。
「……これ、鍵の鋳型っぽいな」
賢者の雫へ続く部屋の鍵だろうか。それとも、保管している容れ物の鍵だろうか。ただ、一番肝心な部分――キーウェイと呼ばれる凸凹の溝の部分が抜けている。最後の一つが見つからないことには作れないだろう。
「となると、残るヒントは刻印だけか……」
手に入れた順番に刻印を読み上げる。『M・W』、『A・B』、『R・B』、『O・W』、『L・R』、『K・M』……そのとき、ふと校長室で見たアルバムを思い出した。
「あー!」
「だから、うるさいって! 急に叫ばないでよ!」
グレイグがまたクッションを投げつける。それを華麗に避け、メルディは子供みたいにはしゃいだ声を上げた。
「これ、レイさんだよ! 七番目の不思議はレイさんが作ったんだ!」
「え? どう言うこと?」
身体中に血が巡っていくのを感じる。さっきまで泣いていたのに現金なものだ。
「そうか……。そうだったんだ……。だからドニ先生のときは六不思議で、グレイグのときは八不思議に増えたんだ……。校長先生は共犯? それとも主犯かな?」
「ちょっと、お姉ちゃん聞いてるの?」
「エレン君、それ貸して。ううん、違う。封筒の方」
グレイグを無視し、エレンに手を伸ばす。エレンは戸惑いつつも封筒を渡してくれた。
「なんで封筒なんですか?」
「暗号はブラフなんだよ。レイさんのことだから、きっとこの辺りに……あった!」
ペーパーナイフで封筒の側面を開ける。ビンゴだ。
開けた部分を下にして振ると、二重封筒の隙間からプレートが落ちてきた。手紙に迷路蝶の鱗粉を混ぜたインクを使ったのは、封筒に注意を向けさせないためだろう。
素材は銀。正方形に近い四角で、右端の部分に凸凹の形のへこみがある。刻印はR・A。レイ・アグニスだ。
「やっぱり。見て、これは鋳型なんだよ。七枚揃えたら鍵が作れるようになってるの。刻印はレイさんの学生時代のお友達の名前だったのよ」
モリス・ウィズダム、アッシュ・ベンカン、ロナルド・ベンカン、オーランド・ウィック、カーズ・メイト、リオン・リバー、そして、レイ・アグニス。
七つ目の不思議を作ったのは、研究室の仲間が七人だったからだ。美術室でグレイグが「遊びの延長っぽい」と印象を抱いたのは間違いではなかった。
これは、レイが残した青春の欠片なのだ。
ポケットから取り出した羊皮紙をエレンたちの方に向けて広げる。賢者の雫のありかはこの中に隠されているはずだ。エルドラドがメルディに託したのは、レイの妻だからかもしれない。
「ねえ、エレン君、グレイグ。何か気づいたことはない? どんな小さなことでもいいから教えて」
「ええ……。僕はこういうのダメだよ。エレンは?」
「……初めて見せてもらったときから、ずっと考えてたんですけど」
す、と羊皮紙の上に指をすべらせる。
「この、『時の流れに導かれ』って部分が気になります。『力を合わせて何を生む?』は鍵ですよね。鍵を作って、時の流れに導かれた先に賢者の雫がある。時の流れ、つまり時間を示す何かだと思うんですけど」
「時間を示すものってここにはいっぱいあるよ? 時計に、授業のチャイムに……鐘楼の鐘もそうか。どこかに書かれた数字もそう言えなくはないし」
グレイグの言葉に、エレンが首を横に振る。
「最初にも言ったけど、見つけてもらいたいって前提がある以上、やっぱりそこまで捻ってないと思うんだよね。素直に時計のことじゃないかな」
わいわいと意見を交換する二人を前に首を捻る。時計、時計……時計?
「……玄関ホールの柱時計、固定されてなかったよね。あんなに大きいのに」
一瞬の間を置いて、エレンが「それです!」と声を上げる。
「きっと、柱時計に何か仕掛けがあるんですよ。よくあるのは針を順番に動かすパターンですね」
「素材が関係あるのかな? 五番目の謎がそんな感じのだったよ」
「組成ですかね? でも、それじゃ複雑すぎかな?」
「……なんで鉄がないんだろ?」
目を皿のようにしてプレートを確認するメルディたちに、グレイグがぽつりと呟いた。
「お姉ちゃん、言ってたよね。金は高いのよって。レイさんのお友達が貴族だったならともかく、普通の学生にそこまでお金があるかな。比較的手に入れやすい、鉄とか銅を使うんじゃないの?」
「鉄と銅を使わない理由……?」
「もしかして……比重? そうだ、比重だ! だから鉄も銅もないんですよ!」
ええと、と呟きながら記憶を探る。
金は19.32、錫は7.3、アルミニウムは2.7、白金は21.45、クロムは7.19、鉛は11.36、そして、銀は10.49。全て二十四時間以内に収まる。
対して鉄は7.87、銅は8.93だ。時間では現せられない。
つまり、比重の軽い順で針を動かせば柱時計が動くのかもしれない。
「わ、わああ、解けちゃった! 解けちゃったよ、私たち! すごい、すごい!」
「やった! やりましたねメルディさん!」
両手を取り合ってはしゃぐメルディとエレンを、グレイグは冷静な目で見つめている。「おめでとう」の言葉も少し棒読みだ。
「鍵ならお姉ちゃんが作れるよね。早速、賢者の雫を取りに行く?」
「ううん、その前にレイさんに謝るよ。それで、一緒に鍵を開ける。できればニール君も呼びたい。こんな状況だけど、最後まで付き合ってくれる?」
「もちろん。ここまで来たら、賢者の雫の正体も知りたいですしね。本当に魔力爆上げアイテムかどうかは別として」
「まあ、お姉ちゃんを一人にするなって言われてるし、姉の面倒を見るのも弟の仕事だからね」
テーブルに身を乗り出して、エレンとグレイグを両腕で抱きしめる。
弾みでメルディの両肩から振り落とされたフィーとアズロが抗議の鳴き声を上げたが気にならない。
ドニもこんな気持ちだったのだろうか。腕の中の二人が愛おしくて仕方なかった。
ただ、もう一つだけお願いすることが残っている。
「あのさ……。鍵を作ったら、レイさんが戻ってくるまでレイさんを呼び捨てで呼ぶ練習させてくれない?」
談話室に笑い声が弾けた。
これで大団円への道筋ができた。メルディたちが謎を解いたと知ったら、レイはどんな顔をするだろう。
しかし、どれだけ待ってもレイは戻ってこなかった。




