69場 消えないインク
今回ちょっと長いです
「詳しいかどうかはわかんないけど、防具に使われているやつならわかるよ」
魔鉱石とは、魔力が凝縮して可視化した魔石とは違い、魔素を含んで属性を帯びた鉱石全般のことを指す。
そのまま使用されることは少なく、合金にしたり、純度が高ければ研磨して宝石代わりに使ったりもする……が、高価なのであまりメルディは手にしたことがない。
「このミニインゴットに使われてる合金の融解温度って覚えてます?」
「えっと……。火属性のイフリート鋼は三千六百五十度、氷属性のルクレツィア鋼は千七百度……」
思い出しながら、左から順番に言っていく。ニールは黙って聞いていたが、メルディが全て言い終わると、おもむろにミニインゴットを指で摘んだ。
「赤、白……青い火は一番温度が高いから……」
ぶつぶつと呟きながらミニインゴットを炉にくべていく。そして、全てをくべ終えたと同時に、扉からカチャリと鍵が外れる音が聞こえた。
「えっ、すごい。どうやったの? 全然わかんなかった」
「この張り紙とミニインゴットの融解温度が対になってて、矢印に従って下から入れると鍵が開く仕組みになってたみたいです。たぶん、ミニチュアの裏側と扉の内側に魔法紋が書いてあるんじゃないかな」
確認してみると、ニールの言った通りだった。
開いた扉に足を踏み入れる。中は思ったより綺麗だった。資料室と同じように、天井まで届く棚がぎっしりと置かれている。
しかし、資料室と違うのは、棚の中に保管されているのが、布面積が小さい女性の絵や、とてもお子さまにはお見せできない際どい描写が多い小説ばかりだったことだ。
「こ、これは、もしや……」
「確かに貴重な資料ですね。主に男子生徒の」
真面目な顔でニールが言う……ものの、その視線は手の中の本に注がれている。紳士に見えても、やっぱり男の子らしい。
「もー! 見るならあとでこっそり見て!」
本を取り上げた拍子に、プレートが床に落ちた。隙間に挟まっていたようだ。
なんて破廉恥な。微妙に触るのが躊躇われる。
ニールが黙って見つめてくるので、渋々プレートを拾う。材質はクロム。最果ての塔で見つけたものと同じ形だ。L字の真ん中あたりには細長いへこみがあった。隅にはA・Bと刻印されている。
「よかったですね、見つかって」
「うん、まあ……」
げんなりと答えたとき、鐘楼の鐘が鳴った。一回。昼の一時だ。
「もうこんな時間かあ。レイさんもグレイグもいないし、よかったら食堂で一緒に食べない? デートに付き合ってくれたお礼に、お姉さんが奢ったげるよ」
素直に頷いたニールを連れて食堂に行く。お昼ご飯のピークを過ぎた食堂は少し閑散としていた。
今日のメニューは魔法学校名物の潮汁だそうだ。シエラ・シエルは大河の中にある小島なので、南の海の幸も新鮮な状態で運ばれてくる。想像するだけで涎が出そうになり、きゅっと唇を引き結ぶ。
「今日は潮汁か。これ、ヒンギス先生が好きなんですよ」
「……あの人にも好物とかあるの?」
思わず出た言葉に、ニールは小さく吹き出して「ありますよ!」と答えた。
「ああ見えて、ちゃんと血の通った人間なんですよ。エルフの血を引きながら、ヒト種として生まれた僕のことを親身に面倒見てくれますし」
「ニール君はヒンギス先生を尊敬してるんだね」
「もちろん。魔法学の知識はすごいし、授業もわかりやすいです。まあ……少し心配性なところがありますけど」
最果ての塔での様子を思い出す。確かに、少し姿が見えないだけで探しに来たようだった。学生なんて教師の目を盗んであちこち遊びまわっていそうなのに。
きっと多種族との接触を好まないだけで、ニールにはいい教師なのだろう。メルディはあまり好きになれそうにないが。
ニールとあれこれ言いながらトレーを山盛りにし、窓際の席に着く。すると、少し離れた席に、見知った二人がいることに気づいた。
「あれ? アデリア先生とアルフレッド先生だ」
アデリアとアルフレッドは二人してテーブルに項垂れ、頭を抱えていた。その並々ならぬ雰囲気が気になり、ニールと共に二人の元へ向かう。
「お二人とも、どうされたんですか? なんか悲壮感漂ってますけど」
「ああ、メルディちゃんか。いや、その……。俺たち、教授選を辞退しようかと思って」
「えっ、なんで?」
予期せぬ言葉に思わず素が出た。隣のニールも驚いている。昨日の今日で一体何があったというのか。
「ヒンギス先生とドニ先生相手じゃ勝ち目がないからですか? それとも、小箱の謎が解けないとか?」
「ううん。二人とも謎は解いたんだ。でもね、ちょっと公にしたくない内容って言うか……」
言葉を濁したアルフレッドのあとを、アデリアが震えながら繋いだ。
「ちょっとじゃないよ。あんな恐ろしいもの、世に出しちゃいけないんだよ」
「なんか、だんだん不吉な気配がしてきたわね……」
直射日光を避けるため、大きな木陰を選んで歩く。隣にニールはいない。食堂を出てすぐに寮に戻ってしまった。疲れているのに連れ回しすぎたのかもしれない。
両肩に乗ったフィーとアズロも、凶悪な夏の日差しに辟易としている。メルディ自身も正直、冷風機の効いた部屋に戻りたい。
それでも何故、頑張って歩いているかというと、六番目の秘密の場所だけでも確認しておこうと思ったからだ。
別れ際にニールから聞いた情報によると、六番目の秘密は庭にある地下室。もともとは避難壕として作られたものらしいが、いつの間にか闇の魔素が充満してしまい、今では闇魔法の訓練時にしか使われないそうだ。
「アデリア先生が言ってた『恐ろしいもの』ってなんだと思う?」
フィーとアズロに聞いてみるが、彼らは首を傾げるばかりだった。
さくさくと草を踏み鳴らしながら、昔読んだ御伽話を思い出す。
ダンジョンの探索を生業としている女性が、ある日ダンジョンの底で災厄の詰まった宝箱を開けてしまい、世界中にその災厄が広がってしまったという後味の悪い話だった。
たとえ魔法学校といえども、災害級の代物を実技試験の課題として出さないとは思うが、あの羽ペンとインクを使ってどんなものに辿り着いたのかは、とても気になる。
「きっと私みたいな人間が災厄の詰まった箱を開けちゃうのよね……って、あれ?」
視界の先、昨日エレンと座っていたベンチにドニが座っていた。灰色のローブはだらしなく乱れ、禁煙スペースなのに紫煙を燻らせている。
近くにエレンの姿はない。先に研究室に帰っているのだろうか。
「おう、嬢ちゃん。また会ったな」
気だるげに右手を上げ、髭だらけの顔でにやりと笑う。とっくに気づかれていたようだ。黙って逃げるわけにもいかないのでベンチに近づき、隣に腰を下ろす。
「実験は終わったんですか? エレン君は?」
「終わった終わった。今度はお呼び出しが掛からなくて済んだぜ。エレンは研究室で実験結果をまとめてるよ」
携帯灰皿に火を消した煙草を放り込み、山賊みたいな顔で笑う。見れば見るほどヒンギスとは正反対だ。とても同期とは思えない。
「エレンが世話になってんな。あんたとつるむようになってから、あいつ、なんか生き生きしてるよ。昨日なんて、目ぇキラッキラさせて戻ってきたぜ。一体、どんな魔法を使ったんだ?」
大したことをした覚えはないが、エレンの心の重荷を少しでも軽くできたなら嬉しい。探るような目で見つめるドニに黙って微笑むと、彼はふっと口の端を緩めた。
「案外、あんたみてぇなやつが大魔法使いになったりするんだよな……。七不思議、見て回ってんだって?」
「はい。エレン君には本当にお世話になってます。おかげで、もう五つも回れたんですよ!」
「そりゃ、いいこったな。ただ――俺の頃にゃ、六不思議だったがね。いつの間に八つまで増えたんだかな」
六不思議? ミルディは七不思議だと言っていたのに。
ミルディアはレイと五つしか変わらないが、飛び級して魔法学校の教師になった。ドニとは二十年ほど隔たりがあるので、増えていてもおかしくはない。
すると、七つめの不思議が作られたのはモルガン戦争の前後。八つめの不思議もそれ以降ということか。だんだんと謎の中心に近づいてきた気がする。
「まあ、エレンが楽しそうにしてるならそれでいい。あんた、まだここにいるんだろ? よろしくしてやってくれよな」
「エレン君のこと、大事に思ってるんですね」
「エレンだけじゃねぇよ。生徒はみんな大事だ。俺たちも学生時代はのびのびとやらせてもらった。教授選を受けたのも、それを返してぇと思っただけだよ」
ふいに、アルバムで見たドニの姿が脳裏に浮かぶ。両腕に同期を抱えて笑う彼の顔は、まさしく青春の延長上にいるようだった。
「ヒンギス先生も?」
「そう聞くってことは、あいつの洗礼を受けたか」
黙って頷くと、ドニはローブのポケットから煙草を取り出そうとして――そっと戻した。代わりに取り出した飴を口に放り込み、メルディにも差し出す。
いちご味だ。ありがたくいただく。
「あいつ、どうしようもねぇよな。百年以上経っても、爺さんの呪縛が解けなくてよ。まだ他種族にビビってんだ」
ヒンギスは祖父から過大な期待をかけられていたらしい。偉大な魔法使いになれ、他種族には負けるなと洗脳のように言い含められ、一切の自由を与えられなかった。
当然、交友関係も厳しく制限されていた。そんな生活が長らく続いたある日、真綿で首を絞めるような環境に耐えきれなくなり、着の身着のままで実家を飛び出し、魔法学校に入学したのだという。
「それがきっかけで、あいつは実家から勘当されちまった。爺さんはあいつをルクセンの魔法学校に入れたがってたし、家族の誰も爺さんには逆らえなかったからな。帰る家のねぇあいつにとっちゃ、ここが唯一の故郷なんだ。あいつが教授選に挑んだのは、ここを――自分の居場所を守りてぇからだよ」
メルディが子供の頃、ミルディアがよく言っていた。子供の心は真っ白なノートのようなもの。どんなインクを垂らすかによって、その子の未来が変わっていく。だから、慎重に選びなさいと。
ヒンギスは垂らされてしまったのだ。ページの奥深くまで染み込むインクを。
「これを知ったら、ケイトはがっかりするかもしれねぇな。でもよ……なんだかんだ言って、あいつはいつも俺のケツを拭いてくれたよ。あいつはもう覚えてねぇかもしれねぇがな」
飴を噛み砕いて飲み下し、ドニが立ち上がる。その目尻には、今まで歩んできた人生がくっきりと刻み込まれていた。
「あんたもな。まだ若ぇんだから、色々経験しときな。教科書の文字を追ってるだけじゃ、わからねぇこともある。いつかきっと自分の糧になるぜ」
手を振って去っていくドニの背を見送りながら、口の中に残った飴をころころと転がす。
メルディは初等学校にしか行っていない。けれど、もし学ぶならドニみたいな教師に学びたいと思った。




