61場 壁に浮かぶ謎の文字
「へえー、こんなところでみんな過ごしてるんだ」
美術室を出た一行は、二番路にある学生寮に来ていた。二階は生徒以外は立ち入り禁止だが、一階の談話室までなら入れるらしい。
談話室には暖炉、ふかふかの絨毯、テーブルやソファ、本棚、穏やかな間接照明などが過不足なく備えられていて、まるで実家にいるような安心感に包まれていた。
部屋の両端にはお洒落な螺旋階段があって、それぞれ男子寮と女子寮に続いているそうだ。
「男子寮と女子寮って何が違うの? 部屋の広さとか?」
「特に変わらないみたいですよ。生徒の数も半々だし。なあ、シュミット」
「え、う、うん」
エレンが顔の闇を赤らめて頷く。
どうしてニールはエレンに話を振るのだろう。そして、エレンは何故知っているのだろう。美化委員だから?
「それより、お姉ちゃん。これが二つ目の不思議だよ」
「次は鏡かあ……」
グレイグが指差したのは、メルディの顔ぐらいの大きさの古びた鏡だった。
芸術品……というわけではない。何の変哲もない鏡面と、青銅の枠組み。覗き込むと、父親に似て童顔な顔がこちらを見つめ返してきた。さっきの絵みたいに、目だけが動いたりはしない。
「光を当てると、謎の文字が浮かぶんだっけ?」
「そうだよ。試してみる?」
壁から鏡を取り外したグレイグが、魔石灯の明かりを上手に反射させて壁に当てる。すると、クリーム色の壁紙の上に魔語らしき文字が浮かび上がった。
文字は全面に浮かんではおらず、一文字ずつ飛んでいる上に、不自然なスペースがいくつも空いていた。まるで、美術室で見た古代エルフ語の絵を逆転させたみたいに。
「あー、魔鏡だ、これ」
「魔鏡ですか……。人工魔石が普及した今じゃ、珍しいですよね」
「魔鏡? って何さ。魔法の鏡ってこと?」
納得するメルディとエレンに、グレイグが鏡を持ったまま首を傾げる。
職人の息子だが、グレイグはものづくりにあまり興味はない。ニールも名前は知っているようだが、仕組みはよくわからないみたいだった。
魔鏡とは、鏡の裏面に模様を入れ、表面を極限まで削って作る。光を当てることで、裏面の模様の凹凸が浮かび上がるのだ。
魔とついているが、魔法は使われていない。まだ限られた種族しか魔法を使えなかった時代に、偉い人から「普通の鏡とかつまんなくない?」と無茶振りされたヒト種の職人が苦慮して生み出した技術である。
「これ、すごく難しいのよ。削りすぎると割れちゃうし」
「その口ぶりだと、作ったんだね。お姉ちゃんの本業は防具職人じゃなかったの?」
「だって、面白そうだったから……」
エレンがそわそわして、「それって、まだ手元にあったり……」と聞いてくれたが、残念ながら、エスメラルダが勤める教会に納品済みである。
「それにしても、なんでしょうね、これ。魔語は魔語なんですけど、途切れ途切れで意味を成していません。キャンバスの全面に書いてるわけでもなく、虫食いみたいにスペースが空いてますし」
「興味本位で調べた生徒がいたけど、結局わからなかったんだよね。別に暗号じゃなさそうだって」
ニールの言葉を受けて、グレイグが続ける。いけすかないと言っていたが、正面から殴り合う仲ではなさそうでほっとする。
そろそろ下ろしていいかと言うグレイグを無視して唸っていると、文字をじっと見つめていたエレンがぽつりと呟いた。
「これ……。美術室の絵に重ねてみたらどうでしょう?」
「まさか往復するとは……」
「ぼやかない! あんたが一番体力あるんだからね」
舞い戻ってきた美術室の中。古代エルフ語の絵の前で身を寄せ合う。
試しに鏡を合わせてみると、測ったように大きさがぴったりだった。これは期待できるのでは?
「魔語が書かれてなかったの、ちょうど、この古代エルフ語の部分だと思うんですよね」
「えっ、覚えてるの? そんなじっくり見てたわけじゃないのに」
「記憶するのは得意なので……」
「すごいよ、エレン君。さすが首席」
照れるエレンに拍手していると、「いいから、早くやろうよお姉ちゃん」とグレイグが水を差してきた。隣でニールも苦笑している。
「わかったわよ。じゃあ、グレイグ。よろしく」
「はいはい」
肩をすくめたグレイグが光を当てた瞬間、絵が燃え上がった。
悲鳴を上げるメルディを庇うように、今まで静かだったフィーとアズロが前に踊り出て、「ピャー!」と甲高く鳴く。
その鳴き声に呼応して、炎がふっと消えた。あれだけ派手に燃えていたのに、不思議と匂いはない。壁も天井も、特に変わりはなかった。
「な、な、何、今の……」
「見た目が派手なだけの火魔法ですね。熱いけど、燃えないようにできるんですよ。風魔法で熱を散らしたから消えたんでしょう」
ニールの言葉を証明するように、絵には焦げ一つなかった。ただ、古代エルフ語で書かれた箇所は大部分が消え、ほんの数語だけが残っている状態だった。
「ええ……。文字消えちゃったんだけど」
「熱で消えるインクかな。たぶん、この数語を読めってことだと思うんですど……」
少し待っててください、と言い、ニールは図書館に古代エルフ語の辞書を取りに行った。
「何が書いてあるのかなあ。というか、なんで燃えたんだろ? どっかに魔法紋書いてあった?」
「……たぶん透明インクですね。エルフ語が書かれていないところ、指の先に少し引っ掛かりがあります。普通の紙だとわからないんですけど、キャンバス地だと浮いちゃうんですよね。魔鏡の文字を重ねると、文字が飛んでいた部分が補完されて、魔法が発動するようになってたんですよ」
「本当だ。透明インクって、この頃からあったんだね」
グレイグがエレンの触った箇所を触る。
透明インクとは、その名の通り透明なインクで、セット販売されている「戻し液」を垂らすと、書いた文字が浮かび上がるという面白文具である。
ラブレターを書いたり、秘密の話を打ち明けたりと、学生の間では人気の商品らしい。
作り方は企業秘密のため、どんな仕組みかはわからない。そして、学生ではないメルディに触れる機会はない。
「手が込んでるなあ……。一定の文字を残して消すよりも、普通に全面魔語にして、光を当てると文字が浮かび上がるようにすればよかったんじゃないの?」
「製作者の悪戯心じゃない? さっきの絵といい、遊びの延長上っぽいよね」
なんだかんだと話しているうちに、ニールが辞書を手に戻ってきた。さすが図書委員。あれだけあった本の中からすぐに目的のものを探し当てたようだ。
「すごいね。こんなに早く見つけられるなんて」
「図書って探しやすいように細かく分類されてるんですよ。十進分類法って言うんですけど」
例えば2なら歴史という大きな分類があって、さらにそこからラスタ史、ルクセン帝国史、など細かく分類されていくのだそうだ。
見せてもらった背表紙には、『古代エルフ語の辞書』を示す『853』とテープが貼ってあった。
さらに、図書には一つ一つ図書番号が振られていて、図書館の検索機に打ち込めば一発で保管場所がわかるという。ロット番号みたいなものだろう。
「ええと、読んでいきますね。……う……ら、を……これは『み』かな……よ」
「うらをみよ? 裏を見ろってこと?」
絵を壁から外して裏を確認する。しかし、何もない。
さらに額縁から取り外してみたものの、さっきの肖像画みたいに二重になっているわけでもない。念の為に魔鏡の裏を見てみたが、こちらにも何もなかった。
首を捻る三人を尻目に、グレイグが何気ない口調で言う。
「絵の裏なんでしょ? 壁ってことじゃないの?」
籠手で壁を叩くと、確かに空洞がある音がした。煉瓦一つ分の幅ぐらいだ。グレイグを除いた三人から「おおー」と声が上がる。
「段々、宝探しめいてきたな」
「いつも何気なく見てた絵に、こんな仕掛けがあったなんて面白いよね」
和気藹々と話すニールとエレンを微笑ましく見ながら、グレイグの隣に並ぶ。
「壁に穴を開けなきゃいけないよね。工具ってどこで借りられるのかな」
「そんなのいらないよ」
言うや否や、グレイグは壁に拳を叩き込んだ。
激しい音がして壁に大穴が開き、建材がバラバラと床に落ちていく。その中に、巻き添えで落ちたとおぼしきプレートが混じっていた。
「いいなあ、壁も壊せる怪力……」
「デュラハンって本当に反則だよな」
エレンとニールがぼそりと呟く。こっちはそれどころではない。
「あ、あんたって子は! 急にママみたいなことしないでよ。壁もこんなにしちゃって……」
グレイグは、ふん、と鼻を鳴らすと、黙ってプレートを拾い上げ、メルディの手に押し付けてきた。あちこち連れ回されてご機嫌斜めなのかもしれない。
プレートの素材は錫。隅に魔語でR・Bと刻印されている。三角定規のような形で、中心に細長いへこみがあった。
「すごい、もう二つも集まっちゃった。この調子で三つ目もゲットしようよ!」
はしゃぐメルディを横目に、グレイグがため息をついたのは聞こえないふりをした。




