58場 渡された謎②
羊皮紙はメルディの手のひらよりも一回り小さく、綺麗に四つ折りにされていた。
エルドラドによると、百年以上前のものだという。色は黄ばんでいるが、保護魔法がかかっているのか、虫食いや破れはない。
開いた紙面には、やや右上がりな文字でこう書かれていた。
『七つの不思議と七つの仲間。
力を合わせて何を生む?
時の流れに導かれ、たどり着いたその先に、
大いなる力を秘めた賢者の雫。
飲めばたちまち賢者の仲間入り!』
まるで子供が考えたような文章だが、気になるのはその中にある一つの単語だ。昨夜、ミルディアの家で聞いた話が脳裏に浮かぶ。
「賢者の雫って、あの八不思議の? まさか本当にあるんですか? ただの噂じゃなくて?」
困惑するメルディに、エルドラドが優しく目を細める。
「そうとも。賢者の雫は実在する。今まで誰一人として解けなかった謎じゃよ。あのレイでさえもな。暇つぶしにはもってこいじゃとは思わんか?」
「ええ……。レイさんが解けない謎なんて、とても暇つぶしのレベルとは思えないんですけど……」
初等学校しか行っていない身には荷が重すぎる。つい弱音をこぼすと、エルドラドはこほんと咳払いをした。
「もし解けたらレイも喜ぶじゃろうのう。何しろ、世界で一つのレアアイテム。とても金には変えられんものじゃよ。『僕の奥さん素敵だね』なんて言われたり……」
「やります!」
手のひらをくるっと返して、頂いた羊皮紙をありがたくズボンのポケットにしまう。
メルディの行動原理はいつだってレイの笑顔だ。レイが喜んでくれるならなんでもやる。
「うむうむ、良いぞ。謎の探究に必要なのは、迸る好奇心と、絶対に謎を解いてやるという気概じゃ。お嬢さんなら、最後まで諦めずにやり遂げられそうじゃのう」
それはメルディの唯一の才能だ。「頑張ります!」と高らかと宣言し、カップに残っていた紅茶を飲み干す。
気づけば、窓の外ではひぐらしが鳴いていた。
筆記試験は無事に終わっただろうか。結局、二日目も探検できなかった。メルディがまた迷子になったと知ったら、レイはどんな顔をするだろう。想像するだけで怖い。
「そろそろ、レイが迎えに来よるな。アルバムは片付けておくか。勝手に見せたと知られたら怒られそうじゃ」
杖を一振りしてアルバムを浮かせたエルドラドに、ふと違和感を覚える。
その場の勢いで「やる!」と言ってしまったが、どうして彼はこの羊皮紙を持っていたのだろう。ミルディアもグレイグも、賢者の雫についての具体的な内容は知らなかった。レイに至っては忘れているようだったし。
そもそも、魔力爆上げのアイテムなんて、みんな喉から手が出るほどほしがるはずだ。メルディに謎を渡すより、自分で解いたほうがいいだろうに。
「あの、エル先生……」
「メルディ!」
部屋のドアが音を立てて開き、息せき切ったレイが飛び込んできた。
全力で走ってきたのだろう。額には汗が光っている。その後ろにグレイグはいない。お留守番しているようだ。
「もう、びっくりしたよ。試験会場から戻ったら、また迷子になってるって言うんだもん。どうして鈴を鳴らしてくれないの。グレイグから預かってたでしょ?」
「仕事の邪魔しちゃ悪いと思って……」
「いいよ、そんなこと考えなくて。次は絶対鳴らしてよね。いい?」
レイは額の汗を拭うと、エルドラドに向かって頭を下げた。
「申し訳ありません、校長先生。妻がお世話になりました」
「えっ、校長先生?」
目を丸くするメルディに、エルドラドが笑顔で頷く。咄嗟に椅子から立ち上がり、レイに倣って頭を下げる。
「ごめんなさい、ご挨拶が遅れました! グレイグがお世話になってます!」
「いい、いい。そんなに畏まらんで。優秀な生徒が来てくれてこちらもありがたい」
優しく肩を叩かれ、恐る恐る顔を上げる。
まさか校長先生だったとは。アルバムの肖像画はなんだったのか。誤植だろうか?
現金なもので、校長だとわかった途端、目の前のエルドラドがとても威厳に満ちているように見えてきた。顔つきもさっきより精悍な気がするし、まるで魔法が解けたみたいだ。
「もしかして、今まで気づかなかったの? 部屋の入り口のプレートに『校長室』って大きく書いてあったでしょ?」
「ええ……。そんなのなかったよ? アルバムにも名前だけで、役職名は書いてなかったし、校長先生の肖像画もエル先生とは別の人で……」
「アルバム?」
レイが鋭い目でエルドラドを睨む。エルドラドは「バレてしもうたか」と舌を出すと、こらえきれないといった様子で大きく肩を揺らした。
「こ、校長先生?」
「すまんすまん。いつ気づくかと思っての。光魔法で目を眩ましとったんじゃ。わしはエルフじゃが、光魔法が専門でな。――ほれ、もう一度見てみい」
飛んできたアルバムを開く。すると、さっきは別人だった校長の肖像画が、エルドラドの顔に変わっていた。教師の集合絵にも、『エルドラド・フーディ学校長』としっかり書いてある。
呆然とアルバムに目を落とすメルディに、エルドラドがウインクをする。
「目に見えるものだけが真実じゃない。入学生たちに毎年言っとることじゃ。魔法学校で過ごす間は、念頭に入れとくといいじゃろう」
迷路蝶に続き、魔法学校の洗礼を受けてしまったようだ。魔法使いというのは、こうして人を簡単に騙すから困る。
「先生、あまり妻を揶揄わないでください。彼女は生徒じゃないんですよ」
「ほっほ。お嬢さんがあまりにも幸せそうで、羨ましくなってのう。さっきも惚気られての。レイの全てを愛しとるんじゃと」
「きゃー! やめて! バラさないで!」
エルドラドの声を掻き消すように叫ぶも、一度出た言葉が引っ込むわけではない。
レイの視線が容赦なく刺さり、顔が焼けるように熱くなる。あれだけ好き好き言っておいてなんだが、第三者の口から聞かされると恥ずかしくて死ぬ。
レイは突然のラブコールに戸惑っているようだったが、やがてふっと笑みを漏らすと、メルディの耳元で「僕も愛してるよ」と囁いた。
いつもより甘い声だ。腰が砕けてしまう。やばい。
「仲睦まじそうで何よりじゃ。……レイ、幸せか?」
レイはエルドラドに視線を移すと、しばし彼の目をじっと見つめたあと、メルディの肩を力強く抱き寄せた。
「はい。今が一番幸せです」
ストレートな惚気に、さらに顔が熱くなった。肩に置かれた手が、とても愛しく感じる。
迷子になって、こんなにいい思いをするとは。今まで真面目に生きてきたご褒美かもしれない。
「今更じゃが、結婚おめでとう。嫁さんを連れて戻ってくれて嬉しかったぞい。末長く幸せにな、レイ」
深々と頭を下げ、レイの手に引かれて校長室を後にする。
メルディの目線より少し高い位置にある耳が赤く染まっているのは、夕日に照らされているだけじゃないはずだ。
「……筆記試験も終わったし、今日はもうフリーなんだ。今夜はさ、ゆっくりしようよ」
「……うん」
言葉に込められた意味に気づかないほど子供ではない。きっかけを作ってくれたエルドラドに心の中で感謝する。
エルドラドが校長だというのは驚いたが、だからこそ賢者の雫について知っていたのだと腑に落ちた。校長なら、学内のことは全て把握しているだろうから。
ただ、新たな疑惑が胸に湧く。
もしかして、エルドラドが賢者の雫を作ったのでは? と。




