13場 目を逸らさないで
「ああ……! 太陽ってなんて素晴らしいの……!」
夕焼けの光を全身に浴びるように両手を掲げる。
そんなメルディを、男三人はそれぞれ違う表情を浮かべて見つめていた。レイはいつも通り子供を見る顔で、グレイグは呆れ顔で、そしてマルクは微笑ましそうな顔で。
「お姉ちゃんたちが無事で何よりだけどさ。まさか洞窟の中に転送魔法装置があったとはねえ。これって違法だよね?」
「違法だよ。これだからドワーフの連中は……」
深くため息をつき、レイが右手に持った闇の魔石を地面に叩きつける。転送魔法装置と、ドワーフの作業場にそれぞれ残されていたものだ。
砕け散った破片は夕焼けに含まれる光の魔素と相殺され、儚く消えてった。
「転送魔法って違法なの?」
メルディの疑問に、レイは眉を寄せて頷いた。
「人を転送させるのはね。転送魔法って、術者が生んだ闇同士を連結させて通路にするんだけど、途中で術者が死ぬか、魔石が切れたら中に閉じ込められちゃうんだ。だから、民間には許可が下りない。今回はたまたま運が良かっただけだよ。転送先が壁の中とか、空中とかの可能性もあるんだからね」
背筋がぞっとした。マルクに目を向けると、彼はひどく青ざめた顔をしていた。そっとメルディに近づき、耳打ちする。
「ごめん。俺も違法って知らなくて……。ドワーフの横穴じゃ公然だったから」
「……内緒にしてた方がいいね。これ以上、面倒ごとを増やしたくない」
「随分と仲良くなったようだね、お子さまたち。もうすぐ魔物便が到着するから、忘れ物がないようにしな。大きな荷物はグレイグに預けとくといいよ」
お言葉に甘えてグレイグに荷物を渡す。背中から重みが消えるだけで随分と楽になる。万が一はぐれたときに備え、乗り物で移動するとき以外は個々で持つことになっているのだ。
「あれ、レイさん。マントの端っこ溶けてるよ?」
「スライムにやられちゃった。君たちを迎えに行く途中で、運悪く繊維を溶かすやつに遭遇してさ。危うく裸になるとこだったよ」
レイの裸を想像してしまい、煩悩を振り払うように頭を振る。馬鹿なことを考えている場合じゃない。役に立てるチャンスは活かさないと。
「直すから貸して! お裁縫は得意なの。革鎧だって縫ってるし」
「いいよ。大したことないから。君の腕は本業で発揮しな」
「こういうときだから発揮したいのに……」
あっさりと断られて、唇を尖らせる。いつになったら素直に頼ってくれるのか。
胸の中にやるせない気持ちを抱いたとき、夕日の中に浮かんだ影がものすごいスピードで近寄ってきた。次いで、大きな音を立てて目の前に着地する。
グリフィンが曳く立派な幌馬車の御者台の上には、鮮やかな黄色の羽毛と、薄いピンク色の嘴を持つ鳥人が座っている。
見た目は大きな二足歩行の鳥だが、魔物ではない。鳥人は鳥系の魔物とヒト種が交配して生まれた種族なのだ。
「お待たせ〜! ワーグナー商会のエトナとピーちゃんだよ〜。この度はご用命ありがとね〜」
エトナの口上に合わせ、グリフィンのピーちゃんが嬉しそうに喉を鳴らす。ピーちゃんは頭が鳥で下半身が獅子の強力な魔物だが、とても人懐っこい。
「エトナさん、ピーちゃん! 久しぶり!」
「メルディちゃん、グレイグくん、久しぶり〜。アルティくんとリリアナさまは元気〜?」
「元気元気! エトナさんとピーちゃんも元気だった?」
「おかげさまで〜。バリバリ働いてるよ〜」
はしゃぐメルディたちに、マルクが戸惑いの表情を浮かべる。
「随分仲良さそうだけど、メルディの知り合いなの? ワーグナー商会って、国で一番大きな商会だよね?」
「パパとママのお友達なの。家族旅行のときは、よくお願いするんだ」
「リヒトシュタイン家はお得意さまなの〜。二十年前からご贔屓いただいてるよ〜」
「……そっか。リヒトシュタインは大貴族だもんね」
それきりマルクは黙ってしまった。気になって顔を覗き込もうとしたが、さりげなくグレイグに阻まれた。距離感を考えろと言いたいのかもしれない。
「早速だけど、近場の宿屋まで連れてってくれる? 今日はもう休んで、本格的に進むのは明日からにするよ。ダンジョンを抜けてきたばっかりだからね」
「レイさんもお久しぶりだね〜。ウィンストンまで行くんだっけ〜? ぶっ通しでも大丈夫だけど、何度か休憩を挟んだ方がいいかな〜?」
「うん。そうして。お子さまたちがいるからね。その分、報酬に色はつけるよ」
レイから前金を受け取り、エトナは満面の笑みを浮かべた。
「毎度あり〜。快適な空の旅をお任せあれ〜!」
マルグリテ領カルネ市は古くからの宿場町だ。まっすぐに伸びた街路の上を、多くの旅人が行き交っている。ここからさらに北にあるロッテン領を越えると、そこはもうウィンストンである。
「じゃあ、明日の六時に迎えに行くからね〜。寝坊しないでね〜」
「エトナさんは同じところに泊まらないの?」
「まだ早いから、いくつか仕事こなしてくるよ〜。安宿に泊まれば経費浮くし〜」
さすがしっかりしている。エトナとピーちゃんを見送り、レトロ感たっぷりな宿に入る。
取れた部屋は二部屋。メルディはグレイグと一緒だ。思春期を過ぎた弟と同室というのもなかなか気まずいが、空きがないものは仕方ない。
作りは古いが大浴場や食堂も完備されていて、宿は思ったよりも快適だった。風呂上がりで濡れた髪をタオルで拭き取りながら、夕涼みに中庭に出る。夕食どきだからか、人はまばらだ。
夏は日が長い。薄い紫色のベールに包まれた空には、まだ夕暮れの気配が残っていた。
「あれ? マルク?」
中庭の隅、魔石灯の明かりも届かない暗がりのベンチに、薄いシャツに身を包んだマルクがひっそりと座っていた。
両膝の上に組んだ両手を乗せ、憂いを帯びた表情で地面を見つめている。影を背負っているという表現がぴったりだった。
「メルディ? どうしたの?」
「ちょっと涼もうと思って……。マルクこそ、ここで何してるの? 考えごと?」
マルクに近寄り、隣に腰を下ろす。ちゃんと距離感は考えて、一人分の幅は空けた。それを悲しそうな顔で見やり、マルクが小さくため息をつく。
「いや……。名前を聞いたときからわかってたことだけど、メルディってやっぱりいいところのお嬢さんなんだなって思って」
「え? そんなことないよ。確かに家は大きいけど、それはママやおじいちゃんの力であって、私はただの職人だもの。パパも平民だし」
「そう言えるのは、本当に裕福な証拠だよ。俺みたいな孤児、きっと釣り合わない」
「それって、どういう……?」
首を傾げるメルディに切ない瞳を向け、マルクは距離を詰めてきた。人形みたいに整った顔が間近にあると、驚くよりも先に戸惑ってしまう。
何か言わなきゃ、と考えている間に手のひらが温かいもので包まれた。手を握られていると気づいたときには、立つタイミングをすっかり失っていた。
「会ったばかりで、こんなこと言うのはおかしいってわかってる。そんな立場じゃないってことも。でも、俺、君のこと――」
「何やってんの、お子さまたち。お風呂上がりにふらふらしてると湯冷めしちゃうよ。早く中に入んな」
いつもより少し低い、凛とした声。レイだ。いつの間に中庭に入ってきたんだろう。タオルを首にかけ、下ろした金髪を風になびかせている。
風呂上がりの姿を見られたのは、自領に続いて二度目だ。眼福である。
マルクは唇を噛みしめると、メルディから手を放して宿の中に戻って行った。残された手のひらのぬくもりが、さっきのは夢ではなかったと伝えてくる。
もしかして今、告白されるところだった?
ようやくマルクの行動の意味に思い当たり、頬が熱くなった。そんなメルディに、レイは深いため息をつくと、ガリガリと頭を掻いた。
「逢引きするなら、もっと人目につかないところでするんだね。アルティには黙っててあげるからさ」
「あ、逢引きって……。そんなんじゃないよ。ただ、一緒になっただけ」
「どうだかね。君たちは同い年で、種族も職業も同じ。お似合いだと思うよ」
「何それ……」
ベンチから立ち上がり、レイに詰め寄る。
「私の気持ちを知ってて、どうしてそんなことを言うの? 私にはレイさんだけって、いつも言ってるじゃない」
「それはただのおままごとだって、何度も返してるよね。娘がこんなジジイを追っかけてるなんて、アルティが泣いちゃうよ」
「アルティ、アルティって、私はパパじゃない! メルディだよ! パパの娘じゃなくて、私を見てよ!」
中庭に沈黙が降り、周りにいた客たちが気まずそうに宿の中に戻っていく。その中心で、レイの翡翠色の瞳が猫のように細くなった。
「……急に何を言ってんの? 僕はずっと、君をアルティの娘としか見てないよ」
冷えた言葉が胸を刺し、水面に石を投げ入れたように視界が揺らぐ。それでも、絶対にレイから目を逸らしたくなかった。
「じゃあ、どうして線を引くの? パパの娘としか思ってないのなら、もっと近くに行かせてよ。いつからか手も繋いでくれなくなったし、ハグもしてくれなくなったよね」
「破廉恥なこと言うんじゃないの。若いって怖いなあ」
「そうやってはぐらかさないでよ! 私、レイさんが本当に――」
「メルディ」
続きを制止し、レイがメルディの頭を優しく撫でる。まるで駄々をこねる子供を宥めるみたいに。
「色々あったから疲れてるんだね。ご飯はあとで部屋に持っていってあげる。だから、今日はゆっくり寝な」
「レイさん!」
遠ざかっていく背中に叫ぶ。こらえきれなかった涙が、ぽろりとこぼれた。




