【第04話】行商人ラッカ
「なんど見ても。理解不能な技術ね……」
マリーネが腕を組みながら、目の前にある漆黒の壁を睨む。
一メートルの立方体で造られた迷宮ブロックが、壁一面に埋め込まれている中、一つだけ異なる光を漏らす場所があった。
黒いメタリックな表面に、まるでデジタル時計のような青白い光が、秒単位で数字を刻んでいる。
「千年という時が経っても、この技術を再現できた人は誰もいない。もはや異次元としかいえない土魔法に、考古学者達は匙を投げたわ……。それでも竜迷宮を創ることを諦めきれない人達は、この黒い迷宮壁を解体しようとして……。どうなったか、知ってる?」
迷宮の壁時計から視線を外し、こちらに振り返ったマリーネが、靴底でコツコツと床を鳴らしながら歩く。
「たしか……迷宮内に流れる、魔力のバランスが崩れて。魔獣が大量に現れたとか、だっけ?」
作業していた手を止め、王都での噂話を思い出しながら、断片的な情報を口に出す。
「そうよ。お隣の旧大帝都七六区小迷宮で起きた、旧七六区魔獣暴走事件……。たった一つの迷宮ブロックを外し、それを元の場所へ戻すまでに。王都から派遣された探索者達から、百名近くの死傷者を出した、歴史に残る大事件になったわ……。さすがに解体を諦めたログニカ王国は、独自のやり方で王都に地下迷宮を造ることにしたけど……。できたのは、竜迷宮から遥かに劣る王都の迷宮……」
床に手を伸ばし、先生に言われた箇所のチェックを再開した。
俺の作業を気にも留めないマリーネが、暇つぶしの喋りを止めず、周りを歩き続ける。
「リュートを中心にして、床に描かれた三重の丸い線。その図形は、かつての旧大帝都迷宮の全体像を、簡単に描いた絵らしくて。一番外側の線は、百ある小迷宮を繋いだ様子を、表現してるんだけど……。実際の小迷宮を徒歩で全て回ろうとしたら、百日は掛かるって言われてるのよね……。しかも全ての小迷宮が、中心にある一つの竜迷宮に繋がってるのよ。それが、どれだけの広さか知ってる?」
「小さな国一つが治まるくらい。すごく広いとは、聞いたことあるけど……」
「そうなのよ。それだけ大掛かりな迷宮を造って、ようやく最深層に竜迷宮が完成したのよ……。まったく信じられない話だわ。それを一人でやり遂げたんだから、とんでもない魔女よね」
饒舌に語り終えたマリーネが、両膝を折りながら腰を落として、俺の作業を覗き込む。
「動きそう?」
「たぶん……。ランダムになってから、動かすのは初めてだけど……」
「こんちわー。誰かいるー?」
地下の大広間に、女性らしき声が響く。
俺達がいる奥へ顔を出したのは、大きなリュックサックを背負った、紺色ボブカットの女性だ。
「あー、いたいた。探したよ、マリーネ」
「ここにいるのが、よく分かったわね。ラッカ」
「旧七五区にいると思って寄ったのに、誰も見てないって言うし。二つ隣にいるなんて、思わなかったよ……。とっくに廃村してる閉鎖迷宮で、なにやってるのさー」
「動けない理由ができたのよ、ラッカ。コレを鑑定して頂戴」
「ふぇ?」
小物を入れた布袋を放り投げ、ラッカが慌てて受け止める。
「わっわっわっ」
布袋の中を覗き込んだラッカが、背負っていたリュックサックを慌てて床におろした。
床に厚みのある布を広げて、布袋の中に入ってた赤い魔石を転がす。
ポケットから取り出したモノクルを目元に掛け、真剣な表情で魔石の鑑定を始めた。
「リュート。彼女がさっき話してた、猫目のラッカよ」
マリーネに言われて、魔石を覗き込むラッカの目元に、自然と注目する。
目尻が上がって、くりくりっとした大きな青い瞳は、たしかに動物の猫みたいだ。
「彼女は、商業国家スサノギにある商会から派遣されて、行商人としていろんな街を回っているの。取引先のいるログニカ王国や聖教国オセリスへ、顔を出すついでに。お得意様に会った時は、簡単な仕事もしてくれるのよ……」
「へー」
「にゃふふ。どれも芯まで赤が通ってる、本物の純魔石だねー。どこで拾ったんだい?」
赤い魔石に息を吹きかけたラッカが、嬉しそうに口元を緩める。
汚れを布で拭き取りながら、マリーネに尋ねた。
「ここよ」
「にゃふ?」
口元が緩くなりすぎて猫口になったラッカが、不思議そうな顔で小首を傾げる。
マリーネが人差し指を立て、足下を指差す。
「この旧七七区は、実は二階層止まりじゃなかったの……。隣にいる迷宮士リュートが、更に地下へ通じる隠し扉を見つけて、そこから魔獣の双頭火犬が出て来たのよ……」
「にゃんと!? それは大発見じゃにゃーい。そういう幸運な掘り出しネタとか、私の大好物なんですよねー。迷宮士リュート君、ですか? この機会にどうですか? 行商人ラッカに一仕事。ゲン担ぎな幸運の招き猫など、遠方の国からでも取り寄せちゃいますよ?」
「は、はぁー」
片手で握り締めた算盤を、ジャラジャラと五月蠅く左右に揺らしながら、行商人のラッカが俺の傍へ擦り寄って来た。
髪が生える怪しげな壺とか売りつけてきそうな勢いで、ちょっと怖い……。
「で、今回の依頼は。この魔石を王都で売って金にして。ついでに新しい迷宮の発見情報も、私に上手い事お金にしてくれと予想しましたよ。にゃふん」
「お安いごようですよ」と言わんばかりに、自信ありげな笑みを浮かべる女行商人。
それって、迷宮の発見情報さえもお金にできる伝手が、彼女にはあるということか……。
若く見えるけど、なかなかのやり手だな。
「いいえ違うわ、ラッカ。今回は、人を買いたいの」
「……人? どういう意味ですか、マリーネ?」
不穏な言葉に、終始ニヤけ顔だったラッカの表情が変化し、目を鋭く細めた。
「あなたを買いたいの、ラッカ」
「え? 私ですか……。商売人としての腕を評価してくれるのは、嬉しいですけど」
「それも違うわ、ラッカ……。行商人でもなく。私は闇組織にも伝手がある、亜人のラッカを買いたいの」
マリーネの言葉に、ラッカの身体が硬直する。
「それはさすがに……。私を安く見過ぎじゃないですかね。マリーネ」
突然に語気を強めたラッカの目が、大きく見開いた。
丸々としていた瞳が、獣の如く縦長に伸び、殺気立った視線を俺達にぶつけてくる。
「たとえ古代遺物と、始祖の血を継ぐあなたをセットで売られたとしても。裏の連中を裏切ってまで、あなたの下僕になるメリットは全くありませんね……。そもそも初対面である彼の前で。私の秘密である亜人と闇組織の繋がりを、軽々しく喋った理由を、まずは問い質したいところですね……。秘密を共有する私達の仲とはいえ。破ってはいけない、約束ごとがあるはずですよ。マリーネ?」
怒りに声を震わしたラッカが、普通の人間よりも倍以上に太い犬歯を、剥き出しにする。
凶暴な亜人の顔を見せたラッカが、獣のような唸り声を漏らし、マリーネを威嚇した。
裏社会にも精通してるラッカのことは、事前に聞かされていたが……。
彼女から放たれる凶悪な殺意に気圧されて、後退りしそうになる。
対してマリーネは、顔色ひとつ変えず……。
「国を跨げる転移門を、私達が使えると言っても。交渉する余地は、ありませんか?」
「……は? いま、なんと言いましたか?」
「リュート。お願いするわ」
三重の線を描いた円の中心に手を置き、事前の打ち合わせ通りにスイッチを起動する。
俺が押した中心円型のスイッチが奥まで沈み、外円の二つの黒いリングが起き上がり、縦向きに固定された。
絶対に動かないはずの転移門が目の前で動き、驚きを隠せない表情でラッカが両瞼を見開く。
「千年も動かすことができなかった、この転移門もまた。迷宮士リュートが、動かすことに成功しました。これを使えば、今いるログニカ王国から、隣国の商業国家スサノギ、もしくは聖教国オセリスへも。短時間で移動することができるでしょう」
「ど、どうやって動かしたのですか?」
「今の段階では、それを詳細に教えることはできません……。今回はあくまで、この転移門の優先権についての交渉ですからね……」
「優先権?」
マリーネの語りを一言も漏らすまいと、ラッカが真剣な眼差しで聞いている。
「これを利用できることを知ってるのは、今はリュートと私と、もう一人のみです。この三名が優先的に使う予定ですが、あなたが私達の計画に協力してくれるのなら。他の人間や聖教国の者達よりも優先して、亜人達の通行を許可すると約束しましょう……」
「亜人が、この転移門を……」
「この旧七七区から一番遠い転移門は、正反対の位置にある旧二七区あたりだと思うけど……。それでも、五分くらいで移動できるはずだ」
マリーネの提案に揺れ動いてる様子のラッカへ、性能の説明を補足する。
前回の起動テストを思い出しながら、奥にある迷宮ブロックに表示された時計を、遠目に眺めた。
「徒歩で、五十日は掛かる距離を……五分で?」
行商人として、様々な国を渡り歩いている彼女だからこそ、この転移門の価値を理解できるはずだ。
ゴクリと喉を鳴らすラッカの表情が、まさにそれを物語っている。
「ラッカ。私達はこれから、無謀で狂気ともいえる、壮大な計画を立てています……。まずはその始まりとして、亜人が安全に住める開拓村を作ろうと考えています」
「亜人が、安全に?」
この大陸において、獣の血が混じってるとされる亜人は、人間達の迫害の対象になっていた。
亜人だからと、人間の探索者パーティーに加入できないことや、宿泊を拒否されるなどは、まだ良い方だ。
時には石を投げられたり、暴力を受けることも少なくない。
亜人はモンスターと同じだと、法律で決められた聖教国に至っては、運悪く過激派の貴族に捕まると、私刑で命を堕とす場合もある。
身体の一部に獣の特徴を持つ亜人は、どの国においても人間と同等して扱われることは、絶対にない。
だからこそマリーネは、今回の計画を進めるにあたり、まず最初に亜人を味方につけることを、俺に説いた。
どんな災厄が起こっても、永住の地と決めた場所を死守してくれる者達が、今後のために必要だと……。
「国が決めた法律で、亜人が住む土地がどこにも無いのなら。国に縛られない、亜人が住める街を作れば良いのです……」
「それって、どういうこと?」
先程まで濃厚に纏っていた殺気は、今のラッカからは見当たらない。
猫のように丸くなった青い瞳を、不安げに揺らめかせながらも、ラッカが身を乗り出すようにして、マリーネの言葉に耳を傾けている。
「ラッカ。少しは私達の話に、興味が湧いてくれましたか? 亜人達が故郷と呼べる地を、我々で作る話に……」




