【第03話】竜迷宮の魔女
「マリーネ、開いたぞ!」
押し込んだ正解のスイッチから手を離すと、凹凸を刻んでいた百のスイッチが消え、平らな黒い壁に戻る。
今度は青白い線が縦に刻まれ、真ん中から二つに割れた迷宮壁が、重々しく左右に開いた。
俺が後ろに振り返ると、マリーネと目が合う。
短期間で大量の亀裂が入った魔法壁が、ガラスが割れるように、粉々に砕け散った。
「ほんとギリギリね。すぐスイッチを押して、扉を閉めて!」
こちらへ駆けて来ながら、マリーネが俺に叫ぶ。
言われるまでもなく、開いた隠し扉の奥へ回る。
隣接するブロックに設置された開閉スイッチへ、手を伸ばそうとした。
「あっ――」
間の抜けた声が耳に入り、駆け込んで来た彼女へ目を向けた。
どこかで躓いたのか、前方へ倒れようとする彼女の姿が、俺の目に映る。
マリーネの身体を受け止めようと、条件反射的に手を伸ばしてしまい、一緒に倒れてしまった。
二つの頭を生やした黒犬が、消えた獲物を探して、次々と通路から飛び出して来る。
覆いかぶさった彼女を、すぐにどけて立ち上がり、スイッチがある壁まで走って――。
駄目だ、間に合わない!
こちらに気づいた四つの赤い瞳と目が合い、俺は手を床に叩きつけた。
「閉じろ!」
俺の掌を中心に、青白い光が波紋のように広がり、床から壁へ伝った魔力がスイッチに触れた。
四肢を激しく動かし、駆けて来た先頭の双頭火犬が、閉じようとする扉に向かって跳躍する。
床に倒れて身動きの取れない俺達に、鋭い牙を生やした二つの犬頭が、上空から襲い掛かった。
「ギャイン!?」
二つの犬頭が悲鳴を上げ、口から青色の混じった泡を吐き出した。
左右から閉じた扉に、黒い胴体を挟まれた魔獣が、前足の爪で激しく壁をひっかき続ける。
しばらくもがいていたが、二つの犬頭を力無く垂らした。
「ハァ、ハァ……。わたしたち、生きてる?」
俺の片腕に抱き掛かえられる態勢で、床に倒れていたマリーネが、息を切らせながら俺に尋ねた。
「生きてるよ……。後ろ見て」
恐る恐るな感じで、上半身を後ろに捻ったマリーネが、息絶えた魔獣をじっと見つめる。
「……立てる?」
「駄目ね。すぐは立てないわ……。足を捻ったみたいで」
マリーネに肩を貸してやり、壁際に寄せてあげた。
「私の器が、まだ未熟だから。長く力を解放すると、すごく体力を使っちゃうのよね……。上手くいって、ホント良かったわ……」
大量にかいた汗のせいで、濡れて目元に張り付いた前髪を、マリーネが指で払いのけながら呟く。
「魔石を採るなら、剣で頭を落とした方が良いわよ? 魔獣って、しぶといからね……。死んだと思ったら、腕を噛み千切られたとか。そんな笑えない話、聞いたことあるから……」
「それは怖いな」
マリーネから剣を貸してもらい、言われた通りに二つの犬頭を斬り落とす。
今回は右の犬頭からのみ、赤色の魔石が取り出せた。
彼女に入手した魔石と剣を返却し、細長い隠し通路の先を見つめる。
「この奥に、もう一つ壁があるみたいだ。たぶん位置的に、入口の近くに出ると思う」
隠し扉に耳を近づけると、爪でガリガリと削るような音が、小さく聞こえる。
耳が良いので、こちら側に俺達がいるのは気づいてるようだけど。
さすがに、隠し扉を開ける知恵は無いだろう。
「肩を貸そうか?」
「いえ、走らなければ大丈夫。ありがとう」
少し休んでマシになったのか、マリーネがゆっくりと立ち上がった。
「魔獣が、こっちをうろついてる間に。さっさと外に出よう……」
「迷宮士リュート……」
「ん? なに?」
背後から呼び掛けた、彼女の声に振り返る。
「あなた……。どうやって、扉を閉じたの?」
「……え?」
じっと立ち止まったまま、離れた場所の壁にある開閉スイッチを見ていたマリーネが、鋭い眼差しをこちらへ向けた。
「迷宮士リュート。あなたは、命の恩人だと思ってるわ……。でも、どうして私達に。まだ一ケ月の見習いなんて、嘘をついたの?」
「う、嘘? いや、でも。俺は本当に、迷宮士の勉強を始めて、まだ一ケ月しか」
「スイッチに直接触らず。私が立ってる場所から、あの壁にあるスイッチを、遠隔操作するなんて……。そんな、高度な迷宮魔術。帝都にいた、天才とか呼ばれる新人の迷宮士でも、不可能だったわよ?」
俺と見つめ合っていた両目を、彼女が大きく見開いた。
意思の強い吊り目の中にある青い瞳が、まっすぐ俺を射抜く。
迷宮士のことを詳しくなければ、適当に誤魔化すつもりだったけど……。
やらかしたな。
これは、完全に想定外だ……。
「アイツと私を、迷宮の餌にして。遺品を死体から、回収するつもりだったの?」
「違う! それは誤解だ! 迷宮士の俺じゃ、魔獣を倒せないから……。探索者の力を借りるために、君達に声を掛けただけで」
「じゃあ、どうして。見習いなんて嘘をついたの?」
「そ、それは……」
「いま考えてみたら。あなたの行動には、気になることが多いのよね……。魔獣に道を防がれても、抜け道があるとか急に言い出すし……。もし、普通の見習い迷宮士なら、もっとパニックになるはずだし。ここまで冷静に、あれだけのピンチを切り抜けるなんて、不可能よ?」
そう言いながら、壁に挟まれて絶命した魔獣を、マリーネがチラ見する。
俺は溜息を吐いて、観念したように肩を落とした。
「見習いのフリをしていたことは、謝るよ……。君が古代遺物の秘密を、ギリギリまで隠してたように……。俺にも、言えない秘密が沢山あるんだ……」
「それを言われると。少しこっちも、あなたを責めにくくなるわね……」
マリーネが壁に背を預け、手に持った赤い魔石を指先で転がしながら、俺を横目でじっと見てくる。
ここまで上手くいったのに、最初に自己紹介をした時以上に、俺達の心の距離が遠くなった気がする。
先生が俺に言った通りで、やっぱり嘘を絡めた駆け引きは、苦手かもしれないな……。
「会って欲しい人がいると言ったら。ついて来てくれるか?」
「少し悩むわね……。どこまでが、あなたの演技で。どこからが、あなたの本心なのか……。罠かもしれない場所に入るべきか。図りかねてるわ……」
古代遺物を個人で所有する探索者に、今後も巡り合える幸運は絶対にないだろう。
もっと長くじっくり付き合って、お互いの秘密を共有できる関係に、なりたかったけど……。
俺は壁の一つに手を置き、隠し扉のロックを開く。
黒い迷宮壁に、青白い縦線が刻まれ、左右に扉が開いた。
「俺が信用できるなら、ついて来て欲しい……。それが無理なら、通路の奥にある隠し扉を開けて、地上に出すよ……。その代わり、今日のことは全て忘れて。もう二度と、俺と関わらないでくれ。口止め料として、渡した魔石は全て君に――」
「ちょっと待って。勝手に、話を進めないでちょうだい」
鞘にしまっていた剣を抜き、彼女が俺の傍に歩み寄って来る。
「良いわよ。ついて行ってあげる……。でも、私に危害を与える素振りをみせたら。すぐに、あなたを斬るからね? ……案内してちょうだい」
猜疑心を隠せない青い瞳で、こちらを油断なく睨みながらも、彼女が俺の後をついてくる。
薄暗い通路を歩いた先に、開けた大部屋が現れた。
「……本?」
「本だね……。ここに置いてるのは、かなり古い本らしい」
まず俺達の目に飛び込んだのは、広い大部屋の中に、大量に置かれた本棚。
図書館かと思うくらいの本棚の一つ一つに、ぎっしりと隙間なく本が並んでいる。
古本屋に入った時に嗅ぐ、独特の古い紙の臭いに包まれながら歩いていると、彼女が足を止めた。
「ちょっと待って」
背表紙の一つに目を留めたマリーネが、盾を足元に置いて一冊の本を手に取った。
パラパラと捲り、開いたページに目を走らせる。
「なによこれ……。モンスターを召喚した時の……帝都の大図書館にも、記載されてない最初の構築式が、詳細に載ってるじゃない……。まさか、本物の原書?」
マリーネが慌てたように、ページを何枚も捲り終えた後、俺の方へ鋭い目を向けた。
「コレは、千年前の……旧大帝都が滅びた時に、一緒に沈んだはずの本よ。あなたが回収したの? どうやって!?」
「いや違うよ。その本は」
「街が滅びる前に、全ての書物を移したのは私だよ。お嬢ちゃん」
本を握り締めて、俺に詰め寄った彼女の目が見開く。
ここにはいないと思っていた第三者の声に気づき、彼女が振り向いた先――。
並んだ本棚の間から、滑るように黒い人影が姿を現す。
その存在に気づいた、マリーネの動きは素早かった。
本を投げ捨て、足元に置いた盾を手に取り、即座に身構える。
それは人型でありながらも、素肌は黒い獣毛で覆われており、人ならぬ者だと一目でわかる姿。
古めかしい漆黒のゴシックドレスを着ながらも、その頭部は被り物とは思えない、斑模様の犬頭を生やしていた。
「それは、貴重な本なのだよ。お嬢ちゃん……。乱暴に扱われると、困るんだけどね」
足下に落ちた本へ、女性の声色で喋る獣人が手を伸ばす。
「常闇の狼巫女、リュカオン……。竜迷宮を守る深層のモンスターが、どうしてここに?」
「……ふむ。剣を向けられてるようだから、お嬢ちゃんの勘違いを一つ訂正しておくよ……。私は確かに、見た目はモンスターの身体だが。中身は人間だよ……」
「どういう意味かしら?」
困惑するマリーネの横を、俺は通り過ぎる。
手に持った本を、空いた本棚のスペースへ入れる獣人女性に、俺は歩み寄った。
「先生。彼女は、古代遺物を持ってるらしく。少し調べて欲しいのですが」
「知ってるよ。本を読んでたらアラートが鳴って、何事かと覗いてたからね……。竜迷宮騎士団の団長ルークが所有していた、魔力喰いの魔法盾だよ。さっきの魔法は、契約がされてないとできないモノだから、始祖の血を正統に継いだ本物の末裔だろうね……」
「あなた、何者なの? どうして、初代の名前を……」
「どうして、知ってるかって?」
戸惑いを隠せないマリーネに顔を向け、クツクツと先生が悪い笑みを浮かべた。
「それは、もちろん。その魔法盾に血の契約をする時に、実際に立ち会っていたからね……」
「血の契約に、立ち会った女性って……そんな、まさか? だから原書が、ここに遺されて……。でも、彼女は……竜を倒す為に。竜迷宮と一緒に、千年前に死んだはずよ……。ありえないわ!」
「人間としての肉体は、あの地で確かに死んださ。でも、こうやって……。モンスターの肉体に、意識だけを残すことに成功して。わずかな生に、しがみついてるんだよ」
「じゃあ、本当に……。あなたが、竜迷宮を最初に創った……。竜迷宮の魔女?」
マリーネの言葉に、先生が少し寂し気な瞳で遠くを見つめる。
「懐かしい名前だね……。でも、それも。遠い昔の話さ……。今は未練深く、古巣を彷徨うだけの幽霊みたいな女だよ。クックックッ……。さて、お嬢さん。私の種明かしを終えたところで、本題に入ろうか? 竜迷宮の魔女に協力をするなら、君の欲するものを授けると約束しよう。しかし、それができないのなら、このまま地上へ出なさい。今日のことは、全て忘れてね……。さて、どうするかね? 古き血の末裔よ……。君は私に、何を望む?」
獣頭にある二つの黒い瞳に覗き込まれて、見つめ返すマリーネの青い瞳が揺らめく。
「私の、望みは――」




