【第18話】三分だけのファーストキス+α
「サコンさん。ここに来たら新しい剣が貰えるって、メリッサに聞いたんだけど……」
荷馬車を覗き込むようにして、亜人の青年が顔を出す。
「ええ、あるわよ」
空になった荷箱を整理してたサコンさんが、別の場所に置いてた木箱の蓋を開ける。
六本の剣を青年の前に置くと、一本の剣を持ち上げた。
「これが、新品の剣ね」
サコンさんから手渡された剣を握り締め、亜人の青年が鞘から刀身を抜いた。
「わっ、すっげ……。これがホンマもんの、新品かぁ……」
陽光を浴びてキラリと光る刃を、少年のように目をキラキラと輝かせて、亜人の青年が見入っている。
「あとの五本は、使い古しの中古品だけど。十分に使えるわよ」
サコンさんもまた鞘から刀身を抜いて、青年に他の剣の状態を見せていく。
「いや、十分です。俺のなんて、スラム街で拾ったゴミ剣だからさ。すげぇ助かりますよ」
腰に提げたボロボロの鞘に入った剣を抜くと、酷く錆び付いた刀身が顔を出す。
斬れるかどうか怪しいレベルなボロさの剣を見て、サコンさんが苦笑する。
「ていうか。これって、全部タダで貰えるって聞いたんですけど……。マジっすか?」
「ええ。今回は商談が上手くいったからね……。でも次からは、ちゃんとお金を払ってもらうわよ?」
「了解っす。サコンさん、マジ助かるっす」
「礼を言うのは、私じゃないわよ……。リュート君が、向こうで商談を頑張ったおかげだから。後で、彼に礼を言いなさいね……。今は忙しいみたいだから」
荷馬車の奥で、身動きが取れなくなった俺の方へ、クスクスと笑うサコンさんと亜人の青年が視線を向ける。
「なぁに。まぁだ修羅場ってるの?」
「え? アレって、やっぱそういうことなんですか?」
横からひょっこりと顔を出したナタネさんに、困惑顔の青年が問い掛ける。
「浮気チェック中よ……。顔に爪跡を残されたくなければ、今は邪魔しちゃ駄目よ」
「りょ、了解っす……。よく分からんけど、頑張れよ~」
パーティーを組んでる仲間の剣を受け取った青年が、手をヒラヒラと振りながら立ち去った。
鼻の利く女性二人が真剣な表情で、鼻先を小刻みに動かしながら、足下から首元へと俺の衣服についた匂いを嗅いでいる。
「マリーネ。そっちは何人?」
「たぶん、一人……。そっちは?」
「こっちも、たぶん一人だけど……。腕のあたりが、ちょっと香水の匂いが強い気がする……」
「それって、どういうこと?」
「はーい。ナタネ、それ知ってまーす!」
楽しそうな笑みを浮かべたナタネさんが、元気よく腕を上げて挙手をした。
ニヤニヤと悪い笑みを浮かべながら、荷馬車に入って来たナタネさんが近くに寄って来た。
とっても嫌な予感がするのですが……。
マリーネとラッカが離れると、すかさずナタネさんが俺の胸元に滑り込み、腕を抱きかかえるようにして、ついでに俺の肩に頭をのせた。
「こうやって。胸とお尻の大きい女の子二人に、両脇から腕を抱えられて。リュート君が鼻の下を伸ばして、お屋敷から出て来るの見ましたー」
いやいや半分くらいはあってるけど、さすがに脚色し過ぎだろ……。
鼻の下を伸ばすどころか、お持ち帰りされないよう必死に抵抗したっつうの!
案の定、真に受けたラッカが怒りに目を吊り上げて、腰から生えた猫の尻尾を逆立てた。
マリーネに至っては表情に変化はないが、掴んだまま離さない俺の腕に、強く爪を突き立てている。
「マリーネ。痛い……」
「こらこら、ラッカ。人前で、はしたないことをしないのよ」
緩やかなワンピースのチュニックを捲り上げ、他所の女の臭いを上書きするように、肌色のお腹を晒したラッカが俺の腕に擦り付けてくる。
その様子を、離れたところからニヤニヤと笑いながら、油に火を注ぐことをしたナタネさんに、怒りの鉄拳ならぬチョップが振り下ろされた。
「いたッ!?」
「まったく。ナタネも遊び過ぎよ……。リュート君が、そんなことをする人じゃないのは、あなた達も分かってるでしょ? コラッ、ラッカ。それ以上は、外で捲らないのよ。家に帰ってからにしなさい!」
「にゃんッ!?」
ラッカがチュニックを更に捲り上げ、胸の下半分が見えたところで、サコンさんの強制ストップが入った。
頭にチョップを振り下ろされたラッカが、ナタネさんと同じく後頭部を抑える仕草をする。
「言い訳くらいは、させてくれるよね?」
「一応、聞いてあげるわ……。口が酒臭い理由も、ちゃんと教えてちょうだい」
不機嫌オーラを隠さないマリーネから、弁明タイムの時間をもらえたので、包み隠さず説明した。
* * *
「こうなることが、分かってたから。叔母様には、まだ話したくなかったのよ……」
腕に爪を立てるのは止めてくれたが、晴れない表情でマリーネが愚痴を零す。
マリーネ達に裏でコソコソと、マーキングされてることがバレたせいで、予想以上に親バカだったレベッカさんの罠に嵌められたこと。
護衛任務の仕事を上手くやり過ぎたせいで、武器商人のデューグさんに目をつけられてしまったこと。
商談が最初から二人に仕組まれた祝勝会へ変わり、胸も尻も大きい美女に両脇を挟まれて、高い酒を何杯も呑まされ。
ベロベロに酔っぱらって、意識もあやふやだったが、お持ち帰りをされずに一人でちゃんと帰ったことを弁明し、やっと疑いが晴れた感じだ。
翌朝になって、俺を見送りに来たレベッカさんとデューグさんに、既成事実が無かったことを話したら、二人揃って舌打ちをされたことが、ホントに恐ろしかった。
あの街は商業都市と言うよりは、金さえあれば何しても許される、マフィアの巣窟に違いない……。
しばらくは、一人で行きたくない。
「まったく。外のことが少し落ち着いてきたからって、はしゃぎ過ぎよナタネ。これからは魔剣狙いの連中が、私達を狙って来るんだから、もっと気を引き締めなさい。はい、この箱も外に出して」
「はーい。サコ姉様」
頭にタンコブを生やしたナタネさんが、渡された木箱を荷馬車の外に出す。
「残りの剣は、とりあえずメリッサに渡しておくわ。あとは頑張ってね、リュート君……。あなた達も、ほどほどにしなさいよ」
荷馬車の外に出たサコンさんが、苦笑しながらそう言い残し、ナタナさんと去っていく。
天蓋付きの荷馬車の中で、三人の男女が残された。
うち二人は、ご機嫌斜め顔のジト目で、俺を無言で見つめている。
荷馬車内の空気が、とても重いです……。
「マリーネ。この香水臭い服、どうする?」
「あとで燃やすわ」
……怖ッ。
表情一つ変えずに、サラッと恐ろしいことを言いましたよ、この娘。
「叔母様が、そのつもりなら。こっちだって考えがあるわよ……。ラッカ、砂時計を持ってる?」
「持ってるけど……。え? 本当にするの?」
「するわ」
困惑するラッカの様子から、不穏な空気を察する。
いったい、何をする気なんだ?
マリーネが懐から、小瓶を取り出した。
……先生達が研究してる聖水か?
「リュート、朗報よ。三分だけなら、私でも効く薬ができたのよ。ラッカの牙も三分だけ小さくなった、検証済みの聖水よ」
「おー。マジか、すごいじゃん」
メリッサの牙が五分ほど生えない頃は、ラッカが飲んでも尻尾の毛先が数本、抜け落ちるだけだったのに。
さすが、先生だ。
「リュカ先生も、舌さえ入れなければ。リュートに害は無いって、お墨付きよ」
「……舌?」
なんだろう、マリーネが珍しくニコニコと笑ってるが、目が据わってるのが怖いのですが……。
親子ではないにしても血縁者だからか、雰囲気がレベッカさんを彷彿とさせる、まったく安心できない笑顔だ。
「マリーネ。お願いだから、舌は入れないでよ。リュートが亜人化したら、商会から外されるんだからね」
「分かってるわよ。私も、そこまで馬鹿なマネはしないわよ」
少し不安そうな顔しながらも、近くの木箱に砂時計を置いたラッカが、荷馬車の外に出る。
外に通じる天蓋の布幕を閉じたので、薄暗闇の中に二人だけが残された。
「リュート。私のこと嫌い?」
「え?」
マリーネが真剣な眼差しで、俺の顔をじっと見つめてくる。
「嫌いでは、ないよ……」
「じゃあ、好き?」
「それは……好きだよ」
もともとタイプな女性だし、美人に首を舐められるとか、ご褒美だと思ってるし。
「無理やりキスしたら、怒る?」
「えっと……無理やりは、ちょっと嫌かな?」
力尽くでだったら、間違いなく俺が勝てないので、そこは素直に言っておく。
手の平で聖水の入った小瓶を転がしながら、マリーネが少し悩ましげな顔をする。
「キス、したいの?」
「……したい」
俯き加減のマリーネが、コクンと一つ頷く。
「リュカ先生と、初めて会った時……。私が産まれた時の話をしたこと、覚えてる?」
「うん……」
「私は母親に望まれて、産まれた子じゃなかった。古き始祖の血を継ぐせいで、たまに産まれる尻尾付きの亜人。それが私だった……。だから私は、産まれた瞬間。母に殺されかけた……」
寂しげな顔で、マリーネが自らの出生を語る。
「別に母のことは恨んでないわ。母は血族のしきたりに従って、私の存在を消そうとしただけ……。でも、反対した叔母様が引き取ってくれた。もともと、古いしきたりに反対だった叔母様は、血族の中でも異端だった。だから、そのやり方を私なりに変えてやるって、帝都を飛び出して。商業国家に移り住んだ……。女手一つで、ここまで育ててくれた叔母様には、本当に感謝してる……。でもね」
マリーネが小瓶の蓋を外し、聖水を一気に飲み干した。
「それと、私が誰を好きになるかは別よ……。産まれながらの尻尾付きと知っても、私を好きだと言ってくれるのは、リュートだけよ……」
空になった小瓶を、木箱の上に転がす。
砂時計に手をかけ、ひっくり返した。
砂の中に魔石が混ざってるのか、薄暗闇の中で落ちる砂が、キラキラと光る。
俺の両頬に、暖かい手が触れた。
「私がここでキスすれば。リュートに、亜人化がうつるかもしれないわ……。怖い?」
「怖いって言うか……。牙が生えたりとかした時に、次の商談でどう上手く隠せば良いか。そっちを悩むと思う」
俺の回答が予想外だったのか、マリーネが可笑しそうにクスクスと笑う。
「リュート……。やっぱり、あなたは変な人よ……」
俺の唇に、柔らかいモノが触れる。
彼女にとって貴重な三分間を、彼女の好きなように使わせてあげた。
俺と先生に出会うまでは、子供を産むことすら諦めてたと、重々しい表情で告げた彼女にとって。
先生の作る聖水は、本当に希望の光だったのかもしれない……。
「やっぱり。三分は、短すぎるわね……」
彼女の真面目な性格らしく、口づけをしてる間もチラチラと砂時計を見てたので、時間通りに口づけが終わった。
俺の亜人化を恐れているのか、口づけも唇の表面をちょっとだけ触れるだけで、彼女の表情から察する通り、その感触をしっかりと味わえたのか怪しいところだ……。
コレやったら先生にバレた時、やっぱり怒られるのかなー?
そう思いながらも、俺は砂時計に手を伸ばす。
「リュート?」
砂時計をひっくり返し、再び砂がサラサラと落ち始めた。
「もう、聖水は無いわよ? 今ある素材だと。次できるのは、何日も先になるってリュカ先生が」
ヤル時は、ヤル男。
リュート、頑張ります!
気合を入れて、今度は俺の方から強く唇を重ねる。
普段は絶対に見ないであろう、目を潤ませたマリーネから唇を離す。
「絶対、舌は入れないでね?」
「……リュート、好き!」
「んん!?」
さっきとは比べ物にならない、濃厚な口づけをマリーネから返される。
気づけば俺の唇が、舌で舐められる感触も増えていた。
コラコラコラ、さりげなく舌で俺の唇をこじ開けようとするんじゃないよ。
ラッカとの約束は、どうしたのですか!?
今まで溜め込んだ分が、マリーネの中で爆発したのか。
一般人よりも恋愛願望が異常に強い彼女には、刺激が強過ぎたのかもしれない。
砂が落ちきるまでの三分間を、美女とのキスを楽しむ余裕もなく、俺は必死に抵抗した。




