【第15話】襲撃者とウワバミ
「あら? ……静かになったわね」
レベッカさんが見えない外をうかがう仕草で、視線をトビラの方へ動かす。
恐ろしい初体験の連続に、こっちは気が気じゃないのに。
弾力のある椅子に、深く腰掛けたレベッカさんは、優雅に足を組み直した。
長い移動中に、悪路で激しく揺れて痛む腰を、少しでも楽にするためか。
しっかりとサスペンションが組み込まれた、レベッカさんお気に入りの荷馬車は、椅子の座り心地も最高だ。
いかにも金を持ってそうな、貴族達が愛用する高級馬車に乗ってるせいか、人が多い街から離れた移動中の荷馬車を、狙う強奪者が多い。
転移門を使えたら、これからは護衛の人数も減らせるし、貴族の需要が増えだろうと会話をしてる最中で……。
コンコンと、誰かが外をノックする音が耳に入る。
おもわずビクッと、俺の身体が跳ねてしまう。
扉を開けて覗き込んだのがナタネさんの顔で、ちょっとだけ安心した。
「終わったよー」
笑みを浮かべるくらいの気楽な言い方をした、ナタネさんだったが。
手で乱暴に拭った跡のある、ほっぺに付いた血糊が、すごく恐ろしい……。
開いた扉越しに外を覗けば、片腕を斬り落とされた、血塗れの男が倒れている。
レベッカさんが椅子から腰を上げ、物怖じせずに荷馬車の外へ出た。
「物取りの山賊……じゃないわね?」
「私も、そう思うわ。武器や防具が、綺麗過ぎる……。たぶん最初から、私達を狙ったファミリアでしょうね」
レベッカさんが膝を曲げ、地面に転がる亡骸を検分している隣で、同じように覗き込むサコンさんが答える。
「そうね……。コイツらに支援してる武器商人が、裏にいそうね……」
ナタネさんが、もう大丈夫だから外に出て来いと、俺を手招いた。
恐る恐る俺も荷馬車の外に出てみれば、鉄製の胸当てと上等な剣を握り締めた数人の襲撃者達が、地面に倒れている。
まさか亜人が、血の契約をされた魔剣を持ってるとは、思ってもなかっただろう。
護衛をしてくれた亜人達の返り討ちに遭い、無残な姿を晒していた。
氷の魔剣であるシザーブレイドに、付いた血糊をボロ布で拭いてた、ご機嫌顔のナタネさんが視線を上げた。
ナタネさんが別の場所へ目線を移し、俺の視線もそちらにつられる。
砂ほこりを巻き上げて、馬に跨った亜人がこっちへ駆けて来た。
「サコン、すまねぇ! 見張りの一人を逃がしちまった」
まだ新しい血糊が、剣先から垂れる魔剣を握り締め、荷馬車の前へ戻って来た亜人が、開口一番に謝罪する。
「あの野郎、早馬でさ。とてもじゃねぇけど、追いつけそうになかった……」
「大丈夫よ。どうせ最初から、そのつもりで用意してたヤツだと思うから。無理に追わなくて、正解よ」
息を切らせて報告した亜人に、サコンさんが労うような言葉を掛ける。
「雇い主の検討は、既についてるって顔ね。レベッカ」
「あら、よく分かってるじゃない。でも今回は……たぶん狙われたのは、私じゃないわよ」
レベッカさんの視線に釣られて、警護をしてくれた亜人達の視線が、俺に集中する。
「わざわざファミリアに依頼してまで、ご指名された襲撃はね……。だいたいが評議会の席を手に入れた、生意気な若造が。狙い撃ちで洗礼を受けるもんなのさ……。だからアレを、市場に売り捌いたタイミングから考えても。今回の襲撃目標は、リュート君だろうね……。よっぽど強い恨みを、買っちまったみたいだねー」
裏切りの悪鬼バモンが散り際に呟いた、ウワバミの名が脳裏によぎる。
「やっぱり、リュート君の名義で登録したパンドラ商会で。アイツらの魔剣を売りさばいてもらって。正解だったみたいね」
極悪ファミリアの夫婦と息子の魔剣は、依頼主からの条件として、市場に売り捌く契約になってたけど……。
先ほど馬車内で、暇つぶしにレベッカさんが話してた、予想通りの展開になってしまったのか?
「こうなるのを分かって。それを押し付けるのは、酷く無いですか?」
「こうなるのが分かってるから、押し付けたのよ……。まんまと狸ジジイにも、面倒事を押し付けられて。これからが大変ね、リュート君……。フフフ」
レベッカさんは慣れたものらしく、楽しそうに笑っているが。
こっちは全然、笑い事じゃない……。
無用のヘイトを買ってしまったせいで、暗殺者を送り込まれる人生は、望んでないですよ……。
「そんな顔をしないのよ、リュート。私達がいるじゃない」
血糊を拭き終えたナタネさんが、シザーブレイドの片刃を肩にのせ、ニコニコと陽気に笑う。
「そうよ、リュート。ナタネの言う通りよ」
ナタネさんの傍に歩み寄り、サコンさんが手渡されたボロ布を受け取る。
「ここいる仲間は、私やナタネと同じくらい。アイツらに、強い恨みを抱いてた亜人達よ……。悲願を達成する機会を与えてくれた、あなただけでなく。魔剣まで与えてくれたリュカには。感謝と恩義しかないわ……」
シザーブレイドの血糊を拭き取りながら、サコンさんが俺に語り掛ける。
「人間に多少の恨みはあれど……。あなたは別よ、リュート……。そうでしょ、みんな?」
集まった魔剣持ちの亜人達を、サコンさんが見渡す。
魔剣の契約を上書きした、功労者は先生だが。
他の亜人達も、俺に恩義を感じてもらえてるのは、素直にありがたい。
「もしかして。私達じゃ、不満なの?」
「いや、それは無いですけど……」
前のめりになったナタネさんに、不機嫌そうな顔で睨まれ、問題ありませんのジェスチャーをする。
「フフフ。さあ、行きましょう……。その噂の狸爺さんと、今日は顔合わせをするんでしょ? あなたが作った、新しいファミリアを。しっかりと、宣伝してきてちょうだい」
胸元に垂れた三つ編みを、サコンさんが手で後ろへ弾く。
サコンさんの胸元で、評議員を示す六個目の竜印が、頼もしく輝いて見えた。
* * *
金持ちのやることは、すげぇな……。
屋敷の玄関から廊下まで全部、高級絨毯を敷いちまうとか、どんな財力だよ……。
赤を基調に金色の刺繍がされ、靴底の沈む感触が分かるくらい、上等過ぎる高級絨毯の上を、俺は落ち着きなく歩き続ける。
すれ違うメイドさんが俺達を避ける時のように、できれば端っこの絨毯が敷かれてないスペースを歩きたいと思うのは、俺が小市民過ぎるだけなのか?
そんなことを考えながらも、レベッカさんに置いてかれて迷子にならないよう、彼女の背中を追いかける。
お洒落なステンドグラスを通して、広すぎる廊下に差し込んだ陽の光が、前を歩くレベッカさんを明るく照らす。
通い慣れた屋敷なのか、メイドの案内を断ったレベッカさんの足取りに、迷いは感じられなかった。
俺なら五分で迷子になりそうな、迷宮かと勘違いする分岐を進み、無数に扉がある廊下を黙々と歩いている。
ふと扉の開く音が耳に入り、不要にしか見えない壁際に置かれた、デカイ彫像から視線を外した。
廊下の先で扉の一つが開かれ、商人服を着た若い青年が顔を出す。
歩くテンポを急に落としたレベッカさんが、俺の横に並んだ。
「……彼よ」
ボソリと、俺にだけ聞こえる声量で呟いた。
深緑色の短い頭髪が目立つ青年商人が、俺達の前で足を止める。
「おやおや。今日は子供連れの出勤ですか? レベッカ」
「年上には、さんをつけなさいといつも言ってるでしょ。ダビル……。彼は私の子供では無いし、小さな商会を持つ立派な大人よ……」
「なるほど。早く引退して結婚することを、いつもおススメしてたので。ようやく僕の貴重な意見を聞いてくれたのかと、喜んでたのですが……。四十も間近で、まだその調子ですと。死ぬまで婚期が伸びそうですね……」
「今は必要ないだけよ。あなたこそ、年上の話を全く聞こうとしない耳を斬り落とされないよう。夜道には気を付けなさい」
出会い頭に二人が、言葉のナイフで斬り合い始めた。
予想外の事態に挨拶を交わす暇も無く、俺は言葉を失う。
「最近は、魔剣を持った亜人がうろついてるらしいから。特にあなたは、警護を増やした方が良いかもね?」
売り言葉に買い言葉で、レベッカさんが口に出した言葉に、それまで涼し気な顔をしていた青年の目が鋭くなる。
「ファミリアの魔剣が、ブラックマーケットではなく、表の市場で売りに出されたのは。やはり、あなたの手引きだったのですね? パンドラ商会などと言う偽装商会を作ったのも、レベッカだと聞きましたし。いったい今度は、どんな企みを」
「そんなことよりも、ダビルに会った時に聞きたいことがあったのよ……。ここに来るまでに、いきなり盗賊に襲われてね」
「ほう、盗賊に? ご無事で良かったですね……」
「それが見た感じ、野盗でもなさそうなのよ。たぶん、ファミリアを雇った馬鹿がいるみたいなのよねー……。武器商人にまで支援をさせて、悪質な嫌がらせをしてくる商会に、あなたは心当たりがないかしら?」
「……いえ。僕にはまったく、心当たりがありませんね……」
彼は前髪の半分だけを、片目が隠れるほどに長く伸ばしている。
もしかして、お洒落の類なのだろうか?
青年商人が顔色一つ変えず、その長い前髪を手でかき上げた。
眼中にも無いとばかりに、俺と目線すら合わせなかった彼が、初めて俺の目をじっと凝視した。
髪色より更に深く、黒色に近い濁った緑色の瞳が、獲物を見つけた蛇の如く、大きく両眼を見開く。
「しかし、この迷宮都市ルームガントでは。出る杭をすぐに叩こうとする、過激な商人もいますので……。誰かを挑発するような。目立つ行動は慎むことを、優しい先輩からアドバイスしておきますよ……。リュート君」
蛇のように長い舌を伸ばし、ダビルが口元をペロリと舐めた。
なるほど……ウワバミ、ね。
俺のことを知らない素振りをしながら、初対面のはずな俺のことをしっかり把握してる、計り知れない情報収集能力。
レベッカさんが襲撃後の道中で、絶対に仕事を一緒にしたくない相手と、彼の悪態を延々と吐き続けてた理由を。
この短い時間で、なんとなく理解した……。
「ご助言ありがとうございます、ダビルさん。右も左もよく分からぬ、若輩者ですが。これから同じ商人として、よろしくお願いします」
頭を軽く下げた時に、鼻で笑うような声が聞こえた。
顔を上げてもなお、蛇のような視線で舐め回すように、気持ち悪い視線を送ってくる。
俺の心の内を探ろうとする、観察対象を無言で眺める視線を、煩わしく思いながらも。
彼に会ったら、ぜひ尋ねてみたかったことを聞くことにした。
「ダビルさんは。帝都では、天才迷宮士と呼ばれていたそうですが……。迷宮士として学び始めて、二月も満たぬ半人前の私に。大先輩からの御助言を、もらうことはできますでしょうか?」
「……ほう、君も迷宮士かね?」
ちょっとだけ興味が湧いた顔をしつつも、ダビルが口の端を吊り上げて、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「どうやら僕の活躍は、この国にも届いてるようだね……。君が知ってる通り。僕は帝国でも、未だ誰もできなかった。迷宮探査の最大範囲を五十ブロックまで、伸ばすことに成功した。天才迷宮士と呼ばれていたんだよ」
以前マリーネから教えてもらった情報をもとに、話を振ってみたら予想通りに食いついてきた。
「だが、それが人間の限界だ。それを早くに理解できた僕は、金にもならない迷宮士の道をさっさと引退し……。帝国の期待を一身に受けて、莫大な富を築ける大商人として、その道を歩んでるところさ……」
「そうですか……。貴重なご意見を、ありがとうございます……」
「探索者として底辺の才能しかない、迷宮士だった君のことだ……。僕に憧れて、商人の道を選んだのかもしれないが。レベッカのもとで学んでも、一年も経たずに引退するよ……。悪いことは言わないから、早く見切りをつけて。僕の商会にでも入った方が」
「俺は迷宮探査を、百ブロック先まで伸ばせるけど。まだ限界を感じてないよ」
「……なんだと?」
「こんな若輩者に、わざわざ足を止めて声を掛けて頂き、ありがとうございます。では、失礼します」
軽く頭を下げた俺は、強引に話を切り上げた。
口を半開きにしたまま、呆然とした顔で立ち尽くすダビルから、もう興味は無いとばかりに視線を外す。
隣にいるレベッカさんが、口元を手で押さえて、笑いをこらえる仕草をしていた。
自分の実力ではなく、先生の契約のお陰で得た力だが。
あそこまで失礼なヤツ相手なら、これくらいの意趣返しを、してやっても良いだろう。
「次から襲撃者の数が、倍に増えそうね」
隣を歩くレベッカさんが、クスクスと笑っている。
笑えない冗談を言われて、背中に嫌な汗が流れた。
ちょっと、やり過ぎたかな?
背後から殺気に近い、もの凄い視線を感じたが、怖くて振り向けなかったです……。




