【第12話】不治の病と聖水
「ほらほら、入って入って」
「もう。さっきから、なんですかカレン。そんなに押さなくても、入りますよ」
ニヤニヤ顔が止まらないカレンに背中を押されながら、困惑顔のメリッサが元村長の家に入って来た。
「座って座って」
「はいはい。座りますよ」
ご機嫌顔でエスコートするカレンに椅子をひかれ、メリッサが言われた通りに腰を落とす。
「私が呼ばれた理由が、まだ分かってないのですが……。今日は、なんの集まりですか?」
テーブルを囲んで居座る面々を、メリッサが一瞥する。
「こんばんわ、メリッサ君。夜遅くまでの仕事を終えて、すぐのところを。呼び出してすまないね……」
「いいえ。ようやく、私に向いた仕事ができてますので、大して気にしてません。それに忙しいことは、良いことです。残業分のお給料も、人並みに頂ける約束ですしね」
先生の問い掛けに対して、メリッサが俺の方をチラりと見た。
ここに来たばかりとは違う、生き生きとした笑顔を魅せる。
立ち上げたばかりの迷宮ギルドなので、新人達が育つまでは事務経験のあるメリッサは、なかなかに落ち着けないポジションだろう。
ようやく生き甲斐を見つけたとばかりに、精力的に働いてくれるのは嬉しいことだが。
すでに十日以上は、休み無しに働いてるし。
うちのギルドは、休日無しで働かせるブラックな会社だと噂が広がっても嫌だし、過労でメリッサが倒れても困るので。
そろそろ職員のシフトや、人の配置を見直す時期だろう……。
「なるほど、なるほど。君は本当によく働いてくれてる……。そんな頑張り者の君に。ぜひ飲んで欲しい、薬があるのだよ」
メリッサの対面に座る先生が、テーブルの中央に置かれた小瓶へ手を伸ばす。
置かれてる物に気づいたメリッサが、顔を寄せて不思議そうな顔でマジマジと見つめる。
「飲めば、すごく元気が出るわよ~」
「……その言葉で。すごーく、胡散臭く感じてしまったのですが?」
「なんでよ!?」
メリッサの横から、覗き込むように顔を出したカレンが、不満げな声を上げた。
「数人が治験済みの薬だ。毒ではないから、安心しろ……。ただ、カレン君が言うように。もしかしたら、君にとっては元気が出る。薬になるかもしれんな……」
意味深な台詞を語る先生に、戸惑うような顔をしながらも、メリッサが小瓶を手に取る。
蓋を開けると鼻先を近付け、ちょっとだけ警戒するように、臭いを嗅いだ。
メリッサが不審な顔をしながらも、ゆっくりと唇を上下に開く。
口の中に収まるサイズのラッカよりも長い、虎を連想させる白色の鋭い二本牙が、少しだけ露わになる。
「信用してますからね?」
「どうして。私の方を見て、それを聞くのよ」
隣にいる人物を再びチラリと見て、そう尋ねられたカレンが、不満げな顔で頬を膨らました。
メリッサが意を決したように、小瓶の中に入った液体を口に含もうとする。
「おっと、メリッサ君。すぐに飲まず、口でゆすいでから飲み込んでくれ……。なるべく液体を、歯ぐきに当てるイメージでね」
「んー?」
先生から奇妙な指示を出され、メリッサが小首を傾げながらも、素直に液体を口内でゆすぐ。
口を閉じた時に、二本牙の先端が唇からはみ出た状態で、ゴクリと喉を鳴らして呑み込んだ。
「ふー。……これで、良いですか?」
「ふむ……。口の中は、どうかね? 舌で触った時に。違和感を覚えたりは、しないかね?」
先生に尋ねられて、口を閉じたメリッサが、口内を舌で触るような仕草をする。
「違和感と言われましても……。変な味の薬ですね、としか言いようが……。ん?」
何かに気づき、再び口を閉じた瞬間に、俺達でも分かる変化が現れた。
「……あれ? んー? ……え?」
メリッサが慌てて口を開き、人前にも関わず指を突っ込んで、口内をまさぐる。
「無いです……。私の牙が……」
目をパチパチと何度も瞬き、理解が追いついてない表情で、先生の方を呆然とした顔で見つめ返す。
「口を開けてごらん。あーんと……。ふむ、たしかに。普通の歯しか、見当たらないね」
言われるがままにメリッサが口を開き、テーブルに肘を突いて前のめりになった先生が、口内をじっくりと観察した。
「さて、次の変化が現れるまで。少しお喋りをしようかね……。君達は亜人化を、不治の病と考えてるようだが。それは厳密には違うと、ここで断言させてもらうよ……。亜人化は、感染する病気ではなく。古い迷宮が遺した、強力な呪いであると。私は考えている……」
「呪い……ですか?」
唐突に始まった先生の講義に、メリッサが戸惑い顔で尋ねた。
「そう。とても古い呪いだ……。最初の発症例は、竜迷宮が誕生した千年前に遡る。私が迷宮を研究してることは、君達も知ってるだろうが……。迷宮と同じくらいに心血を注ぎ、千年前に遺された古い資料を読み漁って、私が研究を続けてる分野があるのだ」
黒く深い獣毛で覆われた、五本の指をテーブルの上で重ね、先生がメリッサに語り掛ける。
「実際に君自身が、身体の変化を体験したことで。少しばかりの可能性を感じてくれたと思うが……。忌まわしき亜人化の呪いを、完治することができる薬を。私は研究しているのだ……」
「完治できる……薬?」
「うむ。信じられない話かもしれないが。魔術的な要素が絡んだ呪いなら、理論的には対策が可能ということだよ……。この話はな。私が作った薬を、飲んでくれた者にしか話しておらんのだが……」
「リュカ先生、ちょっと待って下さい」
唇に違和感を覚えたらしく、先生の話を遮ったメリッサが、慌てて口元に手を伸ばす。
「あれ? また牙が、生えて……」
「メリッサ君が飲んだ薬は、まだ試作品だからの……。ふむ、およそ五分ほどかな? カレン君に比べると。やはり感染元の方が、効果が薄いのかね?」
治験を受けてくれたラッカと、練菓子一つで何でも言うことを聞いてくれるレミア。
カレンに次いで、五人目になるメリッサの検証結果を観察しながら、情報を噛み砕くような素振りで、俺の隣に座る先生がボソボソと、後半は小声の呟きを漏らした。
「えっと……?」
オロオロと視線を彷徨わせるメリッサと、カレンの目が合う。
「私は一時間くらいで、また生えたわよ……」
「一時間? そう、ですか……」
「なに落ち込んでるのさ。リュカ先生が、まだ試作品だって言ったでしょ。一時間も牙が生えないなんて、凄いことじゃない。リュカ先生の研究を手伝えば、いつかは完治するんだよ? 亜人化は絶対に治らないって断言した。どこぞの生臭司祭達より、よっぽど前向きで良い話じゃないさ」
口の端を吊り上げたカレンが、露骨に肩を落としたメリッサを励ますように、白く長い牙を唇から覗かせてニヤリと笑う。
そんな二人のやり取りを見て、先生の小さな独り言の中にあった感染元の単語が、ふと脳裏によぎる。
亜人化の経緯を詳細に調べるため、村に住む亜人の一人一人をラッカに調査してもらった話を思い出す。
今代にまで消えることの無かった亜人化の呪いは、主に体液を介して感染すると、先生は確信してるようだ。
ラッカの尻尾をよく撫でたり、俺は首元を舌で舐められたりしているが。
亜人化らしき症状は、未だに見当たらない。
爪が鋭く伸びたり、牙が生えたりもしなければ、尻尾すら腰から出てこない。
しかし、もともと亜人化の症状が無かったカレンが、メリッサと似た症状で、全く同じ牙を生やしてる理由は……。
先生は研究のために、ラッカから二人の事情を詳しく聞いてるようだが。
そのあたりはなんとなく、俺は深く掘り下げて聞かない方が、良い気はするな……。
「うむ、よく分かった。メリッサ君、ご協力ありがとう……。シャロン君、今の配合を基本にして、研究を続けてくれたまえ……」
「え? ……あっ、はい。分かりました、リュカ先生」
急に話を振られてビックリしたのか、気配を消すように部屋の隅っこに立っていたシャロンが、慌てて何度もコクコクと頷く。
シスター服から古着のチュニックへ変わったのに、トップスの膝上が隠れる長さの裾を、スカートを指先で摘まむような仕草でされると。
まるでワンピースを着た、女の子にしか見えないのが謎である。
やっぱりボトムスも、一緒に渡すべきだったか……。
それと、俺と目が合う度に上目遣いで、頬を赤く染めるのもやめて欲しい。
俺にソッチの趣味は無いし、そういうつもりで俺の古着を、君にあげたわけじゃないからね?
「現代の水魔法と、上手く混ぜることは可能か……。となると、次の問題は。やはり素材か……」
「リュカ先生、あの……さきほど。完治ができる薬を研究してると、言われましたが……」
難しい顔で考えごとをする犬頭の先生に、おずおずとした態度でメリッサが尋ねる。
「んー? 聖水の話かね?」
「聖水?」
「あー。先に言っておくが。犬の餌にもならん、聖教会とやらの紛い物とは、同じにせんでくれよ? 肥え太った豚司祭の体液を混ぜて、聖水と吹聴する話なぞ。思い出しただけでも、吐き気がするわい」
眼前に見えない煙があるかのように、先生が手で払いのける仕草をする。
「私が所有する聖石と、シャロン君の水魔法を組み合わせて。特殊な製法で作り出した薬のことを、聖水と呼んでおる……。メリッサ君が期待している、牙を完全に消すためには。素材となる魔石が、大量に必要なのだが……。研究材料として使える、火の魔石すら手に入らない現状ではな……」
「火の魔石、ですか?」
「リュカ先生の話だと。まだ開放してない十一階層から。聖水を作るのに必要な、火を司る魔石が採れるんだってさ……。その代わり、火を吐く双頭火犬なんかも、大量に出て来るらしいけどね」
事前に先生から話を聞いてたのか、カレンが補足するように説明をする。
「六階層から出る狼人の群れですらビビってる、うちの若い亜人達には。十一階層を開放するなんて、とてもじゃないけど無理ね……」
テーブルに頬杖を突きながら、諦め混じりにラッカが溜め息を吐く。
「亜人狩りをされるかもしれない迷宮に。好き好んで潜る亜人の方が少ないんだよ? 私やラッカみたいに、迷宮を探索したことのある経験者で。戦う方が得意なヤツが、少数なのよ……。せめて武器や防具が、もう少しまともな物があれば。皆も先を目指そうと、頑張るかもね?」
「そうですね……。でも、商会で武器を買おうとすると。亜人と言うだけで、商人達に足下を見られますし。とんでもない金額を要求されますよ?」
カレンが苦笑混じりに亜人達をフォローすると、隣に座るメリッサが険しい顔で口を挟む。
火を司る階層を開放するためにも、武器や防具などの仕入れ先を確保するのは、最重要事項なのはもちろん分かってるが……。
皆の視線が、ここまで静観をしていたマリーネに集中する。
「残念ながら、叔母様の伝手では。亜人に相場の値段で売ってくれる、変わり者な武器商人はいませんね」
そこは現状、頼りにならないとばかりに、マリーネが首を横に振る。
「ですが……。昼間に、村へ立ち寄った行商人から、叔母様の伝言を頂きまして」
少し間を置いて、マリーネが口を開く。
転移門が利用できるようになってからは、レベッカさんの商会に所属する商人達がログニカ王国の王都と、商業国家スサノギにある迷宮都市ルームガントを、うちの村を経由すれば以前よりも短期間で安全に、往復できるようになったはずだ。
こちらに顔を出す暇がないくらい、ファミリアの件で忙しそうなレベッカさんから、行路を利用してる行商人の誰かが、おそらくメッセンジャーに使われたのだろう……。
「叔母様が、声を掛けてる商会の中で一つ。条件次第では、こちら側との武器交渉に応じてくれそうなところがありまして……」
「その条件とは、何かね?」
先生が尋ねると、マリーネが条件というよりも、依頼に近い内容を口に出す。
先方からの予想もしてなかった依頼内容に、同席する全員が互いに視線を交わし、戸惑うような顔を見せた。
「クックックッ。それはなかなかに、穏やかじゃないね……」
ただ一人、先生だけが。
犬口を歪めて、クツクツと面白そうに笑った。
「私達が頭を悩ませてる。裏切りの悪鬼バモンが率いる、ファミリアの壊滅を。亜人の我々に依頼する変わり者は……。どこの商会だね?」




