承、転、結。
紗奈は車の助手席で窓の外を眺めていた。
その心にあるのは、深い悲しみ。
子供でしかない自分がどれ程頑張っても、結局大人には逆らえなかった。
(縁・・・・・・)
心中で一縷の希望を探すように愛しい人の名前を呼んでも、その声は聞こえない。
せめてもの残滓を探すように、紗奈は縁との思い出を記憶からすくい上げ始めた。
縁に告白された体育館裏。
縁にトランスジェンダーを告白した夕暮れ。
何度も愛を語らってキスをした鮮やかな日々。
車窓を流れゆく風景たちがその愛すべき日常を奪い去って行く。
「どうしてお前達はここまでするんだ」
隣でお父さんが零した。
「・・・・・・」
いつもは陽気に笑っているお姉ちゃんも、今はじっと下を向いて黙っている。
「・・・・・・お父さんには、わかんないよ」
もう、どうでもいいや。
紗奈は目線を変えずに、海底に沈んだような空虚な感情のままに言葉を紡いだ。
「ボクはさ、本当は男なんだよ」
今、お父さんがどんな顔をしているかわからない。
首を動かして振り向くのも、今は億劫だ。
「女の子なんだから、っていうのはもう何回も聞いたけど、お父さん1回も男の子なんだからって言ってくれた事ないじゃん」
こういうことをカミングアウトする時は、もっと緊張するものだと思っていた。
けれど実際は特段心拍数が上がったとか汗ばんできたとかは全くなくて、むしろ隣を走り抜ける車のナンバープレートでも眺めるくらいの余裕すらある。
「縁はそんなボクを受け入れて、その上で好きだって、愛してるって言ってくれたんだ」
空気が、いつもより苦い。
「そんなの、好きにならずにはいられないじゃん」
しばらく車内に流れる沈黙。
オーディオから流れる一昔前のラブソングがなければ、きっと世界から音が消えてしまっていたことだろう。
「・・・・・・そうか」
お父さんは、車の速度を緩めることもなく、ただ一言呟くように言った。
それ以上の何を期待していた訳でもない。
「うん」
それだけ返してから、バックミラーでチラリと後ろに座っているお姉ちゃんの方を見た。
なにか言いたげに口で息を吸っては吐いてを繰り返す姉の姿にちょっとしたおもしろさを感じてから、紗奈はまた窓の外に目線を流して誰にとなく言った。
「もうすぐ、目的地だ」
その学校の校舎に入ると、真っ先に掲示板に目が行った。そこには学校のお知らせだけでなく 、いろんなチラシも貼り付けられている。
その中には、『なくそう!LGBT差別』なる手作り感満載のチラシもあった。生徒会とかが企画して作ったのだろうか。これを見て自分の前を歩くお父さんはどう思ったのだろうか。
それは紗奈のわかる範囲ではない。
気にしない事にして、紗奈はお父さんの後を追った。
編入試験が全て終了し、紗奈は彩加と一緒に車で帰路に着いていた。
佳奈さんの家からだとそこまでかかりはしなかったが、家までだと車でも3時間くらいかかるらしい。
テストの結果には、それなりに自信がある。合格は固いだろう。お姉ちゃんも同じような結果だったようだ。
夕焼け空が長い影を伸ばし、センチメンタルな雰囲気を車内に醸し出す。
ふと気がつけば、ボクは自分と重なる助手席の影になにかを探すように視線を注いでいた。
・・・・・・なにかって、何?
それは・・・・・・縁の姿。
「ぅぁ・・・・・・あぁ・・・・・・」
ボクは、今更になって涙を堪えきれなくなった。
現実感のない目の前の事象が、それでもやっぱり現実なんだとボクに訴えかける。
縁と離れ離れになってしまう未来は、もうすぐそこ、来月初めには訪れるという事実に、震える程の恐怖と寂寥と後悔が大きなうねりとなって押し寄せる。
嫌だ。縁と会えないなんて、そんなの嫌だ!
心がどれだけ叫んでも、過去は変わりやしない。
いつも隣にいた彼女が、今はいなくて、もうすぐ会えなくなってしまう。
もし試験で一切解答を書かなければ縁と一緒にいられたのか。
じゃあ何故ボクはそれをしなかった?
何故、何故、何故、何故。
「うぅ・・・・・・ゆかり・・・・・・」
嗚咽混じりに名前を呼んでも、時間は巻き戻ってくれない。
あたりまえの事なのに。
「ボクは・・・・・・ボクはぁっ!」
心のストッパーが壊れたみたいに、外へ外へと流れ出す言葉たち。
そいつらがボクの輪郭をほんの僅かづつぼやけさせていくような感覚。
いつしか呼吸のコントロールを失い、ヘンテコなリズムで体が勝手に呼吸をはじめた。
なあ、神様。いるんだろ。いっそ全部奪い去ってよ。記憶も、想いも、性別も、悲しみも。存在全部、タンスの裏か食器棚の奥にでも隠して見せてよ。
もうぐちゃぐちゃになって息もできない。
もうバラバラになって恋もできない。
そんなボクなんて、消えてしまえ。
「彩加、紗奈」
聞こえたのは、お父さんの声。
気がつけばコンビニの駐車場に止まっていたらしい。
財布の中をごそごそといじってから、お父さんは振り向いてこちらになにかを差し出した。
「なにこれ・・・・・・電車のICカード?」
お姉ちゃんも同じものを渡されたらしく、目を丸くしている。
「本当は家に着いてから渡すつもりだったんだがな、お前たちが試験を受けている間に作っておいた。どちらも2万円づつチャージしてある」
紗奈が受け取ったのを見てから、お父さんは前に向き直った。
「それだけあれば、週末にでも今の友達に会いに行くのには困らないだろう」
それは、つまり・・・・・・?
「今まで済まなかった。紗奈。お前の、本当の性別に気付いてやれなくて」
それはほんのお詫びだ、とお父さんは言って、缶コーヒーを買いに車を降りた。
その背中は、少し照れくさそうで、優しげだった。
それから数ヶ月後。
新しい学校にもそこそこ順応し、季節は夏を終えようとしている頃。
紗奈は電車を降りて、長い階段の上の改札口にICカードをタッチして駅を出た。毎週の終わり、部活もない日曜日は人生で1番楽しみな日だ。
「おかえり、紗奈」
いつも待ち合わせ場所は駅近くにある小さな公園。
「ただいま、縁」
そこは誰もいない、自分たちだけの世界。
2人は、毎週の再開を喜びながらまた唇を重ねた。
ここまで呼んで下さってありがとうございます。
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