第93話 司君の変化
家に帰ると、キャロルが待ってましたと言わんばかりの勢いで、出迎えてくれた。ああ、きっとまた、一緒にお風呂に入ろう!って始まるんだ。
「オ帰リ!穂乃香、サッサトオ風呂、入ッテキテ」
あれ?
「キャロルは?」
もしかしてもう入ったとか?
「私ハ、帰ッテカラ入ル」
「今日帰るの?」
「ウン」
あれ。そうなんだ。って思いつつ、隣を見ると、司君がちょこっと嬉しそうな顔をした。キャロルが帰るのが嬉しいのかな。それって、キャロルに知られたら、怒りそう。
だけど、キャロルはもうダイニングに行ってしまって、気づかないでいた。
「今日は、穂乃香、独占できるんだね」
「え?」
司君はそう小声でつぶやき、足取り軽く2階に上がって行った。
夕飯では、キャロルが帰ることを知った守君も、ちょっと嬉しそうだった。そして、お母さんとお父さんは、キャロルがアメリカから元気に戻ったことを喜んでいた。
「ホームステイ先の人たち、元気になったの?」
「マダ。私ガイナクテ、寂シカッタッテ言ッテタ。ダカラ、今日、モウ帰ル」
「そうなの。キャロルがいるとにぎやかになって、きっと気がまぎれるのね」
「気、マギレル?」
お母さんの言葉を、キャロルが聞き返した。
「あ、えっとねえ。おばあさんが亡くなった悲しみが、薄れるっていうのかしら」
「アア。ナルホド。気、マギレル。ウン。覚エタ」
すごい呑み込みの速さ。ああやって、難しい日本語も覚えちゃうのか。
そんなこんなで、キャロルはアメリカのこともよく話し、お母さんもお父さんも大笑いをして、夕飯はにぎやかだった。守君はさっさと食べ終わり、リビングでメープルと遊び、司君は何気に食卓に残り、キャロルの話を聞いていた。
そして、夕飯が終わると、お父さんが車でキャロルを送って行った。
「キャロル、すっかり元気になったね。彼ともきっぱり別れて、すっきりしたみたいだし」
「…うん」
私の言葉に、司君はうなづいて、
「キャロル、穂乃香がいると癒されるんだろうなあ」
とつぶやいた。
「私?」
「そう。穂乃香に会いに来たんだろ?きっと、いろいろと報告したかったんだろうし、また穂乃香に会って癒されたかったんじゃないのかな」
「そうかなあ。司君の家がキャロルは好きなんだろ思うけどなあ」
「……穂乃香」
司君は私の手を取った。そして2階に2人で上がると、私の部屋の前で守君が待ち構えていた。
「今日は、俺と穂乃香が…」
「穂乃香には、いっぱい宿題があるんだよ。お前も宿題終わらせたら?」
守君が全部を言い終わる前に、司君はそう言って、そのまま私を司君の部屋に引き入れてしまった。
「なんで、兄ちゃんの部屋?」
「俺の部屋で宿題すんの!」
ああ。守君、ごめん。明日、いや、明後日。いや、いつになるかわかんないけど、守君ともゲームしたりするから。
なんて、心の中でわびてみた。でも、そうすることがいいことかどうかは、わからない。
弟のように思っているけど、守君もお姉さんのように思ってくれてるけど、司君はなんだか、ヤキモチ妬いちゃってるしなあ。
クッションの上に座り、私は宿題を始めた。司君はまた、後ろから私を抱きしめている。
なんていうか、ずっと司君が私に甘えているような気がするのは、気のせいだろうか。
「司君?」
「ん?」
「もしかして、何か、今悩んでいたりする?」
「ううん。なんで?」
「じゃ、何か嫌なことでもあった?」
「ううん。全然」
「…そう」
嫌なことがあってへこんでいて、私に甘えてるわけではないようだ。
「あ、そこ。穂乃香、間違ってる」
「え?どこ?」
「ここのスペル」
目ざとい。さすがだ。甘えてるだけじゃなく、ちゃんとそういうのも見ているわけね。
「ねえ、司君」
「ん?」
「今って、甘えてるんだよね?」
「わかる?」
「やっぱり」
「あ、うっとおしい?」
司君が私を抱きしめる手を緩めた。
「ううん。全然…。ただ」
「うん?」
「……」
こんなこと言って、引かないかな。
「何?」
「宿題終わったら、私も、司君に甘えたいなって思って」
「……。くす」
あれ?笑った?
「うん。いいよ。思い切り甘えて。穂乃香が甘えてくるの、楽しみにしてるから」
うわわ。そんなこと言われると、なんだか照れちゃう。
でも…。
思い切り甘えていいんだ。嬉しいかも!!!
私は、とっとと宿題を終わらせたくて、そのあと集中して頑張っていた。黙々と宿題をしていると、司君はたまにノートを覗き込み、間違っている個所を正してくれる。なんともありがたい。
そして、うなじにキスしたり、後頭部に頬ずりもしてくる。それは、なんともくすぐったい。
でも、嬉しい。
あ~~~~~~~~~~~~~~~。幸せすぎちゃう!!!
「終わった!」
宿題を終え、私のお腹にある司君の手をほどいた。
「あれ?離れちゃうの?」
司君が寂しそうに聞いてきた。
「ううん!」
私はぐるっと後ろを向き、そのまま司君に抱きついた。司君の胸に顔をうずめ、思い切り甘えてみた。司君は、そんな私をぎゅって抱きしめてくれた。
「ああ、そっか。思い切り甘えてるのか」
とつぶやきながら。
やばい。こんな幸せでいいのかな。ううん。いいんだよ。きっと付き合ってるカップルってみんな、こんなふうにいちゃついてるんだよ。これがきっと、普通なんだよね?
「司君」
「ん?」
「なんだか、すっごく安心するよ」
「うん」
ギュ。司君がまた、私を強く抱きしめた。司君の匂い、司君のぬくもり。全部全部、安心する。
ああ、幸せだなあ…。
司君が私の髪を撫でる。その指が優しい。
司君の目を見てみた。うわわ。やっぱり、すっごく優しい。あ…。司君がキスしてきた。
キスも、優しい。
司君の全部が優しくって、めちゃくちゃ幸せだよ~。
「司君」
「ん?」
「幸せすぎて、やばいかも」
「え?」
「めちゃくちゃ、幸せだよ~~~」
「うん。俺も」
ああ。司君の目、やっぱり優しい。
最近思うんだ。学校ではポーカーフェイスの司君は、こんな優しい目をしていることがあまりない。だから、こんな優しい目は私しか知らないって。
それがちょっと、嬉しい。
「穂乃香ってさ」
「うん」
司君の指に指を絡めた。司君の指は節々がごつごつしてる。
「学校では、しっかり者に見られてるよね」
「え?私が?私なんて、こんなにどんくさいのに?」
「いや…。それってあまり、知られてないと思うけど?」
あ、否定しなかったな、司君。やっぱり、どんくさいと思ってるんだ。
「だから、こんなに甘えん坊だってこともみんな、知らないよね?」
「わ、私だって知らなかったもん」
「あはは。そっか。それは俺もだ。こんな自分にびっくりしてる」
「甘える司君に?」
「そう…」
そうなんだ。
「穂乃香に、可愛いって言われるたび、かなり驚いてる。俺のどこが?って。でも最近なんだか、ああ、可愛いっていうか、甘えたりしてる俺がいるんだなあって、ようやく認めだした」
「そうなの?」
「うん。みんなに怖がられて、近寄ったり話しかけられることもなかった俺は、可愛いって、なんだよ、そりゃって思ったんだけどね」
そうだったの?
「でも、最近の俺を、俺が見てても思うよ。かなり俺、可愛いかも」
「え?じ、自分でも思うの?」
「……。だけど、穂乃香のほうが何十倍も可愛いけどね?」
うわわ。今、顔、熱くなっちゃった。
「司君」
「ん?」
「甘える司君、本当に可愛いから、もっと甘えていいからね?」
「これ以上?」
「……。うん」
「そうだなあ。どうやって甘えようかなあ」
司君はそう言うと、私のことを立ち上がらせた。と、思ったら、そのままベッドに押し倒された。
「今夜は、キャロルもいないし、穂乃香を独占できる」
「…うん」
「それだけで、満足」
司君はそう言って、キスしてきた。
うわ~~~~~。そんな可愛いこと言う司君が、やっぱりめちゃくちゃ可愛い。
そして、幸せいっぱいの夜は更けていく。
朝、今日もまた、司君の腕の中で目覚めた。司君の寝息、寝顔、どれもやっぱり可愛い。
7時のアラームで、司君が布団の中から手を伸ばす。アラームを止めてから司君は私を見て、
「おはよう」
とはにかんだ笑顔で言う。
その笑顔も可愛い。
「…穂乃香?おはよう…」
「あ、おはよう」
「寝ぼけてた?」
「ううん。見惚れてたの」
「……」
あ。今、顔真っ赤になった。
「今日から、学校だね、司君」
「うん。穂乃香、宿題全部終わったっけ?」
「昨日ので全部終わったよ」
司君とそんな話をしながら、まだベッドの中にいた。ああ、離れがたい。司君、あったかい。ベッドから出たくないよ~。
司君の胸に思い切りしがみついた。
「ん?」
「起きたくないなあ」
「え?」
「こうやって、司君の腕の中にずうっといたいなあ」
「いいね。学校さぼる?」
「さぼりたい。でも、行かなきゃ」
「俺らって本当に、優等生だよな。1日くらいさぼってもいいのにね」
「うん」
本当だよね。休んじゃおうか。でも、学校に行っても司君は一緒にいるんだもんね。
「やっぱり、行く」
「くす」
「何?」
「穂乃香、ねっからの優等生なんだなって思って」
「違うよ。学校行ってもずっと司君と一緒にいられるから、行こうって思っただけだよ」
「…そっか。でも、学校行ったら、こんなことできないよ?」
そう言うと、司君は私の上に乗っかり、首筋にキスをしてきた。
「うわわ。あ、当たり前だよ。っていうか、今も駄目」
「なんで?」
「だって、もう起きなきゃ」
「あと5分」
「え?」
うわわわ!なんで、胸まで触って来てるの?
「駄目。司君、駄目。その気になったら大変だから駄目!」
「穂乃香が?」
「司君が!」
「しょうがないな。でも、もうその気になってる」
「駄目!!」
私は司君を思い切り押して、ベッドから抜け出した。そして下着をつけ、パジャマの上着を羽織りながら、視線を感じて振り返った。
あ!司君がじいっと見てた。
「恥ずかしいから見ちゃ駄目」
「もう遅いよ。しっかりと見ちゃったし」
もう~~~!!!
私は急いでズボンもはいて、とっとと司君の部屋を出た。
ああ。全裸で下着つけてるところも、見られていたか。そりゃそうか。
だけど…。
制服に着替えながら、私はぼけっと考えていた。私も、だんだん司君に裸を見られるのが、恥ずかしくなくなってきているかも。なんて…。
あ~あ。それよりも、まだ司君の腕の中にいたかったなあ。やっぱり、学校休みたいなあ。
制服に着替え、一階に下りると、まだスエット姿のままでいる司君が顔を洗っていた。
ああ、その背中、好き!抱きついたらきっとあったかいんだろうなあ。
えいっ。
次の瞬間、私は司君の背中に抱きついていた。
「ん?」
司君がちょっとびっくりしてる。
「司君、あったかい」
「そう?」
「この背中が恋しいよ。離れがたい」
「くす。じゃ、やっぱりさぼっちゃう?」
さぼりたい。でも…。
バタン!とその時、守君が勢いよくドアを開け、洗面所に入ってきた。
「なんだよっ。こんなところでいちゃつくなよ。俺も顔洗うんだから早くどけ」
「……」
私は司君から離れた。司君は、守君を睨みながら、
「お前、朝練はさぼり?」
と聞いた。
「今日は朝練ないの!ふん」
あ、思い切り守君機嫌悪いかも。
「いちゃついてもいいだろ?お前も彼女といちゃつけば?」
「うっせえ!」
司君にまで、守君はそんな口調だ。
司君は呆れたって言う顔をして、私の手を取って一緒にダイニングに向かった。
「あ~~~。朝から腹が立つ!家の中でまでいちゃつくなよな!」
守君のそんな声が、洗面所から聞こえてきた。
「じゃ、どこでいちゃつけって言うんだ。どこで」
守君には聞こえない音量で、司君がそうつぶやいた。
「だよね?」
私もそう言うと、司君は私を見て、頬にいきなりキスをしてきた。
「え?」
「だよな?家でくらいしかいちゃつけないんだから、いちゃついててもいいよな?」
「……」
今、お母さん、こっち見てたよ。でも、司君、平気でほっぺにキスした…。
なんだか、司君がまた変わった?今はもう、冷静な顔をして椅子に座り、
「いただきます」
と言ってご飯を食べているけど。
そして黙々とご飯を食べていた司君は、突然、
「穂乃香、お醤油取って」
とちょっと可愛い声を出した。
「うん」
取ってあげると、サンキューと可愛く答えてくれた。
うわ。なんだか、可愛い?
「ん?」
じっと司君を見ていると、司君が私に聞いてきた。
「あ、司君、可愛いんだもん」
「…!」
司君がまた、赤くなった。そして、赤くなったままご飯を食べている。あれれ?ポーカーフェイスに戻ってないよ?でも、お母さん、真ん前で司君を見てますけど?
やっぱり。司君は、変わったかもしれない。




