第73話 再び長野へ
そして、いよいよ長野に行く日がやってきた。またも朝早くからお母さんは起きて、朝ごはんを作ってくれた。
「真佐江ちゃんによろしくね」
「はい」
「司、ちゃんとお手伝い、しっかりするのよ」
「わかってるよ」
司君は無表情でそう言うと、私の荷物も持って玄関を出た。
「司君、私が持つから」
そう言って私も玄関を出た。
お母さんは私たちを、門まで見送りに来てくれた。
朝早かったので、守君とお父さんはまだ寝ている。メープルは、尻尾を振って私たちを見送ってくれた。
「いってきます」
「いってらっしゃい!」
お母さんのあの元気な声を聞くと、気持ちがあがるなあ。
「穂乃香、荷物いいんだよ?俺が持っても」
「いいの!このくらいは持てるもん」
「……。穂乃香って、意外と頑固?」
「え?」
頑固?うそ。荷物を持ってもらった方が、こういう時はいいの?男の人には、甘えていたほうがいいのかな。
ど、どうしよう。
「ま、そういうところが穂乃香のよさかな」
私の?頑固なところが?
なんだか、しっくりこないというか、それ、短所じゃないの?
「スキー、楽しみだな」
「……司君ならきっと、すぐに滑れるようになっちゃうね」
「そうしたら、穂乃香に教えてあげるよ」
グサ。私、スキーしたことあるのに。
なんて、大きなことは言えません。ボーゲンがやっとできるくらいなんだもん。きっとすぐに司君のほうが上手になって、私に教えてくれるようになるんだろうなあ。
「スノボも興味あるんだよね」
「スノーボード?」
「うん。やってみたくない?」
「やってみたくない」
「え?なんで?」
「難しそうだもん。私みたいな運動音痴には、きっとできない代物だよ」
「…くす」
あ、笑った。そんなことないよって言ってくれないんだ。
「穂乃香、スノボでもお尻打ってそうだよね。また蒙古斑ができちゃうね」
「う…。それだったらきっと、スキーでも転びまくって、お尻に青あざできるかも」
「あはは。じゃ、その蒙古斑見せてね?」
「え?!」
つ、司君、なんつう冗談を…。って、まさか本気?
「あ。でも、長野じゃお父さんの監視の目が厳しくって、無理かな」
「そ、そうだよ。無理だよ」
いやいや。長野じゃなくたって、お尻にできた青あざなんて見せたりしないってば。
そんな冗談を言っているうちに、駅に着いた。司君は、やっぱりいつもと違っている。なんだか、浮かれているっていうか、ずっと笑っている。
そんな司君の笑顔が嬉しくて、私まで嬉しくなってくる。
長野に行ったらいちゃつけないけど、でも、また違った司君を見れたり、一緒にいろいろと体験できるんだもんね。
夏も感動したしなあ。やっぱり、私も楽しみだ。
「本田さんも、もうバイトに入ってるってさ」
「え?なんで知ってるの?」
「メール来たから」
「メアド知ってたっけ?」
「うん。知ってるよ」
「本当に仲良くなっちゃったんだね」
「この冬こそ、彼女を作るって張り切っていたよ」
「あ。っていうことは、まだ独り身」
「みたいだね」
大丈夫だよね。さすがにもう言い寄ってきたりしないよね?
「穂乃香には絶対に手は出さないようにって、お父さんからきつく言われてるらしいよ」
「え?お父さんって私の?」
「うん。もちろん」
そっか。なんだ。司君がそう言ってくれたのかと思った。
「そ、それでも、もし言い寄ってきたらどうする?司君」
なんとなく、聞いてみた。なんて答えてくれるかな…。
「そうだな。どうしようかな」
え?何その答え。期待した分、がっくりきたよ。
「お父さんに、穂乃香を悪い虫から守るために、常にそばに引っ付いていますって言って、思い切り穂乃香といちゃついていようかな。そうしたら絶対に、本田さんも言い寄って来れないよね」
「……え?」
「それ、けっこういいアイデアだよね。そう言えばさすがにお父さんだって、俺に、穂乃香のそばに寄るなとは言えないよね」
「………」
司君、そんなこと考えていたの?
「俺、また本田さんと同じ部屋かな。穂乃香と同室ならいいのに」
「む、無理だよ。いくらなんでも」
「婚約したのに?」
「でも、結婚はしていないし」
「……そっか」
あれ?司君、今、思い切りがっかりした?まさか、そんなことを期待していたの?!
「婚約って、あんまり力ないんだね」
「へ?」
う、う~~~ん。本気で期待していたのかもしれないなあ。
行の電車ではまた、お弁当を買って食べた。長野に着くまでは司君と2人きりで、思い切り旅行気分を味わって楽しんだ。
そして、また父が車で迎えに来てくれた。
「やあ!司君、穂乃香。よく来たね」
「寒いね…。でも、この辺はあまり雪ないんだね」
「ペンションの方はあるよ。スキー場も昨日降った雪で、にぎわっているよ」
「そうなんだ」
司君は車に私と司君の荷物を乗せると、
「またお世話になります。よろしくお願いします」
と丁寧に父に挨拶をした。
「仕事をしてもらうんだから、こっちこそ、よろしくだよ、司君」
父はそうにこやかに言うと、運転席に乗り込んだ。私たちも車に乗り、そして車は出発した。
外の景色はみるみるうちに、雪景色へと変わっていく。そして山道に入ると、すっかりそこは雪山の中だった。
「すごいね。雪…」
「クリスマスごろは、雪もまだ少なくってね。でも、やっと最近降ってくれて、正月にはもっと人出があるだろうなあ」
「じゃあ、ペンションも満室になる?」
「ははは。穂乃香。ペンションはもうだいぶ前から予約が入っていて、クリスマスイブからずっと、満室だよ」
「わあ。すごいね!」
そうなんだ。良かった。
「バイトの人も、たくさんいるんですか?」
司君が父に聞いた。
「ああ、いるよ。本田君と、あと大学生の女の子が一人。高校3年の男の子が一人。穂乃香と司君を合わせると、みんなで5人だな」
「へえ。けっこういますね」
「みんな、長野の市内に住んでいる子だよ。スキーやスノボをするために、バイトに来ているようなもんだ」
「……高校3年の人もいるんだ」
私がそう聞くと、父は、
「ああ。もう就職先も決まっていて、暇なんだって言ってたよ」
とバックミラーを見ながら答えた。
「…穂乃香、気になるの?」
「ううん。どっちかっていうと、大学生の女の子のほうが、気になる」
「ははは。それは司君を取られないかどうかっていう、心配かな?」
父が笑いながら聞いてきた。
「え?ち、違うよ」
「今、本田君が猛アタックをしているから、大丈夫じゃないかなあ」
「え?」
チャラオ本田が?
「じゃ、本田さん、穂乃香には言い寄ってこないですね」
司君がそう聞くと、父はにんまりと笑い、
「僕が本田君には、絶対に穂乃香に手を出すなと言ってあるから、大丈夫だよ」
とそう自信満々に答えた。
でも、もしその大学生の女の子が、本田さんをけむたがっていたら、司君に助けを求めに来たりしない?
猛アタックなんかされたら、普通嫌だよね…。
そんな心配をよそに、父は朗らかに車を停め、
「さあ、ついたぞ」
と運転席から車を降りた。
私と司君も続いて降り、荷物を持ってペンションに向かった。
「穂乃香、司君、いらっしゃい!」
ペンションから母がすっ飛んできた。その後ろから、本田さんも飛び出してきた。
「よ~~!穂乃香ちゃん、司!」
司?呼び捨て?
「また、お世話になります。よろしくお願いします」
司君は母に、ぺっこりとお辞儀をした。その横に本田さんは立って、
「またまた、堅苦しいんだから、司は!」
と言うと、司君の背中をバシッとたたいた。
「痛いって、本田さん」
司君がそう言って本田さんを睨んでいると、ペンションから女の子が現れた。そして、奥のガレージからは、男の子が。
「あ、ちょうどよかった。紹介するわね」
母はそう言うと、2人を呼んだ。
「今日子ちゃん。真人君。この子が私の娘の穂乃香。それから、藤堂司君」
そう母に言われ、私も司君もお辞儀をした。
「私、土屋今日子です。よろしくお願いします」
わ。なんだか、しっかりした綺麗な人だ。
「あ…僕は、田中真人です…。よ、よろしくお願いします」
「真人君、前もって言っておくけど、司君も穂乃香も、今高校2年なの。あなたより年下だから、そんなに緊張しないでね」
「え?うそ」
母の言葉に、真人君って人はものすごく驚いている。確かに、身長も司君より低いし、顔も童顔だ。どう見ても、司君のほうが年上に見える。
「老けてる」
ぼそっと真人君がそう言うと、司君は眉をしかめた。
「真人君。それは失礼でしょ。落ち着いているとか、他の言い方があるでしょ」
今日子さんがそう真人君に注意をすると、真人君は赤くなって、
「あ、ごめん」
と司君に謝った。
「いいえ」
司君は一言そう言うと、荷物を持ってペンションに入って行った。
「ついでに、愛想ない…」
真人君は、小声でそうボソッと言った。きっとそれ、司君にも聞こえていると思うけど。
「穂乃香ちゃん、荷物持つよ」
本田さんがそう言ってくれた。
「え?大丈夫」
と言おうとしたが、もうすでに私の荷物を持って、本田さんは司君のあとを追いかけて行ってしまった。
「…本田君と夏、一緒にバイトしたの?」
私の横に今日子さんが来てそう聞いた。
「はい」
「もしかして、しつこく言い寄ってこなかった?」
「あ…。ちょっとありました。でも、父が阻止してくれたから」
「あ、そうか。お父さんが守ってくれるのか。いいなあ」
「…しつこいんですか?」
「そう。まあ、軽くあしらってはいるんだけどね」
そう今日子さんは言うと、ペンションに入って行った。真人君は、ラブがどこからかやってきたので、ラブに抱きついて、ベロベロに顔を舐められていた。
「ラブ!」
私が呼ぶと、ラブは尻尾を振って私のところに来た。
「私のこと覚えてる~~?」
私もラブに抱きついた。ラブは今度、私の顔を舐めてきた。
「犬、好きなの?穂乃香ちゃん」
「え?うん」
「そうなんだ。俺も大好き!だから、そういう仕事も選んだし」
「え?」
「犬の訓練校。盲導犬だけどね」
「……へえ。そうなんだ」
犬好きかあ。なんだか、真人君っていう人は、一見年下に見えるくらい童顔だし、人懐っこいし、守君に雰囲気が似ているかもなあ。
「穂乃香ちゃんは、ご両親と別々に暮らしているんでしょ?寂しくない?」
「うん。寂しくない。今、住んでいるおうち、みんな優しいし」
「お母さんの親友のおうちなんだって?」
「うん」
「そっか。でも、卒業したら長野に来るって、お父さんが喜んで話していたけど…」
「うん。あ、まだ本格的に決まったわけじゃないけど、多分、来ると思う」
「市内?それとも、ここに住むの?」
「ここから学校に通うのは大変だから、市内かなあ」
「学校?大学進学?」
「ううん。デザインの専門学校に行きたくって」
って…。なんで初対面の人に私は、こんなにべらべらと話しているんだろう。
「真人君!こっちを手伝ってくれ」
お父さんにガレージの方からそう呼ばれ、真人君は「はい」と元気よく答え、行ってしまった。その後ろをラブも尻尾を振りながらついて行った。
私はペンションに入って行った。外は寒かったが、ペンションのリビングは、とってもあったかかった。
「穂乃香、荷物は奥の部屋に置いたよ」
司君がそう言いながら、私の横に来て、
「今まで外にいたの?体冷えなかった?」
と優しく聞いてきた。
「うん。ラブに抱きついていたから大丈夫」
「ああ、ラブ。元気そうだった?俺もあとで挨拶に行こう」
そう司君はにこやかに言うと、キッチンに行って母に早速手伝うことはないかと聞いていた。
「穂乃香ちゃん!上着脱いでおいでよ。そうしたら、ココアでも飲んであったまろう」
本田さんは、すでにリビングでくつろいでいる。仕事しろよ、仕事~~!客はいないの?ってそういえば、まだ一人も会っていないけど。
「本田君!私と2階の掃除をしてよ。こんなところで、くつろいでないで!」
そう今日子さんに言われ、本田さんは今日子さんと2階に上がって行った。
「今日子ちゃん。怒った顔もいいねえ」
なんて言いながら。
「ふざけないで!」
あ、怒られてる。今日子さん、怖そうだもんなあ。あれは脈なさそうだなあ。
私は寝室に上着を置きに行って、それからすぐにキッチンに行った。そして、司君と一緒に母の手伝いをした。
「司君と穂乃香が来るのを、お父さん、待ち望んでいたのよ」
「え?そうなんですか」
司君はちょっと嬉しそうだ。
「あ、言ってなかったわね。1日から、高宏も来るから」
「え?お兄ちゃんが?!」
「そう。手伝いにじゃなくって、客でよ。彼女連れで。信じられる?妹は手伝いに来ているって言うのに」
「彼女と?」
「ツインに予約入れたわよ。もう何か月も前に。彼女の名前で予約入れてたから、昨日まで知らなかったのよ」
「彼女の名前で予約~~~?」
何それ!
「昨日電話で、彼女と泊まるからよろしくって」
「ずるい!お兄ちゃんだけ、絶対にずるい!」
私が興奮してそう言うと、司君が苦笑いをした。
「何よ。あんたもまさか、司君と同じ部屋で泊まりたかったなんて言うんじゃないでしょうね。昨日お父さんと高宏、一悶着あったばかりよ。もし、そんなことお父さんに言って見なさい。たたき出されるから」
「え?うそ…」
私は司君と顔を見合わせた。司君も心なしか、顔が青くなったような…。
「高宏の場合は、男だから。お父さん、相手の女の子の心配しちゃってね。ご両親に内緒で泊まるんだろう?彼女のご両親に悪いと思わないのかって、昨日の夜電話で大変だったんだから」
「そうなんだ。う、うん。お父さんの前ではそんなこと、絶対に言わないでおく」
私だけじゃなくってきっと、司君も怒られちゃうもんね。
司君をもう一回ちらっと見た。あ、もう顔がポーカーフェイスに戻っている。でも、かなり無表情だから、心の奥では、やばいって思っているかもしれないなあ。
ああ、どうかこの冬休み、長野で父と何事もなく、無事過ごせますように…。なんて心で祈りながら、私はジャガイモの皮むきをしていた。




