第45話 このままじゃダメ?
司君は、ちょっと照れた顔をしながら電車に乗り、電車の中で私が話しかけると、にやついた顔になり、小声でやばいって、何回も言っていた。
片瀬江ノ島駅に着いた頃には、クールでポーカーフェイスの司君はいなかった。すぐに私の手を取り、学校ではあんなに距離を開けていたというのに、ぴったりと横に張り付き歩き出した。
「こんなに近づいてていいの?知ってる人に会っちゃうかもよ?」
「だけど、ほら、キャロルが見てるかもしれないし」
「キャロルさんは、今日お通夜に行ってるんでしょ?」
「あ、そっか」
「うちの学校の生徒もいるかもよ?」
「…そうだね」
司君は渋々って顔をしながら、私から少し離れた。
「は~あ」
と小さなため息が司君から聞こえ、ちらっと司君を見ると、司君も私のことをちらちらと見ていた。
な、なにかな?なんのため息なのかな?
そしてまったく人通りのない小道に入ると、司君はまた大接近して、私の手を掴んできた。
「ここなら、いいよね?」
「……うん」
まさか、禁断症状?抑えきれなくなってますか?司君…。
今夜、キャロルさんもお父さん、お母さんも遅いのかな。だ、大丈夫かな。司君、いきなり襲ってこないよね。
あ、そうだった。守君がいた。
よかった。さすがに守君がいたら、司君も平静を保ってくれるよね?
ガチャ。ドアを開け、司君が先に家に入った。
「ただいま」
私もそう言って家に入ると、メープルが一目散に尻尾を振って飛んできた。
「メープル、ただいま…。あれ?守君はまだ部活から帰って来てないのかな?」
家の中は静かだし、薄暗かった。メープルのために廊下とリビングにはいつも、小さな明かりがともっているが、その明かりしかついていない。
「守、遅いのかな」
司君はそう言いながら、携帯を取りだした。
「あ、メール来てる…。あいつ、夕飯いらないって。部の友達の家に行くって書いてある。あ、そうだ。夕飯どうしようか?何か取る?」
「うん」
「ピザでも取ろうか?それとも…」
「ピザでいいよ?」
私がそう言うと、司君はダイニングに行った。私はお風呂に入ろうと思い、2階に行こうとしたけど、
「穂乃香、どのピザがいい?」
と司君がダイニングから顔をだし聞くので、ダイニングに私も行った。
メープルは司君のすぐ横で、尻尾を振ってワフワフ言っている。相当私と司君が帰ってきたのが嬉しいらしい。
「司君が好きなのでいいよ。私、好き嫌いないし」
「そう?じゃあ、これにしようかな。サイズはM?L」
「Mで十分」
「じゃ、ポテトもつけようか」
「私、そんなに食べれないよ?」
「いいよ。俺が食う。それに残ってたら、守が帰ってきて絶対食べるから」
司君はそう言うと、なぜか私の背中に腕を回してきた。
「なあに?」
「今、誰もいないね」
「いるよ。メープルが」
「メープルはいいんだ。犬なんだし…」
ワフワフ。メープルは自分の名前が出たからか、また喜んで尻尾を振った。そして司君の足にじゃれついたが、司君はメープルのほうをむこうともせず、私にキスをしてきた。
こ、これは、もしや、やばいかも?
司君は私のことを抱き寄せ、やたら長いキスをしている。まさかと思うけど、すでにオオカミに変身しかけてる?
「つ、司君」
唇を離しても、司君はまだ私を抱き寄せたままだ。
「は、離して。私、お風呂に入ってくるから」
「…まだ、抱きしめていたいな」
「え?」
「風呂、一緒に入る?」
「入らないよ~」
入るわけないじゃん!
「じゃあ、また背中流してもらおうかな」
「昨日はキャロルさんがいたから、仕方なくしただけで」
「仕方なく?」
司君の眉がピクンと動いた。
あ、怒った?と一瞬思ったけど、司君はそのあと、寂しそうな顔つきになった。
「そうか。仕方なくだったんだ。本当は穂乃香、そんなことしたくなかったんだね」
「え?」
「……」
うわ。なんだか、司君、顔、沈んでる。
「あ、あの。そうじゃなくって。嫌じゃないの。でも、恥ずかしいから。だから、その…」
「なんで恥ずかしいの?」
ええ?
「じゃ、司君は恥ずかしくないの?」
「うん」
「私に裸見られても、恥ずかしくないの?」
「うん」
司君はうなづいたあと、不思議そうに私を見た。
「な、なんで?」
「え?」
「なんで恥ずかしくないの?」
「なんで恥ずかしいの?」
逆に聞かれてしまった。
「女の子に裸見られて、恥ずかしいと思ったりしないの?」
「…思うかもしれないけど」
「キャロルさんだったら?」
「恥ずかしいより、怒ったけど。何で風呂に勝手に入ってくるんだよって…」
「そう…」
裸を見られて、恥ずかしいって思う前に、怒っちゃったわけね。
「じゃ、他の女の子だったら?」
「見られるような、そんなシチュエーションありえないし」
「でも、恥ずかしいんだよね?」
「…まあね」
「じゃ、なんで私だと、恥ずかしくないの?」
ハッ。まさか、女の子として意識してないから…とか。
「??」
司君の顔はもっと、きょとんとしてしまった。
「お、女の子として意識、していない…とか?」
思い切って聞いてみると、司君の目が一瞬点になり、
「まさか。もろ、女の子だって意識してるよ。でも、今さらでしょ?」
とそう言ってきた。
「今さら?」
「うん。だって、穂乃香とはいつも、裸で抱き合ってるし。今さら穂乃香に裸見られても…。穂乃香、俺が着替えてる時、見ちゃってるみたいだし」
「え?な、何言ってるの?見てないよ?いつも、布団かぶって見ないようにしてるじゃない」
「……」
司君は黙って、私の顔をじっと見た。
「な、なあに?」
「俺のケツの、ホクロ…」
う!それを今言うか!
「見たよね?」
「だから、あれは!」
「クス。真っ赤だ、穂乃香」
「……」
またからかわれた?
「あはは。穂乃香、本当に可愛いよね。食べたいくらいだよね」
「え?」
な、何それ。
「だから、食べていいかな?今…」
「駄目!!!!!」
私は司君の腕を引っぺがし、司君から離れた。このまま、近くにいたら絶対に危険だ。
「お風呂入ってくるから。司君は、ピザ、頼んでおいてね」
そう言って私はさっさとダイニングから飛び出し、2階に上がった。
うわ~~~、司君が、司君が、あの司君が、あんなこと言うなんて!
クールも、ポーカーフェイスもどっかにいってるってば。家に入ってからの司君はずうっと、にやけっぱなしだよ?
どうしたっていうんだ。
着替えを持って、また私は一目散にお風呂に入りに行った。それも、洗面所の鍵までしっかりとかけて。
あの変な司君だと、勝手にお風呂にまで入ってくる可能性大なんだもの。
あれ、絶対にすでに禁断症状出ちゃってるよね。
もし、何もしないで寝たら、絶対に寝ているうちに襲われそうだ。
絶対に、司君、危ないよ。
ど、どうしよう。
ドキドキドキドキドキ。
わ。いきなり、心臓がドキドキしてきちゃった。
いや、でも、司君と別に初めての体験をするわけでもないんだし、ここまでドキドキしなくっても…。
バスタブに入ると、さらに心臓がドキドキした。それどころか、なんだかクラクラしてしまった。
「も、もう出よう。のぼせそうだ」
私はすぐにお風呂から出て、体を拭いて着替えだした。
「クシュン」
寒気…。お風呂であんまり、あったまらなかったからかな。
トントン。ドアをノックする音がして、
「穂乃香、もう風呂から出た?」
と司君がドアの前で聞いてきた。
「出たよ」
「じゃあ、開けてもいい?俺も入るよ」
「ちょっと待って」
私は鍵をあけ、そしてドアを開けた。
「…穂乃香、鍵してたの?」
ドアの外から司君が聞いてきた。
「え?うん」
「…なんで?」
「なんでってそりゃ、司君が入ってこないように」
「…なんで?」
「なんでって?」
なんで、なんでって聞くの?
「俺、入ったらまずかった?」
「そ、そりゃ、恥ずかしいもん」
「……」
司君は黙り込んでしまった。
「あ、私、部屋でドライヤーかけてくるから、お風呂、どうぞ」
私はそう言って、洗面所を出て2階に上がった。
「クシュン」
部屋に入ってドライヤーで髪を乾かしていても、寒気がした。もしや、風邪をひいてしまったんだろうか。
「さむ…」
デニムの膝丈のスカートを履いていたが、ジーンズに変えた。薄手のカーディガンも脱いで、厚手のパーカーを羽織ってから、私は一階に行った。
「ワフワフ」
メープルが嬉しそうに、私にじゃれついてきた。私はメープルとリビングに行き、メープルに抱きついた。
「あったかい」
「ワフワフ」
「気持ちいい」
「ワフワフ」
「癒されちゃう」
「ワフワフ」
ギュウっとメープルを抱きしめると、メープルは私の顔をベロベロなめ、それから突然、
「ワン」
と嬉しそうに吠えた。
「いいな。メープル」
後ろから、司君の声がして、驚いて後ろを向くと、司君がいきなり抱きしめてきた。
「え?」
「俺も、あったかいよ?」
「う、うん」
ドキドキドキ~~。司君、思い切り抱きしめてきたよ~。
「癒される?」
「え?」
癒されるより、ドキドキしちゃって…。
ワフワフ。ワフワフ。
司君と私の周りで、メープルが嬉しそうに尻尾を振って歩き回り、それから司君の背中に飛びついた。
「め、メープル、重い。体重をかけるなってば」
「ワフワフ!」
「メープル…。重いって」
メープルが司君の背中から離れると、司君は私から離れ、
「重かった」
と、腰を伸ばした。
い、今のうち。
私は司君から離れ、ソファに座った。すると、司君もすぐ隣にべったりと座ってきた。
ああ。だから…。今、心臓が持ちそうになくって、司君からやっと離れたのに。なんでひっついて来ちゃうかな。
「あれ?着替えた?」
「え?」
「さっき、スカート履いてなかった?」
「よく覚えてるね」
「え、う、うん、まあ…。でも、なんで着替えたの?」
「寒かったから」
「それだけの理由?」
「うん」
「…そう」
司君はそう言うと、なんだか寂しそうな顔をした。
「スカート、ちょっと嬉しかったんだけどな」
「え?なんで?!」
「なんでって、そりゃ…」
司君は私の太ももに手を乗せた。
「スカートなら、生足だし」
「え?」
ちょっと~~~。
江の島水族館に行った時には、私の生足見ただけで、司君恥ずかしがって、こっちを見ることもできなくなったくせに。いったい、この変化は何?
って、なんで司君、私のパーカーのファスナー、おろしているの?
「な、なに?」
司君の手を掴んでそう聞くと、司君はキスをしてきた。
ちょっと待って。司君、まさかと思うけど、その気になっていないよね?!
ピンポン。
チャイムが鳴った。
「お母さんたちかな?!」
私はそう言って、立ち上がろうとした。
「ピザだよ」
司君は私をソファに座らせ、自分が立って、リビングを出て行った。
「…あ、ピザか」
ピザが来たってことは、これから夕飯の時間だよね?
司君、もう、襲って来たりしないよね?
だ、駄目だ。いちゃいちゃする時間が増えたり、べったりすることがあっても、やっぱり、なかなか私はこういうのに慣れない。
いつも、心臓がドキドキしてしまって、どうしていいかもわからなくなる。
司君にキスもしてもらえなくなって、ずっとかまってもらえなかった時には、あんなに寂しい思いをしたっていうのに。私ってもしかして、贅沢かな。今はこんなに司君が、ぺったりしてきてくれるっていうのに。
だけど、やっぱり、ドキドキしちゃって、ちょっと今の司君についていけないくらいだ。
「穂乃香。ピザ来たよ。ダイニングにおいで」
「うん」
夕飯だ。さすがに夕飯の時には、司君も襲ってこないよね。
私はちょっとほっとしながら、ダイニングに行った。
メープルも後ろからついてきた。
「さ、食べよう」
司君はピザの箱を広げ、それから冷蔵庫からジュースを持ってきた。
「いただきます」
2人で席に着き、ピザを食べだした。メープルは司君の足元に寝転がり、しばらく尻尾を振っていたが、そのうちにおとなしくなった。
「メープル、嬉しそうだね、今日」
「キャロルがいないから、のびのびできるんじゃない?」
「ずっと、司君にひっついてるね」
「穂乃香にも、くっついてたよ。あ、あれは穂乃香のほうがくっついていたのか」
「うん。あったかかったから、つい」
「…穂乃香ってさ」
司君が、なぜか真面目な顔をして話しかけてきた。
「え?」
「俺にはあまり、抱きついて来たりしないね」
「そ、そりゃ…」
「なんで?」
また、なんでって聞いてきた。今日はなんで攻撃だな。
「恥ずかしいもん」
「…恥ずかしいのはなんで?俺は、もし抱きついて来てくれたら、嬉しいんだけどな」
「……」
そんなこと言われたって、そんな簡単にできないよ。抱きつくのなんて…。
「穂乃香はもっと、大胆になってくれてもいいのにな」
「え?」
「キャロルと足して2で割るといいのにね」
え~~!
私、もしや、おとなしすぎるの?
「まな板の鯉」
うわ。今、いきなりそんな言葉を思い出してしまった。
いつでも、受け身って駄目なの?いつまでもこんなじゃ、司君も嫌になっちゃうの?
キャロルさんみたいに大胆にならないと、飽きられちゃう?つまらないとか?
ガ~~~~~ン。
わけのわからない、ショックを受けた。
なんだ。このショックは。
司君は、そんな私の心の内も知らず、ピザをほおばっている。
なんだかわからないけど、そのあとはピザの味もしないくらい、私は真っ白になっていった。
司君、私って、このままじゃダメなの?
受け身じゃダメなの?
変わらないとダメなの?
ああ、そうだ。わかった。
司君なら、私が変わらなかろうが、受け身だろうが、まな板に鯉だろうが、恥ずかしがり屋だろうが、いつまでもお子ちゃまでも、それを許してくれるって思っていたんだ。
きっと、司君のことだから、そのままでいいよって言ってくれるって、私、甘えてたんだ。
だから、ショックだったんだ。
「………」
突然の不安がやってきた。これはなんの不安だろう。
嫌われるかもっていう不安?飽きられちゃうかもっていう不安?
ああ、やっぱり、恋って一喜一憂の連続なんだな…。




