第36話 ありのままの自分
みんなでデザートを食べ終えた頃、お父さんが帰宅した。
「おかえりなさい」
お母さんが玄関まで出迎えに行った。
「ただいま」
「どうだった?」
「うん。守と司を呼んでくれ」
「ダイニングにいるわよ、みんな」
と、そんな会話をしながら、2人はダイニングに来た。
話があるのかな。キャロルさんのこと?それとも朝の、守君のストライキのこと?でも、ストライキじゃなかったんだけどな。
「ああ、みんな揃ってたのか。じゃあ、ちょうどいい。話があるんだ」
お父さんはそう言いながら、椅子に腰かけた。
「今日、またキャロルのホームステイ先に行ってきた。それで、おばあさんの入院している間は、キャロルも家の手伝いをしたり、お見舞いに行ったりしたらどうだろうと、話してきたよ」
え?じゃあ、司君が言ってたことを、お父さん、提案してきたってこと?
「それでキャロルはなんて?」
お母さんが聞いた。守君と司君は黙って話を聞いていた。
「最初、驚いていた。向こうの家族も、キャロルに大変な思いをさせると言ってたけど、でも、今までお世話になったんだから、恩返しをするつもりでキャロル、頑張ったらどうだ?と言ったら、キャロルも納得したよ」
「…じゃ、うちにはキャロル来ないんだ」
守君の顔が一気に和らいだ。
「いや、来週末だけ来ることになった。おばあさんが退院して静岡に行くのに、車で送って行かないとならないらしくて、その日、みんなが家をあけることになるそうなんだ。キャロルまでが静岡に行くわけにもいかないし、その日1日だけ、うちに泊まることになったよ」
「…来週?」
「土曜に来て、泊まっていく」
「…」
守君は黙り込んだ。でも、
「ま、いいや。俺、また部活あるし」
と、そう言って席を立った。
「守、話は終わってないぞ」
「…え?」
守君はちょっと引きつりながら、お父さんの顔を見た。
「いいから座りなさい」
ドキドキ。な、なんだろう。ストライキのこと?
司君も心配そうに、お父さんと守君を見守っている。お母さんは、なぜだか優しい表情で守君を見ている。
「守は、何か悩みや辛いことがあっても、お母さんやお父さんに相談に来ないが、悩みはないのか?」
「え?」
「体の具合が悪いとか、まあ、いろいろと」
お父さんは、遠まわしにそんなことを聞いた。あ、もしや、今朝の真相が知りたいのかな。
「今は元気。特に学校でも悩みないし。しいて言えば、担任の先生がやたらと女子ばかりをひいきして、嫌な感じがするってだけかな」
「…じゃあ、友達ともうまくいってるのか?」
「うん」
「部活はどうだ?」
「大変だけど、頑張ってるよ」
「勉強は?」
「う…。小学校のころに比べたら、いろいろと大変。でも、兄ちゃんが教えてくれるから」
「…ああ、そうか。司がよく面倒を見てやってるのか」
「うん、前からね」
守君はそう言うと、黙り込んだ。まるで、父さんに面倒を見てもらわなくても、兄ちゃんがいると言わんばかりに、お父さんを一回凝視してから、下を向いた。
「父さん、今日、みんなが出かけてから母さんと話したんだ。昨日の、穂乃香ちゃんに言われたことも、思い返しながら」
ドキ。
「父さんの父さん、つまり2人のおじいちゃんは、厳しかった。2人はあまり知らないだろうけど、おじいちゃんも武道家で、甘えたことを言うと、バシッとよくぶたれたものだ」
うわ。怖そうなおじいちゃんなんだ。
「だが、おばあちゃんが優しかった。おじいちゃんの前では、何も言わなかったが、いないところでは、本当によく甘えさせてくれた。今思えば、飴と鞭で、いいバランスを取っていたと思う」
「ふうん」
守君は、また他人事のように、そう相槌を打った。
司君は下を向いて聞いていた。
「司は、おばあちゃんになついていたな。父さんのいないところできっと、おばあちゃんはお前を甘やかせてあげてたんだろうな」
「……」
司君はまだ下を向いている。
「いいんだよ。それはわかっていた。父さんもそうだったんだ。それでバランスがうまく取れているって思っていたから、見て見ぬふりもしてたんだ。いや、安心もしていたかな」
「安心って?」
司君はようやく顔をあげた。
「父さんがいくらきびしくしても、司にはよりどころがあるから大丈夫だって。でも、おばあちゃんがこの家を出て行ってからは、甘えるところがなくなってしまったんだな」
「ごめんね。それは私がする役目だったのよね」
お母さんはそう言うと、また黙り込んだ。
「…守は、司よりも強いんじゃないかって、父さんも母さんも勝手に決めつけてたな」
「なんで?」
「司は本当に泣き虫だったんだよ。でも、お前は小さな頃から、そんなに泣かなかったしな」
「…俺、兄ちゃんには甘えてた。兄ちゃんだけは、泣いても俺のこと、よしよしってしてくれるから、父さんや母さんの前で泣かないで、兄ちゃんの前では泣いてたよ」
守君はそう、ちょっとお父さんを睨みながらそう言った。
「兄ちゃんっ子なんだな。守は…」
「だって、俺が小学校に上がる頃には、おばあちゃんも、ひいばあちゃんや、ひいじいちゃんも、いなくなったしさ。兄ちゃんしか、俺、甘える人いなかったんだもん」
「ごめんね?守…」
またお母さんがそう言った。目を真っ赤にして。
「お母さん、本当に何もわかってなかったわよね」
お母さんがそうぽつりと言うと、守君は泣きそうな顔をした。
「そ、そうだよ。母さんはいつだって、能天気に笑ってて、俺が何かあっても、大丈夫しか言わないし、だから、俺、なんにも言えなくなってたよ」
守君はそう言うと、鼻をずずってすすった。
「そうよね。明るくしていたらいいと思っていたのよね。ほら、ポジティブシンキングってあるでしょう?司や守にも、そんなふうに明るくいてもらったら、なんでもいい方向に転換していくんじゃないかって、そう思っていたのよ」
「…なんだよ、それ」
司君は小声でぽつりとそう言った。その声はかなり、呆れたっていう声だった。
「母さんは、なんでもいい方にとらえて、なんでも明るく考えて、なんでもプラスにとってって、そんなことばっかり言ってたけどさ、そんなふうになんでもプラスになんて、考えられないこともいっぱいあるんだよ」
司君は、いきなり顔をあげ、お母さんに向かってそう言った。
そ、そうなんだ。お母さん、そんなになんでも、プラスに考えていたんだ。
「そうよね…。お母さんもそうだわ。暗くなる時もあれば、落ち込んでしまう時もあったわ。でも、そんな時こそ、プラスに切り替えてって、そう頑張って来たわ。だけど、間違っていたのかしらね」
お母さんはそう言って、ため息をついた。
「穂乃香ちゃん見てると、なんだか自然体よね。落ち込む時には落ち込んだり、止まる時には立ち止まったり。でも、ちゃんと自分の気持ちや考えを尊重していて、ありのままでいる気がするわ。だからきっと、穂乃香ちゃんの周りって、ほっとする空気があるのね」
え?私が?
「自分の気持ち、尊重なんて、そんな…」
「してるわよ。向き合ってるわよ。私は、とにかくなんでも、明るくとらえなくっちゃって、暗い考えを否定して、必死に前を向いてたわ。だけど、無理があるのよね。それが、家族に影響しちゃったのね」
「……」
お父さんは黙っていた。でも、
「本当の自分にちゃんと向き合って、受け止めないと、強い人間にはなれないのかもな」
とそうつぶやいた。そして、司君のほうを見て、
「お前に、泣くな、いつも平常心でいろと言ってきたが、ちゃんと自分と向き合えとは言ってこなかったな。それが何よりも大事なことだったかもしれないのにな」
とそう静かに言った。
「…」
司君はお父さんを黙って見ていた。
「さて、話は終わりだ。風呂に入ってくるかな」
お父さんはそう言って、席を立った。私と司君、そして守君も席を立ち、3人で2階に上がった。
「守、キャロルが泊りに来るけど、大丈夫なのか?」
司君がそう聞いた。
「俺より兄ちゃんこそ。もう、穂乃香が家を出て行くような失敗はしでかすなよな」
守君はそう言うと、自分の部屋に入って行った。
「あいつ、やっぱり、生意気」
司君はそう言ってから、ふっと笑った。
「ま、あんな憎まれ口をたたくんだから、きっと大丈夫だな」
「うん」
私は、守君が元気になって嬉しかった。と、そのあといきなり、もやもやがやってきた。
「あ…」
「ん?」
「キャロルさんが泊りに来た日、私、本当に司君の横で…」
寝てもいい?
と最後まではなんだか、聞けなかった。途中で思い切り、恥ずかしくなって。
「べったりくっついて、寝てもいいよ?」
「え?」
ドキン。べったり?
「なんなら、今日も俺の部屋で寝る?それか、俺が穂乃香の部屋で寝ようか?」
「……い、いい。勉強もあるし」
「ああ、宿題?あったっけね。忘れてた」
「え?なんの宿題?」
「数学、あったよね?プリント」
「あ~~~~~!忘れてた~~~~~!」
「俺の部屋で一緒にやる?」
コクコクコク。思いっきりうなづき、
「勉強道具持って来る」
と慌てて部屋に入った。
そうだ。なんだかもう、宿題どころじゃなかったんだっけ。いろいろとあった週末だったもんなあ。
私は、司君の部屋に行き、司君に教えてもらいながら、数学のプリントを終わらせた。
「穂乃香…」
「え?」
私が勉強道具を持って、部屋に戻ろうとすると、
「明日着るもの持って、こっちにおいで」
と司君がそう言った。
「…え?」
「やっぱり、一緒に寝よう」
司君は甘えたような声でそう言った。
キュキュン!
「う、うん」
私は部屋にいったん戻り、ブラウスや制服のスカートを持って、司君の部屋に戻った。そして、それをハンガーにかけ、司君のベッドに横になった。司君も電気を消して、ベッドに寝転がった。
「窮屈?」
「ううん。大丈夫」
司君にべったりとくっついた。
ドキドキドキ。
「穂乃香」
「え?」
「今、何か期待したり、逆に心配したりしてる?」
「?何を?」
「何をって、だから…」
「え?」
「でもさ、俺もさすがに連日は無理だから、安心して寝ていいよ」
え?
「あ、安心じゃなくって、もしかしてがっかりした?」
「し、してないし、期待もしてないよ」
「そうなの?」
「そうだよ。もう~~~~!」
何を言ってるのよ。司君は。
「だって、やけに穂乃香の鼓動早くなっていたから」
「え?なんでわかったの?」
「わかるよ。これだけくっついてたら」
か~~~~!
そうか。そういうの、もしかしていつもばれてたのかな。
「おやすみ、穂乃香」
「う、うん。おやすみなさい」
ドキドキドキ。なんで胸が高鳴っているんだろう。期待もしてないし、そんな気もないんだけど、ただ、横で寝てるだけで、胸が高鳴っちゃう。
司君の胸に顔をうずめた。司君の胸、そう言えば、たくましかったな。それに、それに…。
「うわ」
一気に、さっき洗面所で見た司君の裸を思い出してしまった。
「なに?」
司君がびっくりして、私の顔を覗き込もうとしている。
「見ないで」
「え?どうして?」
「私、真っ赤」
「なんで?」
「なんでもないの。聞かないで」
「……。なんか、妄想でもしちゃった?」
「してないよ!」
「じゃあ、なあに?」
司君、しつこい。なんで、聞いてくるの。
「ちょっと、さっきの、思い出しただけだから」
「俺の全裸?」
わ~~~~。ばれてた。
コクンと私はうなずいた。
「それで、真っ赤?」
「う、うん」
「……もしや、思い切り、俺の全裸見ちゃった?」
「え?」
ドキン。
「見ちゃった?」
「み、見てない」
「……」
「ほんと、見てない」
司君、無言だ。何か言ってよ。
「じゃ、なんで真っ赤?」
「それは…」
う~~~~。本当はしっかりと見ちゃった。
「穂乃香、クリスマスの俺へのプレゼントだけどさ。小さな電気はもう、叶ったから、今度はね…」
え?な、なに?
「一緒にお風呂に入るのって、どうかな」
「む、無理~~~~!!!!」
「じゃあせめて、しっかりと電気をつけて」
「無理無理無理無理!」
「…じゃあ」
「無理!」
「まだ何も言ってないよ?」
「……」
だって。だって~~~!!
「くすくす」
ああ、笑ってるし。きっとからかったんだ。司君。
「まあ、いいか」
「え?」
「そのうち、穂乃香、もしかすると」
「え?え?もしかすると、何?」
「…もっと大胆になるかもしれないし」
「な、ならない~~~!!!」
とそう叫んだあと、はたと気が付いた。
まさか、大胆になっていくのが普通なの?まさか、そうならないと、司君、嫌になっちゃったりするの?
「ま、まさか」
「え?」
「大胆になっていかないと、私、司君に飽きられちゃう?」
「………へ?」
「…」
私が真剣な顔をして聞いたからか、司君はしばらく黙り込み、
「え?今のって、真面目な質問?」
と聞いてきた。
「うん」
「……。うそ。ごめん。今の、冗談かと…」
「冗談じゃなくて」
「…くっ」
あ、司君笑いだした~~。
「なんで、なんで?私、変なこと言ったの?」
「やっぱり、穂乃香、可愛い。天然だよね?」
「ええ?」
なんで、なんで?
「俺、絶対に穂乃香のことは、飽きないと思うし…」
「え?」
「どんな穂乃香のことも好きでいると思うよ」
そう言うと、司君は私のおでこにキスをした。
「天然でいてね?穂乃香」
「う…」
「それ、絶対に穂乃香のいい持ち味だからさ」
自分で天然かどうかもわからないのに。っていうか、そんなつもりはまったくないのに~~。
なんで、こんなこと言われるのかなあ。守君にも言われたっけ。
まあ、いっか。
司君の胸に顔をうずめ、司君の足に足を絡ませた。
「…穂乃香」
「え?」
「やっぱり、もしその気になったら、ごめんね?」
え~~~~?
「お、おやすみ。私、もう寝るもん」
く~~~~。寝息をわざと立てた。司君はくすって笑った。
ああ、またからかわれたのか。
でも、司君の胸はあったかくって、私は幸せに浸っていた。




