第35話 新しい風
守君が帰ってきた。私は部屋で髪を乾かしていたが、ドライヤーを持ってすぐに一階に行った。
「おかえり」
守君は、元気にただいまと言った。
あ、元気あるみたいだし、大丈夫かも。
「これ、ドライヤー」
「うん。洗面所に返しておいて。ちょっとメープルと遊んでから入る。メープル~~~」
そう言ってそのまま守君は、リビングに入って行った。
もしや、メープルに癒されたかったのかしら。
ガチャ…。そんなことを考えて、守君を気にしながら私は洗面所のドアを開けた。
「…!?」
「穂乃香?」
「き、きゃ~~~~~~~~~~~っ!!」
バタン!
つ、司君が素っ裸で、体拭いてた~~!司君が、お風呂に入ってたじゃないよ!守君のバカ!
裸、思い切り見ちゃったよ~~~~~!!!
「穂乃香ちゃん、どうしたの?」
「穂乃香?!」
ダイニングの方からはお母さんが、リビングからは守君がびっくりしながら、飛んできた。
「何かあったの?」
「い、いえ。つ、司君がお風呂からあがって、洗面所にいたのに、開けちゃったんです…。そ、それだけです」
か~~~~。ああ、顔がきっと真っ赤だ。
「なんだよ。そんなこと?」
守君はそう言うと、トントンと2階に上がっていった。
そんなことって、あのね。こっちには一大事なのに!
「…穂乃香ちゃん」
お母さんは私のことをじっと見て、
「まだ、司の裸見て、真っ赤になっちゃうのね。初々しいカップルよねえ」
と言って、くすくす笑いながらダイニングに戻って行った。
え?何それ。何それ~~~!
洗面所の前で固まっていると、ドアを開けて司君が顔を出した。
ドキ~~~。あ、良かった。もうスエット着てる。
「あのさ」
「え?」
「勝手に開けて、勝手にさわがれて、俺、どうしたらいいわけ?」
「ごめんなさい。あ、これ、ドライヤー。これを返したかったの。それに、いるって知らなかったの。ほんと、ごめんなさい」
「いいけど。でもさ」
「え?」
ドキ。何?
「母さんじゃないけど、今さら俺の裸見て、そんなにおおげさに驚かなくても…」
え~~~!!!!????
「な、何言ってるの、司君。十分今だって、恥ずかしいよっ」
「…」
司君はちょっと呆れた顔をした。ような気がしたけど、クスっていきなり笑うと、
「ほんと、穂乃香って、飽きないよね」
とそんなことを言い、ダイニングに行ってしまった。
あ、飽きないって…。ひどい。
「俺も風呂入ろう。穂乃香、俺のことは覗くなよ」
守君がそう言いながら、着替えを持って2階からおりてきた。
「覗かないよ!それに、司君のだって、覗きたかったわけじゃ…」
「ふ~~~~ん。なんか、面白いカップルだよね」
どういうこと?
守君は、ふふんと鼻で笑って、洗面所に入って行った。
あれ?でも、なんだか、いつもの生意気な守君になってる。もしや、もしかすると、元気になったのかな。
そんなことを思いながらその場に佇んでいると、そこにメープルがやってきて、鼻先で足をぐいぐい押され、リビングに連れて行かれた。そしてソファーに座ると、足元に寝転がった。
これ、甘えてるんだよね?可愛い。
メープルの背中を撫でると、メープルは尻尾を振って喜んでいる。
「あれ?ダイニングに来ないと思ったら、こっちにいたの?穂乃香。あ、もしかしてまだ、俺の裸見たこと、恥ずかしがってた?」
「…メープルに、連れてこられただけ」
「メープルに?あはは。メープル、穂乃香に何かあったかと思って、慰めてあげてるんだ」
「え?」
「ワフ!」
メープルは顔をあげ、司君の方を見て尻尾を振った。
あ、さっき廊下で佇んでいたから?落ち込んでいるように見えた?なんだ~~。甘えてるんじゃなくって、慰めてくれてたのね。
「ありがとう。メープル!でも、大丈夫だよ。司君の裸見て、恥ずかしかっただけだから」
そう言ってメープルに抱きつくと、司君は私の隣に座って、
「小さな電気つけて、俺の裸、しっかり見ていたのにね?」
と耳元でささやいた。
「ち、違う!見てないよ」
きゃ~~~~。もう、何を言いだすの。司君。
「違わないでしょ?見たいって言ってたじゃん」
「それは、司君の表情が見たいって言っただけで…」
「……」
司君は黙って私のことを見た。あ、疑ってる目だ。
「ほ、本当だよ?」
「くす。じゃ、そういうことにしておくよ」
司君はそう言うと、しばらくくすくすと笑っていた。
「でも、これであれだね」
「?」
「おあいこだね」
「何が?」
「俺も前にドア開けちゃって、穂乃香の裸見ちゃったけど、穂乃香も俺の裸見ちゃったからさ」
「……」
おあいこって、何それ。だいたい、あの時なんて、ここに来てすぐだったんだよ?まだ、そういう関係にだってなってなかった時で。って、そんな頃に私は司君に、全裸を見られちゃってたんだ。
「くす。でもやっぱり、穂乃香の反応、可愛いかった」
司君。自分が見られた恥ずかしさはないのね。もしや、キャロルさんに見られた時も、平気だったりして?
「前は、キャロルさんにも見られちゃったんだよね?司君」
「え?」
「お風呂入ってきたんでしょ?キャロルさん」
「ああ、中学の時ね」
「その時も、恥ずかしくなかったの?司君」
「え?」
司君はきょとんとした顔をした。
「今も、恥ずかしがってないけど、その時も、恥ずかしくなかったの?キャロルさんに見られて」
「…恥ずかしいっていうより、何考えてるんだ、こいつは!って頭に来てたからなあ。思い切り怒って、風呂出たし…」
「そ、そうか」
あれ?まさか、キャロルさんもその時、全裸だったりして?
「俺、ちょっと恥ずかしかったけど?」
「え?な、何が?」
キャロルさんの裸見て?
「穂乃香に、いきなりドア開けられて」
「あ。さっき?」
どひゃ~~。そうなの?
「ご、ごめんね?ほんと、ごめんなさい」
「いや、見られたことより、穂乃香があまりにも恥ずかしがるから、それでこっちも恥ずかしくなったかな」
「そ、そうなの?」
そうだよね。私、変って言えば変だよね。騒ぎ過ぎだよね。
「私、まだまだ慣れなくってごめんね」
「……え?」
司君は私が顔を赤くして下を向いていると、私の顔を覗き込んできた。
「何が?」
「あ、だから、その。司君の裸を見るのとか、み、見られるのとか」
「…」
「私、きっと変だよね?」
「いや…。変じゃないと思うけど」
「ほんと?」
「…」
司君は私の肩を抱き、もう片方の手で私の手を握りしめてきた。
「ほんとに。すごく可愛いって思ってるよ」
キュキュン!
「…俺、きっとそういうところにも、まいってるんだと思う」
「ま、まいってる?」
「うん。穂乃香、可愛いから」
キュキュキュキュ~~~ン!
やばい。きっと、私また、真っ赤だ。
「あ!なんだよ。リビングで何をいちゃついてるんだよっ」
うわ。知らない間に、守君がお風呂から出て来てた。きゃ~~。見られた。
「…いいだろ?別に、いちゃついてても」
「い、いいけどさ」
守君のほうが真っ赤になってる。司君は平気な顔をしているのに。
「あ~~~腹減った!夕飯まだかな」
え?
「母さん!飯は?今日の晩飯、なに~~?」
そう大きな声で言いながら、守君はリビングを出て行った。
「食欲、戻ったのかな?」
私がそう言うと司君は、
「みたいだね」
と優しく微笑んでそう言った。
ダイニングに行くと、お母さんが嬉しそうにお皿を並べていた。
「あれ?守の好物ばっかじゃん」
司君がそう言うと、守君は、
「うまそ~~~」
と喜んでいた。
「さ、食べましょうか」
「あれ?お父さんはまだなんですか?」
私が聞くとお母さんは、
「出かけてて遅くなるって、さっき電話があったの。何時になるかわからないから、食べちゃいましょう」
とにこやかにそう言って、席に座った。
「いっただきま~~~す」
守君はそう言うと、シチューのジャガイモを口に入れ、
「あふい、あふい」
と、ハフハフしていた。
「守、気を付けて食べろよな」
司君は笑いながらそう言った。
お母さんは、食欲旺盛になった守君を見て、目を細めて喜んでいる。
私もほっとした。
「なんかさ~~、穂乃香って、ほんと、うぶだよね」
口の中のジャガイモを飲み込んで水を飲んでから、守君がいきなりそんなことを言った。
「は?」
私はびっくりして目を点にした。でも、お母さんも司君も、うんうんとうなづいている。
「ほんと、俺、穂乃香みたいな姉ちゃんで良かったよ。なんだか一緒にいると、まじ、癒されちゃう」
は?姉ちゃんって?
「そうよね~~。守の言うことわかるわ。ね?司」
「え?う、うん」
司君は照れくさそうな顔を一瞬したけど、すぐにポーカーフェイスに戻り、
「守。朝は、具合悪かったのか?昼はちゃんと食べられたのか?」
と守君に聞いた。
「う~~ん。なんか、お腹がグルグル言ってて、やばかったけど。昼も、サンドイッチ買って、ちょっとだけ食べただけだし」
「今は?もう大丈夫なの?」
お母さんが心配そうに、そう聞いた。
「うん。今はもう大丈夫。さっきの穂乃香の「きゃ~~~~」って声で、元気になっちゃった」
守君はそう言って、あははって笑った。
「穂乃香、真っ赤なんだもん。笑えた~~~!」
そんなことで元気になったの?っていうか、そんなに笑わなくたっていいじゃない。
「良かった。守が元気になって」
お母さんがそう言うと、守君はにこりと笑って、
「俺さ、兄ちゃんと穂乃香がいるから、キャロルのことも、もう平気かも」
とそう言った。
「え?そうなの?」
私はびっくりして、そう聞いてしまった。
「うん。なんだかさ、昨日の夜の二人の話思い出して、俺も、キャロルのこと嫌がってばっかりいても、面白くないしさ。まあ、来たらしかとしてたらいいだけだし、どうでもいいやって思えちゃった」
「二人の?司と穂乃香ちゃんが、守に何か言ったの?」
お母さんがこっちを見て、聞いてきた。
「…なんでもないよ。たいしたことじゃない」
司君は静かにそう言って、サラダを食べだした。
「あのね。2人とも俺の味方なんだって」
「味方?」
お母さんは守君の言葉に驚いている。
「穂乃香も、俺のこと守ってくれるんだって。あ、それもさあ。守君のことを守る!なんて、ベタなしゃれ、言ってるんだよ?ほんと、穂乃香って笑かしてくれるよね?」
「…」
しゃれを言うつもりで言ったんじゃないのになあ。
「そうだったの。そう…」
お母さんはそう言ってから、しばらく黙ってしまった。
「味方だなんて…。キャロルは守の敵じゃないと思うわ。でも、守には強敵みたいに思えてたのね」
「ドラえもんのジャイアンみたいだよ。俺にとっちゃ」
守君がそう言うと、横で司君が、
「それ、ぴったり」
とくすって笑った。
「守」
お母さんはいきなり、真面目な顔になると、
「今までごめんね?ちゃんとわかってあげられなくて。今朝もお腹の調子が悪いって、気づけなかったわ。キャロルのことも、そこまで駄目だったって知らなかったの。ううん。アメリカではわかってた。だけど、もう忘れてるか、過ぎ去ったこととして、守の中で消化してるのかと思ってたのよ」
「……。ふうん」
守君は、お母さんの顔も見ないで、他人事のようにそう言った。
「ごめんね?これからは、もっと守の思ってること、ちゃんと聞くから、言ってね?」
「……。母さん、変わったね」
守君が、突然真面目な顔でそう言った。
「え?」
「前はさ、なんでも必然で起きるんだし、守はキャロルに強くしてもらったんだから、ありがたく思うくらいにならなくっちゃ。なんて、的外れなこと言ってたのにさ」
「……そ、そんなこと言ってたっけ?」
「ああ、言ってたね」
司君も、真面目な顔をしてうなずいた。
「そう。そういえば、言ってたかもね。でも、必然で起きてるってことは、今もそう思ってるわ。穂乃香ちゃんがこの家に来て、司や守を大事に思ってくれて、お母さんもお父さんも、なんだか、考え方っていうのかな、いろいろと変わってきて」
「…え?」
私が来てから?
「それも全部が必然だって思ってるわ。だから、穂乃香ちゃんには本当に感謝してるわ」
「…え?そ、そんな。私、別に何も」
「そうだね。穂乃香は、この家に新しい風を吹き込んでくれたかもね」
司君は優しい目で私を見て、そう言ってくれた。
「うん。あったかくて、優しくて、かなり天然ボケの風だよね」
守君はそう言うと、でへっと笑った。
天然ボケっていうのは、余計なことのような気がするけど。いや、それこそ、的を得ているかもしれないんだけどさ。
「デザートあるのよ。美味しいチーズケーキ、買っておいたの。守、食べられそう?」
お母さんは、そう言いながら席を立った。
「食べる、食べる!」
守君は嬉しそうにそう叫んだ。
なんだか、不思議な気持ちになった。私はこの家に、最初に来た時から惹かれていた。なんて素敵な家なんだろうって。門から玄関まで続く緑のアーチにも、リビングのアンティークの家具にもすごく惹かれた。
お母さんは明るいし、守君はちょっと生意気だけど可愛いし、お父さんも朗らかで優しそうだし、メープルもめちゃくちゃ可愛いし…。それになんていったって、司君がいる。その中で暮らせることに、ドキドキしていた。
すべてが新しい体験で、新しい毎日だった。
でも、私のほうが藤堂家に、新しい風を吹き込んでいたなんて…。
だけど、やっぱり考えても、私、特に何もしていないような気がするんだけどなあ。
ちら。隣りにいる司君を見た。すると、私が見たのがわかったのか、司君も私を見た。そしてにこりと笑ってくれた。
うわ。胸キュンだ!なんて可愛い笑顔なんだ。
「ね?そんな笑顔、この家でしたことなかったもの。司は」
突然、お母さんがそう言った。
「一番、穂乃香が来て変わったのって、兄ちゃんかもね」
守君がそう言うと、司君はコホンと咳払いをして、
「う、うん。美味い。このチーズケーキ」
と話をそらし、誤魔化していた。




