彩乃さんとあたし
未生ちゃんから連絡が来たのは、1週間以上過ぎてからだった。
何度か未生ちゃんのお母さんが連絡をくれて、近況は聞いていたけれど、電話の声は思ったより元気そうだった。
付き合っていた彼氏が親友の彼氏に殺された。
それは衝撃的な出来事だった。
だけど数日後には、殺された彼氏は違法改造した拳銃の所持者だった、彼氏を含め3人の命を奪った拳銃は彼のもので、しかも人身売買の協力者だった、という事実が次々に明らかになり、未生ちゃんも、未生ちゃんの家族も呆然としたらしい。
「友達も、事件現場にいたの私だって分かったみたいで、連絡もらってるんだけど…全然返してないんだ」
かすかに笑ってそう言うけど、状況のシンドさはなんとなく分かる。
社交的で友達の多い未生ちゃんだから、心配して連絡してくる人も多いだろう。
ただ、数多い中には面白半分に話を聞きたがる人もいて…
現に、あたしがルームメイトだと知っている人の中には、根掘り葉掘り情報を聞き出そうと声をかけてくる人も多かった。今まで、未生ちゃんと歩いていても、あたしには視線すら向けなかった人たちだ。
別に未生ちゃんの付属品扱いは構わないのだけど、こういう時だけ情報源に利用されるのは、やはりいい気はしない。
「彩ちゃんともなかなか連絡取れなくて、やっと、さっき話せたんだよね」
未生ちゃんと彩乃さん。お互いに、感情は複雑だろう。
彩乃さんは、あの録音を聞いたのだろうか。
桜木さん(今更ゴウウコンさんなんて、ややこしい名前で呼ぶ気はない)を撃ったのはナオさんだけど、それは須藤の盾にされたから。
未生ちゃんはそのことを教えられたのだろうか?
あたしもどう声をかけたらいいのか分からなかったし、とにかく未生ちゃんが話してくれるのを待つことにした。
未生ちゃんも、言いたいことや言いたくないことが頭の中で渦巻いているに違いない。
「明日、彩ちゃんに会ってから帰るね」
それだけ言って、電話は切られた。
「ふう……」
ため息をついて考える。
あたしに出来ることってなんだろ…
未生ちゃんはいずれ、あの日のことを話してくれるだろう。
あたしはあの場にいて、全てをこの目で見ている。あの録音に残された以上の事実を知っている。
それを、この先もひたすら黙っていることに、罪悪感が湧く。
不意に、また呼び出し音が鳴った。
「うわっ」
思わず声が出てしまったけど、着信は元太さんからだった。
なんだろ?
元太さんにも本郷を通して、今回の件は報告してある。何かあったのかな…?
「ああ、凪ちゃん。今、家かな」
少しドキドキしながら出たけど、元太さんはいつも通り穏やかな口調だ。
「いや、実は今、菊森さんがいらしててね、ほら凪ちゃんの友達の友達…」
「えっ…彩乃さん…?」
「凪ちゃんにお礼が言いたいって、来てくれたんだよ。時間、あるようなら出てこられないかな?」
お礼なんて別にいいけど…今日がダメなら、あたしがバイトの日に出直してくるとまで言ってるそうなので、それも申し訳ない。特に用事もないので、ジーズまで出向くことにした。
もちろん、理由はそれだけじゃない。
ナオさんの最期に立ち会った者として、彩乃さんに会わなきゃいけない気もしたから、だ。
会って、伝えられることもないのに。
ああ、なんかこの頃、自分を追い込むような行動とりがちだな…
ウィンガーとは関わらず、普通の大学生活を送るはずが…
ジーズの扉を開けると、お客はカウンターに彩乃さんだけだった。
こう言ってはなんだけど、このお店、大丈夫かな…
平日とはいえ、この時間に閑古鳥はまずいでしょう?
ゆっくり話ができる、といえばそうなんだけど。
あたしを振り返った彩乃さんは、見るからにやつれていた。
ちゃんとお化粧はしてるけど、顔色の悪さも、目の下のクマも隠せていない。
「ごめんね、わざわざ来てもらって」
ぎこちない笑顔で、封筒を差し出された。
「これ、この間、買ってきてくれたタオルとかの…足りないかもしんないけど」
あたしは慌てて手を振った。
お礼って…別にお金払ってもらおうなんて思ってなかったし。そんな高い物、差し入れてないし。
「すいません。かえって気遣わせちゃって。あの…勝手にやったことなんで…ホント、気にしないで下さい」
ところどころ、噛んだ。
あたしが、封筒を受け取るのを固辞していると元太さんが、
「じゃあ、その中身で一杯飲んでいくのはどう?」
いつもの穏やかな笑顔で入ってきた。
「うちの売り上げにもなるし、ね」
彩乃さんがちょっと首を傾げながらあたしを見る。
反射的に頷いていた。
「じゃあ、そうさせてもらいます」
彩乃さんは席に座り直し、あたしも元太さんに軽く頭を下げて、その隣に座った。
「夜ゴハン、もう食べました?」
あたしの問いに、彩乃さんはあやふやな調子で頷く。
「この頃、1日に1回くらいしか食べてないから…あんまりお腹空かないんだよね」
笑顔はわかりやすく強がりだ。
原因はもちろん事件のせいだろう。
なんて声をかけたらいいのか分からなかった。
この場で、ナオさんの名前を出していいのかも…
元太さんが、オーダーしてないのに、オレンジ色のカクテルを差し出してくる。
「え…と…」
あたしまだ未成年。一応。
戸惑い気味のあたしたちに、
「大丈夫。ノンアルコールだから。空きっ腹にいきなりアルコールはダメだよ」
元太さんは大人な微笑みをくれた。
友達の友達相手に、あたしが話を弾ませられるはずもないんだけど、彩乃さんは大学のことや、あたしの地元の話など当たり障りのない話題をうまく振ってくれる。
さすがにお客さん相手の仕事をしているせいか、相槌の入れ方とか、ウマイ。
「はい、これはサービスですよ」
おぉ。元太さんが出してくれたのは、シーフードたっぷりのピザ。
ジーズのフードは、実は一階の鮮昧で調理している。
このピザは、今月のみの限定メニューだけど、かなりオススメ。エビ、イカ、ホタテ、アサリ。具材はよくある海の幸だけど、全てが肉厚で美味しい。(先月、試食させてもらった)
店長はどうも自分が食べたくて、具材にこだわったらしい。期間限定とあって、採算は度外視のメニューだ。
そんなことをあたしが滔々と喋るのを、彩乃さんは頷きながら聞いていた。
…ちょっと変なやつだと思われたかもしれない。喋る話題が出来てホッとしたもんだから、つい喋りすぎた。
でも、
「おいしそう…」
食欲がないという彩乃さんが、手を伸ばしてくれたのがうれしい。
「海鮮系、大丈夫です?」
「うん、エビとか大好き。このエビ!おいしい」
ニッコリと、本当の笑みをこぼして頷いた彩乃さんの目から、次の瞬間大粒の涙がこぼれた。
「ご、ごめん。なんか…」
わかりやすく狼狽えたあたしから顔を背け、彩乃さんは目を拭う。
「ごめん。どうしよう…おいしい…よ…ナオちゃん、いないのに…」
彩乃さんは両手で顔を覆った。
「もう、一緒にゴハン食べれない!おいしいって、言ってくれない!どこにも…ナオちゃん…いない…」
あたしは喉の奥がつかえた。
あたしはナオさんの最期を知っている。必死に彩乃さんを守ろうとしたナオさんを見ている。
それを伝えないのは、とても卑怯な気がした。
そうっと、震える背中をさする。
元太さんが箱ティッシュを差し出してくれた。
「大変だったみたいですね。私はニュースで見ただけですけど」
そう言いながらあたしを見た元太さんは、あたしが考えていることも分かっているのか、小さく首を振った。
伝えなくていいこともあるのかもしれない。送った音声には、彩乃さんの身を案じ、巻き込んだことに憤るナオさんの声も入っているはず。
彩乃さんが聞く機会があれば、ナオさんの想いは伝わるはずだ。
でも…苦しい。
あたしが出来ることってなんだろう?
彩乃さんの背中を撫でながら、思いを巡らせる。
少し彩乃さんが落ち着いたところで、
「ナオさんのこと、忘れたいです?その方が楽になれます?」
思い切って聞いた。
変な質問だと思われたかもしれない。デリカシーのない言葉だったかもしれない。
彩乃さんは、黙り込んだ。
あたしの能力だって、記憶を消すことはできない。そもそもそんな能力じゃない。
ただ、望むこと、心に願うことを引き出すことはできる。
辛い記憶を思い出したくないなら、別のことを考えるように、楽しい記憶にすり替えるようになら…出来るかもしれない。
もちろん、それには翼の力が必要で…
でも、しばらくして彩乃さんは、キッパリ首を振った。
「忘れられないよ。ううん、忘れたくない」
泣き腫らした目に、光があった。
「うちら、親といろいろあって、そんな話しながら2人で泣いたりして。そんなふうに過ごせる人、今までいなかったしさ。すごく…楽しかったの。ウィンガーとか、普通の人間とか、どうでもいい。最期は、こんな別れ方になっちゃったけど、でも、最後までそばにいてくれたの」
そこで彩乃さんは、もう一度、大きく首を振った。
「忘れないよ。忘れてなんかやらない」




