絶命
毛穴から差し込んでくるような不快な感覚。頭の中に鳴り響く金属音。
そこに、悲鳴とも怒号ともつかない、須藤の絶叫が混じった。
膝をつき、顔色を失って叫ぶ須藤の向こうにあたしが見たのは、床に這いつくばりながら銃をこちらへ向けている桜木さんだった…
「貴…ぃ、さ…まアアア!!」
濁った、凄まじい声をあげて、でも、そのまま須藤は崩れ落ちる。
あまりのことに、あたしも本郷も動けなかった。
桜木さん、いつの間に拳銃を手にしていたんだろう?
ブルブルと小刻みに震えながら、血まみれで銃を持つ姿には、凄まじい執念が感じられた。
「…てめえの…いいように振り回されてたまるか…よくも…オレを利用しやがったな…」
絞り出す声はしゃがれて、力がない。
それでも、悔しさと憎しみは十分に伝わってくる。
「バカに…しやがって…ちくしょう…」
語尾はよく聞こえなかった。
ゆっくりと血の海に横たわっていく桜木さんを、あたしたちは呆然と見つめるしかなかった。
「因果応報、ってか…」
本郷のつぶやきも、須藤の叫びも、どこか遠くに聞こえる。
ブーブーという、低い振動音に、ハッとした。
スマホのバイブレーションだと気づいた時には、本郷がもう出ていた。
ぼうっとしている場合じゃない。今のうちにナオさんをなんとか…
電話に出た本郷は、何故か英語で話している。
須藤は声も出せなくなったのか、床で体を丸めて震えていた。
ナオさんは…ランタンの灯りでも、顔色が土気色に変わってきているのが分かる。慌ててそばへかがみ込んだあたしに、
「あいつ…バカだな…」
ナオさんは無理矢理笑ってみせた。
陸に上がった魚みたいにヒクヒクしながら横たわる須藤の背中に、ナオさんは力なく中指を立てる。顔色はどんどん悪くなってくるのに、なんだか晴れ晴れした顔だった。
必死に手を動かして、なにかポケットから取り出そうとするので、
「今は、動かないでいた方が…」
と、声をかけたけど、ナオさんは従おうとしなかった。
本郷は何か急を要する話をしているようだけど、急いで話を切り上げたようだった。
「おい、ナオちゃん、動くな。血流が早くなると…」
仕方なく、ナオさんに頼まれるまま、ナオさんの上着からスマホを取り出して渡そうとした。
誰かに連絡を取りたいのかと思ったのだけど、ナオさんは、あたしの手にスマホを押し付けた。
「も…ムリ…だわ…」
「ナオさん!」
「おい!ナオちゃん!」
同時に叫んだあたしたちの声は、震えて裏返ってしまう。
弱々しく、だけど得意そうに笑いながら、手にスマホを押し付ける力だけは強い。
「へへ…ここの会話…全部、録音…してある…ロックは…外れてるから…」
思わず、口が開けっぱなしになった。
まさか、ナオさんがそんな作戦立ててたとは。
「ここで…こ、ここで…あったこと…ち、ちゃんと…ほ、ホントのこと…」
やっと絞り出される声。
押し付けてくる手の強さに、改めてナオさんの覚悟みたいなのを感じた。
もしかして、須藤さんに痛めつけられたのも、わざと…?そこまでして…
「分かった。分かったから、何も喋らなくていいから」
受け取ったスマホをしっかり握りしめる。
ナオさんの意思を無駄にしちゃいけない。
「よし、水沢、急いでここ出るぞ!」
本郷が力強く宣言して、ナオさんの体を支え直す。
「マイケルが連絡くれたんだ。ダーウィン・ミッションの連中と、警察と両方ここに向かってる。警察が先に来ればいいけど、ダーウィンの方が先に来たら、やりあうのは無理だ」
「えっ…警察も…?」
さすがに焦って、心臓がバクバクしてきた。
「麻薬の取り引きがされてるって、マイケルがタレ込んだんだ。ガセネタだけど、この状況見ればただごとじゃないのは分かるだろ」
マイケルさん…いろいろ関わってくるな…まあ、助けようとしてくれてるのは、ありがたいんだけど。
「お前の友達のことも、かべっちに、通報してくれるように頼んだよ。車の中で様子がおかしい女の子がいるってな」
「未生ちゃん、何か…」
様子がおかしい?なんかされてたの?!
「いや、眠ってるだけだったよ。だけど、そのままにしておけないからな。早めに保護してもらえるように、通報頼んだんだ」
顔色が変わったであろうあたしに、本郷は慌ててそう説明してくれた。
でも、危険な目に遭ったのは間違いない。
早く様子を見に行きたかった。
「さ、ずらかるぞ!」
本郷はナオさんを抱えて立ち上がろうとした。
あたしも手を貸そうとした時、
「お、おい…っ」
ナオさんが振り回した腕にバランスを崩して、本郷は尻もちをついた。
息も絶え絶えになっているナオさんのどこにそんな力が残っていたのか…
黒ずんだ顔の中で、瞳だけはしっかりと光を宿している。
「おいて行ってくれ…」
驚くほどハッキリとした口調で、ナオさんはそう言った。
「あんたらは…捕まっちゃダメだ…自由に…動けないと…」
やれやれといった顔で、本郷はため息をつく。
「登録は覚悟の上で来たんだよ。今更、何言って…」
だけど、もう一度抱え起こそうとした本郷の襟元を、ナオさんはがっしり掴んだ。
その剣幕に、本郷もあたしも思わず沈黙する。
「やることが…あるんだろ?まだ…捕まっちゃダメだ…ここに、オレと彩乃と…置いていけば…須藤がやらかしたことの…証拠に…なる…」
それはそうだけれども、だからって見殺しにできるわけない。
しゃべりながら、ナオさんの瞼が閉じていく…
「ナオちゃん!」
「ナオさん!!ダメだよ!!」
こんなこと、ダメだ。あっていいはずがない。
必死に呼びかけるあたしたちに、薄く目を開けて、ナオさんは手を伸ばした。
力ない指先が示したのは、ぐったりと横たわる彩乃さん…
本郷が唇を噛み締めた。
覚悟を決めた表情。
軽く息を吐くと、その背中に純白の翼が現れる。
本郷は、楽々とナオさんの体を抱えあげて、彩乃さんの隣へ運んだ。
ひどい、ひどい、ひどい…
あたしの脳裏には、そんな言葉しか浮かばない。
絶望と諦めと。それが、こんなに苦しいなんて知らなかった。
本郷はナオさんの手を取って、彩乃さんのの手を掴ませた。
もう、ナオさんには見えてもいないようだった。
「…彩乃…だけは…守れた…」
この上なく、満足そうな笑みが浮かぶ。
なんで、そんな顔できるんだろう…
「…もう、大…丈夫…行け…今、どうすりゃ…一番うまくいくか…分かるだろ」
かすれた言葉が、さらに小さくなっていく。
「…分かったよ。出来るだけ早く、彩乃さん保護できるように、手回すから」
本郷が、迷いを振り切るように立ち上がった。
絶望的な状況はあたしにも分かっていた。
ここでグズグズしていたら、ナオさんの最後の意思を無にすることになる。
静かに振り返った本郷に、あたしはナオさんのスマホを握りしめながら頷いた。




