第3892話 滅びし者編 ――安堵――
暗黒大陸へ向かう航路の最中に発見された幽霊船により構築された幽霊船団。この対応のため、冒険者ユニオンは皇国へと協力を要請。各地から霊力や退魔の力を操る者を招集。カイトは幽霊船に対応出来る数少ない一人として幽霊船の一隻の除霊に乗り出すわけであるが、乗り込んだ幽霊船は特殊な異界に近い状況となっていた。
そうして幾つかの部屋を探索して、第一階層、第二階層と進んだわけであるが、そんな第二階層にてたどり着いた安全域で見つかったアルバムから、カイトはこの船がかつて自身が見知った船である事を理解する。というわけで決意を新たにしてシャルロットの促しに従って仮眠を取る事にしたカイトだが、やはりいくら彼でもこの状況下では疲労が溜まらざるを得なかったようだ。
「……」
敢えて言う必要もないかもしれないが、実戦経験に関してでもカイトはアリスやソーニャより遥かに積んでいる。なので疲労があろうとなかろうと仮眠を取る術は学んでおり、短時間であれ、必要に応じてある程度回復が出来るように修練は積んでいた。
そしてもちろん自分の指定するタイミングで起きる術も習得していた。というわけで三人の中で一番最後に仮眠を取ったはずにも関わらず、目覚めは一番早かった。
「……よし」
回復率としては悪くはないだろう。カイトはベッドから起き上がると、感覚を確かめるように手を握りしめる。というわけで感覚に違和感がない事を確認すると、彼は一度懐中時計を取り出して頷いた。
「……よし。経過時間としては十数分……って所か。久しぶりにやったが、安全域の操作は十分だな」
当然だが仮眠を取っていて間に合いませんでした、というのは最悪の事態だ。なので幽霊屋敷や幽霊船の影響を受けない安全域である事を利用して、基本的には時間経過を加速させて短時間でも十分な時間を確保するのが一般的な手法だった。
と言っても当然、アリスとソーニャにそんな事が出来るわけもなく、カイトがやっていた。というよりそもそも二人がそんな事が出来る余裕があるわけもなかった。というわけで上体を起こして数度屈伸をした所で、ソーニャがむくりと起き上がった。
「……あれ?」
「よ、おはよう。良く寝てたが、疲れは取れたか?」
「……え?」
もしかして自分は寝ていたのだろうか。ソーニャは少しベッドに横になる形で休息を取ろうとした所までは覚えていたらしい。だがそこから意識を失った事は理解出来ていなかったようで、周囲を見回して大いに驚いていた。
「寝てた……んですか?」
「ああ。ぐっすりな。相当疲れてたんだろう。無理もないが」
「……」
あり得ない。ソーニャは自分が寝ていたという事実が受け入れきれなかったようだ。愕然としたような、驚いたような、それでいて恥ずかしげな様子で目を見開く。とはいえ、これにカイトは笑う。何も不思議はなかったし、当然の行為だったからだ。
「なんだ。別に幽霊屋敷で仮眠を取るのは珍しい事でもないだろう。規模にもよるが、豪邸クラスの幽霊屋敷なら中で仮眠を取るのは普通だ……何よりそうじゃないと体力が保たんだろう。オレでも幽霊屋敷の攻略じゃ仮眠は取るぞ。てーか、だからオレもベッドで横になってたわけだし……あ、何? もしかして添い寝してほしかった? そうなら言ってくれれば良かったのに」
「そんなわけはありません」
「えー……ほら、今ならアリスも寝てるんだし、ちょっとぐらいさ。声を抑えるのもオツなもんだぞ? もし無理なら口は塞いででやるからさ。あ、口で塞いで欲しい? それともやっぱり手?」
「……あまり霊力を浪費したくはないのですが……」
いつもの調子が戻ってきたな。カイトは自身の冗談に対して巨大な霊力を指先に収束させるソーニャに、楽しげに笑う。
「冗談、じょーだんだ。それにしてもそこまで驚く必要もないだろう。さっきも言ったが、別に仮眠を取る事は珍しい事でもなんでもない」
「そう……ですが」
「うん?」
「なんでもありません」
さも何もわからない、というような様子を見せるカイトに、ソーニャは恥ずかしげながらも同時になにかを堪えるような様子で切り捨てる。が、それを見通せないカイトでもなかった。
「……ま、安心しろ。ソーニャを性欲の対象みたいな感じでは見んよ」
「っ」
察せられていた。カイトの発言にソーニャは盛大に顔を顰める。そうしてそんな彼女にカイトが告げた。
「幽霊や影響を受けた奴への囮に使われただけじゃないんだろう。噂は聞いた事がある」
「……正直、教国も裏は……どこも似たようなものかもしれませんが」
自分の母国への唾棄を口にしそうになり、しかし横にアリスが寝ていた事を思い出したのかソーニャは慌てて取りやめながらも、カイトの言葉を暗に認める。そうしてぽつりぽつりと過去の事を口にする。
「……私が処女で居られたのは、単に私の霊媒体質と処女に有用性が認められていたからでしょう。襲われそうになり、相手が暗部の連中に連れ去られた事は一度や二度ではありません。ただもし私が生む子が私以上の価値を有するとわかったり、私自身の有用性が低下していたら、今頃は優秀な霊媒体質の子を生む道具にされていたかもしれません……もしかすると、当時は負担が大きいと判断されて、ローラントさんやシェイラさんに助けられていなければ今頃、かもしれませんが」
どこか蔑むように、ソーニャは言外に襲われていたし自分に有用性がなければ抗う術はなかっただろう、と口にする。そうして当時の古巣を思い出したのか、ぐっと拳を握りしめるように少しだけ堪えて、少しの後に力を抜いて笑った。
「にしても貴方も大概クズですね」
「なんで」
「私の過去をわかっていながら、そんな風に演じるんですね」
「警戒した方が楽だったんだろ? 隠して近づかれると、下心が視えて失望しかない。ならあけすけにされて、最初から警戒出来た方が気が休まる」
「……」
本当にこの男は。ソーニャは楽しげに笑うカイトの指摘の通り、警戒させられていたからこそ安堵してしまった事を理解していた。そもそもこの態度が演技に過ぎない事は彼女自身が理解出来てしまうからだ。
彼も男なので下心があるにはあるだろうが、彼女が関わってきた数多のゲスな男達のような邪な下心ではない事は彼女が誰よりも理解していた。それを長く一緒に居た事で受け入れてしまい、ついには無警戒に眠る姿さえ晒した事に彼女は驚き、受け止めきれなかったのである。そうして今までになく穏やかな表情で彼女が笑った。
「良い所ですね、貴方のギルドは。アリスさんルーファウスさんも良い人です。教国に失望した事を少し後悔するぐらいには」
「どの国も裏に居る連中の中にはクズがいる……だが同時に表に立って頑張っている連中もいる。どの国も同じようなもんだ。全部に失望することもなければ、全部に期待することもないさ」
カイトは為政者として、見たくもない事はごまんと見てきている。それこそアリスがなんとか逃れた事から逃れられなかった少年少女らを見た事は一度や二度の事ではない。なのでどこか諦観にも似た様子があったが、同時にそこにはまだ怒りが横たわっていた。それを、ソーニャも察したようだ。
「貴方はどれだけ見ても、どれだけ知っても怒れるんですね。あの人達と同じように」
「ローラントとシェイラさん?」
「ええ」
「ま、オレも頑張ってる奴の一人ってことで」
教国の裏で一人動く騎士と、その彼に協力する元教国の冒険者ユニオンの支部長の事を思い出してカイトが笑う。シェイラは兎も角として、ローラントが善人である事はわずかしか関わらなかったカイトにも理解出来た。そしてソーニャが信頼していることも、である。そしてこの二人と同列として語られるぐらい、カイトも信頼されているという事なのだろう。
「そうですね。貴方は頑張っているのかと……私が思わず心を許してしまうぐらいには」
「おっと……ついにソーニャたんの攻略完了?」
「それはまだ駄目です」
敢えていつものようにソーニャへと手を伸ばそうとしたカイトに、ソーニャが笑いながらその手をはたき落とす。
「ただ……そうですね。もし何時か、私が良いと思えば抱かれてあげます。悪霊に取り憑かれた人達やゲスな男達に襲われて奪われるぐらいなら、まだゲスな男の中でも貴方の方がまだ、まだマシですから」
まだ、を強調しながらも好意は隠す必要はないと判断したのだろう。これにカイトはいつものようにおちゃらけた。
「やった。ソーニャたんとベッドの約束しちゃった」
「そういうのはもうやめてください。演技なのもわかっていますから」
「やーだ。こういうのさせてくれる子っていないからな。せっかくだから楽しませてくれ」
「もう……」
ソーニャもこの応対に心地よさを感じている事は事実だった。何よりこういうポーズを見せながらも、下心がない人物に彼女は会った事がない。安心しながらも、こうした冗談を言ってくれる事に安堵していた事は事実であった。
というわけで穏やかな様子で笑っていた彼女であったが、どうやら歓談で少しうるさくしてしまったのだろう。小さく、アリスがうめき声を上げた。
「んぅ……」
「ああ、アリス。おはよう」
「おはようございます……で、良いのでしょうか。あ、ソーニャさんも起きたんですね」
「ええ。疲れは取れましたか?」
「……はい。問題ありません」
一度だけぐっと目を閉じて、アリスはソーニャの問いかけにしっかりと頷いた。というわけで意識を完全に覚醒させ、アリスは首を傾げる。
「……? なにかありましたか?」
「いえ、なにも」
「ああ、ま、ちょっとな」
「はぁ……」
いつものように少しそっけなくはあるものの、目覚めてみれば何時になくソーニャが上機嫌なのだ。なにかあっただろうか、と思ったものの、上機嫌ならば良いかと思ったようだ。というわけで二人が起きた事もあり、カイトはベッドから飛び降りる。
「よし。まぁ、とりあえず顔を洗って防具をチェック。腹も減ったし、とりあえず軽く食べて活動再開だ」
「「はい」」
カイトの指示に、二人が応ずる。というわけで三人ともベストとまでは言わないものの、攻略を再開出来る程度にはコンディションを整えて再び探索を開始するのだった。
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