第3888話 滅びし者編 ――客室――
暗黒大陸へ向かう航路の最中に発見された幽霊船により構築された幽霊船団。この対応のため、冒険者ユニオンは皇国へと協力を要請。各地から霊力や退魔の力を操る者を招集する。
というわけで元々幽霊船の除霊を要請されていたカイトは、その中でも最大のガレオン船に近い幽霊船の除霊を行うべく、アリスとソーニャの二名を連れて幽霊船へと乗り込む。
そうして甲板を通過して船内へと潜入したわけであるが、幾つかの部屋の探索後。空間の歪みにより生じたセーフティエリアらしき客室へと到達。小休止を挟んで、客室の調査を開始する。だが、事件は早々に起きる事になった。
「……シャワーがありました」
「ま、まぁ……浴室だったからな。えっと……どうしてそうなった?」
「……多分振り向いた際に鞘がボタンにあたったのだと……」
ぽたぽたぽた。客室の中の別の小部屋を調べていたアリスの悲鳴を聞いて大慌てで中を覗き込んだカイトであったが、そんな彼が見たのは水浸しになった彼女の姿だ。
どうやら小部屋は浴室だったらしく、そこまではカイトも部屋を開けたアリスから報告を受けていたので特に気にしはしなかった。そして一応は中を調べる必要があったので流れでアリスが調べていたのだが、そこで早々に悲鳴が挙がったのであった。
「そ、そうか……あー……まぁ、とりあえずえっと……鎧を脱いでちょっとそこ立て」
「……はい」
鎧の上からずぶ濡れになってなんとも言えない空気が流れるが、流石に戦闘中でもないのに水浸しのまま放置するわけにもいかない。というわけでカイトは魔術で温風を生み出して、アリスを乾かす事にする。そしてアリスも流石に恥ずかしかったのか、今は言われるがままになっていた。
「で、なにかあったか?」
「いえ、特に変なものは。ただの浴室でした。アメニティはありませんでしたが」
「そうか……まぁ、客用の浴室。特になにかがあるわけでもないか」
「はい……あ、でもそう言えば珍しく浴槽もありました」
「浴槽か。確かにこの時代の船なら珍しいと言えるかもしれないな」
温風で乾かされながら報告するアリスに、カイトも少しだけ驚いた様子を露わにする。一応魔術で水を創り出せる関係上、地球の船のように真水が貴重になる事はない。
もちろん魔術で生み出した水が飲料水として使えるか、というとまた別の問題になるが、錬金術を使えば海水を塩と水に分離する事は容易い。そこらもあって船に浴槽を準備する事は不可能ではないが、それはあくまでも今ではの話だった。というわけで、カイトは少し冗談っぽく問いかける。
「いっそ入るか? 確かにオレも潮風でベタつくから、少し風呂に入りたい気分ではあるしな」
「え?」
「ん?」
「あ、いえ……なんでも」
「お、おぉ……」
なんか変な反応をされた。カイトはアリスが一瞬顔を赤らめたものの、すぐに気を取り直した事を受けて首を傾げながらも深くは突っ込まない。
なお、何故アリスが赤面したかというと、雰囲気から一緒に入るかと思ってしまったかららしかったのだが、流石のカイトもそこまでは察せられなかったようである。というわけで特に深く突っ込むつもりもなかったので、カイトが気を取り直して話を再開する。
「まぁ、それはさておき。確かにこの時代の船に浴槽は珍しいな……戦闘向けの船かと思ったが、意外と客船に近い運用がされていたのか……?」
「どうでしょう……船に浴槽が常備されるようになったのは何時頃からなのでしょうか」
「うーん……比較的最近とは聞いているが」
百数十年前に建造された船だと思っていたカイトであったが、客室とはいえ浴槽がある事から思ったより新しいのかもしれない、と悩ましげだ。
「まぁ、客室だから敢えて用意していた可能性もあるか。とはいえ、そうなるとそういった所にも配慮を行き届かせた高級な客船がベースになっている可能性は高そうだな」
「ここまで武装して、ですか?」
「だからだ。外洋を行き交うガレオン船だと、多くの客員を乗せる事もある。となると、外洋での安全の確保のため大量の武装を積んでいる事もあったそうだ。相手は海賊から魔物まで多種多様だからな」
「なるほど……」
この船が何時建造されたかはまだわからないが、百と数十年昔であればまだまだ海賊達も多かったと考えられる。そしてもちろん飛空艇のない時代である以上は大陸の行き来は船が基本で、今より需要は遥かに高かった。そこらを考えればここまでの重武装は当然だし、必然でさえあっただろう。
「うーん……他の船がどうかを考えにゃどうにもならんが、もしかしたら何隻かは大本の船団に所属していない船の可能性もありそうだな……この船がどうかはわからんが」
「あり得るのですか?」
「わからん。そもそもの話として、幽霊船団がオレも初めて聞いた話になる。だから幽霊船に撃沈された船が幽霊船になって幽霊船団に加わる、という事があり得るか否かもオレにもわからん」
何隻かは確かに見た目が違う時代だなとは思っていたカイトだが、それが作られた時代の違いなら納得も出来た。そして何より、十数隻の船団が一気に消えれば大ニュースになる事は間違いない。それらが思い浮かばなかった事から、元々は数隻の船団で、後からここまで増えたと考えた方が筋は通ったからだ。
というわけで雑談混じりにアリスの服を乾かしていたカイトだが、そこに別の部屋をチェックしていたソーニャがやって来た。が、早々に彼女が顔を顰める。
「……何をしたんですか」
「ん? あぁ、まぁ、色々とな」
「……はい」
「……」
「いや、オレは何もしてないぞ?」
恥ずかしげなアリスの様子に疑念の滲んだ目線をカイトへと向けるソーニャに、カイトは楽しげに笑うだけだ。流石に彼もアリスの失態をあからさまに話すつもりはなかったようだ。
とはいえ、そんな様子とアリスの恥ずかしげに視線を背ける様子から、彼がなにかをしたわけではないとソーニャも察したらしい。なので深くは突っ込まず、スルーする事にした。
「そうですか……とりあえずこちらの確認は完了しました。キッチンには流石に食材等はありませんでした」
「そうか……まぁ、流石に百と数十年も昔のキッチンに食材が用意されても困るか」
「ある場合もありますが」
「まぁ、聞いた事はある。食べたいとは思わんがな」
「意外です。食べた事があると思っていました」
「流石に大丈夫かわからん物を口にする勇気はオレにもない。旅中で腹を壊すほど面倒な事もないしな。特に水は貴重だから、行動不能になった挙げ句脱水症状を避けるべく水まで浪費する事になる事態は何が何でも避けにゃならん」
元々三百年前にほとんど孤立無援で旅をしていたカイトだ。そして当時の彼とユリィの知識では、どこが毒でどこが大丈夫かわからなかった。なので旅の最中に腹を下す事は一度や二度ではなく、そこらがあって彼は狩りをしても釣りをしても、手に入れた獲物の内蔵には手を出さないようになったのである。
「それは英断かと」
「まぁな……っと、それでわかった。まぁ、キッチンと浴槽はこの様子だと何も問題ないか。だがキッチンに浴槽か。船にしては珍しいな」
基本的に客船であっても浴室はまだしもキッチンがある事は珍しい。一応この客室に設けられている部屋なのでどちらも安全域である事は間違いなく、別れて調査しても問題ないと考えていた。そして案の定危険はなかったようだが、そうなればこのキッチンは客室に元々備わっていた事は間違いないと判断出来た。
「この様子だと外洋をメインとしながらも、各所を回って動く商船の役割も持っていたのかもしれないな……後は客が釣った魚を自分で調理出来るようにしていた……という事もあり得るか……? キッチンはどれぐらいの規模だった?」
「流石に小さめで、コンロも二つ程度。流しも簡素なもので、ギルドホームの個人用の部屋にある簡易型のキッチンと同じぐらいの設備かと」
「流石に本格的なキッチンは用意してないか」
それがあったらもうこの船が何を目的としたかわからないな。カイトはそう笑いながら、ソーニャの報告を当然と考える。というわけで二人の受け持った部屋の調査結果を聞いた所で、今度はカイトが自身の調査結果を二人に共有する。
「こっちの寝室も特に変わったものはなかった。寝室というかリビングというか、だが」
客室の構造だが、キッチンがある意外はよくあるホテルの一室と類似していた。ベッドルームに簡易の机と椅子が設置されていて、浴室とキッチンがあった。寝室からは扉さえ開けていれば、その両方が見えるようになっていた。
「とはいえ、ここから推測すると、おそらく沈没時にはこの客室は使用されていなかった可能性が高そうだな。もし沈没時の状況を再現しているなら、客の荷物かなにかがあっても不思議はない。更にキッチンに食材があった可能性も高い。総合して考えると、この部屋は沈没時には使っていなかったと考える方が妥当だろう」
「ですね……おそらくこの部屋はこれ以上調べても無駄かと」
「だろうな」
ソーニャの結論に、カイトもこの部屋のこれ以上の調査は不要と判断する。まぁ、元々客室という事でこの船に関するなにか重要な情報はないだろうと考えていたが、案の定という所だったのだろう。三人は特に気落ちする様子もなかった。
「とはいえ、どうだろうな」
「何がですか?」
「この様子だと安全域は客室を模している可能性が高そうか、とな。まぁ、流石にここは客室だろうが」
「それはありえますね」
「どういうことですか?」
ここが客室である事は部屋の構造やらを見ても間違いないのだ。なのに客室を模している可能性がある、というのはどういう事かアリスには理解出来なかったようだ。というわけでアリスの問いかけに、ソーニャが教えてくれた。
「安全域は幽霊達の認識として、自分達が触れられない、もしくは自分達が触れる事のない部屋という認識が強く働きます。なのでそれを再現するため、元々の部屋をベースに客室に改変される事はありえない話ではありません」
実際、私が訪れた幽霊屋敷でも何度か色々な部屋がベースになった客室は目にしてきました。アリスの問いかけに、ソーニャが自身の経験を混じえながらそう語る。というわけでそんな彼女の言葉をカイトもまた認めて頷いた。
「そういうことだな……だから面白い事に子供部屋が客室に改変されたりすると、おもちゃがたくさんある客室なんかが出来上がる事もある……ここみたいに何も無い客室だと、あまり使われなかった客室か、偶然沈没時に客が居なかった可能性が高いな」
「なるほど……安全域一つでそこまでわかるんですね」
「そ……だから安全域の調査はかなり重要だ。何もなかろうとな」
「わかりました」
やはりこの世の中には自分の知らない事は多いのだな。カイトの言葉にアリスは感心したように頷いた。そしてその話が終わる頃にはアリスの服も完全に乾いて、三人は安全域を出て再び調査に戻る事にするのだった。
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